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澄斬姫 ―神殺しの男に背負わされた、復讐の妖刀―  作者: 白杜深月
第一部

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第八章 応報の紋様(第二話)

戻ってきた女は、にこやかに湯のみを差し出した。

初対面のはずなのに、まるで昔からの知り合いのように自然な仕草だ。

清志郎は、思わず視線をそらす。

優しくされるほど、かえって戸惑いが募っていく。

湯気の向こうで微笑むその顔が、美しい分だけ、胸の奥をざわつかせた。

ほどなくして、湯気の立ちのぼる湯のみを盆に載せ、女が戻ってきた。

彼女は枕元の小さな台に盆を置くと、湯のみを手に取り、ベッドの縁に腰掛けた。

そして、身を起こしたまま静かに待っていた清志郎へと、そっと差し出す。


「熱すぎないようにしましたけど、胃が驚いてしまうといけませんから、ゆっくり少しずつお飲みくださいね」

 

「……何から何まで、本当に、かたじけない」


清志郎は差し出された湯のみにゆっくりと手を伸ばした。

しかし、衰弱した腕は思った以上に言うことを聞かず、指先が震えて湯のみを落としそうになる。


「っと!も、申し訳ない!湯はかかりませんでしたか?」


慌てて身を引く清志郎に、女は穏やかに微笑むだけだった。


「私は平気です。それより、私こそ無理をさせてしまって……」


女は、清志郎から半ば強引に湯のみを取り上げると、迷いなく彼の背中に手を添え、湯のみを唇へと運んだ。

唇に触れた湯のみの縁は、じんわりとした温もりを帯びている。

白湯の熱が喉を通り、静かに胃の奥へと染み渡っていく。

それはまるで、止まっていた心臓に再び血が巡り始めたかのような――そんな錯覚を覚える瞬間だった。


「どうです?もう少し飲めそうですか?」


「はい……とても美味しい、です」


「それは良かった」


「あ、あの……でも、自分で飲みますから……」


「すぐ遠慮なさるのね。……それとも、私が疎ましいのですか?」


清志郎は思ってもみなかった女の言葉に狼狽し、慌てて否定の言葉を返す。


「そ、そんなことあるわけっ!ただ、初めてお会いする方に、ここまでしていただく理由が……」


「もしかして、余計なお世話でしたでしょうか……?」


俯いてしまった彼女を前にして、清志郎は良心の呵責に胸が軋むようだった。

自分が取り返しのつかない過ちを犯してしまったような罪悪感が、ずしりと重くのしかかる。


(き、傷つけちまった!何やってんだ俺はっ!この人の善意を突っぱねてばかりで台無しにしちまったんだ。で、でもよ……こういうの、慣れてねぇんだよ!紗凪とだって、俺は……やっとの思いで……)


この沈黙と彼女の誤解を解くために、どうにかしなければと必死に考えた。

しかし、熱に浮かされた頭はまるで働いてくれない。

もうこれ以上は無理だ――清志郎は覚悟を決めて、自分の本心を口にすることにした。

ただし、視線は真下に落とし、彼女の顔を見ることなく……。

 

「め、面目ない!その……正直に申し上げると、あ、あなたのように美しい……方に……ふ、触れられることに慣れていなくて……つ、つい緊張してしまうというか……それで……」


彼女はどんな顔をしているだろう。

もし泣いていたら、自分はもう、お手上げだ。


「……わかって、いただけないだろうか?」


思い切って顔を上げた清志郎の目に映ったのは、口元に手を当て、必死に笑いを堪えている愛らしい顔だった。

それは「綺麗」というより「可憐」という言葉がしっくりくる表情で、その瞬間、清志郎の心の奥に、ぽっと温かい灯火がともったような気がした。



 

清志郎は湯のみの白湯を飲み干すと、目覚めてからずっと気になっていたことを女に尋ねた。

 

「俺の名は榊、榊清志郎です。助けてくださったのは、あなたですか?」


「ええ、まぁ。正直、あのときはもう手遅れかと思いましたが……本当に良かった」


(俺が倒れていた場所は、山道からかなり奥の林の中だったはずだ……日もすっかり暮れかけていたのに、よく見つけてもらえたものだ)


「あ、申し遅れました。私は澄(すみ)と申します。供の者と山道を歩いていたところ、あの惨状を目にしまして……。供の者が幸いにも、あなたを見つけたのです。それで、急いで風間先生のところへ」


(供の者……もしかして、相当いいお家柄のご息女だったりするのか?)


