第二十三章 再会の涙(第三話)
「儂の息子だ」と言われた言葉が、まだ胸の奥で温かく燻っていた。
嬉しさと気恥ずかしさが入り混じり、清志郎は道善の部屋でしばし動けずにいた。
泣いた痕の残る目が、どうしても皆に見せられない。
――せめて、元の顔に戻ってから出ていきたい、と。
「先生、どうでしょう?」
「まだ、ちっと赤いかな」
「……すみませんが、もう少しだけ、ここに居させてください」
「儂は構わんぞ」
道善の口元がほころぶ。
清志郎が道善の部屋に居座り続けているのは、泣いた後の顔を誰にも見られたくないからだ。
あれほど大声で、まるで子供に戻ったかのように泣きわめいたのだ。
道善とのやり取りを、紗世たちに聞かれている可能性は十分に高い。
本日、何度目かの自己嫌悪が清志郎を襲った。
しかし、せめて涙ぐんだ目だけでも元に戻し、皆の前では何事もなかったかのように振る舞いたかった。
少なくとも紗世は、気づいていないふりをして、そっとしておいてくれるだろう。
「それはそうと、清志郎。その髪飾りはなんだ?お前、そんなものに興味があったのか?」
「いえ、そういうわけでは。私の好みではありません。……ずっと傍についてて、看病してくれた方に、いただいたんです。もう、危ない目に合わないようにって。お守りだそうです。いただきものを無下にできなくて」
「ほう、単なる飾りではなく、お守りなのか。今、お前が着ておる、その見慣れない着物もその方が?」
「はい。前の着物は、破れてしまい返り血も浴びていたからと、気づいたら捨てられておりまして」
「随分と気に入られたものだな。その方は、医者のご家族か何かか?」
「いえ、彼女は商人の娘さんです」
「商人の娘が、何故お前にそこまでしてくれたのだ?」
「あ、いや、その……」
清志郎は、しくじったと頭を抱えた。
澄は医者の娘にしておくべきだったと。
その方が自然だ。
澄との間に何があったか、馬鹿正直に言う訳にはいかない。
「は、はぁ。医者から聞いた話では、彼女は慈悲深い性格で、普段からよく病院の手伝いをしていると」
(そうさ、まったく嘘ってわけじゃない)
「ずっと若い娘に看病されておったとは、満更ではなかったのではないか?」
普段はあまり冗談を言わない道善の揺さぶりを受け、清志郎の心臓はびくん!と跳ねた。
「あ、あの!誤解のないように申しておきますが、俺と澄さんの間には何もありませんから!」
「『澄』というのか、その娘は」
「……あ、あぁぁぁ……はい」
つい、聞かれてもいないのに、名を出してしまった。
清志郎は自分の愚かさに頭を抱える。
「先生、俺は!……その、紗世さんが良ければですが、紗世さんと一緒になろうと思っていますから。澄さんには、手を出したりなど決してしておりません!」
必死に弁明する清志郎に、道善は笑いを堪え切れなかった。
「ふふふ。わかっておるよ、清志郎。疑ってなどおらぬ。それに紗世は、お前のことが好きだ。心底惚れておるよ」
「そ、そうですか?そういう話、まだ、紗世さんとは何もしてなくて……。あ、あの、もう赤くないですよね?」
「ん?」
「目ですよ」
これ以上、道善に追撃されたくはない。
清志郎は、道善の部屋を出ると決めた。
「ああ、そうだったな。うむ、もう問題ない」
「そうですか。では、一旦これで失礼します。ゆっくり、お休みになってください。それから、明日からは、ちゃんと薬を飲んでもらいますから。約束しましたからね、先生」
「ああ、わかっておる。皆、待っておるぞ。はよう行け」
「はい。では、これで失礼させていただきます」
清志郎は、道善に対して、ずっと抑えていた自分の気持ちを直情的に伝えてしまった。
いい大人が、みっともなかったかもしれない。
だが、それで道善は、紗世と自分のために、生きることを諦めないと約束してくれた。
自分のことを「お前は儂の息子だ」とまで言ってもらい、この上ない喜びが後から後から溢れてくるのを感じていた。
死にかけたりして、とんでもない目に遭ったが、悪いことばかりではない。
手に届く希望が見えてきたのだ。
(これも、澄さんが俺を助けてくれたお蔭だな)
清志郎は、澄がくれた髪飾りの玉石を、愛おしそうにそっと撫でた。
そんな清志郎とは対照的に、一人部屋に残された道善は、物思いにふけりながら悩ましげな表情を浮かべていた。
