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妖魔が跋扈する魑魅魍魎の現代に転生した俺は、ハズレとされる<反転>で無双する  作者: おにぎりだいすけ


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安倍晴明

 足元には波紋一つない水鏡が広がり、頭上には満天の星空が輝いている。

 上下の感覚すら曖昧な、無限の静寂。


 その中心に、一人の青年が立っていた。

 着ているのは平安の狩衣だが、纏っている空気が違う。

 全身から立ち昇る黄金のオーラは、人という枠を完全に逸脱していた。神々しく、それでいてどこか懐かしい。


 彼は扇子で口元を隠し、ニッコリと微笑んだ。


「まずは自己紹介といこうか。──私は安倍晴明。名前くらいは知っているかな?」


 呆気に取られるとは、このことだ。

 俺は口を半開きにして、目の前の男を見上げた。


 安倍、晴明。

 日本史上最高の陰陽師。

 教科書の中の偉人。


 この世界における神にも等しい伝説。

 そして、全ての始まりにして、土御門家の始祖。


「……は、はは」


 乾いた笑いが漏れた。

 これは夢だ。


 それも、精神が壊れた俺が見ている、都合のいい幻覚に違いない。

 でなければ説明がつかない。  


 俺の反応を見て、晴明と名乗る青年は楽しそうに目を細めた。


「まあ、そんなに固くならないで。驚くのも無理はないけどね。言うなれば、私は君の遠い遠い、ご先祖様だよ。お爺ちゃんとでも呼んでくれていい」


「おじい、ちゃん……?」


「そう。君のお爺ちゃんだよ。まあ、曾の字がいくつか付くけれどね」


 あまりに突拍子もない言葉に、俺は唖然として聞き返す。

 俺の血が安倍晴明に連なるものであることは知っている。

 だが、本人から直接、孫呼びされる日が来るなど、想像の埒外だ。


「しかし……安倍晴明は、とっくに死んだはずでは……」


 俺が絞り出した当然の疑問に、彼は「ああ、その通りさ」とあっさり頷いた。


「私はとっくの昔に死んでいる。今ここにいるのは、私本人じゃない。ただの妖力の残滓さ。千年の時を経て、だいぶ薄まっちゃったけどね」


「残滓……?」


「そう。あの時──ぬらりひょんを始めとした特級妖魔を『封霊箱』に封印しただろう? あの際に、ほんの少しだけ、私自身の妖力を保険として混ぜ込んでおいたんだ。いつか封印が綻び、こんな風に誰かが妖魔の魂と深く感応してしまう……なんて事もあろうかとね。千年越しの、壮大な仕込みさ」


 こともなげに語るが、その内容は常軌を逸していた。

 千年後の未来を予測し、そのための布石を打っておく。

 まさに神の領域の所業だ。


 目の前の存在が、やはりただの幻ではないことを、肌で理解させられる。


「今回、こうして君の前に出てきたのは、可愛い孫の顔を一目見ておきたかった、というのもあるけれど……」  


 晴明はそこで一度言葉を切り、悪戯っぽい笑みを消した。

 その瞳の奥に、星空よりも深い叡智と、わずかな悲しみの色が宿る。


「君には、私が成し得なかった大役を任せたいんだ」


 彼の纏う空気が変わる。

 神々しくも親しみやすかったオーラが、絶対者のそれに変質した。


「ぬらりひょんを止められるのは、この世界でただ一人。君しかいないんだ、遥明」


 その言葉は、俺の心の最も柔らかな部分を鋭く抉った。


「……俺しか、いないって……?」  


 冗談じゃない。

 俺は、喉の奥からせり上がってくる絶望を、怒りとして吐き出した。


「一体、俺に何ができるって言うんですか! 体の主導権は乗っ取られて、ぬらりひょんは好き勝手に人を殺してる! 俺のせいで、妖魔が溢れかえって、たくさんの人が死んで……粉雪まで……! 俺は、ただ指を咥えて、見てることしかできなかった! 無能で、出来損ないで、役立たずの種馬……それが俺だ! そんな俺に、あいつを止めろなんて……無理に決まってるッ!!!」


 叫び声が虚空に響く。

 涙がボロボロと溢れた。


「俺は無力だ……! 反転術式なんて言っても、肝心な時に何もできない。神崎を封印したのも間違いだった。俺が、俺がみんなを殺したんだ……っ!」


 俺が死ねばよかった。

 そうすれば、あんな惨劇は起きなかった。


 俺は、ぬらりひょんを信じた。

 孤独な魂が共鳴したのだと、愚かにも思い込んでいた。

 その結果がこの様だ。


 堰を切ったように感情をぶつける俺を、晴明はただ静かに見つめていた。

 彼の瞳に侮蔑や同情の色はない。

 ただ、すべてを受け止める海のような深さがあった。


「遥明」


 静かな呼びかけ。


「妖魔というのはね、祓っても意味がないんだ」


「…………」


 予想外の言葉に、嗚咽が止まる。

 天下無双の陰陽師。

 誰よりも多くの妖魔を祓ってきた英雄が、何を言っている?


