第三十七章 選択の代償(第三話)
一方、澄斬姫の神殿では、彼女の行動が理解できず、眷属たちは困惑していた。
「姫様、何故ご自身で出向かれてまで、あの娘をお救いになったのですか?」
「紗世なんて助けて、どうなるの?」
しばらく堪えていた白羅と燕羽が、我慢できなくなったのか、立て続けに澄斬姫へ問いを投げかけた。
巳山は無表情のまま、黙って成り行きを見ていた。
雪音だけが、澄斬姫の心中を察しているのか、心配そうにその表情を窺っている。
神殿に戻ってから沈黙を貫いていた澄斬姫は、眷属たちの疑問も尤もだと思ったのか、ようやく重い口を開いた。
「ごめんなさい。あなたたちには、話してなかったわね。ある意味、私と紗世は同じ立場なのよ」
「えっ!」
「ど、どういうことですか、姫様!」
燕羽と白羅は、思いもよらぬ澄斬姫の返答に驚きの声を上げた。
「紗世に情けをかけた……そうかもしれない。けれど、それは紗世が……紗世が、あの方の妹だからよ」
澄斬姫の顔には、過去の悲しみが滲んでいた。
眷属たちは息を呑み、主の次の言葉を待つ。
「――はっ!」
突然、澄斬姫が弾かれたように顔を上げた。
「姫様! どうなさいました?」
「清志郎に……この気配は、蒼耀!」
「えっ!」
「蒼耀様!」
「間違いないわ。蒼耀が清志郎に接触した。この機は逃したくない。行くわ!」
「姫様、我々も!」
澄斬姫と眷属たちは、蒼耀の真意を聞き出すべく、急ぎ彼のもとへ向かうこととなった。
◇
「清守……清守……」
(この声は、蒼耀様……俺を探していらっしゃるのか? あれ? 俺、なに呑気に寝てるんだ。いつ寝てしまったんだ。早く行かなくては。すぐ拗ねるんだよ、あの方は)
急いで起き上がろうとした。
だが、地を踏んでいる感覚がまったくない。
まるで身体が浮いているようだ。
(……ど、どうなってる?)
周囲を見渡すと、真っ白で何もない世界が広がっている。
(神殿内じゃない! ど、どこだよ、ここ?)
「清守、目覚めたかい? 心配しなくていい。ここは、邪魔が入らないように私が作り出した空間だ」
声を辿ると、蒼耀がいた。
いや、正確には、出現した。
先程、あらゆる方角を確かめたはずなのだから。
「蒼耀様。邪魔って……一体どうなされたのです? いつものように、貴方様のお部屋で話せばよいだけではありませんか」
当たり前のことを言っただけなのに、蒼耀は整った、それでいてどこかあどけなさの残る綺麗な顔を綻ばせた。
「清守……! やはり、お前は私の清守だ」
蒼耀は近づくなり、清守を抱きしめた。
「おっと! 急に何です? もう、子供ではないのですから」
今日の蒼耀はどうしたのだろう。
まるで子供の頃に戻ったようだ。
(やれやれ。可哀想だと思い、子供の頃に少し甘やかしすぎたか。しかし、これは酷いな。最近は神としての威厳を見せて、しっかりなさったと思っていたのに……)
「再び、お前に会えて嬉しいのだよ、清守」
「おかしな事を仰る。私がいつ、貴方様のお傍を離れましたか?」
「……」
蒼耀は答えない。
背中に回された手に力がこもる。
着物をぎゅっと掴むその両手が、ふるふると震えているのが伝わってきた。
(……本当なのか!)
