第七章 奇跡と謎(第二話)
龍之介と門下生たちは、行方の知れぬ清志郎を捜し求め、依然として暗い山道を歩き続けていた。
「見つかりませんね」
「うむ」
山道に入ってから、四半刻以上は経ったはずだ。にもかかわらず、手掛かりが一向に見つからない。意気消沈した門下生たちの間では、次第に会話も途絶えていった。
「ワンワンッ!」
「こ、こらぁー、待てよぉー! 主人を置いていく奴があるかぁ!」
「犬? なんじゃ?」
後方が急に騒がしくなり、一同は一斉に振り返った。
「あっ、あれ……ゴンじゃないか?」
「おう、そうだな。田辺のところのゴンだ」
「どうした? ついに、あの家が嫌になって抜け出したのか?」
門下生たちは、突然駆けてきた犬を知っているようだ。門下生の一人がおいでとばかりに手を広げると、ゴンと呼ばれた犬は、勢いよく彼の胸に飛び込んできた。ゴンを抱きとめた門下生は、その勢いに少しふらつきながらも、笑顔を見せた。
「うおっととと……相変わらずだなぁ、ゴン」
ゴンは尻尾を振り、門下生の顔をぺろぺろと舐め回した。茶色い毛並みをした、小柄な犬だった。
「よく懐いておるのう」
龍之介がそう言うと、門下生たちは苦笑いし、首を振った。
「こいつは誰にでもこうなんですよ」
「そうそう。番犬になんかなりゃしない」
さっきまで沈んでいた門下生たちの表情が、ぱっと明るくなった。
「田辺! お前の家は、道場の近所じゃないだろ? よく来たな」
犬を追いかけ、息も絶え絶えになって走ってきたのは、田辺という男だった。
「さ、榊……先生が、行方知れずと聞けば……家でじっとしているなんて……できないさ」
田辺は、ふらつきながらも、皆に合流した。
「ゴンまで連れてくるとはな」
「はぁはぁ……ゴンも……一応、犬だからな。犬は人より……鼻が利くだろ。何か……役に立つかもしれないと……思ってな……」
「ははっ、忘れていた。ゴンは犬だったな!」
「犬じゃなきゃ、何なんだよ」
一同から、「わはは」と軽い笑いが漏れた。
「あ、高坂殿、ご紹介します。こちらは、私たち同様、剣嶺館の門下生の田辺伊助でございます。田辺、こちらは朝比奈道場から榊先生を探しに来られた高坂龍之介殿だ」
「田辺伊助と申します。榊先生には恩がありまする故、急いで馳せ参じた次第です」
「恩?」
「はい。榊先生には――」
「田辺、その話は歩きながらにしよう。今は急ごう」
「そ、そうだな」
「ゴン。お主もしっかり頼むぞ」
龍之介がゴンの頭を撫でると、言葉が通じたかのように「ワン!」と吠えた。ゴンは龍之介の匂いを嗅ぐと、初対面にもかかわらず、嬉しそうに尻尾を振った。
「実は先日、黒川様との稽古で……」
田辺は龍之介と肩を並べながら、先日の剣嶺館での一件を話し始めた。
「……という訳で、こっぴどく打ち据えられていたところを、榊先生が止めて下さいまして。黒川様のご機嫌を損ねれば、剣嶺館を辞めさせられるかもしれないのに」
「ほう、そのようなことが。あいつらしいのう」
「高坂殿は榊先生とは、長いお付き合いなのですか?」
「いや、先日、知りおうたばかりじゃ」
「え? そうなのですか?」
田辺と他の門下生たちは、意外そうな顔をした。龍之介は目を細めて言った。
「……自分でも不思議に思うておる。清志郎とは、ずっと昔から互いを知り尽くしておったような気がするのじゃ」
「へぇ。高坂殿と榊先生は、余程、気が……っとと、どうした? ゴン?」
それまで、散歩をするかのようにご機嫌で歩いていたゴンが、突然立ち止まった。
「おい、ゴン?」
ウウゥ~っと、ゴンは珍しく警戒した様子を見せた。
◇
気づけば、洞窟の中のようなところに立っていた。
(ぅん? ……どこだここ? 俺は、何故こんなところに? 暗いな。よく周りが見えねぇ)
そこは異常なほど静かだった。何の音もしないということが、清志郎にはかえって気味悪く感じられた。ここに来る前のことを思い出そうとするが、頭がよく回らず、思い出せない。
「清志郎!」
誰かが自分のことを呼んでいる。女の声だ。
「清志郎! こっちだ」
また、呼ばれた。今度は男の声だ。
(え⁉ そんな、まさか!)
