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妖魔が跋扈する魑魅魍魎の現代に転生した俺は、ハズレとされる<反転>で無双する  作者: おにぎりだいすけ


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12/32

 深く、泥のような眠りの中にいた。

 意識の底から浮上する感覚は、水面に向かってゆっくりと泡が昇っていくそれに似ていた。


 全身が重い。

 だが、不快な重さではない。

 むしろ、温かく柔らかな何かに包み込まれているような、妙な安らぎがあった。


「よう。起きたか」


 不意に、頭上から鈴を転がしたような涼やかな声が降ってきた。

 聞いたことのない、けれど魂の奥底で聞き覚えがあるような、不思議な響き。  


 重いまぶたをこじ開ける。

 視界がぼやけ、色彩が乱舞する。

 焦点を合わせようと瞬きを繰り返すと、徐々に世界が輪郭を結び始めた。


「え……?」


 そこには、息を呑むほどに美しい女性がいた。


 俺は自分の目を疑った。

 この世のものとは思えない、圧倒的な美貌。

 夜の帳そのものを溶かして練り上げたかのような、艶やかな長い黒髪が、さらさらと彼女の肩から零れ落ちている。


 月光を吸って青白く輝くかのような、日焼けを知らぬ透き通った肌。

 それが、彼女が纏う漆黒の着物との対比で、鮮烈なまでに浮き上がって見えた。


 着物の深淵の黒地には、鮮血のような、あるいは薄紅色の桜の花びらが、無数に舞い散る意匠が施されている。

 闇夜に舞う桜吹雪。

 美しくも、どこか不吉な死の匂いを感じさせる装いだった。


 切れ長の瞳。

 その瞳孔の奥に見えるのは、人の温かみではなく、深淵を覗き込むような暗黒だ。


 そして、俺はその彼女に、膝枕をされていた。


 状況が理解できず、思考が停止する。

 だが、直感が告げていた。

 この美女こそが、あの儀式で封印から解き放たれた特級妖魔、ぬらりひょんであると。


 文献で読んだ、ぬらりひょんの姿。

 それは異形の角を持つ、十二単の姫君だったはずだ。

 だが、目の前の存在は、その記述とは少し異なる。  


(しかし本当に……こんなに綺麗な女性だったのか……)


 俺が呆然と心の中で呟いた、その時だ。


「女ではないわ」


 ふふ、と彼女の唇が弧を描く。

 声に出していないはずの思考に、即座に返答があった。


「な……」


「儂は美しいものが好きだからな。だから美しい見た目をしているだけだ。妖魔に性別など存在しない。男でもあり、女でもあり、あるいはそのどちらでもない。形など、儂にとっては着替える衣のようなものに過ぎん」


 すべてが筒抜けだ。

 彼女──いや、彼、あるいはそれは、俺の心の中をまるで手元の本を読むかのように容易く覗き込んでいる。


「……本物の、ぬらりひょん」


「ほう。儂の名を知っておるか。だが、呼び捨てとは感心せぬな」


 細められた瞳に、底知れない光が宿る。


「儂のことは『ぬらり様』と呼べ。よいな?」 


 尊大で、傲慢な物言い。

 しかし、そこには逆らうことを許さない絶対的な王の響きがあった。

 俺は喉の渇きを覚えながら、掠れた声で答える。


「あ、はい……ぬらり、様……」


「うむ。素直でよろしい」


 ぬらりひょんは満足げに目を細めると、俺の額にかかった前髪を、その細く白い指先で弄んだ。

 指先が触れるたび、氷のような冷たさが皮膚を伝う。


「それにしても、ここは……一体……」


「心象風景、とでも言えばいいかの。お主の魂の奥底じゃ。儂とお主は、ちと込み入った話をする必要があるだろうと思ってな。儂がこうして対話の場を設えてやった。感謝せい」  


 俺は周囲を見渡して、絶句した。

 そこは、無限に広がる和室だった。

 足元には、青々とした井草の香りが立ち上る畳が敷き詰められている。


 だが、その広さは尋常ではない。

 視線の先、遥か彼方まで畳の目が幾何学模様のように続いている。

 天井は見えず、ただ薄墨のような霧が漂っているだけ。


 そして周囲には、数えきれないほどの襖が立っていた。

 開かれた襖の奥にはまた襖があり、その奥にもまた襖がある。

 遠近感が狂うような、終わりのない和の迷宮。


 空間そのものが、宇宙のようにゆっくりと膨張と収縮を繰り返しているようにも見えた。


 ぬらりひょんは、優雅な所作で正座したまま、俺に視線を向ける。


「まずは礼を言っておこう。遥明よ」


 ふ、と彼女の唇から俺の名が紡がれる。


「窮屈な箱から出してくれたこと、感謝するぞ」


 その言葉は、俺の胸に冷たい棘となって突き刺さった。

 俺が、この災厄を解き放った。

 その事実を、改めて突きつけられた気がした。


 俺の表情から葛藤を読み取ったのか、ぬらりひょんはくつくつと喉の奥で笑う。


「何をそんな顔をしておる。まるで予想外の事態だったとでも言いたげじゃな。……お主は、儂が千年の間、ただ箱の中で惰眠を貪っていたとでも思うておったか?」


 ぬらりひょんの瞳が、ふっと遠い過去を見つめるように細められた。


「封印から三百年が経った時、徐々に封印が弱まるのを感じた。やはり晴明の力が無くては、完全に縛り切ることはできぬということよ。……だと言っても、それは、針の穴のような小さな亀裂程度。綻びとすら言えぬ、微細な隙間に過ぎんかったがな。人の子らが儀式とやらで上書きを繰り返す限り、外に出られるほどの穴ではない」