「そ、蒼耀様。私は……貴方様のお傍を離れていたのですか?」
「……ああ。ずっと、探してたんだぞ」
(探した? 蒼耀様が直々に? まさか俺は……任務をしくじったのか! そして、危ういところを蒼耀様に助けられた? ああ、それで……)
蒼耀の行動に呆れていた自分が、ひどく馬鹿に思えた。
(なんてこった。俺が、蒼耀様にこんな真似をさせたんじゃないか……)
情けなさで胸が締め付けられる。
これだから人間は――と陰口を叩かれても、今度は言い返せないではないか。
いや、それよりも、神の眷属として生きていけるよう育て、鍛えて下さったあの姫様の名を汚してしまう。
それだけは耐えられない。
「申し訳ございません、蒼耀様。何とお詫びすればよいか……どうか、お許しを」
「いいんだ、怒ってないと言っただろう? だから、思い出してごらん、清守」
「蒼耀様……」
思い出す――それは任務のことに違いない。
もしや怪我でもして、長いこと眠っていたのだろうか。
早く思い出さなければと必死に記憶を辿るが、頭に靄がかかったようで、何も掴めない。
(ど、どうしたんだ俺……何も覚えてないぞ。何も思い出せない……)
「清守……」
蒼耀は決して自分を責めてはいない。
それは、よくわかっている。
なのに何故だろう。
思い出そうとすればするほど、息苦しくなる。
身体を岩のように重くするこの嫌な感情は、どこから生まれてくるのだろう。
「あ……そ、蒼耀様。それが……」
「どうしたんだい? 清守」
「それが……記憶が……」
「記憶が、どうしたの?」
「な、何故だかわからないのですが……思い出せないのです……何も……」
「そうか。お前はきっと、罪悪感のあまり、記憶に錠をかけてしまったんだね」
罪悪感――その言葉を聞いた途端、この蒼耀と自分しかいない、真っ白で静まり返った空間に、自分の心臓の鼓動だけが異様に大きく鳴り響いた。
「あまり、手荒いことはしたくなかったんだが……」
蒼耀の身体が、静かに自分から離れていく。
「蒼耀様……っ!」
「お前が悪いんだよ、清守。お前は、誰が主かも忘れてしまったようだ」
これまで蒼耀は、自分に本気の怒りをぶつけたことなどなかった。
怒っているように見えても、実のところ、拗ねているだけだった。
初めて見る蒼耀の本気の怒りに、身が震えるのを感じた。
だが、臆するわけにはいかない。
蒼耀は何か、誤解をしている。
その誤解を解かなければならない。
「そんなわけっ! 私が貴方様を忘れるわけがっ! この清守が、蒼耀様以外に一体誰に仕えるというのです!」
「では何故だ!」
「えっ?」
「何故、姉上と一緒に私を殺した! 何故、姉上に魂を半分も握られた! それでも、私は大目に見てやったというのに……! なのにまた、勝手に姉上と契約し、あんな小娘のために命を捧げようとする! お前の中のどこに、私がいるというのだ!」
「――!」
(今、蒼耀様は、何と……何と仰ったんだ……俺は何を……した?)
――ナニヲ、シタ?……ダト?
(ま、待ってくれ! 今、思い出すから!)
――オマエノシタコトガ、ユルサレルトデモ?
(やめろ! それ以上言うな!)
――ゼッタイニ、ユルサレナイ。ユルサレテハ、ナラナイ!
(……う、煩いんだよ! 少し、黙ってくれよ! わけがわからなくなるだろ!)
どくどくと、胸を食い破りそうな心臓の鼓動が、音だけではなく痛みを伴い始める。
思わず左胸に手をやった。
着物越しでもわかるほど、心臓が熱を持ち、暴走しかけている。
「うぅっ……」
痛みが心臓を貫き、堪らず声が漏れた。
「大丈夫かい? 辛そうだね、清守」
「蒼耀っ、様っ……」
「まずは、一番大事なところから思い出してもらおうか。せっかく夢で、私が覚えている範囲は思い出させてあげたのに。まぁ、いい。今から全てが、白日の下に晒されるだろうからね」
先程から、蒼耀との会話に違和感を覚えていた。
会話は成立しているようで、どこか噛み合っていない。
恐らくそれは、逃げ出したくなるような記憶を、自ら封じてしまったからだ。
「清守、お前自身の身体に聞いてみるといい。きっと教えてくれるよ」
蒼耀の手が迫る。
抗う力は持ち合わせていない。
心臓を押さえていた手を引き剥がされ、着物を捲られる。
露わになった左胸に、蒼耀の指先が触れた。
「ほら、また私の目を貸してあげるから、よく見てごらん、清守。これが、お前が私を殺したという、何よりの証だよ」
「――!」
蒼耀の指先にあるもの――。
心臓の上で、黒い何かが絶えず形を変え、蠢いている。
自分の中に、何か別の生き物がいるような、おぞましさを覚えた。
「こ、これは……!」
「これが、人間であるお前が、神である私を葬った罪――その証として、天が刻んだ印だ」
蒼耀の言葉が、胸を抉るように食い込む。
「……あっ……そ、そんな……本当に私が殺した……蒼耀様を……」
「ああ、そうだ! これが、神殺しの大罪人の印だ! 清守!」




