第十九章 隠された真実(第二話)
父・宗岳から村の秘密と母の生存という衝撃の事実を告げられ、宗真の世界は一変した。
混乱の中、彼は昨夜の寄合の件を伝えるため、友である龍之介を待つ。
一方、死んだはずの母・妙真尼は尼寺で古文書を読み解き、村の祟り神「澄斬姫」の真実に迫っていた。
二人の運命が、静かに交差しようとしていた。
宗真に全てを打ち明けた後、宗岳は心身ともに疲れ果てた様子で、自室に籠ってしまった。
おそらくそのまま寝込んでしまったのだろう。
宗真も、昨夜と今朝の出来事で世界が一変したような衝撃を受けていた。
しかし、もう暫くしたら、座禅堂に龍之介が現れるかもしれない。
昨夜の寄合のことを伝えるため、彼に寺へ来るよう伝えていた。
「さっそく、くたばるわけにはいかないからな」
宗真は軽く溜息をつきながらも、自分を叱咤し、立ち上がった。
龍之介がいつ来てもいいように寺を出ると、冷たい風が身を刺すように吹き抜けた。
「寒いな今日は……」
空を見上げると、灰色の雲が一面に広がり、いつもより外が薄暗く感じられた。
この空が次に晴れるのか、それとも雨の前触れなのか、彼には見当もつかなかった。
◇
座禅堂に着くと、龍之介はまだ来ていなかった。
宗真はそっと腰を下ろした。
(村の者でもない、知り合って十日ほどの男に、この村の根幹を揺るがす秘密を打ち明けねばならぬとは……。あの男が来てからというもの、平穏だった日常はかき乱される一方だ。まるで疫病神ではないか)
先日、ここで清志郎と龍之介と共に座禅をしたことを思い出す。
「神仏なんか、いるわけない!」――あのとき、清志郎はそう言った。
(神はいるんだとよ、清志郎。だが、我々が思っていた存在とはだいぶ異なるようだ)
宗岳の言葉と涙は、まだ胸の奥深くに刻まれている。
彼の人柄を今さら疑うつもりはない。
妙や紗凪を救おうとしただけでなく、彼なりに長年「このままでいいのか?」と自問しながら戦い続けてきたのだろう。
何より、母が儀式に対して抵抗の意志を示していたという事実が、彼に勇気を与えた。
父も母も、この状況を良しとしていないのは間違いない。
(なんとしても、私の代でこのような因習は終わりにしなければ……)
龍之介がいくら親身になってくれたとして、彼は武者修行の身――いずれこの村を去ってしまうのだ。
それに、村の人間ではない彼のいうことなど、誰が聞く耳を持つだろうか。
(清志郎……本当なら、最初にお前に話したかった。どこにいるんだ。生きているなら、帰ってきてくれ。私一人では――)
だが、仮に清志郎が帰ってきたとして、彼に事実を話せるだろうか。
彼の方が、自分より遥かに受け入れ難い事実だというのに。
(私は母を失わずに済んだ。だが、清志郎は……最愛の人を失った。それが己の師によってとなれば、彼はどう思うだろう?)
宗真には、清志郎が道善を許せるとは到底思えなかった。
『人が持つのは、一つの顔だけではない。』
父の言葉が脳裏をよぎった。
清志郎は普段は温厚で物静かだが、激情家な一面もある。
下手をすれば感情に任せて、道善を斬り殺すかもしれない。
しかし、自分と同じように、いずれ知る日が来るのだ。
(こんなことを考えるのは不謹慎かもしれないが、打ち明けるにしても、道善先生が亡くなってからだ)
そんなことを考えているときだ。
自分の名を呼ぶ声がした。
「顔色が悪いな、宗真。そんなに酷かったか?その寄合とやらは」
「龍之介……」
今の宗真には、疫病神であれ、この龍之介以外に相談相手はいなかった。
◇
同じ頃――竹林を抜ける風の音だけが響く、静かな尼寺の一室。
俗世から切り離されたようなその場所で、一人の尼僧が黄ばんだ古文書と向き合っていた。
虫に食われ、所々が欠けたそれに記された文字を、彼女――妙真尼は慎重に指でなぞった。
彼女こそ、かつて妙と呼ばれた、宗真の母であった。
「今年は、あの儀式が行われる年ね……」
千凪村を離れても、あの忌まわしい儀式の記憶は消えることはなかった。
長い年月をかけて、澄斬姫に関する記録を院主である法光尼の力を借りて集め続けてきた。
それが、彼女自身の戦い方だった。
古文書を紐解くほどに、村で語り継がれる「祟り神」の姿は霞んでいった。
むしろ、そこから浮かび上がるのは、人々に豊穣をもたらし、災厄から守護する、慈愛に満ちた神の姿だったのだ。
「やはり……」
妙真尼は、確信に近い呟きを漏らした。
「祟り神とされたのは、後世の歪み。澄斬姫は、もともと祟り神などではなかったのよ」
だが、ここに記されている神を澄斬姫だと断定することができない。
肝心のその神の名が記されたと思われる箇所が、破れて判読できなかったからだ。
『澄──姫』と書かれた箇所は、中央の文字が破れてしまっていた。
筆の間隔からして、一文字ではなく二文字分の余白がある。
もし『澄斬姫』であれば、この空白は一文字で足りるはずだ。
(ここに何と書かれていたのかしら?)
妙は指でその裂け目をなぞり、眉を寄せた。
(もしや、あの神の名は『澄斬姫』ではないのでは?ここに書かれていたのが本当の名なのでは?)
胸の奥に、かすかな確信が灯る。
人は歴史の中で真実を曲げていく。
現にこれら古文書には、儀式のことや「血を欲する姫」などとは、記されていなかった。
それどころか、「心澄んだ姫」「美しき姫」などと記されている箇所もあるのだ。
強い春の風が竹林の音を運んで、障子を揺らした。
妙真尼は立ち上がり、障子を開けた。
(あら、どんよりとした曇り空ね。雨でも降るのかしら?あの子が犠牲になった日もこんな曇り空だったわね)
自分のために、村のために犠牲になった妹のことを忘れた日など一度もない。
ここへ来てから毎日、彼女の冥福を祈り、手を合わせた。
(宗真、あなたは今年で確か二十五よね。もう知ってしまったのかしら)
宗真のことを思うたび、胸が痛んだ。
村に置いてきたことへの後悔もあった。
だが、あの忌まわしい因習に縛られて生きるであろう彼の将来を想像すると、心が締め付けられるようだった。
澄斬姫のことについて調べていても、真実にたどり着いたとして、自分に何ができるのかと思い悩む日々だった。
そのとき、先ほどよりも強い風が吹いた。
畳の上を一枚の笹の葉が、まるで誰かからの書簡がそっと届けられたかのように滑り抜けた。
妙真尼は、はっと息を呑む。
「……宗真?」
予感がした。
血の繋がりなのか、あるいはもっと根源的な宿命なのか、彼女には感じることができる。
何かが、大きく動き始めた。
あの子が、宗真が、もうすぐここへ来る――そんな気がした。




