冒険する灰色ハリネズミの話リターンズ
閉じた扉に、背中を押しつけられるようにされる。
とはいえ、ジゼルハイド様はいつも私を慎重に丁寧に扱ってくれるので、ほんの少しの圧迫感を感じただけで痛みなんてないのだけれど。
両手を私の顔の横について、ジゼルハイド様が腰を屈めた。
私は背伸びをして、ジゼルハイド様の肩に手をつける。
秀麗な顔と私よりもずっと大きな体が近づいて、ジゼルハイド様の肩に置いた手が、自然と首筋に回った。
「やっと、触れることができる」
薄く色づいた唇が、密やかな低く少し掠れた声を紡いだ。
目尻が僅かに赤く染まっている。
赤い瞳も、いつもよりも色が濃い。中央にある瞳孔は、近くで見ると円形ではなくて縦に長い黄金色。
――暖炉で赤々と燃える、炎みたいね。
「ジゼ、さ……っ」
名前を呼ぶ私の声を奪うようにして、ジゼルハイド様は私と唇を重ねた。
すぐに、舌が唇を割って入ってくる。
長い間砂漠を流離っていた旅人が、ようやく街に辿り着いて、カラカラの喉を井戸の水で潤しているように、激しく口腔内を舐られる。
絡まり、重なり、擦れる度に、体が震えて、足から力が抜けて床に崩れ落ちそうになってしまう。
「アンネ、……可愛い、アンネ」
「ジゼ、さま……っ、待って」
「待てない」
呼吸の狭間に愛しげに名前を呼ばれる。
激しく翻弄されて、気持ちが追いついていかない。
もちろん――私だって、愛されたいと思っているし、こうされたいって、望んでいた。
けれど、求められるのには不慣れで、胸の奥で燻っていた羞恥心が、体の中で弾けそうになっている。
「っ、ふ、……ぁ……っ」
重なる唇が、角度を変えるために少し離れる度に、鼻にかかった甘えるような小さな声が漏れる。
自分が自分でなくなってしまったみたいだ。
さっき、お兄様やお姉様、エルジエル君と話していたばかりなのに。
家族と暮らしていた頃は、恋愛のれの字も存在しなかった頃は、――自分がこんなに淫らだって、知らなかった。
口付けは軽く唇を触れ合わせて微笑み合う程度の、愛を交わす挨拶みたいなものだろうと、思い込んでいた。
こんなに、深く激しく、体が蕩けるようなものだなんて。
竜人の方々にとって、唇を合わせて、普段は秘せられている舌を絡め合うのは、凄く、特別なこと。
体を繋げるよりも、ずっと。
ジゼルハイド様の言葉を思い出すと、体中が一気に熱くなった。
恥ずかしくて、はしたなくて、それでも、――幸せ。
「ジゼ……さま、好き……」
長い口付けから解放される頃には、私の体からはくたりと力が抜けていた。
ぼんやりしながら頭に浮かんだ言葉を伝えると、ジゼルハイド様は嬉しそうに瞳を細めた。
「俺も、愛しているよ、アンネ。……まだ足りないが、これ以上は何もしない。休もう、アンネ」
ジゼルハイド様に抱き上げられて、ベッドまで運ばれる。
頭も体もずっとふわふわしていて、とても歩けそうになかった。
腕の中に抱き込まれたので、私は促迫した呼吸を整えながら、目を伏せる。
これ以上何もしないと言われて、安堵したような、少し寂しいような複雑な気持ちだった。
(何を考えているのかしら、私。……ここは、客室だし、お兄様たちがいるし、これ以上はいけないのに)
頭の中に浮かんだ離宮での記憶を打ち消すために、私は軽く首を振った。
「……どうした、アンネ。何か、嫌だっただろうか」
「そ、そういうことじゃ、なくて……」
「違うのか。それなら……もしかして」
「それ以上言わなくて良いですから、恥ずかしいので……っ」
あわててジゼルハイド様の言葉を遮る私に、ジゼルハイド様はそれはもう嬉しそうに笑みを浮かべた。
にこにこしながら私の髪や背中を撫でたり、額に口づけたりしてくる。
大きな動物みたいだ。
その仕草からはすっかり色が抜けて、ただ遊んでいるだけのように見えたので、ほっとした。
「アンネ、俺も同じ気持ちだ。口付けだけでは満たされない。もっと深く、繋がりたい」
「……ジゼ様、口に出さなくて良いですから……」
「どうして? きちんと気持ちを伝えないと、お前はまた泣いてしまうかもしれない。俺は感情を表現するのが不得手だから、こうして、触れたり、口にしたりしないと、アンネが俺の元から去ってしまうかもしれない」
「そんなことは、なくて。……大好き、ですから」
「…………やはり、よくないな。我慢をするのは苦手だ。……アンネ、俺が耐えきれなくなる前に、眠ろうか。また、あの話が聞きたい」
「あの話……?」
「ハリネズミが海に出た話の続きを」
まるでエルジエル君みたいなことを言ってくるジゼルハイド様に、私はくすくす笑った。
「お話のノート、取りに行く時間が勿体ないですから、覚えている内容でも良いですか?」
「あぁ。勿論」
私はジゼルハイド様の胸に額をくっつけて、目を伏せた。
あれから、灰色ハリネズミはどうなったのだったかしら――。
◆◆◆◆
灰色ハリネズミが次に辿り着いたのは、ヘラクレスオオカブト虫のいる島でした。
ヘラクレスオオカブト虫は、灰色ハリネズミよりもずっと大きいのです。
背中に乗って、お散歩ができるほどでした。
「虹色の花を知らない?」
灰色ハリネズミは聞きました。
「虹色の花は知らないけれど、蜂蜜レモン水が流れる川なら知っているよ」
ヘラクレスオオカブト虫は言いました。
ヘラクレスオオカブト虫は蜂蜜レモン水が大好きでした。
灰色ハリネズミも喉が渇いていたので、蜂蜜レモン水の流れる川に連れて行ってもらいました。
「甘酸っぱくて美味しいね」
灰色ハリネズミは蜂蜜レモン水の川に口をつけて、蜂蜜レモン水を飲みました。
大きな川には、たっぷりの蜂蜜レモン水が流れています。
蜂蜜レモン水の中にはレモンの輪切りが沢山浮かんでいて、レモンの輪切りの他にも、苺やオレンジや、桃がぷかぷかと浮かんでいます。
「僕たちは、蜂蜜レモン水を飲んで、こんなに大きくなったんだ」
ヘラクレスオオカブト虫は、得意気に言いました。
「それじゃあ僕も、大きくなれるかな」
「きっと大きくなれるよ」
灰色ハリネズミは、蜂蜜レモン水を水筒に入れて貰いました。
おやつに蜂蜜漬けのレモンや苺も貰いました。
灰色ハリネズミはヘラクレスオオカブト虫にさようならを言うと、もう一度海に出ました。
◆◆◆◆
お話が終わった頃には、ジゼルハイド様は穏やかな寝息をたてていた。
私も規則正しい心音を聞きながら、目を閉じた。
明日は、お城に行く。
きっと上手くいくわよね。
手がかりが、見つかって。竜人の方々の病気が、治って。
――争いは、起らないはずだ。
そうだと良い。
お読みくださりありがとうございました。ブクマ・評価などしていただけると大変励みになります!