 彼女は空中に細い指先で何かを描くような仕草をした。


「しかしその針の穴から、儂は微かな、透明な妖力の糸を伸ばしたのだ」


「糸……?」


「そう、糸だ。気の遠くなるような時間をかけて、一本の糸を外の世界へと垂らしておいた。それは何かを壊すための力ではない。誰かを呪うためのものでもない。ただの『呼び声』だ。この世界の者には聞こえぬ、信号のようなものだな」


 ぬらりひょんは遠くを見るような目をした。

 千年の孤独。

 その時間の重みを想像し、俺は息を呑む。


「そして、儂はずっと待ち続けていた。この世界の理で動く陰陽師たちには決して見えず、知覚もできぬ、透明な糸。……具体的にその糸が何か出来るというわけではない。ただなんとなく、外の気配を認知することだけはできた」


 光も音もない闇の中で、ただひたすらに、誰にも届かぬSOSを発信し続ける気の遠くなるような時間。


「晴明の血を引く者どもが、定期的に儂らの前で儀式を行うのは知覚できた。土御門家の強い陽の妖力は、封印の内側からでも感じ取れたからの。だが、奴らは皆、この世界の理の内側にいる、ありふれた魂じゃった。儂の糸に気づく者など、一人もおらぬ。」


 誰も、ぬらりひょんの糸に気付けなかった。

 いや、波長が合わなかったのだ。


「そこから、さらに七百年の月日が経った」


 淡々とした語り口が、逆にその年月の長さを際立たせる。

 そして、ぬらりひょんの視線が再び俺に戻った。


「そこへ、お主が現れたのだ」


 呼ばれた瞬間、心臓が跳ねた。


「お主は、今までの奴らとは違った。決定的に、魂の色が違ったのだ」


 ぬらりひょんが身を乗り出し、冷たい手が俺の頬に触れる。

 逃げようとする俺の顎を、彼女は優しく、しかし強引に固定した。


「世界の理から外れた存在。すべての魂は何かの輪廻転生ではあるものの、お前は……この世界とは全く違う理が働く場所から紛れ込んできてしまった。そう、まるで迷い子のような魂だ」


 心臓が早鐘を打つ。

 俺が誰にも話したことのない、誰も知るはずのない、俺だけの秘密。

 異邦人であること。 誰にも言えず、誰とも共有できなかったその秘密を、この妖魔は正確に見抜いていた。


「転生者。別の世界から迷い込んだ、異邦の“孤独”の魂」


 ぬらりひょんの言葉が、俺の胸の奥底に刺さる。


「お前の魂の形は、この世界の人間とは違う。歪で、異質で、そして酷く孤独だ。だからこそ……お前には儂の糸が見えてしまった。感じてしまったのだ。絶対的な“孤独”の中にいる同類からの、微かな信号を」


 孤独。

 家族に疎まれ、無能と蔑まれ、前世の記憶という誰にも理解されない重荷を背負って生きてきた、俺の孤独。


 千年間、暗闇の中で誰にも触れられず、誰とも交わらず、ただ存在し続けた彼女の孤独。


 誰にも理解されなかった俺の痛みを、この恐ろしい怪物が理解しているというのか。


「晴明の子孫が、度々儂らの前に来て、何かしらの催しをしているのは知っていた。だが、お主が生まれたその時……お主という異質な魂がこの世に落ちたその瞬間、儂は確信したのだ。『ああ、やっと見つけた』とな。お主は必ず儂と共鳴すると」


 ぬらりひょんは恍惚とした表情で、俺の頬を撫でる。

 その指先から伝わってくるのは、歪んだ愛情と、執着。

 冷たいはずの指先が、火傷しそうなほど熱く感じる。


「儂は何もしておらぬ。お主を唆したわけでも、操ったわけでもない。あの封印を解いたのは、紛れもなくお主自身の力であり、お主の魂の意思だ」


「俺の……意思……?」


「そうとも。魂の引力とでも呼ぼうか。我らは見えぬ糸で繋がっておった。お主があの箱――儂の封霊箱の前に立った時、お主は感じたはずだ。恐怖よりも強い、運命的な繋がりを」  


 確かに、そうだった。

 あの時、俺は右から三番目の箱に、理屈では説明できない引力を感じていた。


 彼女の顔が近づく。

 桜の香りが、俺の鼻腔を満たす。


「儂という災厄の手を、お前が握り返してくれたから……こうして繋がったのだぞ」


 逃げ場のない距離で、その魔性の瞳が俺の魂の形を見定めていた。


「俺は……封印を解くつもりなんて……」


「つもりはなかった、か? クク、まあよい。結果として儂はここに在る」


 愛おしげに俺の頭を撫でるその手つきは、まるで母が子をあやすようであり、同時に飼い主が愛玩動物を愛でるようでもあった。


 俺はぞっとした。

 身体の奥底から這い上がってくる寒気は、単なる恐怖ではない。

 この絶対的な捕食者に対し、俺の魂のどこかが、確かに「共鳴」してしまっているという事実に対する戦慄だった。

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