第十八章 狂気の寄合(第二話)
宗真は父・宗岳が招集した寄合で、村の有力者たちが繰り広げる狂気の議論に愕然とする。
祟りの恐怖に支配された彼らは、清志郎と紗凪を無責任に断罪する。
尊敬していた大人たちの信じがたい姿と、人の命が平然と奪われようとする現実に、宗真は無力感と激しい怒りに打ち震える。
――その晩。
龍之介が不思議な夢を見ていた、少し前、宗真は父・宗岳に伴われ、村の寄合へと足を運んでいた。
「よいか、宗真。この村の真実を見極めたいと本心から思っておるなら、意にそぐわぬことがあっても、口を挟むでないぞ」
「父上……」
「黙って刮目しておるのじゃ」
「は、はい……」
庄屋の屋敷に足を踏み入れると、薄暗い囲炉裏の火が頼りなく揺らめき、煙が天井へと立ち上っていた。
二十人近い男たちが座し、宗岳と宗真が入ってくるなり、その視線が一斉にこちらに向けられる。
肌にまとわりつくような熱気と、燻された木の匂いが、場の緊張感をさらに際立たせていた。
そこにいたのは、組頭や百姓代、豪農たちという村の有力者たちだった。
ほぼ、宗真の顔見知りの年配の男たちだ。
その中には、父と親交の深い医者の玄庵の姿もあった。
「おお、ご住職、皆すでに集まっておりますぞ。おやっ!今宵は宗真殿もご同席ですかな?」
早くも宗真の姿に気づかれた。
宗岳が最もらしいことを理由に、息子の同席を求める。
まるで、宗岳から宗真に真実を打ち明け、宗真がすべて納得済みかのように振る舞う。
「うむ。儂ももう、いい歳じゃ。いつ仏様からお呼びがかかるかわからん。そろそろ引き継ぎを始めるには良い頃合いかと思うてな。今晩からは息子を同席させたいのじゃが、よろしいかの?」
「それは、もちろんじゃ!のう!」
「おお!歓迎いたしますぞ。宗真殿は聡明であられるしな」
「宗真殿はいずれご住職の跡を継がれる身、当然じゃ。皆、世話になるのじゃ」
「さあ、お二人ともこちらへお座りくだされ」
誰も反対するものがおらず、宗真はひとまず、ほっとした。
「未熟者にござりまするが、今宵より、よろしくお頼み申します」
宗真は丁寧に挨拶を済ませ、宗岳の横に座した。
全員が揃ったところで、庄屋が切り出した。
「さて、皆が揃ったようじゃな。まずは、ご住職にその……金那町の件についてお話しいただこうかの。今回の寄合は、ご住職自らが招集されたものじゃからな」
宗真はその言葉に驚きを隠せなかった。
父が寄合を開いた張本人だとは一言も聞いていなかったのだ。
(……父上は渋々参加しているわけではないのか?本気で神の祟りだと信じているというのか!)
宗真は一瞬、苦虫を噛み潰したような顔をしたが、幸いにもそれに気づく者はいなかった。
「実はの、先日、金那町の寺から使いが来たんじゃ。郡奉行をしておる黒川家で、次男の元晴が変死体となって発見されたと。噂で聞いた者もおろうが、その死体がただ事ではなく……」
宗岳は先日、朝比奈家で道善と玄庵に話したことを、再度ここで一通り話した。
「葬式はもう済んだのかの?」
「うむ。表向きには病死ということにしたらしい。しかし、黒川家の墓には埋葬されておらん。寺に預け、厳重に封印したそうじゃ」
(金那町の寺でも祟りとして扱われているのか……年配者の間では、祟りという概念が思いのほか深く根付いているものだな。できればその変死体をこの目で直接確認したかったものだ)
宗真が冷静に機を逃したことを悔やんでいると、黒川の変死体についての声が上がり始めた。
「元が人間とは思えんような状態になっておったと金那町の者が言っておったぞ」
「うむ、儂も聞いた。まるで、化け物のような……」
「黒川家では、その惨状を目にしてしまい、休暇を取って床に伏している使用人が何人もいると聞いたぞ」
「あえて言うなら、まるで水死体のようだったそうじゃ……やはり水といえば、澄斬姫の祟りではなかろうか?」
「ご住職もそれを心配なさって、我らを招集したのじゃろう?」
その問いに対し、宗岳は深刻な表情で頷いた。
「しかし、黒川家なんぞ、千凪村と一体なんの関係があるというのじゃ?」
「そうじゃのう、わからんな……ご住職は、お心当たりがおありなのか?」
宗岳は少し間を置いて、言葉を紡いだ。
「道善に聞いたのじゃが、清志郎はその黒川元晴が門弟として通う剣嶺館に、稽古をつけに行っておったらしいのじゃ」
「清志郎が?」
宗岳のその言葉をきっかけに、まるで忘れていたことを思い出したかのように、男たちは話し始めた。
「そういえば清志郎はどうなったんじゃ?門弟共が探しておったろ?」
「結局、見つからんかったんじゃろ?」
「清志郎は金那町の帰り道で、複数の浪人風情に襲われ、斬られたと見られておる。じゃが、まだ遺体が見つからんままじゃ。そうじゃの?宗真殿」
「ええ、私も一緒になって村中探したのですが、未だ見つかってはおりませぬ」
「はぁ、それではもう……」
宗真は急に話を振られて焦ったが、それ以上に清志郎の生死に対する村の男たちの淡々とした態度に驚きを隠せなかった。
「清志郎と黒川が知り合いであったのはわかったが、なぜ黒川が祟られたのじゃ?」
それは宗真も疑問に思っていた。
清志郎と黒川と関連があったとして、なぜ、澄斬姫の祟りだと父は心配するのか。
まったくもって、理解できていなかった。
だが、次の宗岳の言葉が宗真を驚愕させる。
「これは儂の憶測に過ぎんが、清志郎を襲ったのは黒川ではないかと思うておる。清志郎が黒川の恨みを買ったかもしれぬと道善にほのめかしていたそうじゃ」
(な、なんだって?)
