第十六章 仮面たちの思惑(第二話)
医者としての冷静な仮面を被り、風間は清志郎の驚異的な回復力を探る。
冗談めかした言葉の裏に隠された真意、そして聴診器が拾う音の奥にある秘密。
互いの思惑が交錯する診察室で、清志郎は知らず知らずのうちに、風間が仕掛けた見えざる罠へと足を踏み入れていく。
医者としての冷静な仮面を被り、風間は清志郎の驚異的な回復力を探る。
冗談めかした言葉の裏に隠された真意、そして聴診器が拾う音の奥にある秘密。
互いの思惑が交錯する診察室で、清志郎は知らず知らずのうちに、風間が仕掛けた見えざる罠へと足を踏み入れていく。
昼になり、澄に起こしてもらった清志郎は、診察室で風間の診察を受けているところだった。
「榊殿、今朝は心配しましたよ。澄さんに急かされて、仕事をそっちのけで、あなたを探し回ることになりましたからね」
風間は少し意地悪そうに言いながら、清志郎の包帯を丁寧に解いていく。
「新太にも叱られました。ご迷惑をお掛けして、面目もございません」
申し訳なさそうに答える清志郎に、風間は今度は穏やかに訊ねる。
「何かありましたか?」
「いえ、寝付けなかっただけなのです。体もだいぶ鈍りましたし、散歩でもしようかと。軽く考えて外に出てしまい……浅はかでした」
「寝付けなかったのは、黒川様のご遺体をご覧になったからでは?」
包帯を解き終わった風間は顔を上げ、清志郎の目を見て問う。
一瞬、その視線に射抜かれそうになる。
そうだ――昨晩は澄への想いで眠れなかったが、一昨晩は黒川のせいで眠れなかった。
「そういうわけでは。黒川様のあのお姿には、本当に驚きましたが。先生、黒川様はあの後……」
「ええ、解剖してみましたが、やはり溺死以外に考えられませんね。ご遺体は……こう言ってはなんですが、なるべく見られる状態にして、臭いも薬でできるだけ抑えてお返ししました」
解いた包帯を捨てながら、風間は淡々と答える。
「ああなった原因は、お分かりになったのですか?」
「いえ、私には……。奉行所も、お手上げのようです。しかし……口止めをしても、噂というものは勝手に広まるものですね」
「噂?」
「ええ、妖か何かの祟りではないかと。町中、その噂で持ち切りですよ」
「そう……ですか……」
(澄さんは、どこまで掴んでいるんだろうか)
自分を殺すために、浪人を雇ったのは黒川だと澄は言っていた。
使用人か、誰かを雇って調べさせたのだろうが。
黒川の死因についても、もしかしたら知っているかもしれない。
「榊殿はどう思われますか?」
風間は、清志郎の腹の傷口の消毒をしながら、軽い口調で聞いてきた。
「俺は……祟りなど信じない質なので。もちろん原因に見当も付きませんが」
「おや、てっきり榊殿が呪いの儀式でも行ったのかと思っていましたよ」
消毒を終えた風間の眼鏡ごしの目が、怪しく光った。
「は、はぁ?」
風間の口から出るとは到底思えない突飛な発言に、清志郎は思わず声を裏返してしまった。
「なぜそんなことを……澄さんから聞いたのですか?俺を襲ったのが黒川様だったと」
清志郎の言葉を無視するかのように、風間は腹の傷口を観察しながら、わざとらしく言葉を吐く。
「これは驚いた。実に見事な治りようだ。まるで古傷のようではありませんか。私が今まで診た患者の中で、これほど回復の早い方はいませんでしたよ、榊殿。あなたは本当に人間ですか?」
「なっ!先程から一体何をおっしゃるのですか!」
最後の一言に、清志郎がたまらず声を上げると、風間は「まあ、まあ」と手で制し、にこやかな笑顔を向けてきた。
「冗談ですよ。今朝の仕返しです」
今朝の仕返し――分が悪くなり、清志郎は文句を言えなくなった。
代わりに、少し拗ねたように返す。
「先生も冗談なんておっしゃるんですね」
「嫌だな、どんな風に思われてたんです?私のこと」
「あ、いえ、お気を悪く なさらないでください。いつも冷静で真面目で、それに天才肌で、なんというか……」
「ふっ、私から言わせてもらえば、榊殿の方が冗談を言うような人には見えませんがね」