「あの、風間先生というのは、さっき俺を診てくださった方ですよね?……一体どうやって俺の腹を?」


「おっしゃりたいことはわかりますわ。通常の医療では到底無理なこと。でも、風間先生は特別なのです」


「特別?」


「はい、蘭学医療はもちろん、彼自身の研究による独自の医療技術も取り入れた、最高峰の医療技術をお持ちですの」

 

「……」


「とても、信じられないといったお顔ですわね。私も初めはそうでした。実際にあの方の奇跡を目にするまでは」


「た、確か、俺、三日間眠ってたって……たったの三日でこの状態に?」


「ええ。あの方は、天才ですから」


「……」


澄の言葉は理路整然としているが、清志郎には到底信じられなかった。

まるで荒唐無稽なおとぎ話だ。

しかし、己の身体に起きていることが、何よりの証拠でもある。

命が繋がっているのは喜ばしいはずなのに、理解が追いつかず、胸の内に焦燥だけが広がっていく。


(いくら腕利きの医者だからって、そんな馬鹿げたことが……)


その疑問を口にしかけたとき、彼女の指先がそっと彼の額に触れた。


「また熱が上がってきたようね。……さあ、もうお休みなさい」


その声は囁きではなかった。

有無を言わさぬ、静かな命令の響きがあった。

何かが違う。

彼女は美しく、心優しい。

それなのに、なぜだろう。

背筋に氷を当てられたような悪寒が走った。

彼女に促されるまま、清志郎はなすすべもなく横たわる。

抗えない眠気が意識を沈めていき、やがて浅い寝息が漏れ始めた。



 

澄の手が再び清志郎の額へと伸び、汗で湿った前髪をそっとかき上げた。

その瞬間、澄の瞳が血のように赤く、妖しく輝いた。


(ここにはない――だとすれば……)


掛布団の奥へそっと手を伸ばし、清志郎の浴衣をわずかにめくる。

澄の指が一瞬止まり、息を詰めた。


(やはり!ついに見つけた!)


清志郎の心臓部――人には見えないものが、澄の赤い瞳には鮮明に映る。

肌のすぐ下で燻るように蠢く古びた紋様。

それは血管でも傷痕でもなく、文字でも呪符でもない、不定形の――“印”。

澄がそっと指先で触れた瞬間、心臓の鼓動が突如として激しく高鳴った。


(……間違いない。ほぼ死んだあなたをこちらへ呼び戻すのには、私でも苦労したわよ。でも、それで正解だった。だからこそ今、ここに見えている。わかる?清志郎。あなたが冥府の門を越えたことで、あなたの前世が門から漏れ出たのよ。それが、この印となって現れた!)


澄にとって、これは賭けだった。

清志郎が襲われたとき、助けるか静観するか迷った。

いくら澄でも、彼が首でも刎ねられれば、さすがに呼び戻すことはできない。


「それにしても、あの愚か者……頼みもしないのに、上出来な働きをしてくれたわね。あとで褒美でもあげないと。……ふふっ、あはは」


自分から能動的に動かねば真相には辿り着けぬと踏んでいた澄にとって、この偶然はまさに願ってもない幸運。

運命のいたずらに、思わず笑い声が漏れた。


「ねぇ、清志郎?こんな印をつけられるなんて……あなた、一体どんな大罪を犯したの?思い出せない? なら、私が教えてあげましょうか?」


澄は氷のように冷たい視線で清志郎をじっと見据え、ふっと薄く微笑んだ。

清志郎の胸元で蠢く紋様を、指先で円を描くようになぞるその仕草には、獲物を慈しむような微妙で複雑な感情が滲み出ているようだった。

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