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澄斬姫 ―神殺しの男に背負わされた、復讐の妖刀―  作者: 白杜深月
第一部

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第三十六章 死の淵にて(第四話)

重なり合った唇から、互いの熱が伝わってきた。

二人とも様々なしがらみを断ち切って、このときばかりは刹那の甘い静寂に身を置いた。

ところが、その静寂は、無情にも長くは続かなかった。


ふっと、止まっていた世界に音が戻った。

念仏を唱えていた宗岳の小さな声が、唐突に耳に飛び込んできた。

周囲の空気が一気に生気を取り戻したのを肌で感じ取り、清志郎は弾かれたように紗世から唇を離した。


(えっ……?)


紗世が事態を飲み込めず、目を開けると、清志郎は彼女から視線を外していた。

しかし、赤く火照った彼の頬が、口づけの生々しい余韻を色濃く残していた。

紗世もまた、頬を赤くしたまま小さく息を呑む。


「うおっとっと!」


龍之介の間の抜けた声が居間に響いた。

部屋を出ようと踏み出しかけていた身体が、不意に重心を失ったようにぐらりと傾いたのだ。

彼はこけそうになりながらも、なんとか踏みとどまった。


「なっ、なんじゃ?」


龍之介は目を白黒させている。


「龍之介?」


そんな龍之介の様子を見て、宗真は怪訝そうに眉をひそめる。


「さ、紗世! お前……」


間髪入れず、道善の驚きに満ちた震える声が部屋に響き渡った。

集まっていた男たちの視線は、一斉に紗世へと注がれた。

皆、一様に目を丸くし、声を失った。

今しがたまで青白く横たわっていたはずの紗世が、清志郎に支えられるようにして身を起こしていたのである。

紗世は不思議そうな顔で、皆の顔をゆっくりと見回す。


「紗世……おお、紗世ぉ!」


道善は今にも泣き崩れそうな声で、転がるように駆け寄り、娘の肩を抱きしめる。


「父上……」


玄庵も慌てて紗世の手首を取り、その脈の力強さと、すっかり消え去った両手の傷跡を見て絶句した。


「馬鹿な……儂は夢を見ておるのか! 傷が跡形もなく消えておる。熱も完全に引いているぞ。き、奇跡じゃ!」


龍之介、宗真、宗岳も、紗世に駆け寄り、その奇跡を目の当たりにする。

三人とも、信じられないものを見るような顔をしている。


「あの……清ちゃん」


涙を流し続ける父に抱きしめられながら、紗世が戸惑うように清志郎を見た。


「誰が、私を治してくれたの? 玄庵先生じゃないみたいだけど……」


清志郎の肩が、わずかに強張る。

まさか、ここで本当のことを言うわけにはいかない。

紗世には、村の因習のことなど、知って欲しくない。


「俺が山道で襲われたときに助けてくれた医者を呼んだんだ。異国の医術に通じていてさ、えっと、何といったかな……しゅ、しゅじゅつ? ……とか、なんとかいうのをしてくれたんだよ」


清志郎は新太に聞いた“手術”という、紗世も知らないであろう言葉で、大層な治療を施してもらったことを印象付けようとした。

道善は、はっとして清志郎の手元を見た。

左の袖を左手で強く握りしめている。


(嘘か。……だろうな。となれば、このようなことができるのは……澄斬姫。あの祟り神が慈悲で紗世を助けるわけがない。清志郎、お前は澄斬姫とどんな取引をしたのだ)


