魚介類体操
小さな子というのは、早起きである。
きっとそれは、世界が楽しさで満ちているからなのだろう。
それは――私にとっても、結構、そうだった。
カーテンから朝の日差しが差し込むと、横になっていることができずにうずうずしてしまう。
朝の支度を手伝いに来る侍女を待てずにさっさと自分で身支度を調えてしまうのも、このせいだった。
ジゼルハイド様の腕の中でパチリと目を覚ました私は、そんなわけでそろそろとその腕から抜け出した。
起こしてしまうかなって思ったけれど、ジゼルハイド様はよく眠っている。
規則正しく上下する胸や、深く閉じられた瞳や、頬に影を落とす長い睫や、白いシーツの上に滝のように広がる艶やかな長い髪をしばらく見つめたあとに、私はお部屋を出た。
案の定、エルジエル君が扉の横の壁に寄りかかって、多分私を待っていた。
花が咲いたように笑って私に挨拶をしようとするエルジエル君を、私は自分の口元に指をあてて「しー」と言って止める。
私たちは出来るだけ音を立てないように、静かに中庭に向かった。
朝の柔らかい日差しが、中庭のよく手入れされた庭園の草花たちに降り注いでいる。
今日は良く晴れていて、涼しい風がさわさわと木々を揺らしている。
「アンネリア、おはよう!」
「エルジエル君、おはよう。お部屋の外で待っていてくれたのね?」
「うん。前みたいに、勝手に寝室に入ったらいけないって、お母様とお父様に言われたから。女性の部屋にむやみに入らないのが大人だって」
「そ、そうなの……エルジエル君は大人ね」
お兄様たちが私に気を遣う理由を察して、私は頬を染めた。
疚しいことは――ほんの少ししかしていないのだけれど、それでも恥ずかしい。
「それじゃあ、……そうね、今日は何をしましょうか」
「魚介類体操が良いな」
「魚介類体操で良いの?」
「うん!」
エルジエル君は一生懸命大人になろうとしてくれているようだけれど、やっぱりまだ四歳なのよね。
両手を広げて、嬉しそうに返事をする姿はとっても微笑ましい。
私も――お嫁さんに行ってしまったし。
それに、妹か弟がじきに生まれるから、しっかりしないといけないって、思っているのかもしれない。
少しでも寂しくないように、王都に出立する前までは、たくさん遊んであげよう。
可愛い甥のために私は、ジゼルハイド様には申し訳ないけれど、ベッドを抜け出して朝の体操を優先することにしたのである。
朝食前の体操と、お散歩は、私とエルジエル君の日課だった。
私たちは誰よりも早起きなので、お散歩が終わった頃に屋敷に戻ると、ちょうど朝食の時間になっている。
私とエルジエル君は、向き合って立った。
体がぶつからないように、ある程度の距離を保っている。
エルジエル君の期待に満ちた瞳が、私を見上げている。
期待にはこたえないといけないわね。私はにっこり微笑むと、大きく息を吸い込んだ。
「さぁみんな、魚介類体操の時間だよー!」
みんなじゃない。
正確にはエルジエル君一人なのだけれど、みんな、と言った方がしっくりくる気がするのよね。
「はい!」
エルジエル君が元気に挨拶をしてくれる。
私は両手を上にあげて、コメツキカニの求愛のポーズをとった。
◆◆◆◆
『魚介類体操のうた』
カニさん、カニさん、体をのばす、ハサミをふって、一二、三。
サメさん、サメさん、お口をあける、獲物をもとめて、一二、三。
タコさん、タコさん、ふにゃふにゃ揺れる、足をくねらせ、一二、三。
ウツボさんウツボさん、ぐねぐね泳ぐ、体を揺らして、一二、三。
◆◆◆◆
歌を歌いながら体を動かすと、エルジエル君も一緒に真似をしてくれる。
こういった歌と体操は、エルジエル君のために作ったのだけれど――実を言えば、私が小さい頃に図鑑を読みながら歌ったり踊ったりしていたものである。
一人で。
もちろん、一人で。
誰かに見せるようなものじゃない。私にも多少の羞恥心があった。
何故そんなことをしていたかというと、図鑑には文章で動物や魚や虫などの動き方や生態は書いてあるけれど、実際見る機会というのはほとんどなかったからだ。
だいたいこんな感じでしょうねと、想像してなりきる一人遊びを、幼い頃の私は行っていた。
私にとって楽しい遊びはエルジエル君にとっても楽しいかもしれないということで、はじめたのがこの、動物体操なのである。
恥ずかしさはもうあまり感じていない。
それよりも、エルジエル君が楽しそうに一緒に動いてくれるので、大声で歌う恥ずかしさよりも楽しさの方が勝っている。
「…………何故、カニと、サメと、タコと、ウツボなんだ、アンネ」
落ち着いた声が聞こえて、私ははっとして振り向いた。
ジゼルハイド様が少し眠そうに、まだ縛っていない髪をかき上げながら私たちの方へと歩いてきた。
どうやら、最初からばっちり聞かれていたらしい。
それは聞こえるわよね、大きな声ではっきり歌っていたものね。
「ジゼ様、もう起きたのですか? おはようございます」
「あぁ、おはよう、アンネ。それから、エルジエル」
「おはよう、ジゼ。……アンネリアは僕と、朝の体操をしているんだから、邪魔をするな」
エルジエル君は一応挨拶をしたあとに、ご機嫌を悪くしながら言った。
その態度や口調を注意しようとした私を、ジゼルハイド様は軽く首を振って制した。
「邪魔をしにきたわけではない。俺も、一緒に行っても良いか、その、体操というものを」
「お前も、一緒に?」
「あぁ。……楽しそうだから、つい、足を運んでしまった。俺にも教えてくれるか、エルジエル」
私は内心動揺した。
ジゼルハイド様が、魚介類体操を一緒に……?
エルジエル君は目を見開くと、なんだか嬉しそうに笑顔を浮かべた。
「仕方ないな。お前は僕よりも子供だからな。教えてやっても良い」
「そうか。それは助かる」
「アンネリア。ジゼも一緒に体操をしたいんだって。良い?」
「ええと、その、良いわよ」
駄目だとは言えないわよね。
にこにこ嬉しそうなエルジエル君の隣にジゼルハイド様が並ぶ。
大きいジゼルハイド様の横にエルジエル君が並ぶと、よりいっそう小さく見える。
私は覚悟を決めた。
ジゼルハイド様は、エルジエル君と仲良くしようとしてくれているのね。
私も、恥ずかしがっている場合じゃない。
「さぁ、みんな! 魚介類体操の時間だよー!」
さっきはエルジエル君一人だったけれど、本当に皆になってしまったわね。
私は全力で、魚介類体操を歌いながら体を動かした。
楽しそうに腕を振るエルジエル君の隣で、真面目に体操に取り組んでくれているジゼルハイド様は、なんというか、口元が勝手に綻んでしまうほどに可愛らしかった。
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