神様は忙しいみたいです
「まあ、随分と熱心なお嬢さんですこと」
ふふふ、と婦人は神父に笑いかけた。神父は少し目を細めると、婦人に目を向ける。
「そうですねぇ。ですが、1時間くらいずっとああなんですよ」
2人の目線の先では、女神の像に少女が手を合わせていた。薄暗い教会の中で、少女の金髪がきらりと光る。
「あの子に神の祝福がありますことを」
そう言うと、婦人は教会を出ていった。
残念ながら、婦人の言葉が意味をなすことはない。
「聞いてくださいよ、エリック様!」
「なんですか」
「教会で1時間半も祈ったのに、何も起こらなかったんです!」
「はぁ……何を祈ったんですか?」
「それは……記憶が戻るようにですよ」
(クリステルの記憶が流れ込んでくることだよ)
転生らしきものから1ヶ月、16年間分の記憶は、流れ込んできていない。未だ、がむしゃらに勉強しているのだ。教室のなかで、これほど勉強と祈りに時間を潰している人はいないだろう。
「そんなに欲望を神様にぶつけてはダメよ、クリス」
「えー。でもベル、記憶が戻ってくれるには、神様に祈るしかなくない?」
「日々の善行を続けると、神様が自然に叶えてくれるのよ」
ここの宗教は、よくわからない。ただ間違いなくモチーフはキリスト教だ。絶対に絵馬に願いを書いたりしない。
「退学してもいいように婚約を取り付けていたじゃないですか」
「あー、エミール様のことですね」
すると、ベルナットが不思議そうな顔をした。
「えっ、エミール様って、野蛮王子じゃない。どうせ年下ならばオリヴィエ様にすればいいのに」
苦笑いをして適当に濁す。
(いやー、あのブラコンっぷりは強烈だったな)
『もう近寄らないでください』
『私は決してエミール様に危害を与えるようなことはいたしません。ただ、エミール様が幸せになれるように──』
『結構です。エミールには私がいますから』
そう言って抱き寄せられたエミールは、心底嫌そうな顔をしていた。
(もう兄弟愛ってレベルじゃない)
「ちょっとタイプじゃないかなって」
「ふーん。可愛いのに」
「うちのアドのほうが可愛いから」
「でも」
「アドのほうが可愛いから」
「……そうね」
ふと、ベルナットがいつもと違うことに気がついた。やたらに笑顔だし、足取りも軽い。さっきから髪をいじっては頬を抑えて顔を赤くしたり、忙しそうだ。
「ベル、なにかいいことでもあった?」
ベルナットは急に、ずいっと顔を近づけてくると、キラキラとした笑顔で言う。
「聞きたい!?」
「えっ……うん」
その返事を聞くと、顔を離して頬を抑えて、照れたよう顔を赤くした。
「今日ね」
「うん」
「レオに会ったの」
(レオって、ベルの婚約者の)
男爵令嬢と浮気してたあいつだ。ムカついて蹴り飛ばしたからよく覚えている。確か、浮気相手はミレーユとかいう……。
「制服着てて!」
「うん」
「いつにもましてかっこよくて!」
「うん」
「目があったの!」
「うん」
続きを待ったが、ベルナットは顔を真赤にして「きゃー」と小さく叫んだ。
「……で?」
「え? それだけよ?」
(それだけでそんなに喜べるの!?)
少し考え込む。親友の喜びを否定したくない。だけど、理解が追いつかない。
「……えっと、目が合うとなんで嬉しいの?」
「私のことを覚えてくれてるのかもしれないってことよ」
(いや、婚約者なら普通では!?)
