ジゼルハイド様の竜体
お城の広い屋上に、私とジゼルハイド様は来ていた。
風が髪や服を揺らしている。
見上げるとよく晴れた薄水色の空しか見えず、白い雲が少しずつ形を変えていく。
「二日ほど、北の離宮に滞在しようと思っている。ラヴィーヌや侍女たちが先に向かい館を整えて、もう戻ってきている。俺たちがいる間は誰も館に近づかないように命じたが、……不安ではないか?」
「不安なんて……嬉しいです、ジゼ様」
ジゼルハイド様は私の頬をさらりと撫でて微笑んだ。
「ギルフォードに相談したのだが、竜体の俺の背中はアンネにとっては庭ぐらい大きいだろうと。無理な飛び方をしなければ落ちる心配はないだろうが、それでも不安なら背中に魔力で保護膜を張るように言われた。輿や鞍は、取り外す手間を考えればあまり現実的ではないらしい」
「私はなんでも大丈夫ですよ。私のわがままに付き合ってくださって、ありがとうございます、ジゼ様」
「我儘などではない。お前の望みはできるだけ叶えたい。なんでも言ってくれ」
「はい! ええと、じゃあ、その、……北の離宮に行ったら、たくさん抱きしめてくださいね」
「それは、今では駄目か」
「今は、駄目です。だって、抱きしめていただいたら、もっと触れて欲しくなりますし……そうしたら、もう出かけたくなくなってしまうかもしれないから」
ジゼルハイド様は眉間に皺を寄せると、深々とため息をついた。
「……アンネ、あまり可愛らしいことを言うのはよくない」
「私、本当にそう、思っていて」
「それが、いけない。……お前が嘘をついていないことぐらい、わかる。心音が聞こえる。嘘をつくと、不規則に乱れるものだ」
今日はお出かけなので、ラヴィーヌと相談して、気合を入れて装飾の少なめなドレスを着てきている。
両肩があいていて、透け感のある袖が手の先まで伸びているもので、胸の下で生地が絞られて、スカートがふわりと広がっているジゼルハイド様の瞳のような赤いドレスだ。
私の胸の上に、ジゼルハイド様は軽く指を置いた。
どきりと胸が跳ねる。
「お前の心音は乱れることが多いが、それは嬉しい時や羞恥の時、それから、怒っている時……だろうか」
「抱きしめていなくても、聞こえてしまうのですか?」
「あぁ。聞こうと思えば」
「……なんだか、恥ずかしいです。……ジゼ様のこと、好きだって、……何も言わなくても、伝わってしまうのですね」
「アンネ。……抱きしめたいが、駄目か」
「駄目です」
「では……すぐにでも離宮に向かおう。竜になるが……お前が、こわがらないでいてくれると、ありがたい」
ジゼルハイド様はそう言うと、さっさと上着を脱いだ。
逞しい裸体が顕になって、肩からかけて腰紐で止めるつくりの脱ぎ着に時間がかからない衣服が、足元にばさりと雑に散らばる。
「ジゼ様、どうしてお洋服を……?」
ジゼルハイド様はいつも首から胸元までざっくりと開いている服を着ているけれど、裸体を見るのは、私がお風呂で溺れかけたとき以来だった。
胸や腹筋や、太い腕が眼前に晒されて、私は頬を染めた。
どこを見て良いのかわからない。恥ずかしいし、あまり見るのは失礼ではないのかしら。
でも、つい、見惚れてしまいそうになる。
アドレイン様は上半身裸で生活しているし、時々お城ですれ違うときに「元気そうだな姫君!」と挨拶してくれるので慣れたけれど、ジゼルハイド様はいつもお洋服を着ているし、なんだか見てはいけないものを見ているような気持ちだ。
「脱がないと、破れる」
「破れ……?」
「あぁ。竜体と人間体では体の大きさや形が違う。竜体では、服を着ることができない」
「……そ、そうなのですね」
確かにそうなのかもしれないけれど、あんまり考えていなかったわね。
てっきり、お洋服も不思議な力で形が変わったりするのかと思っていたけれど。
そういえば、私の国にレイニスが迎えに来てくれたとき、竜の姿に変わる瞬間は見ていないのよね。
レイニスも、脱いでいたのかしら。女性なのに。
知らなかったから気遣いもできなくて、なんだかすごく申し訳ないことをしてしまった気がする。
「お洋服、脱がなければいけないのに、私、頼んでしまって……」
「アンネ、俺たちは体を晒すことについて、あまり恥とは感じていない」
「で、でも」
「といっても、裸体で生活するというのも、な。服は、仕方なく身につけているが、着脱のしやすさが重視されている。衣服についてこだわるのは、よほどの物好きぐらいだな。……氷のイルバトスなどは、そういった傾向にある」
「そうなのですね……」
青空の下で堂々と上半身裸になっているジゼルハイド様は、確かに羞恥心なんてかけらも感じていないように見えた。
「だが、アンネ。……お前が着飾っているのは、愛らしいと思う。今日の服も、よく似合っている」
「ありがとうございます、ジゼ様。気合を入れて選んできたのですけれど、あまり興味がないのかと……」
「いや。お前は、竜人ではない。……違うな。アンネだから、愛らしいと感じる」
「思い出しましたけれど、ジゼ様、私の着替えを見てもなんとも思ってなさそうだなって、以前、感じたことがあって。それは、裸体についてどうとも思わないから、なのですね」
「……そんなことがあっただろうか。……あぁ、あったか。着替えの時も共にいたことがあったな。……あの時は、情動を感じるというよりは、感心していた。あまりに小さくて細く、愛らしく美しい……と。今は、違う」
「違うというのは……」
「そうだな、脱がせて……それから、」
「待って、待ってください、ジゼ様、それ以上言ったら、私、ジゼ様の背中から落ちるかもしれません……!」
私が泣きじゃくった日から、ジゼルハイド様はできるだけ気持ちを口にしてくれているみたいだった。
狼狽しながら私がジゼルハイド様の口を塞ごうと、両手を伸ばしてぴょんぴょん跳ねると、ジゼルハイド様は私の腰を引き寄せて「それは、うさぎ体操だったな」と言って笑った。
「そろそろ行こうか、アンネ。下も脱ぐ。俺は見られても構わないが、恥ずかしかったら後ろを向いていると良い」
「は、はい……!」
笑いながら私を抱きしめていたジゼルハイド様が、私からパッと手を離した。
私は焦りながらジゼルハイド様から逃げて、両手で顔を隠した。
上半身ならまだ見ていられるけれど、下半身は駄目よね。
ちょっと見たい気がするけれど、駄目なのよ。
ややあって、「良いぞ、アンネ」という声が聞こえた。
おそるおそる両手で隠していた顔をあげると、私の目の前に、竜になったレイニスの倍ぐらいの大きさのある立派な黒い竜が、羽をたたんで頭を下げて、体を伏せていた。




