第十章 命の価(第二話)
命に、値段がつくとしたら。
それが高いか安いかは、生き延びた者にしか分からない。
目覚めた清志郎に告げられたのは、三両という数字。
清志郎には、それが重いのか軽いのかすら、判断がつかなかった。
新太に呼ばれた風間に、やれやれといった様子で肩を貸され、清志郎は診察室へと連れて行かれた。
その部屋は、和洋が混じり合ったような不思議な空間だった。
薬草や薬瓶が並ぶ棚の隣に、見慣れない金属の医療器具や、異国の文字で書かれた分厚い書物が並んでいる。
清志郎は、初めて目にする部屋の光景に息をのんだ。
風間はベッドに清志郎を腰掛けさせながら、驚きと呆れが混じった声で言った。
「まさか、この短期間で一人で歩き回れるほど回復するとはね」
「……お手数をおかけし、申し訳ありません。まだ頭が混乱しておりまして……。澄さんから先生の医療は最高峰のものだと伺いましたが、正直、夢のような話で……ここが現実だと信じきれなくて……」
「日本の医術は、まだ西洋に比べれば遅れていますからね。信じられないのも無理はない。ですが、ご安心を。ここは現実ですよ」
ポン、と清志郎の肩に手を置き、風間はわずかに口元を緩めた。
初めて見る彼の穏やかな表情と、肩に置かれた手の温もりに、清志郎はなぜかひどく安堵した。
風間は清志郎の額に手を当て、熱を確かめる。
「うん、熱は完全に引いたようだ。では、診察しましょう。傷を確認したいので、上半身を見せてください」
清志郎は戸惑いつつも、言われた通りに浴衣をはだけた。
風間は古い包帯を丁寧に解き、傷跡を注意深く観察する。
「うん、すこぶる良好だ。傷も綺麗になってきている。まだ痛みますか?」
「動いたり、触れたりすれば……ですが、じっとしていれば問題ありません」
「そうですか、それはよかった。明日から粥くらいなら食べてもいいでしょう。体力を戻さないと」
風間はそう言うと、傷口を消毒して薬を塗り、新しい布を当てて手際よく包帯を巻いた。
肩も問題なしと診察を終え、最後に脈をとる風間に、清志郎は意を決して口を開いた。
「……あの、先生」
「はい?」
「……その、先生……こんな治療、いったいいくら……?」
「ああ、そのことですか。……ふふ、ご心配で?」
風間が意地悪く目を細めると、清志郎の視線は落ち着きなく宙を泳ぐ。
支払えるかどうか、不安でたまらないのがありありと見て取れた。
「まあ、安くはありませんよ」
「っ……!」
風間の眼鏡が光り、清志郎の全身がこわばった。
「ご心配なく。治療費はすでに前払いで頂いていますから」
「……は?」
「君が運び込まれた夜、澄さんがおっしゃいましたよ。『必要な分はこちらで持ちます』と」
「え、澄さんが……?なぜ、見ず知らずの俺の治療費を……?」
「おや?君と彼女は、知り合いではなかったのですか?」
風間は椅子に深く座り直し、眼鏡を押し上げながらじろりと清志郎を見た。
「彼女は今日まで付きっきりで君を看病していましたし、私はてっきり……二人は深い仲なのだと」
「ち、違います!滅相もございません!澄さんとはお会いしたこともなく、何の関係も……!」
「……ほう。それはどういうことですかな?」
「むしろ、こちらが伺いたいくらいです……」
二人の間に、しばし沈黙が流れる。
先に口を開いたのは風間だった。
「以前、あるお方を助けたことがありましてね。それ以来、私の医院に多大な支援を頂いているのです。澄さんも、人助けの精神が篤い方なのでしょう」
清志郎は言葉を失った。
(人助け……?ただそれだけの理由で、得体の知れない俺を……?)
「ふふ……まあ、悪い気はしないでしょう?命の恩人が、あれほどの美人なのですから」
風間のからかうような言葉に、清志郎は視線をそらし、うつむいた。
その頬は、かすかに赤く染まっていた。
「おっと、そうだ。肝心の君のことを聞いていませんでしたね。私としたことが……」
弾かれたように清志郎は顔をあげた。
「これは失礼いたしました!私は榊清志郎。千凪村の剣術道場で師範代を務めております!」
「千凪村ですか。ここから歩いて半刻もかからない。近いですね」
「ですが、先生の医院のことは、これまで全く存じ上げませんでした」
「ここは少し、隠れ家のようにしておきたくてね。私は研究に専念したい。ですから、紹介状のない患者は基本的にお断りしているのです。本来なら君のような飛び込みの患者は受け入れませんが、あのお方のご息女直々のお願いとあっては、無下にもできず……お気を悪くされましたかな?」
(要は、金持ちしか診ないということか……。ということは、俺の治療費は……もしかしなくても、とんでもない額なのでは……!?)
「いえ、滅相も……。あの、澄さんが支払われたという治療費は……」
「前金で三両。追加分はまた後日、という取り決めです」
「さ……三両!?三両も……!?そ、そんな大金、俺にはとても返せません……!」
「返さずともよいのでは?彼女が好意でしたことでしょう。素直に甘えておけばよろしい」
「……」
「私としては、これでも安くしたつもりですがね。三両で命が助かったんですよ。……榊殿、三両で命が買えるなんて、安いものだと思いませんか?」
(……そうか、俺の命は三両か……あの俺に斬られた奴らも、いくらで雇われたんだろうな)
そのとき、戸の向こうから足音が近づいてきた。
清志郎が反応する間もなく、戸が開き新太が盆を持って診察室に入ってきた。
「先生。こいつの薬、できました」
「ああ、ご苦労。さあ、榊殿。これを飲んでお休みください。部屋まで送りましょう」
(命の値段か……考えたこともなかったな)
渡された薬を口に含むと、舌にまとまりつくような、強い苦味が広がった。
それは初めて、自分の命に値段がついたことを知った舌には、忘れられない味だった。




