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妖魔が跋扈する魑魅魍魎の現代に転生した俺は、ハズレとされる<反転>で無双する  作者: おにぎりだいすけ


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三日後

 あの日から三日後。


 神崎天一郎という規格外の怪物が引き起こした嵐が過ぎ去り、土御門家の本邸には奇妙な静寂と、それに見合わぬ熱気が満ちていた。


 俺は瓦礫の山となった廊下の隅で、パイプ椅子に座らされ、事情聴取を受けていた。


 目の前には、粛正課の男と、書記官の女。


 彼らは俺を怪物を見るような目で見ているが、そこには侮蔑ではなく、底知れぬ恐怖が宿っている。


「土御門遥明くん。君が術を跳ね返したの?」


「……いえ、正確には違います」


 俺は五歳の子供とは思えぬほど淡々と、事の顛末を語った。


 嘘をつく必要はない。


 起きたことがあまりにも荒唐無稽すぎて、嘘をつく方が難しいからだ。


「僕は、神崎さんが放った術の『方向』を反転させただけです。彼が自分自身を封印するように鏡を置いた。神崎さんを封じたのは僕じゃなくて、彼自身の力です」


 粛正課の男が息を呑む。


 神崎天一郎は現代最強だ。


 その彼が本気で構築した封印術式は、世界で最も強固な牢獄である。


 それを内側から破壊できる者は存在しないし、外側から解こうにも、術者本人が中にいる以上、鍵は永遠に失われたに等しい。


 あの後、陰陽府は蜂の巣をつついたような騒ぎになっていたらしい。


 天災が人の形をして歩いているような男の襲撃は、陰陽府という巨大組織を根底から揺るがす大事件として、瞬く間に国防の中枢を駆け巡った。


 土御門本邸を護る国宝級の結界『六方封殺結界』の理不尽なまでの物理的破壊。 警備にあたっていた芦屋家の術師を含む、上級陰陽師の惨殺。


 そして何より、陰陽府の決定を完全に無視し、一個人の気まぐれで重要管理対象である俺──特級妖魔『ぬらりひょん』を宿す器──を襲撃したという、組織に対する明確な反逆行為。


 そのどれもが、陰陽師の世界において万死に値する大罪だった。


 しかし、神崎天一郎を罰することは、誰にもできなかった。


 彼自身が生み出した漆黒の封霊箱の中。


 自らが放った特級の封印術によって、その魂だけが永遠とも思える呪縛に囚われているのだ。


 肉体は消滅し、魂のみが牢獄に繋がれた。


 まさに自業自得、因果応報の極みと言えた。


「封霊箱はこちらで回収した。府の封印術師たちが総出で解析にあたったが……結果は芳しくない。神崎天一郎が自らにかけた封印は、奴自身の規格外の妖力によって、前代未聞の強度を誇るものと化している。我々の技術では、内側からも外側からも、傷一つ付けることすら叶わない」


「どのくらいの期間、封印は持つのですか?」


 俺の問いに、粛正課の男は唸り、傍らにいた書記官の女が答えた。


「予測不能です。百年か、あるいは千年か……。少なくとも、我々が生きている間に出てくる可能性は、限りなくゼロに近いでしょう。ある意味、最も安全な形で危険因子を無力化できた、と皮肉を言うべきか……」


 神崎天一郎という、制御不能な核弾頭。


 誰もがその扱いに苦慮し、恐怖していた現代の晴明。


 彼がいなくなったことで、パワーバランスは崩れるかもしれないが、少なくとも神崎天一郎に殺される恐怖からは解放されたのだ。


 俺は黙って、黒い箱を見つめた。


 二度と出てきてほしくはない。


 心底そう思う。


 だが同時に、あの傲慢なサングラス男が、中で何を思っているのかを想像すると、少しだけ背筋が寒くなった。


 彼は、この状況すら退屈しのぎとして楽しんでいるのではないか。


 ひょっとすると、自ら封印を打ち破るのではないか。


 そんな予感が拭えなかったからだ。


 *


 あの日を境に、俺の日常は静かに、しかし確実に変質した。


 相変わらず、俺は土御門本邸という名の鳥籠に軟禁されたままだ。


 だが、その鳥籠は今や、見るも無残な姿を晒していた。


「ガガガガガッ!」


「キィィィン!」


 窓の外から聞こえてくるのは、蝉時雨に混じる不快な金属音と、男たちの怒号。


 神崎天一郎に破壊された結界装置や、見るも無残に抉られた屋敷の壁、粉々に砕け散った門などを修復するため、陰陽府の工兵部隊が昼夜を問わず作業に当たっているのだ。


 以前の、水を打ったような静寂に支配された孤独な日々が嘘のようだ。


 人の気配が絶えない環境は、ある意味では賑やかだったが、落ち着かないことこの上ない。


 そして、何よりも大きな変化は、内面で起きていた。


 ぬらりひょんが、完全に沈黙したのだ。


 以前の彼女ならば、食事のたびに「ほう、この『おむらいす』なるものは美味であるな。次は『はんばーぐ』とやらを所望するぞ」などと感想を述べたり、俺が書庫で読書をしていれば「くだらぬ。儂の武勇伝でも語ってやろう」と茶々を入れたり、常にその存在を主張してきた。