宗真が必死に頭を整理しようとする間もなく、男たちは次々と思い思いのことを口にし始めた。
「黒川が清志郎に恨みがあり、浪人を雇って殺したと?」
「じゃが、その黒川は祟りにあって死んだんじゃよのう?」
「一方は行方知れずで、一方は変死体……どういうことじゃ?」
「まさか清志郎を殺したから黒川が祟られたとでも?そうおっしゃるのか、ご住職?」
「なんじゃそれは?清志郎が澄斬姫のお気に入りだったとでもいうのか?」
「いやいや、有り得なくもないぞ。神とて恋をするかもしれんではないか」
「確かになぁ、清志郎は男にしては、女のように白い肌をしておったからのう」
その言葉を皮切りに、一人がくすりと笑った。
それが伝染するように、他の男たちの口元にも薄笑いが浮かぶ。
「それで神に気に入られて神隠しか。なるほど、筋が通るわい!」
(おいおい、悪ふざけもいい加減にしろよ……何を言ってるんだ!)
宗真は、場の空気を乱す男たちの言葉に唖然とした。
つい先ほどまで祟りだと大騒ぎしていたくせに、この無神経な態度には怒りが込み上げてきた。
「それじゃと、澄斬姫は朝比奈道場を頻繁に訪れていたというわけか?道善の具合が悪いのもそのせいではないのか?」
「おお、なるほどのう。じゃが、紗世は元気そのものじゃぞ。恋敵なら、まず紗世を狙うのではないか?」
「それも、そうじゃのう」
「おいおい、あの祟り神が人に情を寄せることなどあるわけなかろうが」
もう周囲からは、笑いが出そうな勢いである。
あまりにも不謹慎な言葉の応酬に、宗真は怒りと同時に情けなさを感じた。
(こ、こんな連中が、今まで村を支えていたのか……)
「これこれ、真面目に考えんか。それだけでことがおさまれば、これ以上の被害はないかもしれぬ。じゃが、これが澄斬姫からの儂らへの何か伝えたいことを暗示している結果じゃとしたら、どうする?」
男たちは宗岳の一言で、ようやく静けさを取り戻した。
「まぁ、ご住職の仰るとおり、念には念を入れるべきじゃ。なんせ儀式は今年なのじゃからな」
「なんじゃい!澄斬姫は、前回の儀式に不満でもあるというのか?」
「そんなことはないはずじゃ!手順は何一つ間違えてはおらん!」
そう強く主張したのは、宗真とあまり面識のない男だった。
(もしかして、今はこの男が神主の代わりを?儀式を取り計らっているのか?)
