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妖魔が跋扈する魑魅魍魎の現代に転生した俺は、ハズレとされる<反転>で無双する  作者: おにぎりだいすけ


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赦し

 血のような茜色の空。

 耳を劈くひぐらしの鳴き声が、脳の芯を直接掻きむしるように響き渡る。

 朽ち果てた家々が、まるで墓標のように立ち並ぶ。


 ここは、ぬらりひょんの時間が凍りついた場所。

 彼女の魂の原風景であり、絶望が生まれた故郷だ。


 その中心、ひび割れた石の鳥居の下に、彼女は背を向けて佇んでいた。

 夜空を溶かしたような艶やかな黒髪が、死んだ風に揺れている。

 俺は一歩、また一歩と、乾いた土を踏みしめて彼女へと近づいた。


 俺の足音に気づいているはずなのに、彼女は振り返ろうともしない。

 その背中が、まるで世界のすべてを拒絶しているように見えた。


「……これが、ぬらり様が望んだ世界なんですか」


 俺の声は、自分でも驚くほど静かだった。

 その問いかけに、彼女は初めてゆっくりと、人形のようにぎこちなく振り返った。

 その表情からは、現実世界で見せた狂気も、傲慢さも、綺麗に削ぎ落とされている。ただ、千年の時を閉じ込めた井戸の底のような、深い虚無だけが浮かんでいた。


「……お主には分かるまい。この景色が、この絶望こそが、世界の真実だということを」


 鈴を転がすような美しい声。

 だが、その響きには命の熱が一切感じられない。

 彼女は、俺の精神を砕いたことに対する罪悪感すら抱いていない。


 いや、違う。

 抱けないのだ。

 彼女の心という器は、あまりにも永い時間、悲しみで満たされすぎて、他のどんな感情も入り込む隙間がない。


「……そんなこと、ありません」


 俺は、はっきりと答えた。

 俺自身への言い聞かせでもあった。


「僕は見ました。ぬらり様の魂に流れ着いた、あの日の記憶を。貴女が何を守りたかったのか。誰に寄り添っていたのか。……そして、何を失って、どれほど傷ついたのかを」


 俺の言葉に、彼女の虚無の瞳が、ほんのわずかに揺らいだ。

 だが、彼女はすぐにそれを嘲笑で塗り固めた。

 その変化を見逃さなかった俺は、構わず言葉を続ける。


「ほう。見たか。ならば同情でもするつもりか? 哀れな化け物に、憐れみでもくれてやると? くだらぬ。人の施しなど、とうの昔に捨てたわ」


「同情でも、憐れみでもありません」


 俺は、強く首を振った。

 胸に手を当てる。

 粉雪を失った瞬間の、内臓を直接えぐられるような痛みが、鮮明に蘇る。

 精神が砕け散った、あの絶望と無力感を。


「これは、僕自身の痛みでもあるんです」


 彼女の眉が、怪訝そうにひそめられる。


「僕は、この世界の人間じゃない。別の理で動く世界から来た、ただの異邦人です。ずっと、どこにも馴染めない孤独を抱えて生きてきました。ぬらり様が感じていた孤独と同じものを……だから、僕たちは『共鳴』した」


 そして、俺は一度息を吸い、自らの心の傷を抉る言葉を、震える声で吐き出した。


「僕も、失いました。ぬらり様が、僕の体を使って……僕の大切な人を、殺した。僕が神崎さんを封印しなければ、あの子は死なずに済んだ。僕の選択が、僕の弱さが、あの子を殺したんです。だから……分かるんです。痛いほどに……分かるんです、その痛みを」


 虚勢ではない。

 紛れもない真実だった。

 粉雪の最期の光景が瞼の裏に焼き付いて、魂が悲鳴を上げる。


 だが、俺は目を逸らさない。

 この痛みこそが、俺が彼女と向き合うための、唯一の資格なのだから。


 俺の告白を聞き、ぬらりひょんは初めて、虚無ではない表情を浮かべた。

 それは、歪んだ、悲しい笑みだった。


「──そうか。失ったか」


 彼女は、まるで同類を見つけたかのように、どこか満足げに頷いた。


「ならば、分かるはずだ。優しさなど、どれほど無力であるか。愛など、弱者の言い訳に過ぎぬということを。守りたいと願う心が、かえって大切な者を死に追いやるという、この世の理を!」


 彼女の声に、千年の怨嗟が滲み出す。


「だから儂は選んだのだ! 弱き者どもが二度と、無様に殺されぬように! 儂が絶対的な王となり、恐怖で縛り上げ、儂の道具として支配する! 自由意志などという甘えが、彼奴らを殺したのだ! ならば、儂がその自由を奪い、管理し、生かしてやる! それこそが唯一の救済! 儂の百鬼夜行は、弱き者たちのための、揺り籠なのだ!」


