第三十五章 再会の果て(第一話)
「まさか、こんなところで会えるなんて思っていなかったわ。傷の具合はどう?」
穏やかな声。
軽く微笑んで声をかけてくる澄は、記憶の中の彼女そのままだ。
「お陰様で。すっかり治っちまったよ」
「そう。それはよかったわ。心配してたのよ」
まるで、夢を見ているようだ。
長い、長い悪夢を――。
自分はまだ風間医院に入院していて、今夜も悪夢を見ている。
祟り神と恐れられる澄斬姫など存在しない。
千凪村に因習など存在しない。
早く目覚めなければ――。
見舞いに来た澄に、この長い悪夢の話をしたら、彼女はどんな反応をするだろうか。
「まぁ、大変だったわね。大丈夫よ」と優しく包み込んでくれるだろうか。
それとも、「そんなこと、あるわけないじゃない」と笑い飛ばしてくれるだろうか。
――ニゲルナ。
自分の声で、誰かが囁く。
(わかってるよ)
――メヲソラスナ。
(煩いな! わかってるよ! 悪夢なんかじゃねぇって!)
「澄さん……俺も思っていなかったよ。また会うことになるなんて。もう二度と、俺たちの道は交わることはないと思っていた」
「清志郎さん……」
言葉を紡ぐのが怖い。
できれば、否定してほしい。
何を馬鹿なことを言っているのかと。
清志郎は心の底から、そう願った。
「ここは千凪村の禁足地だ。この神社は、澄斬姫という女神の神社だそうだ。知ってるだろ?」
「ええ」
意を決して問う。
「その禁足地に、何故いるんだ?」
今思えば、巳山に連れられてここを通った日に、すぐ気づくべきだった。
「……」
すっと、澄の顔から微笑みが消えた。
彼女は何も答えず、黙り込む。
「澄さん。澄さんが……」
冷たい風が、二人の間を吹き抜ける。
口の中が、やたらと乾く。
それでも、清志郎は止まれなかった。
「澄斬姫……なのか?」
その問いを、ついに口にしてしまった。
もう戻れない。
胸元までせり上がってくるような鼓動に、呼吸が浅くなり、息苦しくなる。
「そうよ」
「――!」
「今は、澄斬姫と呼ばれているわ」
清志郎の動揺など意にも介さぬように、澄は――いや、澄斬姫は何でもないことのように答えた。
清志郎は止めていた息を、ゆっくりと吐き出した。
「そうか、やはり……」
清志郎の瞳は揺らいだが、その瞳に映る澄斬姫は無表情だった。
「何故だ? 何故……俺を助けた? 俺が憎いんじゃないのか? 俺は、あんたの弟を……蒼耀様を殺したんだぞ。憎くないわけがないはずだ」
「ええ、そのとおりよ」
一瞬にして、澄斬姫の纏う空気が変わる。
もうそこに、優しい澄という娘はいなかった。
「憎んでいるわ。たった一人の可愛い弟だったもの」
冷たい声、冷たい瞳。
清志郎が最も見たくなかったものが、今、目の前にある。
「蒼耀がお前に、何をしたというのか! 八つ裂きにしても足りぬわ! この愚か者めが!」
澄斬姫の叱責を合図にしたかのように、木々がうめき声を上げるようにざわめき、地面が削れ、土や小石が舞い上がる。
女神はなお、射抜くように清志郎を見据えている。
あまりの迫力に、清志郎は無意識に後ずさった。
(こ、これが神の怒りか!)
嵐のような強風と土埃が清志郎を襲う。
視界を奪われ、気づけば彼女の眷属たちに取り囲まれていた。
(来やがったな。巳山に、燕羽……あと二人は知らねぇ顔だが、これじゃもう逃げられねぇな)
「八つ裂きにしても足りぬ、とな……。ここで俺を殺すつもりか? なら、何故助けた? まだ答えを聞いていないぞ!」
清志郎の叫びを遮るように、猛烈な殺気が正面から膨れ上がった。
「問答無用だ。叩き潰してやるァ!」
血の気の多い巨漢の白羅が、咆哮とともに突っ込んでくる。
その丸太のような両腕が、巨大な金棒を天高く振りかぶっていた。
(まともに受ければ、刀ごと砕かれる!)
清志郎は咄嗟に横へと身を翻す。
直後、凄まじい轟音とともに金棒が石畳に叩きつけられ、地面がすり鉢状に大きく陥没した。
破片が頬を掠め、背筋に悪寒が走る。
(化け物かよ……!)
