10話:マドンナの二つの影
望まない誘いは
休日の甘い時間すら苦く変えていく。
駅前の再開発エリアにオープンしたばかりの
SNSで話題沸騰中の洗練されたカフェ。
休日特有の賑わいと華やかな熱気に包まれた
店内で、藤咲はどこか引きつった笑みを
浮かべてテーブル席についていた。
その目の前に座り、流行りの店を予約できた
自分に酔いしれるように気取った仕草で
メニューを広げているのは高木だ。
しつこい誘いを断り切れずやむなく
連れてこられてしまった藤咲の表情には
隠しきれない困惑と疲労が滲んでいる。
そのテーブルの奥にあるデッドスペース。
完全に気配と姿を消した透明化状態の俺は
息を殺して二人を見下ろしていた。
「藤咲さん、ここ限定の新作エスプレッソ
パフェが絶品でさ。僕が注文してあげ……」
「あ、あの、高木さん、私自分で
決めますので……」
仕切ろうとする高木が挙手した瞬間
暗躍を開始する。高木が手を挙げた拍子に
俺は透明な手で高木のアウターの袖口を
軽く引っ張り、テーブルの上の水グラスへと
誘導した。ガチャン、と派手な音を立てて
冷水が果敢に高木のズボンの股間付近へと
ぶちまけられる。
「うおっ!? な、なんだ急に……っ!」
「高木さん大丈夫ですか!?」
慌ててナプキンで股間を拭う高木の情けない
姿に、藤咲は口元を押さえて小さく吐息を
漏らした。高木が苛立ちを隠しながら
トイレへ席を立った隙を見計らい、俺は
メニュー表の別のページをこっそりと開いておいた。高木は濡れたズボンを気にしながら戻ってきた。
メニュー表に目をやることもなく
スマートを装いながら注文した。
「あー、この限定のやつ二つで」
俺がすり替えたメニュー表により運ばれて
きたのは、ピリ辛の特製スパイスケーキと
酸味の強い癖のあるハーブティーだった。
不機嫌そうに店員と押し問答を始める高木。
自分勝手で余裕のない態度を剥き出しにする
高木の姿に、完全に冷め切った表情を
浮かべる藤咲。会計時、高木が格好をつけて
支払いを済ませようと財布を取り出した瞬間
俺は高木の財布からクレジットカードを
透明な手でそっと抜き取り、ソファの
隙間へと押し込んだ。
「あれ……カードがない!?」
「高木さん、大丈夫ですか……? もう私
自分の分だけ払ってお先に失礼しますね」
カードが見つからずパニックになる高木に
呆れ果てた藤咲は、伝票を持って立ち
上がった。スマートにエスコートするはずが
無様な大失態を連発した高木は、会計の
不手際に追われたまま藤咲を引き留めること
すらできず、惨めな姿で店内に取り残された。
店を出て一人で賑やかな駅前通りを歩く藤咲。
眩しい休日光線に照らされた彼女の白い肌は
透き通るように可憐で、風にふわりと揺れる
黒髪とフリルのついた私服の裾が
息をのむほど甘く、愛らしい。災難から
解放された安堵からか、ぽてっとした
小さな唇をわずかに尖らせた。
「はぁ……なんか、散々だったな……」
そう呟く姿は、守ってあげたくなるような
幼さと無防備な色気に満ちあふれていた。
ふと足をとめ、上目遣いに休日の青空を
見上げる藤咲。その可憐な横顔とキュートな
仕草に、俺は少し離れた場所から透明な
姿のまま愛おしさで胸を締め付けられていた。
影から藤咲を守り、高木を撃退することには
成功した。けれど、一人でどこか寂しそうに
歩く藤咲の小さくて華奢な背中を
見つめていると、胸の奥がぎゅっと痛む。
どんなに藤咲を危険や災難から救っても
透明な存在のままでは、あの愛おしい藤咲の
隣を歩くことはできない。藤咲が見上げる
青空の眩しさを、面と向かって分かち合う
こともできない。助けるたびに深まる藤咲への
愛おしさと比例するように、自分の情けなさと
虚しさがじわじわと胸を満たしていく。
俺は強く唇を噛み締めながら、いつか
この透明な壁を壊して藤咲の隣に胸を張って
立てる日を心のどこかで強く望み始めていた。