(『澄』……とな。やはり、澄斬姫の元にいたのか、清志郎……。あの髪飾りは、所有の証とでも言いたいのか。何を企んでおるのだ。あの祟り神は!今のところ、清志郎に異変はない。しかし、もう何か仕組まれておるはず)
台所から、食欲をそそる香りが漂ってくる。
道善の部屋にいる間、紗世たちは食事の準備を進めてくれていたようだ。
自然とそちらへ足が進む。
清志郎は改めて、自分を取り巻く環境のありがたさを実感した。
◇
居間に膳が揃い、清志郎、宗真、龍之介、紗世の全員が席につく。
清志郎の目の前には、祝い事のように、普段は使わない赤い漆の膳が並んでいた。
病み上がりの自分を気遣ってくれたのだろう、消化に良さそうで、それでいて滋養に富んだ食材が品良く盛り付けられている。
「本当にこれを宗真と龍之介で作ってくれたのか?ほとんど紗世が作ったんだろ?」
「失礼だな、お前は!ちゃんと儂と宗真で作ったわ!まぁ結局、紗世さんにも手伝ってもらったが……」
龍之介は、少しばつが悪そうに、頭をぽりぽり掻いていた。
手は動かしたが、紗世に指示されながら作ったのだろう。
「私は修行の一環として、精進料理を作るからな。料理は得意だぞ」
対して、宗真は自信満々だ。
確かに、彼の言い分には最もなところがある。
「私は本当に、一番何もしていないわ。ほとんど、お二人が作ってくださったのよ。お品書きは、宗真さんが考えてくださったの」
先程まで泣いていた紗世が、すっかり笑顔を取り戻していた。
それが何よりも清志郎を安心させ、二人の友の気遣いが身に染みた。
「そうか。感謝するよ」
改めて、ささやかだが、心のこもった祝い膳を前に、清志郎の胸には熱いものが込み上げた。
「宗真、龍之介、紗世さん。突然いなくなって、突然帰ってきた奴のために、ここまでしてくれて……。俺は皆に会えただけで嬉しかったってのに……ありがとう。俺、ここに帰って来れてよかったよ」
清志郎は、一人一人の顔を見て、心からの礼を述べた。
「なんじゃ、しんみりしてしまうではないか」
「清ちゃん、無事でよかった。帰ってきてくれて、ありがとう」
「それでは、清志郎の帰宅と快癒を祝して杯を」
紗世が宗真の盃に、酒を注ぐ。
清志郎には、もちろん、紗世が用意したお茶が置かれている。
「龍之介」
清志郎が龍之介に酒を注ごうとすると、なぜか彼は思いっきり、不満げな表情を浮かべた。
「な、なんだよ」
「主賓はお前じゃろ。まずは、儂がお前に注ぐのじゃ」
「ま、前言ったじゃないか、俺は……」
「ああ、ちゃんと覚えておるぞ。じゃから今晩は、わざわざ『一夜酒』にしたのじゃ。なに、一杯だけじゃ。流石に病み上がりのお前に無理強いはせんよ」
「口をつけるだけでいいんだよ、清志郎」
宗真もそれとなく、勧めてきた。
唯一、清志郎の過去の一件を知っている紗世は、心配そうな視線をこちらに向けている。
「ひ、一口だけだからな」
せっかく、皆が自分のために準備してくれた祝いの席だ。
場の雰囲気を壊したくなくて、清志郎は仕方なく、応じることにした。
「おう、構わん、構わん。一口で十分じゃ」
龍之介はにんまりとした笑顔を浮かべ、嬉しそうに清志郎の盃に酒を注ぐ。
(一口だけなら、流石に大丈夫だろ。強い酒じゃないんだし)
注いでもらったはいいが、盃をじっと見つめている清志郎に、龍之介が呆れて急かしてくる。
「おい、さっさと呑まんか」
「わ、わかってるよ」
清志郎は思い切って、ぐいっと一口で呑み干した。
喉に熱いものが、流れ込む感覚――。
しかし、過去に味わったものに比べ、その衝撃は弱く感じた。
「ほれ、大丈夫じゃろ?じゃ、儂にも注いでくれ」
「あ、ああ」
(よかった。大丈夫そうだ。まぁ、俺も成長したってことだな。もう、いい大人になったんだもんな、うん)
清志郎は、龍之介に酌を返し、ほっと一息ついた。
「では、いただくとするか」
まずは、白米と好物である魚、鱈の煮付けに箸をつける。
鱈は口に含むと、ほろりと崩れて米の甘みと混ざった。
「うん、美味い!」
入院中は粥ばかりだったせいか、思わず素直な感想が口からこぼれた。
その言葉を聞いて、膳を用意した三人は満足そうだ。
「美味いからって、掻き込むなよ。病み上がりなんだから、よく噛んでゆっくり食べるんだぞ、清志郎」
「わかってるよ、宗真。お前は俺の親かよ。まったく、いつも説教臭ぇんだよ、お前は」
そのちょっぴり反抗的な言葉に、宗真と龍之介は何の疑念も持たなかった。
ただの照れ隠しの表れだと思ったのだ。
ただ一人、紗世を除いては――。




