地獄に舞い降りた天使
退学の話をされた翌朝。
朝早く登校すると、天使がいた。
誰もが絶賛するほど美しい、中性的な顔立ち。吸い込まれてしまいそうな、澄みきった碧の瞳。
肩まで届く金髪は、サラサラとなびいていていた。
これを天使と言わないなら、誰を天使だというのだろう。
具体的に言えば、アドリアンだ。
アドリアンが校門の前に立っていた。
「バジルおじさん、降ろして」
「はいはい。さっきまで行きたくないとかおっしゃっていたのに、急にどうしたんですか?」
「アドがいるの。それ以外に理由いる?」
バジルは肉付きの良いお腹を揺らしながら笑うと、馬車の扉を開けてくれた。
外に走り出ると、アドリアンに抱きついた。
「うおっ、なんだよ、きもちわりーな!」
さっきの天使とは打って変わって、口が悪い。
それもかわいいな、と思いながら、腕の中でジタバタしているアドリアンに頬ずりした。
「離せ!」
(ツンデレだなぁ)
なんだか、最近アドリアンがやたらに可愛い。謎だ。
「おはよー、アド」
しかし、それに答えたのはアドリアンではなく、見慣れぬ少年だった。
「おはようございます。アドリアンの姉君ですか?」
アドリアンよりも少し背が高い。焦げ茶色の髪は、少しベルナットの面影があった。
やっとアドリアンを離すと、にこやかな愛想笑いを浮かべる。
「ええ。アドのお友達かしら?」
(かしら、なんて初めて言ったよ)
「……はい」
少年は笑みを返すこともなく言った。エリックのような冷ややかさはなく、無表情、無愛想、といった感じがする。
少年はその他に何を言うこともなかった。代わりにアドリアンが口を開く。
「ジェレミー・ボソンだ」
「じゃあ、ジェリーだね」
「勝手に人の名前を略すな」
ギロリと睨んでくるアドリアンを「どーどー」と落ち着かせようとして靴を踏まれる間も、ジェレミーは何も言わなかった。
「そうだ、アド。私、退学するかも」
「は?」
さすがのアドリアンも動きを止めた。というか固まっている。
「魔術推薦を受けれれば免れるかもしれないんだけど、魔術の存在を知ったばかりだしさ」
アドリアンの耳がピクリと動いた。
「エリック様は『あなたなら大丈夫でしょう』としか言わないしさ」
「……確かに、クリステル様は魔術、得意ですしね。アドリアンから聞いたことがあります」
励ます素振りもなく、淡々とジェレミーが言った。
(え、初耳なんですけど?)
「そうなの?」
「……ああ」
アドリアンも復活してきた。
「魔術の才能はあった。当の本人は『努力しずに得られるものなど、肩書が汚れるだけ』とか言ってやろうとしなかったけどな」
そう言いながら、指をパチンと鳴らす。
次の瞬間──
ザバッ、と。
クリステルは頭から大量の水をかぶった。
「元から、シャトラン家は魔力量が多い家系だ」
アドリアンがクリステルを追い払うように手をはたく。今度は突風が吹き、一瞬で水が吹き飛んだ。
「ただ、致命的な問題がある」
(……ここまでできるなら、別によくない?)
「火属性が使えない」
「えっ、でも、属性って得意不得意なんじゃ……」
「そうなんだが、何故かできない。道具を使っても、詠唱しても、魔法陣を書いてもだ」
そう言って、アドリアンは肩をすくめた。
「火、水、風、土、光、闇──色々な属性があるが、その中でも使えなくて一番困るのが火。魔術師の多くは戦闘や冒険に出かけるが、そこでの前提は攻撃魔法が使えること。ここで問題なが、攻撃魔法は9割近くが火属性だということだ」
息を吐きながら、アドリアンは悔しそうな顔をした。
「なのに、シャトラン家の血筋はどういうわけか火が使えない。父上も、俺も、そして、お前も」
(えー、ファイヤーボールとか言って火を出してみたかったよー)
「はっきり言おう。お前が推薦を受けるのは無理だ」
そう言うと、アドリアンはそれ以上何も言わずに校舎へと入っていった。ジェレミーはいつの間にかいなかった。
(アイツ、言いたいことだけ言って去ってったな。しかもカッコつけて)
まあそこもかわいいか、と思いながら、クリステルも教室に向かった。
(いや、詰んだくね?)
