第三十七章 選択の代償(第四話)
「う、嘘だっ……そんなわけ……何かの間違いです!」
首を左右に振って否定するが、左胸の印がはっきりと真実を物語っている。
それでも、蒼耀を殺めた記憶はないのだ。
嘘だと信じたかった。
取り乱しながらも、縋るように、何かの間違いだと蒼耀に訴える。
「私が蒼耀様を手にかけるなど有り得ない! そんな……そんな恐ろしいこと……あろうはずがありません!」
すると、あれだけ怒っていた蒼耀が一転、悲しい顔で見つめてきた。
「哀れだな、清守。いくら偽ろうとしたところで、その印がある限り、お前の言うことを信じる者などいないのだよ」
蒼耀の瞳は、漆黒に輝いている。
あまりに美しく、見とれてしまいそうになるが、同時に魂ごと吸い込まれそうな恐怖を宿していた。
一度目を逸らせば、もう戻れない気がした。
「蒼耀様は、私が偽っていると?」
初めて知った。
信頼を失うということが、これ程までに辛いことなのだと。
「その胸に刻まれた神殺しの印を見てもなお、認めたくないとは……」
印は蒼耀の感情に反応しているのか、益々濃くなり、蠢く速度も上がってきた。
蒼耀の手が心臓から上ってきて、頬に触れる。
「私も随分と待った。もう限界だ。その限界を早めたのもお前だ」
底なしの悲しい瞳が、自分を捉えて離さない。
「さぁ、私を殺した理由を思い出してもらおうか」
蒼耀がそう言った瞬間、蒼耀の身体から突如として鮮血が噴き出し、返り血を浴びた。
一瞬、何が起こったのかわからなかった。
頬に触れていた蒼耀の手も、いつの間にか血に染まっていた。
血を吐きながら、信じられないものでも見たかのように、たどたどしく蒼耀が呟く。
『……どうして? あんなに、約束、したのに……』
「……」
時が止まったように思えた。
もしくは、逆行しているのかもしれない。
過去と未来を行ったり来たりしているようにも思えた。
とにかく、有り得ない光景が目の前に突きつけられている。
胃が捻じ切れるように痛く、吐き気がした。
(……なんだ……なんだ、これ……)
疑問で頭の中は一杯なのに、何故かこの光景に既視感を覚える。
この血まみれの蒼耀を、確かに何処かで見た。
『清守……信じて……たのに……』
グニャッ――と蒼耀の顔が歪む。
そして、
グシャッ――と何かが潰れる音がした。
目の前が真っ赤に染まり、赤以外の何も見えなくなった。
じきに、その赤さえも見えなくなった。
◇
「……ちゃん、紗世ちゃん!」
「――んっ……宗真……さん」
紗世は目覚めると、青ざめた宗真の腕の中にいた。
「気がついたかい。気を失って倒れていたから、びっくりしたよ。一体何があったんだ?」
「そ、それが……」
紗世はまだ混乱の中にいた。
意識がはっきりするにつれ、先程の出来事が蘇ってくるが、うまく言葉にならない。
そもそも現実離れしすぎていて、夢だったのかもしれないとさえ思える。
「駄目じゃ、やはり清志郎は居らんぞ。何処へ行ってしもうたんじゃ!」
龍之介の声に、紗世はハッとした。
(そうだったわ! 清ちゃんが!)
「宗真さん、龍之介さん、夢みたいな話だけど、信じて聞いて欲しいの! 清ちゃんがっ……」
泣き出しそうな紗世を宗真が宥める。
「落ち着いて、紗世ちゃん。大丈夫だから。ゆっくりでいい。何があったのか、教えてくれるかい?」
(そうよ。私がしっかりしなきゃ、清ちゃんが……)
紗世はコクコクと頷き、二人に話し始めた。
涙を堪えた彼女の瞳には、強い意志が宿っていた。
◇
「起きろ! いつまで寝ている!」
「――!」
いきなり顔面を殴られ、目から火花が散る。
だが、倒れない――倒れられない。
蒼耀といた白い空間と同じように、足の裏に地を踏む感覚がない。
違うのは、真っ暗で誰に殴られたのかもわからないということだ。
(な、なんだっ、急に……)
視界が暗転してからの状況が把握できない。
「だ、誰だ?」
「誰だ……だと? いい加減にしろ!」
「ぐっ!」
今度は鳩尾に強烈な一撃を打ち込まれた。
息ができなくなり、身体を丸める。
(……俺の……知ってる奴……なのか?)
「お前には、蒼耀様のご心中をお察しすることができないのかっ!」
相手は相当、怒っているようだ。
蒼耀の眷属のうちの誰かだろうか。
蒼耀と同じく、自分が蒼耀を殺したと思っているのかもしれない。
力任せに胸ぐらを掴まれる。
(このっ……待てよ! 俺だって、思い出せないなりに、何があったのか考えようとしてるんだよっ)
「……思い出せない? 思い出せないんじゃない! お前はっ……思い出そうなんて思っちゃいない! 僅かばかり思い出したことにさえ蓋をした!」
(こいつ! もしかして、俺の心が読めるのか?)
「何を驚いている。当たり前だろう。お前のことで、わからないことなどない」
(……嘘だ。惑わされるな。蒼耀様でさえ、俺の中には立ち入れない。いや、正確には立ち入る術を持つ神はいるが、その術を使うことは禁忌とされている筈だ。こいつの気配は神じゃない。人だ!)
「……そうだ。神でもない俺には、他者の心を覗くことなどできる筈もない。そういうことは、すぐに思い出すんだな。この卑怯者めが! 恥を知れ!」
「……言わせておけば!」
胸ぐらを掴んでいる手を振り払い、反撃に出る。
だが、思考を読んでいたかのように拳をかわされ、代わりに左胸に覚えのある痛みが走った。
「うぐっ! ……こ、れ……この、痛みは……いつも、お前が?」
見えなくてもわかる。
今、左胸では、あの紋様が――神殺しの印が激しく蠢いているはずだ。
「……」
「黙ってねぇで……何……とか……言えよっ!」
「……いい加減、俺を受け入れろ。己の罪を償え。――清志郎!」
「え……」
何故か、自分ではない男の名を呼ばれた。
「……清志郎? 違っ、俺は清守だ」
「違う! 俺が清守だ!」
「――!」
放たれた言葉に、清志郎は絶句した。




