泣いてくれてよかったよ
「先生に言って連れ出してもらえばいいじゃない」
ミレーユが不満げに言う。なぜこんなにも悩んでいるのか、意味がわからないのだろう。
クレマンは「いずれ、出てくるだろう」と呑気なことを言ってるし、エリックは不機嫌そうにヴァランティーヌがいる扉の向こうを見ている。
ただヴァランティーヌだけは、扉越しに声をかけ続けている。
(大丈夫。時間が経てば、出てくる)
「そんなんじゃ、何も変わらないよ」
頭と言動が一致しない。手はひたすら古代文字の練習に勤しんでいた。
「この場で、あなたが1番まともなことを言うとは意外ですね」
こんなときでも、エリックは態度を変えない。
「ベルナットさんが閉じこもったとなれば、もっと慌てふためくものだと思っていました」
(まあ、慌ててもどうしようもないし)
ベルナットが閉じこもるのが、寮の空き部屋じゃなくて家の自室になるだけ。時間も大人も、この問題は解決しない。
自分もベルナットになにか話そう。そう思って勢いよく立ち上がったが、クレマンに腕を掴まれて中腰寄りの座っているような体勢になってしまった。
「無理に言っても余計に怯えさせるだけだ」
「……馬鹿力のくせに、まともなこと言いますね」
はぁ、とクレマンはため息をつき、「なぜベルナットが怒ったのかを考えてみろ」とだけ言うと、エリックを連れて授業に戻ってしまった。ミレーユとマチルダも続いて行ってしまう。
残されたクリステルとジェレミーは顔を見合わせた。
「……アドは?」
「授業に出ないと評価が下がるそうなので、行ってしまいました」
薄情な弟だ。……いや、まあ正しいのだけど。
(というか、一番授業に出なければいけないのはテストで点を取れない私なのでは?)
「……ジェレミーは、ベルと仲良いの?」
「いえ、全然」
「昔は仲が良かったとかは……」
「ないですね。何なら目の敵にされてました。僕は妾の子ですから」
そう考えると、シャトラン家は平和だ。一度も顔を見ていないが、リュシアンとかいうクリステルの父は比較的、妻子思いのいい奴なのかもしれない。
「……敬語、使わなくていいよ。呼び捨てでいいし」
「じゃあ、そうする」
沈黙。
(うっ……)
つらい。
「……僕といても、つまらないよね」
急に、ジェレミーが言う。
(えっ、また私何か間違えた? いや……うん、間違えたのか)
「そんなことないよ」
「……でも、愛想ないし。昔からよく言われるんだ。もっと笑えって。感じ悪いって」
ジェレミーは顔を隠すように俯いている。少し見える顔は無表情。でも、どこかつらそうにも見える。苦労してきたのだろう。
大変だなぁ、とだけ。それだけしか思えない。もっと自分が気を利かせて、慰められたら……。
「私はね、別に笑わなくてもいいと思うよ」
ちょっとだけ、ジェレミーが顔を上げた。
「だから、ジェレミーもそれでいいんじゃない?」
しばらく黙り込んでから、ジェレミーは「でも」と言って顔を完全に上げた。
「……でも、みんな笑顔を求めてるよ。それに、クリステルだっていつも笑ってるじゃん」
そう言われると困る。
(難題を出さないでよ。中身は君と同い年なんだから)
「……まあ、あくまで個人論だよ」
ジェレミーは少しがっかりしたような顔をした。
「私はいつも面白いから笑ってるし」
訝しげな顔をされる。
本当だ。現に今は笑ってない。面白くないから。
少し経つと、廊下からドタバタと足音が聞こえ、すぐにヴァランティーヌが部屋に入ってきた。
「どうしたんです、ティナ様。ベル出てきました?」
「出てきたわ。出てきたのはいいんだけど……」
苦い顔をするヴァランティーヌの横から、ベルナットがぴょこっと顔を出した。
そのままクリステルに突進してきて、背中に腕を回す。
「ごめんなさいね〜、クリス。勝手に怒ってクリスに当たって。全部私が悪かったわ」
