図書館司書は恋バナしたい、クリステルはヤモリが気になる
(そろそろヤバいな)
わかっていたことだ。今週末も結局勉強できなかったし、ヴァランティーヌがくれると言っていた参考書をまだもらってない。
学費は王妃様のおかげでなんとかなる。命も飛んできた矢を片手で捕まえられるくらいにはなった。
──けれど、頭だけはどうしようもない。
テストは来月の初め。これで酷い成績を残すと、これまでのクリステルの成績でなんとか2ヶ月くらいは持つが、次のテストで退学になる。
なのに、今回のテストでいい点数を取れる可能性は──
「ない!」
ドサッ。大量の何かが落ちる音がした。その後に痛々しい転んだ音も。音がしたほうを見ると、メガネを掛け直すそばかすだらけの女の子がいた。その横には30はあるだろう大量の本が散らばっていた。クリステルの大声に驚いてしまったのだろうか。
慌てて本を拾い集めると、少女に持っていく。
「大丈夫!?」
顔を上げた少女の額からは血がたれている。大丈夫ではなさそうだ。
「ハンカチっ……はなかった」
ポケットはすっからかんで、傷口を塞げそうなものは何もない。
「……大丈夫です」
そう言って少女が立ち上がろうとしたが、よろけてクリステルの胸に倒れ込んでくる。
(あー、制服血だらけだ……)
思わず嫌な顔で引き剥がしてしまった。最近制服の血を落とすことがどんなに大変かわかってきたのだ。
でも今回は全面的にクリステルが悪い。しかし、両肩をつかまれて宙ぶらりんになっている少女は顔を赤らめて下を向いた。
「あ……ありがとう……ございます」
「お礼を言われるようなことはしてませんよ」
本当に。相手が違えば平手打ちされても文句を言えないところだ。
そろそろと少女を地面につけると、本を渡す。
「あの、保健室まで付き添いましょうか?」
「結構ですっ……」
大量の本で少女の顔は伺えないが、耳が真っ赤だということはわかった。図書室から走り去っていく少女をぼんやり眺めていると、カウンターから声が聞こえてきた。
「さすがね」
司書のマヤだ。相変わらずクマがひどい。というか、喋っているところを久しぶりに見た。
「ありがとう」
「……今のは皮肉よ」
どういう風の吹き回しか、いつも仕事に追われてパソコンもどきのモニターから目も手も離さないマヤは、頬杖をついてクリステルをじっと見つめているのだった。
「ねえ、クリステル。恋バナしましょ」
「えっ……」
いや、それどころじゃない。クリステルはテストに備えて勉強しなければいけないのだ。……話もないし。
(苦手なんだよな、恋バナ)
しかしマヤは気にする様子もなく喋りだす。
「最近何人に交際を申し込まれた?」
クリステルは自分の指をじっと見つめた。親指、人差し指、中指、薬指、小指、左の親指……また右の親指──。
(あれ、何周目だっけ?)
