竜人の誕生下巻
◆◆◆◆
少女は長い長い旅の果てに竜と出会いました。
それは、全ての生命の源である命の炎をその身に宿した神竜です。
神竜の息吹は、草木を芽吹き育て、その足が大地を踏みしめるとそこには清廉な水が湧き出し、魚が泳ぎました。
少女が竜と出会ったのは偶然でしたが、少女は竜をおそれず、神代の時代から孤独に生きる竜の良き隣人であり続けました。
やがて、二人はそれがあたりまえのように、愛し合うようになりました。
竜は少女に自分の心臓を捧げました。
少女の体には竜の印が浮かび上がりました。
竜はそれだけで満足でした。
けれど人である少女は、それだけでは寂しいと泣きました。
人の命は短いのです。
だからきっと竜を残して自分は先に死んでしまう。
動物も、魚も、虫も、人も。
短い命が尽きる間に愛し合い、そして、愛の証を残します。
自分の命が失われても、その血脈は受け継がれ、次世代へと連綿と続いていきます。
少女は、神竜と共に生きた証を残したかったのです。
炎の神竜は、男であり女であるものです。
神竜はただひとりで完成された存在でした。
けれど、少女を前にすると、自分の中にある欠落に気づきました。
少女に己の心臓を捧げただけでは足りないのだと、思いました。
けれど、二人の形はあまりにも違いすぎて、愛の結晶を残すことは、できそうにありませんでした。
(ページが虫に食べられていて読めない)
神竜は、人にとてもよく似た、男の姿になりました。
男の姿になったのは、神竜が少女と愛し合いたいと渇望したからなのでしょう。
そうして二人は世界の果てでひっそりと愛し合い、人と竜、二つの姿を持つ竜人が産まれました。
少女がやがて儚くなると、神竜は人と竜人たちの平和を願いながら、眠りにつきました。
神竜の体は霧のようにとけていきました。
そうして雨となり、大気に、大地に、水に、木々に、生命の全てに降り注ぎました。
魂が循環し、いつか再び生まれ変わることができるのなら。
もう一度少女に巡り会えることを願いました。
ただの、竜か、人か、竜人か。
虫か、魚か、動物か。
どんな姿でうまれるのかは分かりませんが、いつか。
いつかきっと。
(竜人の誕生下巻より)
◆◆◆◆
書庫のテーブルに、ぼろぼろの本を広げて、私はその内容を口に出して読んだ。
私の前にはジゼルハイド様とジュード様が座っている。
「……一番大切なところが、これだと分からないですね」
読み終わった私は肩を落とした。
ジゼルハイド様は口元に大丈夫だというように、笑みを浮かべた。
「よくみつけてきてくれた、アンネ。……これで、重要なのは人と番うことではない、ということが分かった。イルバトスを説得するには十分だろう」
「そうでしょうか……少女と神竜から竜人がうまれたのですから、竜人の方々に人の血が混じらなければ、鱗病は広がるばかりなのではないでしょうか」
「私も、そのように思います。しかし、このような大切な本をまともに保管していないなど、今までの王家の者達はなにをしていたのか。本当に申し訳ない」
ジュード様がジゼルハイド様に謝るので、私も一緒に頭を下げた。
「私、実は小さな頃、この本を読んだのです。この書庫で。そのときは、誰かが書き残した童話だとばかり思っていたので……大切なものだと、思っていなくて」
「人と竜人が交流を絶って、かなりの時が流れている。このような神話が忘れさられていても無理はないだろう。……かつて竜人たちは、争いを起こし王国の人々を苦しめた。それ故、竜人に関する物語や記録書などは、全て焚書にされていてもおかしくはない。良く残っていたものだ」
ジゼルハイド様は落ち着いた声音で言った。
私はジゼルハイド様の精悍な顔をじっと見つめる。
神代の竜は炎の竜。それから、争いを終わらせて竜人たちをこの国から連れて行った竜人も炎帝と呼ばれていた。
ジゼルハイド様も――炎帝。
この本に書いてあることが本当なら。
神代の竜が生まれ変わり、かつて生きた炎帝となって――それから、ジゼルハイド様に生まれ変わっているとしたら。
神竜は、かつて心臓を捧げた少女を、求めている。
もしそうだとしたら、その少女が現れたら、私はいらなくなってしまうかもしれない。
ぞわりとした不安が、胸のそこから這い上がってくる。
幼い頃、この物語を読んだときは、世界を作り上げることに、空想することの楽しさに夢中になった。
けれど、今は、開いた花が萎んで枯れていくように、気持ちが沈んでしまう。
そんなことを考えている場合では、今はないのに。
「そう悲しい顔をせずとも大丈夫だ、アンネ。……失われた部分に書かれているのは、竜が人に姿を変える方法だろう。神竜と少女はそれをみつけて、竜は人の姿となった。やはり竜の姿で人と交わるのは無理があるようだな」
「そうですね。大きさが違いますから」
悩ましげに言うジゼルハイド様に、ジュード様が真面目な顔で深々と頷いた。
私のいないところで話して欲しいのよ、そういう話は。
どんな顔をしていれば良いのか分からなくて、私はじわりと赤く染まった頬を隠すように俯いた。
