第三十七章 選択の代償(第一話)
清志郎、龍之介、宗真の三人は、軽く夕飯を済ませた後、場所を変えるべく道場へ向かった。
紗世の前とは一転、握り飯を食べている間じゅう、清志郎はずっと表情を曇らせていた。
それは明らかに、紗世の回復を手放しで喜べない何かがあったことを物語っていた。
星はいつもと変わらず夜空に輝いているのに、三人のあいだには会話もなく、暗く重い空気だけが漂っていた。
やがて道場の床に腰を下ろし、最初に口を開いたのは宗真だった。
「清志郎。我々には本当のことを話してくれ。紗世ちゃんを救ったのは、お前の言う医者ではないのだろう」
「ああ。……澄斬姫だ」
「やはりな」
宗真は低く息を吐いた。
龍之介もまた、さほど驚いた様子はない。
二人とも、半ばそうではないかと思っていたのだろう。
「俺と龍之介で医者を呼びに部屋を出ようとした、そのときだ。俺と紗世以外の刻が止まり、澄斬姫が突然光の中から現れたんだ」
「どおりで、あそこからの記憶が抜けてるわけだ」
宗真は相槌を打ちながらも、清志郎の顔から目を離さなかった。
この沈みきった顔。
嫌な想像が、頭をよぎる。
「……しかし、澄斬姫が紗世ちゃんに慈悲をかけたとは思えない。何か取引きをしたのではないのか、清志郎」
「相変わらず鋭いな、宗真。俺がみなまで言わなくて助かるよ」
「一体、どのような取引きをしたのじゃ」
龍之介の問いに、清志郎はすぐには答えなかった。
膝の上に置いた手に力が入り、指先がわずかに震えている。
「……代償を、払えと。それで、紗世の命を助けると」
「そんなことだろうと思ったよ」
宗真の声が沈む。
「その代償とは何じゃ? まさか……お前自身の身体ではあるまいな!」
龍之介の問いは、思いのほか低かった。
普段の豪放さは影を潜め、その声にはただならぬ緊張が走っていた。
「……そっちの方が、まだよかったよ」
その一言で、道場の空気がさらに冷えた。
宗真が息を呑む。
龍之介の眉間にも、深い皺が刻まれた。
「清志郎」
龍之介に静かに呼びかけられても、清志郎は顔を上げない。
喉の奥で何かを押し殺すようにして、ようやく言った。
「……代償は、道善先生の命だ」
「――なっ!」
宗真は絶句した。
龍之介もまた、目を見開いたまま固まった。
「道善先生を……斬る」
血を吐くような清志郎の言葉に、二人は言葉を失った。
道場には、しばらくの間、重い沈黙が降りていた。
誰もすぐには息さえ継げず、ようやく最初に口を開いたのは龍之介だった。
「道善殿を斬れと。澄斬姫にそう言われたのか、清志郎!」
「ああ、そうだ。一週間以内に道善先生を斬り、その首を澄斬姫に差し出さねばならない」
淡々とした口調だった。
だが、それがかえって痛々しい。
「ま、待て」
宗真だった。
「それは、駄目だ」
声は低いが、きっぱりしていた。
「そのようなこと、お前にできるわけがない。先生を斬るなど……お前が、一番できぬことだ」
その言葉で、清志郎の中の何かが切れた。
「じゃあ、どうしろってんだよ!」
道場に怒声が響く。
宗真がびくりと肩を揺らした。
「もう取引は済んだんだ! 俺が先生を斬らなきゃ、先生も紗世も殺されるんだ! あのままじゃ、紗世は死んでいた……俺は……俺は、紗世だけは死なせたくなかったんだっ……」
最後の方は叫びというより、掠れた懇願のようだった。
「俺は、先生の命と紗世の命を秤にかけた。……そして、紗世を選んだ」
清志郎はそこで一度言葉を切った。
自分の口から出たその事実に、自分自身が斬られているようだった。