魔術の実践授業が始まった。
「皆さん、何でも構いませんので、無詠唱で出してみてください。基礎ができていれば、簡単なものなら出せるはずです」
アンドレ先生は言った。そんなに大きい声じゃないのに、頭に直接きているようにはっきりと聞こえる。
広い校庭には、100人近くの生徒が集まっていた。
全員の手には、厚さ15cmほどの魔導書があった。
中には、属性別にたくさんの呪文や魔法陣などが書いてある。
「ベル、出せた?」
「ううん、全然」
ベル以外にも出せていない人は多かった。
「はああっ」
気合を入れて水を想像してみると……
ちょろっと出て、すぐに靴に落ちた。
これも練習すれば、アドリアンのように、大量の水を出せるだろうか。
「すごいっ、クリス、すごいわ!」
ベルナットに褒めちぎられながらも練習すると、風も出てきた。
でも、土や火は、どうしても出てこなかった。
「これを使ってみますか?」
アンドレ先生が、きれいな石を差し出してきた。
それを持つと、土──砂がさらっと小さじ1ぐらい出てきたが、火は出なかった。
「まあ、フローラ様、光属性が使えるなんて!!」
耳が痛くなるような、甲高い声が聞こえる。耳を抑えながら顔を上げると、眩い光が声の方から出ていた。それを打ち消すように、濃い霧のような黒いものがモワモワと反対側から出てくる。
「姉さん、闇属性が使えたんですか!?」
エリックの声がする。
フローラとヴァランティーヌは無事に希少魔術を使えるようになったようだ。
(あんたたちは勉強もできるんだから、魔術推薦はやめてよ)
推薦枠はなるべく空けてほしい。
でも、光と闇を操れる彼女たちは、確か、推薦を受けて特別授業で仲を深めることになるはずだ。
やめて欲しい。
魔導書をパラパラとめくると、その1/3が火属性魔法だった。やはり実用性が高い。
「火よ、灯れ──フレイム」
……。
「炎よ、王の名のもとに燃え上がれ」
……。
「我が手に宿れ、炎──イグニス」
……。
(アドリアンの言う通りだ……)
横を見ると、クレマンが生徒たちに囲まれていた。
「赫焔よ、我が意に従え──イグニス・レギオ」
その瞬間、クレマンを激しい炎が取り巻いた。一瞬で空気が熱を帯びる。
クレマンが指を動かすと、炎もそれに伴って動く。
「すごいです、クレマン様!」
「初日から上級魔術を使えるなんて!」
(……いいなー)
できないものは仕方がない。
「水属性の基本魔術は4つだ」
魔導書から顔を上げると、アドリアンが立っている。おかしい、今校庭にいるのは、高等部一年だけのはず。
「なんでいんの?」
「まあ、気にするな」
ちょんちょん、と背中を突かれる。振り返ると、ジェレミーが立っている。
「サボりです」
(なぜ?)
「1つ目、変形」
クリステルが口を挟む間もなく、アドリアンは説明を始めた。
いつのまにか、アドリアンの手元には水が浮いていて、うにうにと動いている。
「2つ目、集中」
水は動きを止めて、ちょっとずつ大きくなっていった。
「あれっ、俺の水が消えた!」
まあ、聞かなかったことにしておく。
「3つ目、分裂」
アドリアンが言った瞬間、水は消えた。
「どこにいったの?」
「水蒸気にした」
(すごい)
「4つ目、出現」
次の瞬間──
クリステルは頭から水を被った。
「じゃあな」
去っていこうとするアドリアンを慌てて呼び止める。
「いや、この水吹き飛ばしてけよ!」
アドリアンは足を止めることなく、校舎内に入って行ってしまった。
(迷惑な奴だな)
しばらく経つと、基礎4つを取得した。
「ねえ、ベル、見て」
「きゃああー」
もう一度、甲高い叫び声が聞こえた。
でも今度はもっと深刻そうで、恐怖に溢れた声だった。
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