「力で妖魔を祓っても、それはただの応急処置に過ぎない。憎しみは新たな憎しみを生むだけだ。私も若い頃は、その力を過信して、たくさんの過ちを犯した。祓っても祓っても、妖魔は人の悪意や悲しみを糧に、またどこかで生まれる。終わりなきイタチごっこさ」


 彼は遠い目をした。

 そこには、英雄としての栄光ではなく、終わりのない戦いに疲弊した一人の人間の悲哀があった。


「力でねじ伏せ、封印し、遠ざける。私はそれしかできなかった。それが正義だと信じ、それが人々の安寧を守る唯一の道だと信じていたからだ」


 彼は俺の肩に手を置いた。

 温かい。

 霊体とは思えないほど、確かな熱。


「だけど、本当に必要なのは、対話だったんだ」


「対話……?」  


 俺は彼の言葉を繰り返す。

 あんな、人を虫けらのように殺す化け物と、対話などできるはずがない。


「彼女は化け物じゃない。少なくとも、元々はね」


 俺の心を読んだかのように、晴明は言った。


「君も見たんだろう? 彼女の魂の奥底に流れ着いた、あの悲しみの記憶を。弱き者たちを守るために優しさを捨て、愛を捨て、自ら災厄の王となることを選んだ、孤独な魂の叫びを」


 ──そうだ。

 俺は見た。陰陽師に仲間を虐殺され、絶望の果てに理想を反転させた、心優しき妖魔のなれの果てを。


「あの記憶こそが、彼女の根源。君は、千年の孤独を抱えた彼女の魂に、異邦人としての君自身の孤独を重ね、共鳴した。だからこそ、あの封印は解かれたんだ。ぬらりひょんが君を操ったわけじゃない。君たちが、互いに引き合ったんだよ」  


 晴明の言葉が、俺の心に染み込んでいく。


「君は、ぬらりひょんの唯一の理解者なんだ。だからこそ、君の言葉だけが、凍てついた彼女の心に届く可能性がある」


「唯一の、理解者……」  


「これは君にしかできないんだ、遥明」


 凛とした、けれどどこまでも優しい声。


「少しだけだけど、私の力を分けておこう。今の君には、彼女と向き合うための、しっかりとした足場が必要だろうからね。これは私からの、ささやかな餞別だ」


 指が触れた場所から、太陽のように温かな光が、奔流となって俺の魂に流れ込んでくる。

 それは単なる妖力ではない。

 世界の理そのものを構成するような、根源的で神々しい力。

 枯渇していた魂が、その光に満たされていく。


「これで、本当にさよならだ。私のこの残り滓も、もうほとんどないからね」


 見上げると、晴明の体が足元から光の粒子となって、星空に溶けるように消えかかっていた。


「待って……!」  


 思わず手を伸ばすが、その指先は空を切る。

 彼の姿は急速に薄れていく。


「大丈夫だ、遥明」


 最後に聞こえた声は、絶対的な信頼と、そして深い愛情に満ちていた。


「君ならできる。なんてったって、君は私の血を引く、自慢の孫なんだから」


 その言葉を最後に、安倍晴明の姿は完全に消え去った。

 後には、彼のものだった黄金色の光の粒子が、雪のように舞い落ちるだけだった。  


 伸ばした手は、何も掴めない。

 だが、俺の魂の中には、確かに彼から託された温かい光が宿っていた。


 やがて、幻想的な世界がぐにゃりと歪み、俺の意識は深い闇へと落ちていく。


 次に目を開けた時、俺はまったく違う場所に立っていた。

 空は血のような茜色に染まり、けたたましいひぐらしの声が耳をつんざく。

 目の前には、朽ち果てた家々が立ち並ぶ、寂れた村が広がっていた。


 どの家からも人の気配はなく、漂うのは悲しみと諦めが凝り固まったような、重い空気だけだ。


「ここは……」


 流れ込んできた記憶の光景。

 ぬらりひょんが、愛する者たちを失った場所。

 彼女の心の原風景。


 俺は、彼女の精神世界の、さらに奥深くへと足を踏み入れたのだ。


 村の中心、ひび割れた石の鳥居の下に、見知った後ろ姿があった。

 桜吹雪の意匠が施された、漆黒の着物。

 夜空を溶かしたような、艶やかな黒髪。

 絶世の美女の姿をした特級妖魔──ぬらりひょんが、背を向けたまま、そこに佇んでいた。


 俺の気配に気づいたのか、彼女はゆっくりと、こちらを振り返った。

 その表情からは、現実世界で見せた狂気も、傲慢さも消え失せている。

 ただ、千年の時を閉じ込めたかのような、深い虚無だけが浮かんでいた。

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