第三十二章 偽りだった平穏(第一話)
「……私が聞いたことは、これで全てだ」
「そ、んな……じゃあ紗凪は、この村のためにって、短刀で喉をついて自害したというのか?」
道善の病が悪化し、生気がなくなったのも、丁度その頃だ。
「ああ、当時の私たちは十八歳くらいだったな。他の儀式を知らぬ村人と同様、火事で死んだと伝えられた」
「道善先生は、なぜ俺に本当のことを教えてくれなかったんだ!」
「言えなかったんだよ。お前は紗凪ちゃんが好きだったろう」
「なんとか、ならなかったのかよ!」
「拒否すれば村八分だ。紗世ちゃんと、お前のことを考えて、先生は承諾するしかなかったんだよ。そして、先生はこの七年間、一人で、娘を差し出した罪悪感と戦ってこられたのだ」
「……だから、死にたがってたのか」
清志郎の言葉に、宗真は小さく頷いた。
「っ! 何が生贄だよ。蒼耀様の仰るとおりだ。反吐が出る」
清志郎は、両拳をわなわなと震わせながら、背中を丸めて額を畳に押し付けた。
その震える肩が、こらえきれない悔しさを物語っている。
「……七年周期であるんだろ? 今年だよな?」
「そうだ。先日の寄合でな、次の儀式の生贄は、鈴ちゃんと決まったんだ」
「なんだって! す、鈴ちゃんが!」
清志郎は、伏せていた顔をがばっと上げた。
「喜兵衛さんは、まだ、このことを鈴ちゃんには言えてないのだろう。喜兵衛さんがお前に向けた殺意は、寄合衆に向けられたものだ。私の父や道善先生と同じように、いずれ私たちが引き継ぐことになる。喜兵衛さんから見たら、既に私たちも寄合衆の一味なんだよ」
「……そ、それで――『人殺しども』だったのか」
「どこか、頭のおかしい連中が住む、遠い集落の話だと思いたいがな……それはこの千凪村で確かに行われてきたことだったんだ」
「し、信じらんねぇ……」
「私も信じたくなどないよ。何もないが、のどかで、いい村だと思って、この村で生きてきたのに……悪い夢の中にいるんだと思いたいよ」
「宗真……」
「けど、お前が嘘じゃないって、突きつけてくる。今みたいに」
宗真は苦笑いをしながら言った。
「……」
清志郎には、返す言葉がなかった。
「なぁ、清志郎。神は本当に生贄なんて求めているのか? 蒼耀は、この村を汚いと言ったんだよな?」
「ああ、言っていた。少なくとも蒼耀様は、生贄など求めてないと思う。それに、蒼耀様の口ぶりからして、澄斬姫は……」
「蒼耀と澄斬姫は、何か関係があるのか?」
「……澄斬姫は、蒼耀様の姉君だ」
「なんだと!」
蒼耀と澄斬姫が姉弟――。
宗真は驚きのあまり、顔色を失った。
◇
「今日は、外へは出るな。お前には頭を整理する時間が必要だ。どうしても、何かせずにいられなくなったら、庫裏の奥にある倉庫同然の物置部屋の片付けでもしてくれ」
そう言って宗真は去って行った。
暫くの間、清志郎は部屋で茫然自失としていた。
(なんてこった。こんなとんでもない因習が、裏で昔から続いていたなんて。紗凪はいつから……いつから知ってたんだ? いつから覚悟を決めていた? 俺は馬鹿だ……すぐ傍にいながら、何も気づいてやれなかった。紗凪、許してくれ! そして次は鈴ちゃんが。黙って見てろって言うのか。そんなこと、俺には……)
どれだけそうしていたか、わからない。
だが、このまま一日中こうしていては、頭がおかしくなりそうだった。
清志郎は、ふらふらと立ち上がると、宗真が言っていた奥の物置部屋へと向かった。
戸を開けた途端、埃の匂いが鼻を突く。
(どんだけ掃除してねぇんだよ、この部屋は! さぼりにさぼりやがって。けしからん坊主たちだな)
今は使っていないと見られる仏具や書物、古い木材が、無造作に木棚に積み上げられていた。
清志郎は胸中で毒づきながらも中に入り、まずは積もった埃をはたきで払うことから始めた。