 それは、あまりにも歪んだ愛の形。

 彼女が自分に言い聞かせ続けた呪い。

 俺は、その呪いを解き放つために、ここに来たんだ。


「違います」


 俺は、静かに、しかし断固として否定した。


「それは、貴女が自分に言い聞かせているだけの、嘘です」


「……何だと?」


 ぬらりひょんの纏う空気が、殺意に満ちて凍りつく。


「貴女が本当に望んでいたのは、支配なんかじゃない。ただ、みんなと一緒に、笑って暮らしたかっただけじゃないですか。日の光の下で、人と妖が、当たり前のように隣にいる世界。それこそが、貴女のたった一つの願いだったはずです」


 俺は、一歩前に出る。


「百鬼夜行は、救済なんかじゃない。贖罪ですらない。……これは、貴女が自分自身を罰し続けるための、終わらない自傷行為です。貴女は、誰も救ってなんかいない。ただ、あの日にたった一人で取り残されて、今も泣き続けているだけじゃないですか!」


「黙れッ!!」


 絶叫と共に、ぬらりひょんから凄まじい妖気が迸った。

 ひぐらしの声が止み、茜色の空がどす黒い闇に染まる。

 彼女の魂が、俺の言葉を全力で拒絶している。


「小僧にッ! お主のような若輩に、儂の痛みの何が分かるというのだァッ!!」


 嵐のような妖気が俺に叩きつけられる。

 だが、不思議と痛みはなかった。

 それは、ただ悲しみの奔流。


 誰にも理解されなかった、孤独な魂の叫びだった。

 ああ、そうか。言葉だけでは、もう届かない。

 彼女の心は、悲しみと後悔の棘で、あまりにも固く閉ざされてしまっている。ならば。


 俺は静かに目を閉じた。

 魂の奥底で、始祖から託された温かい光が、静かに脈打っているのを感じる。

 太陽のように暖かく、世界そのものを肯定するような、根源的な陽の力。


 俺は、嵐の中心にいる彼女に向かって、再び歩き出した。


「貴女の憎しみを消すつもりはありません。悲しみを忘れろとも言いません。ただ、思い出してください。貴女が、本当に守りたかったものを」


 俺は右手を、自らの胸に当てる。

 安倍晴明の力が、俺自身の反転術式の性質と混じり合い、新たな可能性へと昇華していくのを感じる。


 何を、反転させる?

 憎悪か?

 否。


 憎悪を反転させても、無関心になるだけかもしれない。

 それでは救いにならない。


 絶望か?