「……人と竜人が交わって産まれるのが竜人なのか、人なのかはわからない。卵か人か、どちらが産まれるのかが分からないように。重要なのはそこではない。神竜が少女と愛し合うために、どのようにして人の姿となったかだ」
私に微笑ましそうな視線を向けたあと、ジゼルハイド様は長い指で本の虫に食われた部分を示した。
「現状として、すでに鱗病の子供たちがいるのでしょう? 人と番うことも解決策の一つになるかもしれませんが、それでは鱗病の竜人たちや、愛し合い子を持ちたいと望む竜人の夫婦たちを見捨てることになる。確かに、竜から人になる方法が分かれば……それが、彼らを救うことになるはずです」
ジュード様の言葉に、ジゼルハイド様は頷く。
「そうだな。ジュード王、協力感謝する」
「これ以上のことは、何もできませんが。ですが、アンネリアと陛下が愛し合うことで、互いの国を開くことができればと考えています。……勿論、過去の争いを二度と起こさないようにするために、どうするか考えていく必要はありますが。できれば、私は再び竜人の方々と手を取り合い、歩んでいきたいと考えています」
「ありがたいことだ。それから――ジュード王。我が国の森にいるヘラクレス三世のことだが」
「ヘラクレス三世?」
ジュード様は不思議そうに目を開いた。
それはお兄様のカブトムシの名前なので、ジュード様にはよく分からないだろう。
「あの、皇国の森に居るカブトムシのことです。とても大きな……貴族たちが好んで飼っているカブトムシで、とても高値で売れるからでしょう、王国の密猟者が、勝手に森に入って捕まえているようなのです」
「それは、申し訳ないことを……。私は虫は嫌いなので、知らなかった。確かに、王国の貴族たちや裕福な者達は、好んでカブトムシを飼っているようだが。陛下、大変申し訳ないことをしました。即刻そのものたちを捕まえて、厳重な処罰をしましょう」
ジュード様はやや青ざめながら、頭を下げた。
昔からジュード様は虫が嫌いだったものね。お花や宝石は好きなのに。
カブトムシは例外だと思っていたけれど、カブトムシも嫌いなのね、ジュード様。
「いや。取り締まらずとも構わない。ただの、カブトムシだからな。ジュード王。王国は、俺にアンネをくれた。もう返す気はない。礼と言ってはなんだが、王国の者達にカブトムシを捕獲する許可を与えようと思っている。これについては、きちんと取り決めをして、正式に書面を贈る。後々、問題になってはいけないからな」
「……アンネリアはとても幸せそうです。私にとっては妹のようなアンネリアを大切にしてくれていること、感謝することはあっても、お礼を頂くことなど……」
「ジュード王とアンネが親しいのは、兄妹のような関係だからなのか」
「ええ。両親を早くに亡くしたアンネリアを心配して、私の父や母が、アンネリアを城に呼んで、私と共に教育を受けさせたのです。だから、幼い頃からアンネリアは私と共に育ったようなもので……よく、一緒に遊びました」
「そうか。……つい、嫉妬をしてしまうところだった。話が聞けてよかった」
「アンネリアは幼い頃、私の手に私の嫌いな虫を乗せたり、虫を見せたり、気味の悪い虫が沢山載っている図鑑を私の前で広げたりしたものです。虫だけならまだしも、可愛いといって、トカゲなどを捕まえることもありました。……妹とは思いますが、女性とは思いませんよ」
ジュード様がとてつもなく嫌そうな表情を浮かべた。
私、そんなことしたかしら。
良く覚えていないわね。したかもしれない。
その頃の私はジュード様よりも虫やトカゲや動物体操に夢中だったから、忘れてしまったわね。
そもそも一人で庭園を散策して遊んでいる私に近づいてきたのはジュード様なので、文句を言われても、という感じだ。
ジュード様の話を聞いて、ジゼルハイド様はとても嬉しそうに表情を和らげた。
もしかしてずっと、焼き餅をやいていたのかしら。
どうしよう。
凄く可愛い。
先程感じていた不安なんて一瞬でふきとんでしまうぐらいに、可愛い。
「それは、良かった。……もっとまともな礼がしたいと思うのだが、今のところこれしか思いつかなくてな。それに、皇国の森には危険な動物もいる。正式に捕獲の時期などの取り決めをすれば、我が国の兵が、捕獲に来る人々を守ることができるだろう」
「ありがとうございます、陛下。お心遣い、感謝します」
ジュード様はお食事をしていくように、それから泊まっていくようにと提案してくれた。
けれどジゼルハイド様は、できるだけ早く皇国に帰りたいとそれを断った。
私も同じ気持ちだった。まだ解決したわけではないし、ゆっくり過ごすにはどうにも落ち着かない。
それに王国のお城よりも、皇国のお城の方が私にとっては懐かしく、とても心地が良いように感じられた。
そうして私は、ジゼルハイド様の背に乗って、帰路についたのだった。
竜人の誕生下巻と、カブトムシの飼育方法の本を持って。
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