「では、何が問題だったのじゃ?」
「確か前回、生贄として差し出した娘は、朝比奈家の紗凪であったよな?」
「その通りじゃ」
「手順に問題がなかったのなら、生贄に問題があったのでは?」
「それはどういう……」
「わからぬか?紗凪が実は、処女ではなかったということじゃよ」
「な、なに?男と通じておったと!」
「考えてもみよ。同じ屋根の下、紗凪と清志郎は一緒に暮らしておったのじゃぞ」
「そこのところは、ちゃんと調べなかったのか?」
「道善は、清志郎にはまだ修行中の身ゆえ、紗凪はもちろん、女子には絶対に手を出さんようにと、きつく言うておるといっておったそうじゃ。故に、そのようなことはないと思うのじゃが……」
ここへきて、初めて玄庵がぼそりと呟くように発言した。
「そんなの当てにならんじゃろ……」
「口ではなんとでも言える。清志郎は儀式のことなんぞ知らんかったのじゃ。道善には嘘をついておったのかもしれぬ」
「そうじゃな。それで清志郎は澄斬姫の怒りに触れ、神隠しに遭ったのじゃ!」
「有り得るな。ならば自業自得じゃ!」
「清志郎のせいで村に何かあったら、大変なところだったというわけか。道善め、躾がなっておらんわ!」
宗真の拳は、血が滲むほど固く握りしめられていた。
爪が掌に食い込み、痛みが彼の怒りをかろうじて抑えている。
膝の上で小刻みに震える拳は、今にも振り上げられそうだった。
(耐えろ……耐えるんだ……)
『よいか、宗真。この村の真実を見極めたいと本心から思っておるなら、意にそぐわぬことがあっても、口を挟むでないぞ』
父の言葉を思い出しながら、宗真は奥歯を強く噛み締めた。
意にそぐわぬとか、もはやその程度のことではない。
大事な幼馴染であった二人を、ここまで侮辱され、それでも事の顛末を見届けるため、黙っておかねばならぬとは――。
これまでの、どんな過酷な修行よりも辛かった。
「黒川は、これが澄斬姫の意志であることを明確に示すため、祟りの象徴となったのかもしれぬぞ」
「金那町には、澄斬姫ほど力のある神はおらんしのう」
「もしや澄斬姫は、金那町まで勢力を伸ばそうとしているのではないか?」
「有り得なくはないな。だが、今は我らの村を第一に考えねば……」
「今度こそ、しくじれんぞ。必ず処女の清らかな娘を捧げるのじゃ!今回のことは警告だったのじゃ!」
「しかし、澄斬姫は女神じゃ。男の生贄の方が好むのでは?それを意図して、清志郎を連れて行ったのかもしれんぞ」
「純粋無垢な男子か……」
「純粋無垢というなら、赤子はどうじゃ?」
「この際、男女ともに捧げて、前回の過ちを許してもらうというのはどうじゃ?」
生贄についての話し合いは、宗真の想像を遥かに超えて白熱していく。
(これが……これが現実だというのか……)
宗真の世界観が音を立てて崩れていく。
目の前にいるのは、幼い頃から慕ってきた村の大人たちだ。
普段は朗らかに挨拶を交わし、優しく声をかけてくれる人々。
それが今、人の命を品定めするように語り合っている。
(……正気の沙汰とは思えない。普段の彼らなら、こんなことを言うはずがないのに。どうなっている!)
「思うたんじゃが、そもそも、誰に首を斬らせるのじゃ?道善はもう使えまい」
「清志郎もおらんなったしな。次に腕の立つものは誰じゃ?」
「まぁ、それはなんとかなろう。素質のある者に訓練をつませればよいことじゃ。それより、今年は誰を差し出すかじゃ」
「そのとおりじゃ。もうそろそろ考えておかねばなるまい。どの道、娘を差し出すのは決定事項じゃ」
「順番的にいくと、次は篠原家の番かの?大畑家と中山家には、年頃の娘はおらんしの」
篠原家の名が発せられた瞬間、それまでの喧騒が嘘のように静まり返った。
囲炉裏の薪がぱちりと爆ぜる音だけが、やけに大きく響く。
すべての視線が、まるで獲物を狙う獣のように一人の男に注がれた。
篠原喜兵衛の顔から血の気が引き、石のように固まっている。
宗真もまた、驚いて喜兵衛を見た。
(篠原家の娘だって?喜兵衛さんのところの年頃の娘といえば……す、鈴ちゃん!)
宗真は一瞬にして、顔面蒼白になった。
(鈴ちゃんといえば、たしか道場にも通っている紗世ちゃんの親友じゃないか!)
「ま、待ってくれ!うちに娘は、あの子しかおらんのじゃ!」
喜兵衛が慌てて声を上げるが、その声はすぐに周囲の声によって打ち消された。
「何を言っておるか!皆が村のためにと犠牲を払ってきたのだぞ!」
「そうじゃ!お前の家だけ免れる道理があるか!」
「逆らえば、村八分ぞ!わかっておろうな!」
「順番じゃ!絶対に守ってもらわねばならぬ!うちとて、娘を捧げたのだぞ!」
喜兵衛の懇願は、もはや誰にも届かない。
(こ、これが寄合だと?この村は……もう正気を失っている……!)
宗真は目の前の光景に息を呑み、胸が締め付けられるような痛みを感じた。
血の気が引き、胃の奥から吐き気が込み上げてきた。
だが、拳を握りしめたまま、ただその場に座り続けるしかなかった。