両手を見つめて固まったクリステルの代わりに、マヤが口を開いた。
「ざっと30人ね」
そんなに告白されていたのか。通りで何日経っても呪いの手紙が絶えないわけだ。
「さすが『男たらしのアレック』の妹ね」
男たらしのアレック? アレクサンドルのことだろうか。
マヤは苦虫を噛み潰したような顔をすると、ため息をついた。
「この学校始まって以来、歴代で最も男にモテた男よ」
中性的な顔立ちに華奢な体。母親譲りの整った顔立ち。男装したクリステルが入れ替わっても偽物だとは気づかれないほどだ。場合によってはモテるだろう。
「そして今、あんたはたぶん最も女にモテた女の記録を更新しているでしょうね。あなたたちの家系でまともなのはあんたの弟くらいよ。たまに図書室に来るんだけど、誰も借りないようなぶあっつい外国語の本ばかり借りてくの。逆に気持ち悪いわ」
「そう……」
そろそろ帰っていいだろうか。あまり遅いとアドリアンに夕食を食い尽くされる。
そんなクリステルの気も知らず、マヤは話を続けた。
「そいつの親友のアーサー・バーナードって知ってる?」
「知ってる」
いつだったか、スカートを履いてくれないかと頼んで断られたことがある。
「あの男も、最もとは言わないけど歴代で片手に入るくらいにモテたの。男女関係なく。文武両道、容姿端麗、温厚篤実……もう完璧すぎなのよ」
「……うん」
マヤは愚痴を言い始め、クリステルは少しずつカニ歩きで扉に向かった。
「あれで惚れないほうが無理ってもんなのよ!!」
「へぇ……」
マヤが涙ぐみ、クリステルがあと数mで外に出られそうというところで、無駄に大きな音を立てて扉が開いた。
「やあ、我が愛しの妹よ!」
両手を広げて満面の笑みを浮かべたアレクサンドルは、腰を落とした妙な体勢のクリステルをむぎゅっと抱きしめた。
(相変わらず距離感がおかしいんだよな〜)
しかし、アレクサンドルの満面の笑みは一瞬で崩れた。ため息をつくと、クリステルを離す。
「君、僕からの手紙読んでないでしょ〜?」
目を泳がせると、マヤが自分の皿に苦虫を置かれたような顔をしていた。
「あれ、マヤじゃないかぁ」
こちらも嫌そうな顔をして、マヤと自分の間にクリステルを置いた。置かれたクリステルは、どっちを向けばいいのかわからず、とりあえず上を向いた。
「久しぶりね。相変わらず元気がいいみたいで何よりだわ。耳栓持ってくればよかった」
「僕も会えて嬉しいよ。そっちはずいぶん大人びたね〜。今年で50だったっけ?」
「……あんたと同い年よ」
(あ、ヤモリだ)
「アーサーは元気? あんたのせいで苦労してるんじゃない?」
「元気だよぉ。君のこと忘れちゃうくらいにね〜」
「へぇ……」
(あれ? イモリ?)
「じゃあね。帰ろうか、クリス」
(いや、イモリは水辺にいるやつだよな?)
アレクサンドルに引きずられながらも天井を見つめるクリステルに、マヤは不機嫌な声をかけた。
「あんたの弟、珍しく本延滞してるから返すように言っといて」
扉を大きな音を立てて閉めてから、アレクサンドルはポツリと呟いた。
「アドか……。懐かしいな、去年ゲームでボロ負けさせてから口聞いてもらってないんだよね」
「大人げないんだよ、お前」
馬車の窓から明かりのついた商店街を見ながら、アレクサンドルは言った。
「ねえ、いい加減イモリとかヤモリとか呟くのやめて」
仕方がないだろう。気になるのだ。クリステルはアレクサンドルを睨むと席に座り直した。
「この馬車、家に向かってないよね?」
アレクサンドルが外を見つめながら、なんてことない口調で言った。
「遠回りしてるだけだよ。商店街の明かりが見えてきれいでしょ?」
馬車は明かりがついていないので、どんな顔をしているのかはよく見えない。節約だ。でも、クリステルにはわかる。ケラケラと笑うと、自分も窓の外を見た。
「さすがに無理があるよ。こっち行ってもUターンしない限り家には着かないよ?」
安い情報屋を探すために、ここら一体は走り回ってきたのだ。舐めてもらっては困る。
「クリステルなら、もっと計算ずくの理科的な説明ができるはずだ」
窓からの光に照らされたアレクサンドルの顔は同一人物とは思えないほど冷たかった。いつもよりもワントーン低い声で続ける。
「もう、クリステル・シャトランを名乗るのをやめてくれないか?」
クリステルは、初めてアレクサンドルの顔を正面から見つめた。
(これだから苦手なんだよな、アレクサンドル)
「……なあ、どこまでが同一人物だと思う?」
「体……かな」
適当に言ったが、アレクサンドルは顔を緩めてなるほどね、と頷いた。
「それも1つの考え方だ。体が同じだったら戸籍もついてくるからね。でも、僕は中身だと思うんだ」
「じゃあ、記憶喪失になったら違う人なの?」
「いや、記憶を失ってもクリステルはクリステルだ」
1回大きく揺れて、馬車が止まったと同時にアレクサンドルはするりと夜の街に降り立った。振り返ると、背筋が凍りそうなほど冷たい顔で一言。
「ただ、君はそうじゃないだろ?」




