炎の祝福
夕食に準備されたのは、ユーヴェルハイム公爵領の特産品である、フゼタント森林牛のヒレステーキ、それから、タイと二枚貝の白ワイン蒸し、薄切りタコのウニ乗せカルパッチョと、ふすまパン。
貴族たちは男性も女性も美容と健康に気を使っている。
ふすまパンは、栄養価が高いとかで、白パンよりも最近は人気がある。
お兄様とジゼルハイド様は赤ワインを飲んでいた。
私はハーブ水を飲みながら、久々の公爵家のお食事を味わった。皇国の食事も美味しいけれど、公爵家のお食事の味は身に馴染んでいるせいか、懐かしさと安心感がある。
ジゼルハイド様は、時折料理の味を褒めながら、美しい所作でお食事を召し上がっていた。
本当は――人前ではお食事をしないのに。
それはとても恥ずかしいことのはずなのに、全くそれを感じさせない姿だった。
私のために、それから、お兄様や公爵家の皆のために気を使ってくださっているのが有難かった。
ジゼルハイド様とお兄様は、お食事中にカブトムシの話をしていた。
先程エルジエル君の部屋に貼ってあったエルジエル君の絵に、カブトムシが多かったので、「本当にこの国の者たちはカブトムシが好きなのだな」とジゼルハイド様が口にしたら、お兄様が嬉しそうにヘラクレス三世の素晴らしさについて語り始めたのである。
私がレイニスとラヴィーヌに頼まれていた『カブトムシの飼育方法』についての本があるかとお兄様に尋ねると、数冊良い物をくれると約束してくれた。
お食事が終わった頃、私はずっと気になっていたことを口にした。
「……あの、お兄様。エリカテーナお姉様はどうしたのかしら。身重だから、休んでいるのかしらって思っていたのだけれど……お食事の時にも姿を見せないなんて、お加減が悪いの?」
ジゼルハイド様を警戒して、身重のお姉様に部屋にいるようにとお兄様が命じているのかしら――とも、思っていた。
けれど今のお兄様は、ジゼルハイド様を信頼してくれているように見える。
だとしたら、エリカテーナお姉様もすぐに挨拶に来ようとするわよね。
それなのに、未だに顔も見せず、気配さえないというのは、すごく心配だわ。
「……あぁ、実はそうなんだ、アンネリア。エリカテーナは、アンネリアが皇国に行ってから少しして、臨月に入ってから、寝つくようになってしまって。医者に見せたが、特に問題はないだろうと。臨月のために体が重く、動けないだけだろうと言われてね」
「そうですか……お食事などはできているのですか?」
「あまり、食べたくないそうだよ。心配だけれど、子供が生まれたら元気になる……と、信じている。エルジエルも、アンネリアがいなくなって、エリカテーナまで寝込んでしまって、それで――余計に、不安定になっているのだろうと思う」
「それは、心配でしょうね」
「だから、アンネリアの顔を見ることができて、久々に甘えることができて、とてもほっとしたのではないかな」
「ご迷惑じゃなければ、エリカテーナお姉様のお顔を見ても良い? 挨拶だけでもしたいの。でも、お体に障るのなら、やめておくわね」
お姉様――大丈夫かしら。
会いたいけれど、大事な時期だろうから、無理をさせたくはない。
妊娠や出産は病気ではないから、体の不調を治療をする薬はないと言われている。
無事に子供が生まれて、お姉様も元気になってくれることを祈ることしかできない。
「会いに行ってくれるか? エリカテーナも、アンネリアの顔を見たらきっと喜ぶ」
「俺は、遠慮をしておこう。病人に、気を使わせるのはよくない」
「もしよければ、陛下もご一緒してくださるとありがたいです。エリカテーナは、むしろ、陛下にご挨拶ができなかったことをずっと気に病んでしまうと思いますので」
「そうか。それなら、アンネと共に居させてもらおう」
私たちはお兄様と共に、エリカテーナお姉様が休んでいるお部屋に向かった。
途中の廊下で、目が覚めたらしいエルジエル君が、「お父様、お母様の部屋に行くのですか?」と不安そうな顔で駆け寄ってくるので、エルジエル君も一緒に行くことになった。
お兄様が扉をノックして、お部屋に入る。
窓際の大きな白いベッドで、エリカテーナお姉様は休んでいる。
掛け布の上からも、お腹がかなり大きいことが分かる。
夕暮れの橙色の光が、お腹は大きいけれど、どこかやつれたように見えるお姉様の顔を照らしていた。
ベッドサイドに立つ私たちを見上げて、エリカテーナお姉様は弱々しく微笑んだ。
「アンネリアさん、お帰りなさい。そして、炎帝陛下……このような姿で、ご挨拶もまともにできずに、申し訳ありません」
「いや……体がつらいのだろう。話さずとも良い」
ジゼルハイド様が首を振ると、お姉様は安心したように目を閉じる。
「お心遣い、ありがとうございます」
「お母様、大丈夫ですか?」
エルジエル君が、遠慮がちにお姉様に聞いた。
もしかしたら、あまり近寄らないようにとお父様から言われているのかもしれない。