密かに気にしていることを突かれ、清志郎は心の中で毒づいた。
(そうだよ。俺は昔から冗談の一つも言えねぇ、つまらねぇ男だよ)
「痛みの方はいかがです?一人で散歩までして。歩いても痛まないのですか?」
「少し歩く程度なら平気です。長く歩いてるとじわじわきますが。あと、体を捻ったりするとまだ少し」
「そうですか、順調そうで何より。念のため、体の中の音を聴かせてもらいましょう」
「体の中の音?」
「ええ、これで」
風間は机の引き出しから、奇妙な器具を取り出した。
清志郎がは、もちろん見た事はない。
「“聴診器”といいましてね、これで榊殿の心臓や肺、お腹の音などを聴くことができるんですよ。その音で正常に動いているかどうか判断できるというわけです」
「へえ……驚きました。それで聴けるんですか……」
「長く使っていたのが壊れてしまって、やっと新しいのが届いたんですよ。そこらに売っている物ではないから、手に入れるのが困難で。医療器具は大体そうなんですが」
風間はその器具の両端を耳へ差し込むと、反対側の先端についている金属部分の丸い箇所を清志郎に向けてきた。
「じゃあ、聞かせてもらいましょうか。痛くはないから心配しないで。では失礼」
集音部が肌に触れた瞬間、清志郎は不意の冷たさに肩を震わせた。
「っ!……冷たい!」
「すぐ慣れますから。固くならないで。体の力を抜いて、呼吸は自然に」
「は、はい……」
(一体どんな音が聞こえるんだ?)
聴診器の集音部が、清志郎の胸、脇腹、そして腹部へと静かに移動していく。
触れるたびに、音を拾うための静寂が部屋に広がり――清志郎は、自分の鼓動までが風間に読まれているような気がして、落ち着かなかった。
「次に、少しだけ息を止めていただけますか?」
「え?あ、はい」
清志郎は、風間の言うとおりに息を止めた。
風間はしばらく耳を傾け、やがて静かに手を離した。
「はい、もう息をしていただいて結構ですよ。……腹部大動脈の音、異常は見られません。腸の動きも、安定しています。これなら予定より早く退院できそうですよ」
「あの、いつ頃できそうですか?なるべく早く退院したいのですが……」
清志郎が切実に訴えると、風間は不思議そうな顔をした。
「何か、急ぐ理由でも?入院費のことなら、心配ないとお伝えしたはずですが」
清志郎はあくまで、道善のことだけを理由に話を進める。
「実は俺の師範が、心臓を病んでおりまして……。医者に余命いくばくもないと言われているのです。なぜか死にたがっている節もあり、食事もろくに取らず、一週間ほど前に、持って一月と……」
清志郎の口から「師範の病」の話が出たとき、風間はほんのわずか、頬の筋肉が引きつるのを感じた。
「それは……ご心配ですね。さすがに明日というわけにはいかないが……でも、そうですね、この回復の早さからすれば、籠でも用意すれば明後日にでもいけるかな。あとは自宅療養ということで、薬の服用や消毒を引き続きご自宅でしていただければ」
「いえ、籠などは……自分の足で、歩いて帰ります。ゆっくり休憩しながらなら大丈夫ですから。それから先生、実はもう一つご相談が……」
相談内容は、すでに予想がついている。
己の感情を仮面でひた隠しにし、風間は医者としての顔を貫き通す。
「ご相談、ですか。なんでしょう?」
そんな風間の思惑に、清志郎は気づかない。
道善のことで、頭がいっぱいなのだ。
(俺の治療費で三両もかかったんだ。師範の治療となれば、もっと高額かもしれない……。それに、そもそも引き受けてくれるかどうかもわからない。だが、諦めるわけには……)
清志郎は意を決して、風間に頼み込んだ。
「先ほど申し上げた、俺の師範のことなのですが……診ていただけませんか?風間先生なら治せるのでは?師範は俺にとって、ただの剣術の師範というだけではないのです!死んだ両親に代わって育ててくれた恩人なのです。このまま何もできずに、ただ死んでいくのを見ているだけなど……俺には……耐えがたい!」
それは風間にとって、狙っていた獲物が自ら罠にかかってくれたような――そんな瞬間だった。




