退学か、才能か
「クリステル・シャトラン、あなた、このままでは本当に退学しますよ」
その言葉が、妙に現実味を帯びて胸に落ちた。
いつも分かりづらい冗談を言ってクラスを静まり返らせるアンドレ先生だが、今日はいつもよりも厳しい顔をしている。
「確かに、記憶をなくしたという連絡は入っています。そして、私はそれをできるだけ考慮したいと思っています」
一度言葉を切ると、アンドレ先生はクリステルの片手を両手で包み込むように握った。
「だけど、テストで私情は考慮されません。ここで学ぶことを望んでいる人々は、あなたの他にも大勢います」
静かに、淡々と続ける。
さすがのクリステルも少し焦った。ヤバいかもしれない、と。
「あなたは、単位が取れなければ、退学する。それだけなんです」
「……そんな」
(高校中退=結婚できない=お金ない=終わり)
アンドレ先生は、いつもからは考えられないほど優しい声で言う。
「あなたは、これまでずっと学年のトップを守り続けてきました。なのに記憶をなくすなんて……辛いですよね」
そう、これは私だけの問題ではない。
クリステル・シャトラン。私が転生したせいで、これまでの全ての努力が報われない。
それだけは避けたかった。
話が終わると、アンドレ先生はゆっくりと手を離した。
「放課後、時間を取りなさい。補習をします」
「はい……」
短く返事をすると、クリステルは俯いて教室まで廊下を歩いた。
(どうすればいい? 4年、4年だぞ。次のテストまで時間がない。4年間の勉強を、どうやってその僅かな時間で習得すればいいんだ?)
何を考えても、結局この問題にぶち当たる。
教室の中に入ると、ざわざわとした雰囲気が一瞬だけ静まる。その一瞬で沢山の人と目が会い、それもすぐに逸らされた。
顔を上げて、何事もなかったように席につく。
──ドサッ
机の上に、紙の束が落とされた。
「小テスト、返却です」
口調だけが丁寧なのが鼻につく。エリックだった。
恐る恐る紙をめくる。
赤、赤、赤。赤字ばっかりだ。
(しょうがない、しょうがない)
「赤点ばっかりですね」
(人が気にしていることを……)
「いやー、こんなことあるんですね。見てくださいよ、これ。私、0点なんて初めて見ました」
「馬鹿なんですか?」
「そうですね」
小学校では、勉強はできる方だった。
──だからこそ、悔しい。
昼休み、また図書室で勉強することにした。前回とは違って字は理解できるので、もうちょっと捗るだろう。
山積みの教材には、小学校のものまで入っていた。
数学や国語などはともかく、社会は何もわからない。
「へー、ここ、ヴァルシエール王国っていうんだ」
「そこからかよ」
ぼそっと声が落ちてきた。
顔を上げると、アドリアンが立っていた。
「クリス」
「何」
「貸し2」
「は?」
「教えてやる」
アドリアンは、教えるのが上手かった。そして、知識量がものすごい。年下のはずなのに、高卒レベルはいってると思う。
褒めると、悔しそうな顔でこう言うのだ。
「クリステル・シャトランはもっと賢かった」
なんでこの姉弟はこんなにも頭がいいのだろう。
(ポンッとクリステルの記憶が流れ込んできてくれないかな)
ただそれを願うばかりだ。
それを願いつつも、クリステルは頑張った。
数時間かけてノートを写した。朝早く起きて勉強し、昼休みは図書室で──気づけば、頭には何も残っていなかった。
しかも集中力が続かず、3日も立つと勉強が頭に入ってこないようになった。
──だめだ、追いつけない。
2週間ほど経って、クリステルがたどり着いた結果だった。
……勉強では。
「はい、今日からは、魔術の授業です」
てっきり理科の先生だと思っていたアンドレ先生は、相変わらずの厳しい顔つきで言った。
「やった」
「魔法だ、魔法!」
クラス全体が、「魔術」と聞いてざわめいた。
「静かに。魔法ではありません。魔術です……まあ、稀に魔法を使う生徒も現れますが」
クリステルには、魔法と魔術の違いがわからない。
しかし、その疑問以上に、魔術の存在に驚き、ときめいていた。
一度でいいから魔法を使えるようになってみたいと思っていたし、この世界に魔術が存在していることを覚えていなかったから。
(魔術! 属性とか? 精霊とか⁉︎)
そんなクリステルのときめきは、一瞬で打ち砕かれた。
「属性とは、得意不得意のようなものです。みなさんも、算術が得意とか、剣術が得意とか、色々ありますよね」
「皆さん初等部や中等部で学んできたと思いますが、精霊と出会うことは極稀です。最後に目撃されたのは300年前。町中を歩いていて、雷に打たれないのと同じです」
アンドレ先生の説明はとてもわかりやすかったが、クリステルの期待をことごとく打ち破ってきた。
極めつけにはこれだ。
「魔術は、生まれ持った魔力量と気力がほとんどです。いわば才能」
(……つまり、努力じゃどうにもならないってこと?)
「魔力量が少ない方は、専用の器具を貸しますので、安心してください。高等部では、初級魔法しか授業でやりません。興味がある方は、自主学習、魔術学科のある大学を選んでください。又、使えなくても成績は減点しません」
あまりにも現実過ぎて、ファンタスティックな気分は消え去ってしまった。
(……思ってたのと違う)
その後の授業は、魔法の歴史についてだった。
杖を振るってアレコレすることを期待していたクリステルは、興味がなさすぎて全然聞いていなかった。
「クリステル」
授業が終わったあと、エリックに声をかけられた。
「この学校には、魔術推薦というものがあります」
「はあ」
(急に何言ってんだ?)
「勉学が多少できなくても残れる夕いつの方法です。将来、魔術学科に入ることを条件に、この学校に残ることを優遇されるというもので──」
エリックの話は回りくどかったが、まとめると、「勉学が無理なら魔術に専念しろ」という内容だった。
「そんなに私が退学しない方法を考えてくださったんですか!? 感激!」
「そういう取引ですから」
エリックは相変わらず冷ややかな顔をしていたが、今回だけは後光がさして見えた。
次の瞬間までは。
「──ただし」
(えっ、まだあるの?)
「あなたにま才能があればの話ですが」




