──拝啓 クリステル・シャトランの体にいる人物へ
開いていただきありがとうございます。今回は急展開です!
「母上!? どうしたんですか、こんなご馳走!」
食卓の上には、肉汁が滴るステーキと生ハムのサラダ、飴色の玉ねぎがたっぷり入ったスープが並んでいた。いつも豆の煮物やカブのスープからは考えられない。
(とうとう最後の晩餐か?)
逆に怖くなってきたアドリアンは、ナタリーを恐る恐る見つめた。しかしナタリーは上機嫌にアドリアンの椅子を引いて座らせ、メイドのリサに馬小屋にいるバジルを呼んでくるように言った。いつも使用人も一緒に同じ食事をとるのだが、姉だけが見つからない。
「思わぬ収入が入ったの。クリスのおかげでね」
よくわからないが、自分のおかげで豪華になった夕食を食べられないとはクリステルが可哀想だ。そんな気持ちを察したのか、ナタリーは燭台に火を灯しながら言う。
「大丈夫よ。王宮に呼ばれたんだから、クリスもきっといいもの食べてるわ」
同じ頃、クリステルは肉の柔らかさに驚いていた。
口の中でとろけていく牛肉がたっぷり入ったビーフシチューは、食べ切るとすぐにメイドがおかわりを入れてくれる。クリステルはもう3杯目だった。
「久しぶりね、料理ひとつでそこまで喜んでくれる子は。去年のエミール以来よ」
目の前の王妃は嬉しそうに目を細めた。
「いつもはどのようなものを食べているの?」
「豆とかですね。あと黒パン」
王妃の目に、少しだけ同情が宿った。
豆も黒パンも、うまい。確かに黒パンは硬いが、水を吹きかけて焼けばちょっと柔らかくなる。
「……おすすめのパン屋があるの。多めに買ってあるから、少し持って帰るといいわ」
「ありがとうございます」
「その遠慮もプライドもかけらもないところ、嫌いじゃないわよ」
そこで褒められたのは初めてだ。
「手紙は読んでくれた?」
「え……ええ、まあ」
そう言えば読んでいない。王妃からのだけではなくアレクサンドルからの手紙もだ。
王妃は追及せず、クリステルが渡した報告書を「汚い字ね」と言いながら読み始めた。
「国民が王族1人1人を認識する……不思議な活動ね」
「それしか思い浮かばなかったもので」
メイドがカラになった皿におかわりを入れようとするので「結構です」と断る。もうお腹がはち切れそうだ。
「確かに自分の国を誰が治めているのか、知っておくことも大切よね」
クリステルはシチューがべっとりとついた口をナプキンで拭った。
「さて──」
ここからが本題だ。
「──第1王女ミレーユ様について、ご存知ありませんか?」
王妃は顔色を変えず、ゆっくり顔を上げる。
「イヴォンヌの子ね」
イヴォンヌ。側室だろうか。
「最近ミレーユの周りを調べている輩とは、クリステルだったのね」
(そこまで筒抜けか)
「どこまで知っているの?」
「男爵令嬢になりすましていることしか、存じ上げません」
あら、結構知ってるじゃない。王妃は面白そうに口元を緩ませた。
「そうね……。彼女には婚約者──候補がいるのだけど、彼が気に入らないらしいの。本当は彼女の12歳の誕生日に婚約する予定だったんだけど、逃げ出してしまったから行方がわからないのよ」
行方がわからない。そんなはずはない。現に王妃は彼女が男爵令嬢になりすましていることを知っていた。
(“表向き”は、ね)
怖い国だ。プライベートというものがない。目の前で「ふふ」と穏やかに笑っている王妃が怖くなってきた。
「残念だけどそれ以上はわたくしも知らないわ。あまりイヴォンヌとは仲がよくないの」
そんな。王妃が知っていないのなら、誰が知っているのだろうか。公爵への情報を買い取ったせいで、情報商に依頼する金がない。
そろそろお暇しようと荷物をまとめ始めたとき、王妃が静かに言った。
「一つだけ、気になることがあるの」
王妃がクリステルにわざわざ聞くようなこと。思わず身構える。
「あなたの調べ方、とても不自然だったわ。まるで彼女の正体を知っていたみたいじゃない」
しょうがないだろう。その方が1から調べるより格段に安かったのだ。欲しいのはエリックに見せる証拠だけ。
「……見当はついてましたから。妙に上から目線だし」
王妃は少しの間じっとクリステルを見つめると、ふぅと息を吐き出した。
「変なこと聞いたわね。代わりにいいことを教えてあげる」
王妃は紅茶を机に置いた。すかさずメイドが紅茶のおかわりを注ぐ。
「──あなたのことを調べている人がいるわ」
(勘付かれたか)
薄々気づいてはいた。
「潮時ですかね」
椅子から立ち上がり、ぐっと腕を伸ばす。ずっと座っていたせいであちこちが痛む。
「緊迫感がないわね」
ふふっと王妃が柔らかに笑う。クリステルは口周りにべったりとついたシチューをナプキンで拭った。部屋を去ろうとわずかな荷物を掴む。
「あら、もう帰るの?」
振り返ると、王妃がいたずらっぽい笑みを浮かべていた。ここからが面白いのに、と言うように。
「誰が調べているのか知らなくていいの?」
妙な含みがある言い方だ。もう知っているクリステルにとってはいらない情報だが、断るのもめんどくさい。
軽く頷くと、王妃は少し小さい声で喋り出した。
「ヴァランティーヌ・タレーラン」
(やっぱり)
王妃は「かなり金をかけている」とあまり面白くもなさそうに淡々と続けた。
王妃が言葉を切ると同時に、扉に足を向ける。その瞬間、王妃が再び口を開いた。
「──と、アレクサンドル・シャトラン」
クリステルのサファイアの目が大きく見開かれる。王妃の口元は心底面白そうに引き上がっていた。
──拝啓 クリステル・シャトランの体にいる人物へ
近々、君と話がしたい。
まだ、君が今いる体に私の妹、本当のクリステルが戻る可能性がある。それまでに会えたらいいのだが、いつ戻るかは予測できない。
急に君の生活は変わるかもしれない。もし君の体を使っているクリステルに何かがあったら、君は戻った時、代わりにその代償を受ける。もしかしたら、もう君の体は死んでいるかもしれない。その覚悟でいてほしい。
アレクサンドル・シャトラン──