玄庵も医者だ。

清志郎の嘘をすぐに見抜いたが、彼の意図を汲み、あえて話に乗った。


「いやぁ、驚いたのう。異国の医術がこれほどまでに進んでおるとは。儂のような老いさらばえた医者では、もう打つ手がなく参っておったところじゃった。助かったわい」


玄庵の必死の演技に、残りの男たちも、この場をどう収めなければならないか、それぞれ察する。


「一時はどうなるかと思ったが、本当によかったよ、紗世ちゃん」


「世の中には、とんでもない腕を持った医者がおるのじゃのう」


龍之介と宗真は、貼り付けたような笑顔で紗世に微笑みかける。


「清ちゃん、その先生は何処に?」


「それが……もうお帰りになったよ。忙しい方なんだ。それと、その先生に診てもらったことは秘密にしてくれ。誰にも言っちゃ駄目だぞ」


「どうして?」


「俺も詳しくは知らないが、ちょっと訳ありみたいなんだ。あまり存在を、周りに知られたくないんだってさ」


「そうなの……お礼、言えないの?」


「俺から伝えておくよ。治療費の代わりに、少しの間、その先生の所で働くことにしたから」


「え? いつから? どのくらい?」


「まだ詳しくは聞いてないけど、すぐにでも来て欲しそうだったな」


「どんな仕事なの? 危なくないよね?」


心配なのか、紗世の顔が曇る。

訳ありの医者だなんて、言ってしまったからだろうか。


「医者の手伝いさ。危険なんてないよ。忙しくて片付けられなくて困ってるってさ。雑用みたいなもんだろ」


こんな薄っぺらい嘘を並べて、紗世を最後まで誤魔化しきれるかわからないが、貫き通すしかない。

本当のことなんて、言えやしないのだ。

清志郎の言葉を聞いて、紗世は寂しそうな顔をした。


「清ちゃん、また出て行っちゃうの?」


「ほんの少しの間だけさ」


(……全部、嘘だ)


清志郎の左手は、小刻みに震えていた。


(数日後、紗世は父親を亡くし泣いている。俺が紗世を、絶望の谷に叩き落とすんだ)


「清志郎、ご苦労だったな。医者を呼びに行き、私たちが席を外している間も、ずっと紗世に付き添っておったのだ。少し休みなさい」


「道善先生……」


道善にもう死神の影は見えなかった。

逆に死さえも受け入れたような、穏やかな目だった。


(先生、まさか……)


「紗世、お前には何と謝ってよいやら……儂のために危うく命を落とすところであった。許しておくれ」


「もうよいのです、父上。よ、よくわかりませんが、ほら、こんなに綺麗に治ってしまいましたし、もう痛くもなんともありませんから」


紗世は手を差し出し、広げたり閉じたりして、動かしてみせた。

道善はその手を握りしめ、再び涙を流す。


「うむ、よかった。……本当によかった。清志郎、すまなかったな」


「い、いえ……」


「清志郎、腹が減ったろ。握り飯ならすぐ作れるよ。あっちで三人で食べよう」


宗真と共に、龍之介も立ち上がる。


「あ、ああ。紗世、また後で来るよ」


「うん。私はもう大丈夫だから。ゆっくり食べてきて」


紗世の言葉に、清志郎は軽く頷くと、宗真たちと共に部屋を出て行った。


「道善、お前もそろそろ寝床に戻れ。紗世には儂がついておるから」


玄庵に言われ、道善も宗岳に手を貸され、部屋を後にした。

部屋には、紗世と玄庵、二人が残された。

玄庵は桶の水に浸した手拭いで、紗世の手を丁寧に清めていく。


「玄庵先生……」


静まり返った部屋で、紗世の小さな声が震えて玄庵の耳に届いた。


「なんじゃ、紗世」


「なんて言ったらよいのか……夢の中にいるみたいなんです。何が起こったのか、何を言われたのか、本当はよくわかってないの」


「……大丈夫じゃ、大丈夫じゃよ、紗世。お前の知らぬところで、何か起こっておったとしても、ここに居った者全て、お前を愛しておる。それだけわかっておればよい」


「先生っ」


皆の手前、抑えていた感情が溢れ出し、紗世はついに手で顔を覆い泣き出してしまった。

玄庵はそっと彼女を抱きしめ、頭を撫でてやった。

紗世が幼い子供だった頃と同じように。

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