何事もなかったような、ただお菓子の取り合いでケンカしたような、そんなケロッとした笑顔。
正直ぞっとする。
「言ったでしょう。姉さんはこんな人なんです」
ジェレミーは椅子から立ち上がると、ドアノブに手をかけた。
「最初は家族も心配していましたよ。けれど、本人がこうなんですから。今では誰も気にしません」
敬語に戻って、表情も心なしか硬い気がする。
それを確認することもできず、ジェレミーは部屋を出て行った。入れ違いにすごい形相をしたエリックが、ドタバタと入ってくる。
「今姉さんの足音が聞こえたんですけど! しかもドタバタとした! 大丈夫ですか⁉︎」
「……ええ。エリックこそ大丈夫?」
(足音だけで判別するとか怖いな)
そして、やっとベルナットに気づく。
「ベルナットさん、出てきたんですか」
(そんなカタツムリみたいな……)
しかしベルナットは気にした様子もなく、にこっと微笑んで「はい」と言った。
「エリック様にもご迷惑をおかけしたようで、申し訳ありませんでした」
今日ばかりは、ベルナットの笑顔が怖い。
ベルナットはくるりと廊下に向くと、部屋から離れてしまう。
「微笑み鬱……」
ヴァランティーヌがポツリと呟いた。
微笑み鬱。聞いたことがある。
「姉さん、その微笑み鬱って何──」
「じゃあ、私ベル追うんで、お2人ともありがとうございました」
意外にベルナットは歩くのが早く、なかなか追いつけない。
「待ってよ、ベル」
「あなたに迷惑をかけたことは謝る。私のせいで授業に出れなかったんでしょう? 先生に理由を話して、評価を下げないように頼んでおくわ」
「そうじゃなくて……」
ベルナットは、ビタリと足を止めて振り返った。
「じゃあ、何をしてほしいの?」
喉が乾いたようにカサカサする。廊下の静けさがつらい。
(そんな事言われても、わからないよ)
「──今なんで泣いてるのか、教えてほしい」
ベルナットは自分の頬を伝っている雫を腕で拭った。
「そんなの、わからないわよ」
泣き声も上げない。感情表現ではなく、生理現象という感じだ。
「でも、泣いてくれてよかったよ」
「……は?」
ベルナットの鉄壁の笑みが崩れた。
「だって、泣いてなかったら気づけなかった」
「……何に?」
「ベルがつらかったこと」
数秒、沈黙が続く。
そして、ベルナットは小さく吹き出した。
「なにそれ」
しゃくりあげながら、崩れ落ちる。そばに寄って背中をさすると、ベルナットは小刻みに震えていた。
ハンカチを差し出したかったけど、あいにく持っていなかった。
ふと、前世で親友に言われた言葉を思い出す。
『りさこって本当にデリカシーないよね!』
久しぶりに一緒に帰ろう、と誘われてこれだ。結構がっかりした。
『あそこはゆりかの味方になろうよ! ばっかじゃないの!?』
『だって……みんな平等にくじで決めてるのに、泣いて席変わってもらおうとするなんてずるいじゃん』
『だって、じゃない! 結局私がりさこの分までフォローする羽目になったじゃん』
さなは昔から空気を読むのがうまくて、いつもうまく立ち回っていた。
(アイツならどうするかな……)
「……クリス?」
「はいはい。水持ってこようか?」
まあ、考えても仕方がない。
「えっ? クリステルが変? いつものことだよ、姉さん」
エリックが言うと、ヴァランティーヌは眉をひそめて首を横に振った。
「いつもはわからないことがあったら真っ先に訊いてくるじゃない。少なくとも興味を持った反応はする。でも、『微笑み鬱』という未知の単語に反応しなかったの」
「たまたまじゃない? 急いでたし」
「でも……」
物知りのエリックでも知らない。記憶をなくしているはずのクリステルからしてみれば、知りようのない病名のはずだ。
この世界で生きていたら。
(もしかして──)
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