 否。


 絶望を希望に反転させても、それは根拠のない欺瞞だ。

 彼女は受け入れないだろう。


 彼女を千年間縛り付けている、呪いの正体。

 それは、憎しみでも絶望でもない。

 その根源にある、たった一つの事実。


 ──愛する者たちを、失ったという、癒えることのない喪失感。

 ならば、覆すべきは、その大本。


 俺は、荒れ狂う妖気の嵐を突き抜け、呆然と立ち尽くす彼女の目の前に立った。

 そして、その震える肩に、そっと両手を置いた。


「反転──」


 俺の口から、術の名が紡がれる。

 俺の魂に宿る全ての力、安倍晴明から託された黄金の光、そして、粉雪を失った俺自身の悲しみさえも燃料にして、術を起動する。


 対象は、ぬらりひょんの魂。

 反転させる理は、喪失。


 ──失ったという過去の事実を、今も、ここに在るという、新たな真実へと。


 瞬間、世界から音が消えた。

 俺の掌から溢れ出した黄金の光が、ぬらりひょんの全身を優しく包み込む。


 それは破壊の力ではない。

 浄化の力でもない。


 ただ、世界の理を、たった一人の魂を救うためだけに、愛をもって書き換える、奇跡の光。


 どす黒い闇に染まっていた空が、白く、白く光り輝き始める。

 血のような茜色は洗い流され、まるで夜明けのような、清浄な光が満ちていく。


 朽ち果てていた家々が、その輪郭を取り戻していく。

 ひび割れた鳥居は真新しくなり、枯れた木々には瑞々しい葉が芽吹く。

 絶望の色に染まっていた世界が、かつての温かい記憶の色へと、塗り替えられていく。


「な……にを……」


 ぬらりひょんが、呆然と呟く。

 その視線の先。光の中から、いくつもの人影が、陽炎のようにゆっくりと現れ始めた。


「ぬらり様」


 聞き覚えのある、幼い声。

 最初に姿を現したのは、大きな一つ目を持つ、小柄な妖怪だった。

 千年前、ぬらりひょんの目の前で、頭を砕かれて死んだはずの一つ目小僧。


「ぬらり様、腹が減ったよう」


 頭に皿を乗せた河童が、ひょこりと顔を出す。

 古木からは木霊たちが顔を覗かせ、足だけの妖がてちてちと駆け寄ってくる。


 陰陽師に殺されたはずの、人の母親と子供が、手を繋いで微笑んでいる。

 彼らは、怨念に満ちた亡霊ではない。

 憎悪を宿した化け物でもない。

 ただ、生前の、穏やかで、優しかった頃の姿のまま、そこにいた。


「……幻……か。お主の、術か……?」


 ぬらりひょんは、信じられない光景に後ずさる。

 これは幻覚だ、自分の心を折るための卑劣な術だと、必死に自分に言い聞かせようとしている。


 そんな彼女に、一つ目小僧が駆け寄り、昔のようにその着物の裾をくい、と引いた。


「ぬらり様、どうしたの?」


 その感触は、あまりにもリアルだった。

 ぬらりひょんは、震える手で、恐る恐る一つ目小僧の頭に触れる。温かい。

 確かな命の熱が、そこにはあった。


「もう、いいんだよ」


 子供を抱いた母親が、慈愛に満ちた瞳で言った。


「もう、一人で戦わなくていいんだよ」


「俺たちのために、鬼にならなくていいんだ」


「ぬらり様は、笑ってる方が、ずっと綺麗だよ」


 口々に語りかける、懐かしい声、声、声。

 誰も、彼女を責めなかった。

 誰も、彼女の選択を咎めなかった。


 ただ、昔のように、彼女を慕い、その優しさを信じて、微笑みかけていた。


「あ……」


 ぬらりひょんの口から、空気が漏れる。


「ああ……ああああ……っ」


 千年間、凍てついていた心が、堰を切ったように溶け出していく。

 災厄の王の仮面が、音を立てて砕け散る。

 彼女は、その場に膝から崩れ落ち、幼い子供のように、声を上げて泣きじゃくった。


「すまぬ……すまぬ……っ! 儂が、至らぬばかりに……! 守れなくて、すまなかった……!」


 謝罪と後悔の言葉。

 それは、ずっと彼女が誰にも言えずに、たった一人で抱え込んできた本心だった。

 失ったはずの者たちに囲まれて、彼女はようやく、その重荷を下ろすことができたのだ。


 一つ目小僧や河童たちが、泣きじゃくる彼女の周りに集まり、その背中を優しく撫でている。それは彼女が渇望し、そして自ら拒絶し続けてきた「赦し」そのものだった。


 だが──。


 その温もりが深ければ深いほど、彼女の心には新たな痛みが走る。

 彼らの優しさに触れる資格が、今の自分にあるのだろうか。

 彼女は、涙に濡れた顔をゆっくりと上げた。


 視線の先に広がるのは、蘇った美しい里の幻影。  

 しかし、その向こう側に透けて見えるのは、現実世界で彼女自身が作り出した地獄絵図だ。


 血の海に沈む京の都。

 食い散らかされた人々の躯。  


  ぬらりひょんの手は、震えていた。  

 かつて仲間を守りたかった手は今、数え切れぬほどの命を奪い、どす黒い鮮血に濡れている。

 彼らの笑顔を見れば見るほど、自分の穢れが浮き彫りになる。

 あまりにも、遅すぎたのだ。


 俺は、ぬらりひょんの隣にそっと膝をついた。

 彼女は、ただか細い声で続ける。


「この手は、もう……汚れすぎた。今更改心したところで、儂が殺めた人間は戻らぬ。この罪は、消えぬ……。お主の許嫁も、そうであろう……」


 その言葉は、鋭い刃となって俺の胸を刺した。

 そうだ、戦いは終わっても、何も解決していない。

 都は死体で溢れ、粉雪はもういない。


 彼女の罪も、そして、その引き金を引いた俺の罪も、決して消えることはない。


 だが。


 だからこそ、だ。


 俺は、固く拳を握りしめ、覚悟を決めた。


「ぬらり様」


 俺は彼女の肩に手を置き、真っ直ぐにその虚ろな瞳を見据える。


「僕に、考えがあります。これは、僕とぬらり様にしか出来ないことです」


 俺は、彼女の手を強く握り直した。


「やりましょう。……世界を、ひっくり返すんです」

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