清志郎は声のする方を振り向いた。そこにはいつの間にか、光を背にして、懐かしい人影が佇んでいた。
「清志郎、会いたかったわ。さぁ、早くおいでなさい。私の可愛い坊や」
「は、母上……?」
清志郎は光の差す方へ、懐かしい声のする方へと、吸い寄せられるように歩いていく。人影に近づくにつれ、ぼやけた輪郭が鮮明になっていく。
(そ、そうだ。もう俺の記憶の中では、曖昧になっていたけど、父上と母上は、確かこんなお顔とお声だった。間違いない! あそこにいるのは、俺の両親だ!)
清志郎は、両親の元へ駆け出した。
「父上! 母上!」
母が清志郎を力一杯、抱きしめんとばかりに、腕を広げて待っている。清志郎は、幼い子供の頃のように、その腕の中に飛び込んだ。母の温もりが伝わってくる。いつも欲しくて仕方のなかった温もりが。だが、その温もりに長く浸ることはできなかった。
「だめよ。まだ、渡せないわ」
「――っ!」
若い女の声が響くと同時に、見えない強い力によって、清志郎は母と引き離された。
「清志郎!」
「母上ぇーっ! だ、誰だ! せっかく……会えたってのにっ! 邪魔するんじゃねぇ!」
「邪魔するなとは、また随分な言い草ね。この無礼者が! お前は、そちらへ行きたいの?」
「え?」
背後からの声に振り向くと、そこには天女の如く美しい若い女がいた。清志郎は思わず、硬直する。
「行くわよ。走って! 決して後ろを振り返らないで!」
女は清志郎の手を取ると、そのか細い腕からは想像もできない強い力で、清志郎を引っ張る。清志郎は彼女に抗うことができず、一緒に走るしかなかった。
「待ってくれ! あんた誰だよ? 何故、両親から引き離すんだ! 俺が……俺がどれだけ、父上と母上に会いたかったか……」
「清志郎! 母をおいて、どこへ行くの? 待っておくれ」
背後から、悲痛な母の叫びが聞こえる。
「母上!」
清志郎は女の言うことも忘れ、後ろを振り返ろうとした。その瞬間、女に腕をぐいっと引っ張られ、清志郎の体は宙を舞う。
「へっ?」
前方へ大きく投げ飛ばされ、そのまま地面に叩きつけられた。すぐさま、女は追い付き清志郎の足元に立つ。
「いぃ、痛ってぇー。何すんだよ! この糞力! あんた女じゃないだろ!」
「なっ、何ですって! お前という男はっ! ……くっ」
女は一瞬、怒りを露わにしたが、言い争っている場合ではないと判断したのか、額に手をやり堪えた。
「さっき、振り向かないでって言ったでしょう。彼らに捕まったら、もう戻れないのよ」
「戻れ、ない?」
戻れないという女の言葉に、清志郎は初めて自分が今、ここにいることへの違和感を感じた。
「しっかりしなさい! あれは、お前の両親などではないわ!」
(両親じゃ……ない? 俺の……俺の両親は……父上と母上は……俺が幼い頃に……)
死んだ――。
(あ……)
「待ちなさぁぁい……」
「清志郎ぉ……父と母を捨てて、どこへ行くぅ……」
「追ってきたわ。ほら、早く立って!」
女が手を差し出す。
違和感の正体に気づいた清志郎には、もうそれが両親の声とは思えなかった。人とは思えぬ、おどろおどろしい声を発しながら、両親に化けていた者が迫ってくる。
清志郎は混乱しつつも、女の手を取り、無我夢中で走った。
「待たぬか……それは我々の獲物ぞ」
「悪いけど、この男は渡せないの」
「ならぬ。すでに門を越えた者ぞ。誰であれ、理に逆らうことは許されぬ」
「わかっている。埋め合わせはするわ」
「例外は許さぬ」
「融通が利かないわね」
女と両親に化けていた者たちは、何やら問答しているが、折り合いがつかないようだ。
清志郎の知らぬうちに、女は札を手にしていた。
「玲牙、白羅、来なさい! 少しでいい、足止めして」
女の手から二枚の札が離れ、闇の中へと飛んでいった。と同時に、背後から二人の男の声がした。
「はっ、お任せください!」
清志郎は背後が気になったが、振り返りたい衝動を必死に抑え込んだ。背後から迫っていた気配が、遠ざかっていく。
「来た! 姫様たちだわ!」
「姫様、結界は整っております! 早くこちらへ!」
淡く光る壁が現れた。壁の向こう側に、少女と若い女がいる。
(結界? こいつら呪術師かなんかか? いや、でも、姫様って……?)