だが、息をつく暇はない。
背後から鋭い風切り音が迫る。
雪音の薙刀だ。
白羅の一撃をかわした先を読んでいたかのように、低く正確に脛を薙ぎ払いにくる。
「くっ……!」
清志郎は跳び上がり、間一髪で凶刃をかわした。
だが、その直後だった。
雪音の背後から、燕羽が人間離れした跳躍で飛び上がる。
両手に持った鉄扇のうち一つを、手裏剣のように鋭く投げつけてきた。
清志郎は鯉口を切り、抜刀の勢いそのままに刀の鎬でそれを弾き飛ばす。
カァンッ! と甲高い金属音が響いた。
「まだまだぁ!」
燕羽は着地と同時に一気に間合いを詰めてくる。
残った鉄扇で、清志郎に襲いかかった。
小柄な体を補って余りある速さと跳躍力で、多彩な斬撃を繰り返す。
清志郎は巧みに刀でいなしながら、燕羽に訴えた。
「やめろ、燕羽! 俺は澄斬姫の真意を確かめたいだけだ!」
「煩い! 姫様を傷つけたくせに!」
(聞く耳なんぞ持っちゃいねぇか。仕方ねぇ、悪いな、燕羽)
燕羽の攻撃は速い。だが、小柄な体躯ゆえか、一撃一撃の重さはそれほどでもない。
清志郎は燕羽の鋭い突きを受け止めると、自らも一歩踏み込み、その勢いのまま力ずくで突き飛ばした。
「わっ!」
体重の軽い燕羽は、宙を舞って吹き飛ぶ。
わずかに距離が空いた、その隙を埋めるように、今度は清志郎と同体格の影が滑り込んできた。
巳山だ。
上段、袈裟、横薙ぎ。
巳山の日本刀が、息もつかせぬ連続攻撃となって襲いかかる。
清志郎は後退しながら必死に太刀筋を読み、受け流していく。
本気で踏み込めば崩せる隙はある。
だが、それをやれば相手を斬ることになる。
今の清志郎には、それができない。
やがて、鍔迫り合いとなった。
刃と刃がきしむ至近距離で、清志郎は巳山に訴える。
「巳山殿、頼む! 蒼耀様の姉君である澄斬姫に危害を加えるつもりはない! 話をしたいだけだ。手を引いてくれ!」
「信用ならぬ」
玲牙は冷ややかな目で清志郎を睨みつけた。
(くそっ、どうする? 澄斬姫の眷属を斬りつけようものなら、彼女はさらに怒り、話し合う機会を完全に失ってしまう。だが、こいつらの攻撃はいつまでも捌ききれるものじゃねぇぞ)
そこへ、再び巨体が割り込んできた。
「どけ、玲牙! 俺がとどめを刺してやる!」
(怪力野郎、またお前かっ!)
「おらあっ!」
白羅の金棒による横薙ぎの一撃。
味方の玲牙ごと薙ぎ払うような軌道だ。
玲牙は眉ひとつ動かさず、わずかに身を引いてその軌道を外れる。
清志郎は辛くもかわしたが、間髪入れず、今度は玲牙の突きが繰り出される。
「っ!」
さらにまた、白羅の金棒が振り下ろされる。
清志郎は反射的に身を引いたが、金棒は鼻先を掠めるように地面へ叩きつけられた。
ドゴオッと音を立て、最初の一撃と同じように地面が割れる。
「うわぁっ!」
その衝撃に耐えきれず、清志郎は大きく吹き飛ばされた。
「こ、このっ……」
地面に叩きつけられた衝撃で、体が痛む。
だが、そんなことを気にしている暇はない。
すぐさま立ち上がろうと地面に手をつき、体勢を起こしかけた、その時――
「そこまでだ」
冷ややかな声とともに、雪音の薙刀が滑り込んできた。
ただし、刃ではない。
柄の反対側――金属製の石突が、清志郎の水月を正確に、そして強烈に突き上げた。
「が、はっ……!」
肺から空気が強制的に吐き出され、目の前が真っ白になる。
激痛と呼吸困難で膝から崩れ落ちた清志郎の背中を、白羅の分厚い手が乱暴に押さえつけ、地面に縫い留めた。
抵抗する力は、もう残っていなかった。
「……勝負ありだな」
巳山が冷たく見下ろし、清志郎の首筋にぴたりと切っ先を突きつける。
(こ、ここまでか……)
清志郎が完全に諦めかけた、その時だった。
「清志郎! おるのか、清志郎!」
禁足地の静寂を切り裂くように、聞き慣れた声が響いた。
(この声は龍之介……何故ここに? よりによってこんな時に)
「おるなら返事をせい!」
(まずい……あいつを巻き込むわけには……)
こちらに来るなと言いたいが、まだろくに息ができず、声が出ない。
龍之介は息を切らしながら、ついに境内へ走り込んできた。
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白杜 深月(小説)/ココロの迷宮(YouTube)
@shiramori_lab
和風ダークファンタジー小説『澄斬姫 ―女神の妖刀―』を執筆中。
江戸の闇と人の情、そして神の祟りを描く物語。
カクヨム・なろう・Nolaで連載。
YouTube「ココロの迷宮」では心理と恐怖をテーマにしたショート動画を制作。
静かに語る物語を、静かに愛してくださる方へ。
※画像と動画はAIを使用しています。
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