第三十四章 迷い人の宿り木(第一話)
客間に戻ると、清志郎は静かに座り込んだ。
風間は向かいに腰を下ろす。
新太は少し離れた場所で腕を組み、黙って二人を見ていた。
清志郎は、さっきまで見てきた三人の姿を思い浮かべていた。
暗い部屋で人形を抱いていた真っ白な梅。
匂いだけで人の過去を嗅ぎ取る玄之助。
誰にも触れられない己の存在が許せず泣き崩れた菫。
「いかがでしたか、榊殿」
風間が穏やかに訊ねた。
「……正直、驚きました。あれほどとは思っていなかったので」
「そうでしょう」
風間は静かに頷く。
「世の中には、常人には理解できない苦しみを抱えた人間がいる。彼らはその筆頭です」
清志郎は少し間を置き、口を開いた。
「……風間先生。玄之助の背景はわかりましたが、梅や菫は、なぜここに?」
風間はなぜか菫の方から語り始めた。
「菫は、ある村の農家の娘でしてね、野山で虫か何かに噛まれて、ひどい高熱を出したそうです。幸い熱は引いたのですが、その後、皮膚から毒が滲み出るようになった」
清志郎の眉がわずかに動く。
「……では、生まれつきではないということですか」
「ええ。それまでは普通の娘でした。縁談も決まっていた」
風間は淡々と続けた。
「ところが祝言を前にして、相手の男が突然倒れましてね。高熱を出し亡くなりました」
「……菫に触れたから?」
清志郎の言葉に、風間は軽く頷く。
「恋仲でしたからね。触れる機会もあったでしょう。その後、菫に触れた村人たちや、菫の料理を口にした家族まで、相次いで体調を崩しましてね。そこで菫は、ようやく自分の体質が変わっていることに気付いたのですよ。その頃には、村人たちも菫を疑い始めていました」
客間に、静かな沈黙が落ちる。
「その後はご想像がつくと思いますが、村中で次第に噂になっていきました。『あの娘に触れると死ぬ』と。家族は菫を表に出さず、ずっと家の奥に隠して暮らすしかなくなりました」
「……」
「こちらの情報網で菫の存在を知った私たちは、彼女を保護しようと決めたんです。私は前々から稀な症状を持った方々を保護してきました。研究対象となることを条件に、無償で」
清志郎が顔を上げる。
「研究対象?」
少し、嫌な響きだった。
しかし、風間は清志郎の疑念を意に介さないかのように、堂々と持論を述べる。
「はい。彼らにどうしてその様な症状が出ているのか……それを解明できれば、彼らを苦しみから解き放つだけではなく、他の患者の治療にも応用できるかもしれない。つまりは、医学の進歩へと繋がるわけです」
「あ、ああ、なるほど……」
医学の進歩――。
薬草や漢方医療にしか触れてこなかった清志郎には、風間の話がやけに壮大に聞こえ、そのまま飲み込むのが難しかった。
胸の引っかかりは、つまりはそういうことなのだろうと、自分を納得させた。
風間の言っていることは、間違っているようには聞こえない。
その研究とやらで、救われる人が増えるのならば、それに越したことはないだろう。
「先生、菫は納得してここへ?」
「もちろんです。家族との別れは辛かったでしょうが、あのまま家の隅で一生を過ごすと考えてみて下さい。地獄ですよ。それに彼女は、自分が家族の負担になることも恐れていました。自分がいることで、家が村八分のような扱いを受けてしまうと」
清志郎は、先程の菫の姿を思い出した。
必死に距離を取ろうとしていた。
あの怯えた様は、他人を傷付けてしまうことへの恐れ。
そして引き換えに、浴びせられる非難の言葉や嫌悪への恐れ。
「先生、梅は?」
風間は少しだけ声を落とした。
「聞きますか? 信じるか信じないかは、ご自由になさってください」
「余程訳ありなのですか? 構いません、聞かせてください」
気のせいだろうか。
清志郎の目には、風間の口元が一瞬ほころんだように見えた。
「梅は、澄斬姫が連れてきました。まだ、赤子の頃に」
『澄斬姫』の名に、清志郎の眉毛はピクンと反応してしまう。
「澄斬姫が? やはり、『すみねぇ』というのは、澄斬姫だったのですね。一体、何のために?」
「さあ? 彼女の真意はわかりませんが、ここで育てろと言われましたので」
「あの祟り神が……」
(彼女に慈悲の心なんてあるのか? 俺から紗凪を奪っておきながら、赤子を育てろだと? 俺と同じように後々、利用する気なんじゃ?)