女と清志郎は、その光る壁を跨ぎ、ようやく足を止めた。清志郎から女の手が離れた。
息を切らした清志郎は、気が抜けたように、その場にへたり込んだ。
「間一髪でございましたよ、姫様。私は、寿命が縮まりました」
「心配したのよ、姫様! もっと、早く玲牙と白羅を召喚すればよかったのに」
二人の女たちが、姫と呼ばれる女に駆け寄る。
「大げさね、大丈夫よ」
「姫様、お疲れでございましょう。結界は私どもで維持します故、どうぞお休みください」
「ありがとう。そうさせてもらうわ」
女は頷くと、ようやく清志郎に向き直った。
「ひ、姫……様? あの……ですね。今、どういう状況……なのでしょうか?」
女は軽く微笑むと、へたり込んだ清志郎に屈んで視線を合わせた。
「知りたい?」
「それは……もちろん」
改めて女の顔を近くで見て、清志郎はその美しさに見とれた。しかし、あの腕力……どこかで会ったような気がするが、気のせいだろう。
「知らなくていいのよ。全部、忘れなさい」
女がそう言って、清志郎の額に人差し指を当てた途端、彼は急激な睡魔に襲われ、深い眠りについた。
「玲牙、白羅、もういいわ。戻ってらっしゃい」
女が命じると、二人の男たちは瞬時に消え、結界内に再びその姿を現した。
「皆、後をお願い。私は、この男の命を体に戻してくるわ」
「姫様、お一人で?」
「ええ。それが済んだら、あちらからあの者たちを説得してみる。それまで結界を保っていてちょうだい」
澄斬姫は、光壁の向こうへ視線を向けた。
「あの者たちはしつこいわ。数も増えるかもしれない。用心なさい」
「承知いたしました。姫様」
女は眠りこけた清志郎の元へ行き、しゃがんで彼の肩に触れた。
「さぁ、戻るわよ、清志郎。ついてきなさい」
女と清志郎は、ふっと結界内から、その姿を消した。
◇
薄暗い空間の中、一箇所だけ淡い光が漏れ出している場所がある。先刻、清志郎が母に化けた者と抱擁を交わした場所だ。
そこは、現世と冥府の境――冥府の門。
門から新たに、死の気配を纏った異形の者たちが現れる。その様子を、気配を消して見つめる青年がいた。
「いやぁ、驚いたな。気になって来てみたが、さすが姉上だ。まさか、片足を冥府に突っ込んだ男を、力ずくで奪還なさるとは。なかなか大胆なことをなさる」
青年は、あごに手をやり、愉快そうに笑みを漏らした。
ところが、門の奥に、ひとつの人影が浮かび上がったとき、彼の視線はその人影に釘付けになった。
「え⁉ まさか……」
その人影は事態を把握できないのか、辺りを見回していたが、その存在に気付いた冥府の門番たちに取り押さえられた。
「こいつ、どこから湧いてきたんだ!」
「おい、とりあえず、早く門を閉めろ! 出られたら大変だぞ」
(見間違うはずがない! あれは……今のは、清守だ! ……ということは、姉上が連れ去った男は……清守の今世⁉)
閉まる門に向かって、真相を知った青年は慌てて駆け出した。
「ま、待って! 待ってくれ! ずっと……ずっと探してたんだ! 清守ぃー!」
青年の声は届かず、無情にも門は閉められた。青年はしばらくそこに、じっと立ちすくんでいたが、意を決したように、門とは反対の方へ向かって歩き出した。
「行って確かめるんだ。姉上が連れ去った、あの男の元へ」
《2026/10/06 第一回修正》
前章と同じく、結局大幅改稿することになり、二話では収まらなくなってしまいました。
次回は、七章三話です。また一時的に、連載中に戻します。
でないと、話を追加できない仕様のようなので。すみません。
まさか、ここで清志郎の臨死体験まで書くことになるとは。
でも、早いうちから、澄斬姫や彼女の眷属を活躍させることができ、結果、よかったなと思っております。
最後なんて、蒼耀まで出しちゃった(;^ω^)