 五感はリンクし、思考は筒抜け。


 プライバシーなど欠片もない代わりに、千年を生きる大妖魔の知識と経験は、孤独な俺にとって唯一無二の教師であり、悪友であり、そして共生者だった。


 だが今、その声は聞こえない。


 意識を内側に向けても、魂の奥底に広がる和の迷宮は静まり返り、気配はどこにも感じられなかった。


 まるで、神崎天一郎との戦いで全ての力を使い果たし、深い眠りの底に沈んでしまったかのように。


 あの時、意識を失う直前に聞こえた意味深の言葉。


 あれは、別れの挨拶だったのだろうか。


 それとも、いずれまた目覚めることを示唆した、ただの気まぐれか。


 そしてなにより、ぬらりひょんの沈黙は、俺の生活に実質的な影響も及ぼしていた。


 莫大な妖力の供給が、完全に途絶えたのだ。


「……遥明様。本日はこれで終わりにしましょうか」


 午後二時。


 毎日恒例の能力測定の時間。


 白衣を着た陰陽府の研究員が、困り顔で言った。


 彼の目の前には、まだ少し濁った水が置かれている。


 俺はそれを清流に戻そうと試みたのだが、途中で妖力が尽きてしまった。


「すみません……」


「いえ、遥明様のせいでは。むしろ、ご自身の妖力だけでこれだけの『反転』が可能なこと自体が驚異的なのですが……」


 フォローの言葉も、今の俺には気休めにしか聞こえない。


 妖儀で判定された俺自身の妖力は『最下級』。


 陰陽師の家系ではあり得ないほどの微量さだ。


 これまではぬらりひょんという無限のガソリンタンクがあったからこそ、反転術式という燃費最悪のエンジンを自由自在に動かせた。


 だが今は違う。


 自前の、ほとんど空っぽのタンクでやりくりするしかない。


 腐った水を清流に変えたり、あるいはトラウマに怯える小動物の精神を、安らぎへと反転させたり。


 そんな小規模な術ですら、一日に二回も使えば、俺の妖力は完全に枯渇してしまう。


 研究員たちも、ぬらりひょんが協力してくれなくなったことに気づいているのだろう。


 実験はどんどん小規模で地味なものになっていった。


 それはまるで、かつて父や使用人たちから向けられた無能の烙印を、再び背中に押されているような気分だった。


 *


 八月一日。


 暦の上では秋が近いというのに、京都の夏は容赦がなかった。


 じりじりと肌を焼くような日差しが、修復作業で埃っぽい屋敷の空気を熱し、巨大な蒸し風呂を作り上げている。


 陰陽師の総本山たる土御門家本邸には、その権威にそぐわないことに、クーラーなどという文明の利器は存在しない。


 あるのは年代物の扇風機が数台きりだ。


 俺は、肌着一枚の格好で畳の上に寝転がり、その扇風機の生ぬるい風を浴びながら、小さな液晶画面に没頭していた。


「……よし、クリア!」


 画面に表示されたファンファーレの文字に、俺は思わずガッツポーズをした。


 驚くべきことに、陰陽府は俺の要求を呑んだ。


『娯楽が欲しい』とダメ元で申請してみたところ、数日後には最新の携帯ゲーム機と、人気のロールプレイングゲームが数本届けられたのだ。


 おそらく、「危険なガキの機嫌を損ねて、また何か面倒事を起こされるよりはマシだ」という判断なのだろう。


 理由はどうあれ、俺にとっては望外の喜びだった。


 俺は貪るようにコントローラーを操作し、ファンタジーの世界を冒険した。


 勇者が魔王を倒し、世界に平和を取り戻す物語。


 単純明快で、勧善懲悪。


 そこには、現実からの逃避と、束の間の安らぎがある。


 ふいに、カレンダーに目をやる。


 赤い丸が付けられた数字が目に留まった。


『八月八日』。


 この世界において、その日付は特別な意味を持つ。


 一年のうちで最も『陰』の気が強まり、世界の境界が曖昧になる日。


 陰陽府は毎年この日に特別厳戒態勢を敷き、一般人には不要不急の外出を固く禁じている。


 妖魔による被害が最も多発する、災厄の日だからだ。


「……まあ、俺には関係ないか」


 ぽつりと、独りごちる。


 俺は今、日本で最も安全な檻の中にいる。


 外でどれだけ妖魔が暴れようと、この分厚い壁と結界が守ってくれる。

 神崎天一郎のような規格外さえ現れなければ、ここは絶対の聖域だ。


 俺の仕事は、この部屋で大人しくゲームをして、一日三食、美味しいご飯を食べることだけ。


 なんと平穏で、退屈で、そして幸せなのだろう。


 俺は再びゲーム画面に視線を戻し、次のダンジョンへと歩を進めた。


 外で鳴り響く工事の音も、まとわりつくような熱気も、魂の奥底で眠る大妖魔の気配も、全てが遠い世界の出来事のように感じられた。


 薄氷の上で手に入れた、かりそめの平穏。


 その氷が、もうすぐ足元から砕け散ろうとしていることなど、知る由もなかったが。

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