どことなく緊張しているようにも見える。
「心配かけて、ごめんね。もうすぐ、あなたの弟か、妹が生まれるの。可愛がってあげてね」
「もちろんです」
「……お姉様。あまり、無理はしないで。きっと子供は無事に生まれるし、お姉様も元気になるわ」
私はお姉様の手にそっと触れると言った。
お姉様の手はあたたかくて、弱々しい。
胸の中に氷塊が詰め込まれたように苦しい。私の両親も――私が五歳の時に病気で亡くなった。
エルジエル君は、まだ四歳。
もしかしたら――いえ、怖いことは、考えたくない。
お姉様はきっと、元気になる。
大丈夫よ、きっと。
「……腹の中に、子がいるのだな」
お姉様の膨らんだお腹をじっと見ていたジゼルハイド様が、ぽつりと言った。
「ええ、ジゼ様。もう、臨月なのです。もうすぐ生まれてきます」
「悪いようにはしない。触れても良いか」
「……ジゼ様?」
「腹の中から心音が聞こえる。もう少し、はっきりと聞きたい」
ジゼルハイド様のことだから、酷いことはしないと思うのだけれど――私は困ってしまって、お兄様やお姉様の顔を交互に見つめた。
「お母様に、何かするつもりか」
エルジエル君が、お姉様を守るようにしてベッドとジゼルハイド様の間に立って両手を広げた。
「心配するようなことは、何もしない。だが、気になることがある」
「……お兄様。竜人の方々は、聴覚がとても良いのです。ジゼ様は、とくにそうなのです。だから、心音が聞こえると言うのは本当で……」
「疑ってはいないよ、アンネリア。……炎帝陛下に触れて頂いたら、きっと強い子が生まれるだろう。良いかい、エリカテーナ」
「はい……私もかまいません。どうぞ、お願いします」
お兄様はエルジエル君を促して、ベッドの前から退かせた。
ジゼルハイド様が、お姉様の膨らんだお腹に掛け布の上から触れる。
どこか緊張感を伴った沈黙が、お部屋を支配した。
「――心音は、規則正しい。弱くもない。だが……赤子の生命力が強すぎるのだろう。母の生命力を奪うほどに」
落ち着いた声音で、ジゼルハイド様が告げる。
その言葉の意味を頭の中で反芻して、私は息を呑んだ。
「ジゼ様……! まさか、それは……」
「陛下……エリカテーナは」
「お母様……っ」
エルジエル君の泣いてしまうのを堪えているような悲痛な声が、痛い。
赤ちゃんは無事に生まれるかもしれないけれど――お姉様は。
「このままではよくない。だからエリカテーナ。お前と子が無事に生きられるよう、祝福を授けよう」
「祝福……?」
お姉様が不思議そうに呟く。
ジゼルハイド様は軽く頷いた。
「炎とは――生命の力。僅かだが、お前の子供に俺の魔力を与える。これ以上、お前から生きる力を奪わぬよう。あとは、お前次第だ。よく食べ、よく眠ると良い。自然と、失われた力が取り戻されるだろう」
「……そんなことをして、大丈夫なのですか、陛下」
お兄様の声が、少しだけ震えている。
「アンネの家族は、俺の家族でもある。だから、救えるものならば救いたいと思う。母を、親を失う悲しみは、アンネも俺も良く知っている。……子供に、悲しい思いをさせたくはない。俺を信じてくれるだろうか」
「……分かりました。よろしくお願いします」
お兄様が頷くと、ジゼルハイド様は目を閉じた。
お姉様のお腹に触れている手のひらが赤く輝き、手の甲に舌の紋様と同じ円形の赤い紋が浮かびあがる。
それはほんの一瞬のことだった。
輝きが収まり、ジゼルハイド様はお姉様から手を離した。
お姉様は不思議そうな顔をして、数度瞬きを繰り返した。
それから、ゆっくりと上半身を起こした。
「……何が、起きたのか良く分かりませんけれど、……指先を動かすことも、呼吸をすることさえ辛かったのに、今は少し、楽になったみたいです。……起き上がっても、眩暈もしません」
「エリカテーナ……! 何か、飲めそうか? 食べることはできるだろうか?」
「ええ、旦那様。……なんだか、お腹もすいたみたい。エルジエル、こちらにいらっしゃい。心配かけて、ごめんね」
エルジエル君が、お姉様に駆け寄る。
お兄様はジゼルハイド様に何度もお礼を言いながら、慌てたように使用人を呼んで、食事の手配を命じた。
「ジゼ様、……生まれてくる子供にジゼ様の魔力を与えたら、その子は不思議な力が使えるようになるのですか?」
「いや。それはない。毒にならない程度のごく少量の魔力を与えただけだ。母体から命を奪わずとも、生命が維持できる程度の。……それにしても、お前たちは腹の中で子供を育てるのだな」
「え?」
ジゼルハイド様がとても気になることを言った気がした。
けれど、これ以上お姉様たちの邪魔をしたくないので、私はジゼルハイド様を連れて一先ずお部屋に戻ることにした。
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