でも、たまたまクレマンとヴァランティーヌがバカップルなだけかもしれない。
「……ベルはレオのことを忘れたりとかよくあるの?」
「そんなわけないじゃない! レオからもらったお花は今でも押し花にして大切に取ってあるし、嫌なことがあったときは、レオに言ってもらった言葉を思い出して自分を励ましてるわ!」
「へ、へぇ……」
なのに、レオは覚えているかも怪しいと。なぜそんなやつが好きなのだろう。
(……わからん)
「馬鹿ですね」
エリックが冷ややかに言った。共感する素振りなんて1ミリもない。
「エリック様、言って良いことと悪いことがあるんです!」
はあ、と気のない声を出すと、エリックは肩をすくめた。
これ以上言っても仕方がない。反論できるほどクリステルも共感できていないからだ。諦めて、クリステルは50通はある手紙の束を突きつけた。
「なんですか、これ」
「クレマン様からティナ様に当てた手紙です。少しは愛が揺らぐかと思いまして」
エリックは嬉しくもなさそうに手紙を受け取ると、舌打ちをした。
「なんで姉さんからの手紙を取ってこなかったんですか? こんなの姉さんが殿下に直接尋ねて、『出したはずなんだが、おかしいな』で終わるじゃないですか」
「えー」
「まあ──」
褒めてくれるのかと思ったが、「もとから期待はしていませんでしたが」と言われただけだった。
(頑張ったのに。褒めてくれてもいいじゃん、このシスコンが)
「ていうか、わざわざ宮廷に送り込むくらいなら、もっと具体的な指示をしてくださいよ。なんか魔術の勉強させられて、王室家庭教師免許?っていうのを取らされるし」
勉強がわからなくてナタリーに頼ったのだが専門外と追い出され、アドリアンは寮にいるから会えず、たまたま会ったクレマンに頼る羽目になったのだ。練習中ずっとのろけられる身にもなってみろ。最悪だ。
「でも、そのおかげで基礎魔術はあらかた覚えたんでしょう?」
「水と風だけね」
「えっ、火は?」
ベルナットの言葉に、クリステルはもう一度苦笑いをした。
そう、火属性が使えなくて、風属性を中級まで習得する必要があったのだ。詠唱も長いし、非常にめんどくさかった。なんでこんな不便なんだろう。
廊下から、フローラの声が聞こえてきた。釣られて外を見ると、ヴァランティーヌもうっとりと妹を眺めている。
(シスコン退散)
と思いつつも、廊下に出る。フローラはいつにも増して綺麗で、透き通りそうなくらい純粋だった。
教室を覗くと、エリックとベルナットが気まずそうにお互いから目を逸らしている。
(あの輪に加わるの、なんかやだな)
少し廊下を歩いてみる。しばらくはざわざわと騒がしかったのだが、気づくと人気がなくなっていた。
「──待っていてください、お兄様」
可憐な声が聞こえた。見ると、ミレーユが窓辺に立っていた。カーテンに隠れて顔が見えない。
「必ず、ミレーユがお守りしますから」
(ああ、この子もブラコンなのか)
そう思いながら窓の外を見る。ちょうど高等部の渡り廊下が見えた。クレマンに肩を組まれたエリックが、嫌そうに引き剥がそうとしている。遠くて何を言っているのか聞き取れない。
──風よ、耳となれ。遠き声を我に届けよ。
「離してください」
耳慣れた、エリックの声が聞こえてきた。どうやら詠唱があっていたようだ。心のなかで唱えるだけでいいとは、なんとも便利だ。
(詠唱を忘れてもいいように、無詠唱でできるようになっとこう)
「そう言うな」
「……離してください」
「俺とお前の仲だろう?」
「……」
どんな仲なんだ。気になる。
(……ん? 待って)
ミレーユ。ミレーユって──。
頭の中をひっくり返すように記憶を探る。
ベルナットの婚約者と浮気していた男爵令嬢。
それは覚えている。でも、もうひとつ。もっと大事な何かがあった気がする。
「お兄様……」
窓辺でミレーユが小さく呟く。その視線は真っ直ぐじゃれている2人の方へ向いていた。
(いや待て)
なんで今まで忘れていたんだ。
ミレーユは窓ガラスにそっと手を触れた。その横顔は、恋する乙女のようにも見える。
ぞわりと、背筋が冷える。
原作の乙女ゲームの悪役令嬢は、確かにヴァランティーヌだ。
だけど、この世界の悪役令嬢は違う。
ミレーユ・マリー・ド・ヴェルシエール。
ヴァルシエール王国第一王女。
ヴァランティーヌの暗殺を影から手引する悪役令嬢。
(なぜ男爵令嬢なんだ?)
「ミレーユが必ず、お守りします」
その声だけは妙に重かった。
(また増えた……)
オリヴィエ。
エリック。
ヴァランティーヌ。
そしてミレーユ。
クリステルは遠い目をした。
(この世界、ブラコンとシスコンしかいないのか?)




