第十六章 仮面たちの思惑(第三話)
絶望の淵に立つ清志郎に、医者の仮面を被った風間は救いの手ではなく、巧妙に仕組まれた「取引」を差し伸べる。
師の命を救いたい一心で、清志郎は疑念を抱きながらもその手を取るしかなかった。
それは、医療の発展という大義の裏で、非情なる研究欲が渦巻く契約の始まりだった。
なんという運命のいたずらだろう。
こちらから声をかける前に、向こうから接触してくるとは――それも、最も自然な形で。
これで堂々と繋がりを持てる。
研究対象として、観察を続けられる。
榊清志郎という男には、まだ多くの謎がある。
澄がここまで執着する理由が、必ず何かある。
解き明かしてみたい、この手で!
風間は内なる興奮を抑えながら、慎重に清志郎との取引を企てた。
「……榊殿、前にも言いましたが、私は基本、懇意にしている方からの紹介状がなければ診察は受けないことを信条にしておりまして。以前、治療費踏み倒されて、困ったことがありましてね。ああ、でも、澄さんに紹介状を書いていただくというのはどうです?彼女なら、あなたの望みなら聞いて下さるでしょう。治療費も含めて」
(やはりそうくるか。でも、俺はもう、澄さんに頼るわけには……)
「先生、これ以上、澄さんにご迷惑をお掛けしたくありません。治療費は少しずつになりますが、俺が必ずお返しします。どうか、お頼みできないでしょうか!」
(私に直接相談してきた時点で、彼女に頼りたくないのだろうとは思ったが。利用できるものはすればいいものを。馬鹿な男だ)
風間は思わずほくそ笑みそうになり、必死に堪えた。
「榊殿、あなたにこんなことを申し上げるのは心苦しいのですが、心臓となれば最低でも十両はいただきます。あなたにお支払いできますかな?」
「……十両、ですか……」
(高額だとは思っていたが、そこまでとは!払えるのか?道場の存続すら危ういというのに……)
現実を突きつけられた清志郎は、目の前が暗くなるような感覚に襲われた。
澄には頼りたくない。
だが、風間という最後の望みを前にして、道善を見殺しにするわけにもいかない。
決断できない。
言葉が出てこない。
風間が声を掛けるまで、清志郎の中でどれだけの時が止まっていただろうか。
「榊殿、私も鬼ではありません。もう、あなたとは縁もゆかりもない間柄というわけでもない。あなたの人柄も、ここ数日で信用に値する人物だとわかりました。ここは一つ、取引をしませんか?」
「と、取引?」
「ええ。少々危険な仕事ではありますが、あなたの剣の腕をもってすれば、命を落とすことはないでしょう。私が紹介する仕事を何件か完遂くだされば、お代はいただきません。どうです?」
風間は手を組んで、清志郎の返事を心待ちにしているように見えた。
(仕事?なぜ、そんな取引を?ただの医者じゃないのか?……俺に一体何をさせる気だ。だか、今はそれしか道がない)
「どのような仕事ですか? ……十両の仕事となれば、危険は承知の上です。ですが、人の道に外れるようなことではないでしょうね?」
「そちらの心配いりませんよ。危険ではありますが、人助けのようなものです」
「人助け?」
「ええ。世の中には病や特異体質で、周りから迫害を受けている人たちがいるんですよ。その人たちを私の元に連れてきて欲しい。中には拘束されている者もいましてね。なかなか厄介な場合もあります。だから危険と申したのです。もちろん、榊殿一人に任せるとは言いませんよ」
「……先生はその人たちをどうなさるのですか?」
「病を治す代わりに、研究対象になっていただくこともあります。医療の発展のためですよ。榊殿の傷が早く治ったのも、傷口の回復が異常に早い方に、私の研究へご協力いただいた結果なのです」
「……」
風間の最後の言葉は、胸中で疑念が渦巻いていた清志郎に、不思議な納得感をもたらした。
「人を斬らずにすみますか?」
「それはなんとも。榊殿の立ち回り次第でしょう。ただ、そうなったとしても、あなたが罪人にならぬよう手は打ちます。ご安心を」
見たところ自分とさほど年も変わらない風間が、なぜそのような裏の力や人並み外れた医学知識を持っているのか、清志郎には到底理解できなかった。
「榊殿、どうしますか?断っていただいても構いませんよ」
清志郎の心中を理解しているはずなのに、風間はあっけらかんとした態度で答えを迫る。
そんな風間の態度に引っかかるところはあったが、選択肢は他にない。
「やります。やらせてください、俺に」
清志郎の答えを聞いて、風間はにこりと微笑んだ。
「よろしい。では、契約成立ということで。榊殿が退院なさる時、契約の証として、心臓に効く薬を差し上げましょう。ああ、言っておきますが、それで治るというわけではありません。ほんの少し延命させられるというだけです。あなたが仕事を成し終えたその時、責任を持って私が診ましょう」
「お願いします、先生。……それと、この件は澄さんには言わないでいただけますか?」
「心配をかけたくないのでしょう。承知しました」
(こちらとしても、彼女に知られたくはない。なんと都合のいいことだろうね、榊殿)
「退院までに、お二人の薬を用意しておきます」
「ありがとうございます。何卒、お願い申し上げます」
(妖でも何でも構わねぇ……道善先生を救ってくれるのなら。今は俺ができることをやるしかないんだ)
清志郎は、自分自身にそう言い聞かせて納得した――するしかなかった。
他に方法もなければ、時間もないのだ。
あのとき道善のために何かしていればという、後悔だけはしたくなかった。
それが、後々の悲劇の元凶となることを、今の彼はまだ知る由もなかった。