「先生に受けた恩を忘れたわけじゃない! 先生に拾ってもらわなければ、今頃、どうしていたか! それでも……それでも俺は……紗世に生きていて欲しかったんだ。……先生ではなく、紗世を選んだんだ。やるさ……やんなきゃなんねぇ」
宗真は何も言えなかった。
正しい言葉が、ひとつも見つからない。
重苦しい沈黙ののち、龍之介がゆっくり口を開いた。
「……ならば」
その声音に、二人が顔を上げる。
「儂が斬る」
宗真が息を呑んだ。
「龍之介! お前……」
「清志郎、お前が道善殿を斬ってはならん。師であり、父親のような存在の道善殿を斬るなど、あってはならんことじゃ」
「俺だってわかってるよ、そんなこと!」
悲痛な清志郎の叫びを龍之介は、微動だにせず受け止めた。
じっと清志郎の目を見据えて言う。
「道善殿を斬った後、自分も死ぬつもりであろう、清志郎」
「――!」
完全に心中を見透かされた清志郎は、驚きに目を見開いた。
「道善殿を斬る役も、澄斬姫に首を差し出す役も、儂が引き受ける。なに、儂はこの村の人間ではないからな。また、そのまま旅に出るだけじゃ。だが、お前は、そうはいかん。残った紗世さんはどうなるのじゃ」
その言葉は、龍之介にしか言えないものだった。
清志郎は一瞬だけ目を伏せ、力なく息を吐いた。
「……馬鹿野郎が。どこまでお節介なんだよ、お前は」
怒っているような、泣きそうな声だった。
「お節介で構わん。それで決まりじゃ」
龍之介は、言い聞かせるように同意を求めた。
だが清志郎は、ゆっくりと首を振る。
「駄目だ。それは、絶対に駄目だ」
「清志郎、儂の言うことがわからんのか! これが一番良いのじゃ」
「わかってたまるかよ。お前にそんなことはさせられない。それに……澄斬姫は、俺にやらせたいんだ」
清志郎の言葉に、龍之介が言葉を詰まらせる。
入れ代わりに、宗真が問いかける。
「何故そう言い切れるんだ?」
「蒼耀様を殺したのは、俺だって言ったろう。蒼耀様が許してくださっても、姉君の澄斬姫は、そうはいかないってことさ。俺のことが憎くて仕方がないようだった。普通に殺したんじゃ、殺し足りないんだろうよ」
清志郎の声は、ひどく乾いていた。
宗真は唇を噛み、龍之介は拳を握り締めた。
誰も、すぐには何も言えなかった。
その沈黙は、どのくらい続いただろう。
「……だが、まだ終わりじゃない!」
宗真の声に、清志郎は困惑の表情を浮かべる。
「どういう意味だ」
「一週間あるのだろう。ならば、その間に探さないか? 道善先生も、紗世ちゃんも、お前も救う道を」
宗真の気持ちは有難いが、今の清志郎には、この絶望的な状況が、どうにかなるものとは思えない。
「そんな都合のいい道があるかよ」
「なければ、作るんだ」
宗真の声は震えていた。
けれど、その目だけは逸らさなかった。
「お前ひとりに、道善先生を斬らせてたまるものか」
龍之介もまた、深く頷いた。
「宗真の言うとおりじゃ。まだ諦めるな、清志郎」
二人にそう言われても、清志郎は答えなかった。
そうだなと、楽観的に答えることができなかった。
「清志郎!」
宗真が必死に訴えてくる。
清志郎は迷った。
この二人を巻き込んでよいものかと。
(……神器がある限り、俺が死んでも終わりじゃない。蒼耀様がいらっしゃる。村が救われる保証なんてどこにもない。……宗真は、きっと結局、澄斬姫と向き合うことになる)
「わかった。ぎりぎりまで考えるよ。二人とも力を貸してくれ」
道善を斬るまで、あと七日――。
その夜、三人は初めて、澄斬姫に抗う道を探し始めた。
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