「げほっ、げほっ! こりゃ駄目だ」
思った以上に埃が舞い上がり、一度退却する。
頭に軽く巻いていた手拭いをしっかり結び直し、さらに口元にも手拭いを当てて、再び中へ入った。
埃を払い終えた後、竹箒で丁寧に床を掃く。
棚を布で拭きながら、物を一つずつ脇へ整然と寄せる。
特に汚れがひどいものは布でしっかりと拭き取り、種類ごとにきちんと整理整頓する。
身体は動いているが、心はどこか上の空だった。
それでも、部屋でじっとしているよりはいい。
何もしないと、深く考え込んでしまうだろう。
女神の祟り。
儀式。
生贄。
手を動かしていると、さっき聞いた嫌な話の内容が、少しだけ薄れていく気がした。
逃げている――そう思う。
でも、今はそうでもしなければ、心が壊れてしまいそうだった。
棚の奥に押し込まれていた木材を動かそうとしたとき、清志郎の手が止まった。
「……これ、もしかして……」
いびつな形の三つの木材。
どこか見覚えがあった。
木材に残る刃物の跡。
何かを彫りかけの木材。
忘れていた過去の記憶が、次第に蘇ってくる。
胸の奥が、きゅっと締めつけられた。
――この村に来て間もない、子供の頃。
――まだ三人が、同じ時間を疑いもなく過ごしていた頃。
(思い出したぞ。住職に無理やりやらされた仏像彫刻だ)
宗真は不器用ながら、なんとか仏にしようとした跡が見られる。
(ふっ、仏というより、雪だるまだな。下手くそ)
紗凪は、子供のくせに妙に勘が良く、拙いながらも形になっていた。
(おお、さすが紗凪。あいつは何でも卒なくこなしていたもんな)
そして――自分は。
何の形にもなっていない。
木材に、いくつか傷が刻まれているだけだった。
(……そうだ。早々に彫るのをやめたんだ)
彫ること自体が嫌いなわけではない。
むしろ、好きで趣味として、動物などよく彫っていた。
それを宗真から聞きつけた住職に、仏像彫刻を勧められたのだった。
だが、清志郎は仏像を指定されると、何故か手が動かなかった。
(こんなところに、取っておいたのか。宗真や紗凪のはともかく、俺のは捨ててくれよな)
そのときだった。
微かだが、人の気配を感じた。
音を立てずに入ってきた。
こそこそと、何かを探している気配がする。
宗真は紗世のために、朝比奈家に出向いているし、そもそも寺の者であれば、ここまで気配を消す必要はない。
(なんだ? 物取りか? 金になる物なんて何にもねぇぞ)
清志郎は、その気配のする方へ気づかれないように、そっと間合いを詰めていく。
どんな奴かと、物陰から盗み見ると、意外にもその人影は小さい。
(子供? おいおい、うちの門下生じゃないだろうな)
小さな影が何かを懐に入れ、立ち去ろうとしたので、清志郎は一気に間合いを詰め、その首根っこを掴み上げた。
「おい、何してんだ? 何をくすねたんだ?」
「――!」
やはり子供だった。
捕まると思っていなかったのか、びくっと肩が跳ねた。
「黙ってないで何か言えよ。正直に言えば、今回だけは見逃してやるからよ……って、んん?」
清志郎は見覚えのある後ろ姿に、動揺を隠せず、眉をひそめた。
「え? ……な、なんでお前が?」
子供は身をよじり、捕まったのが相当屈辱なのか、振り向きざま臆することなく睨んでくる。
「それはこっちが聞きてぇよ。こんな物置で何してんだよ、清志郎」
「し、新太!」
間違いない。
風間医院で世話になった、子供ながらに風間の助手を務めていた新太だ。
彼の懐からは、白い紙片がはみ出しているのが見えた。
(護符? 盗みにきたのは、澄斬姫に対する護符なのか?)
「おい、いい加減離せ!」
「あ、ああ……」
清志郎は言われるままに、手を離す。
澄斬姫という存在を介し、訳ありの二人の運命が、今、静かに交差しようとしていた。