自分にみせた澄斬姫の芝居など微塵も感じさせない態度を思い出す。
あれが嘘だと知った今、何か裏があるのではないかと疑わずにはいられなかった。
「祟り……そう、千凪村には禁足地がありますよね」
「はい。つい最近知りましたが、あそこには澄斬神社……澄斬姫の神社が……」
「澄斬姫が言うには、そこに捨てられていたそうです。梅は両親の存在を知りません。人は初めから一人だと、そう思い込んでいます。ですから、母に会いたいなどと駄々をこねることはありません。先程のように、寂しいという感情は見せますがね」
人が、人から生まれてくることを知らない。
梅の境遇からすれば、当然と言えば当然だが、その事実は清志郎の胸に重く響いた。
「榊殿、あなたが『なぜ澄斬姫は梅を助けたのか』と疑問に思うように、私も『なぜ彼女があなたを助けたのか』と疑問に思っていますよ。再度お尋ねして申し訳ありませんが、本当におわかりにならないのですか?」
「――!」
(しつこいな、この人も。宗真や龍之介にならともかく。言える訳ないだろう、あんたに)
「え、ええ、本当ですよ。嘘ついてどうするんです。俺は道善の弟子ですよ。恨まれることはあっても、情けをかけられる謂れはありませんよ」
「そうですか? あなた、何か隠していません?」
眼鏡越しの鋭い瞳に射抜かれる。
目を逸らしては見抜かれる。
清志郎は溜息をつきつつ、一瞬だけ目を閉じ、肩をすくめた。
「買いかぶりすぎですよ。俺なんて、ただの剣術馬鹿だ」
「そうでしょうか」
風間は小さく笑った。
「澄斬姫が、ただの剣術馬鹿を助けるとは思えませんがね」
清志郎は答えない。
風間はその沈黙を楽しむかのように、ゆっくりと言葉を続けた。
「ふふっ、まぁいいでしょう。神の考えることなど、所詮、我々人間には理解できるものでもないでしょうからね。そして、神は人の都合で動く存在でもない」
「一体、何を仰りたいのです?」
「澄斬姫はなぜ、あの三人を治療しないのか……不思議に思いませんか? あなたのことは、あの短期間で完全なまでに治療し、助けたというのに」
「そ、それは……」
それは、清志郎もひそかに疑問を抱いていたことだった。
「“気まぐれ”――などではありませんよ。彼女のあなたへの執着は尋常ではなかった」
風間の言葉には、これまでになく確信に満ちた力強さがあった。
その狂気めいた静かな迫力に、清志郎は言葉を失う。
「彼女が言っていましたよ。命の理を曲げるには、それ相応の代償が必要なのだと」
「代償……?」
「ええ」
風間は指先で眼鏡の位置を整えた。
「あなたの傷を癒した代償は、何だったのでしょうね?」
清志郎の胸の奥に、小さな棘のような違和感が刺さった。
自分は、何かを差し出したのか。
これから差し出すのか。
それとも――。
「まあ、それはさておき」
風間は空気を切り替えるように言った。
「榊殿。先ほど申し上げた通り、この世には梅や玄之助、菫のように、行き場を失った人間がまだ大勢います」
「……」
「私の情報網で存在を知ることは出来ても、連れてくることが出来ない者も多い。村や家族に隠されている者もいますからね」
清志郎は静かに聞いていた。
「ですから、あなたの力をお借りしたい」
風間の声は穏やかだった。
「彼らを見つけ、この医院まで連れてきていただきたいのです」
清志郎は、ため込んでいた息をゆっくりと吐いた。
(行き場のない人間か。この仕事を無事終えたとして、この先、俺は何処へ……)
ふと目を閉じると、紗世の顔が浮かんだ。
(紗世、ずっと一緒にいるって約束した未来はもうない。けど、俺はせめて……せめて道善先生だけでも、お前に残したいよ)
清志郎は目を開き、しっかりと風間を見据えた。
「……わかりました。その仕事、お引き受けしましょう」
風間は満足そうに笑み、静かに頷いた。
「交渉成立ですね」




