わがままをひとつだけ
ベッドに寝ころぶジゼルハイド様の胸の上に、私は自分の顔をあずけている。
クッションに体を埋めて少しだけ体を起こしているジゼルハイド様が、私の髪を撫でて下さるのが気持ち良くて、うとうと眠りそうになってしまう。
もう眠っても良いのだけれど――こうして、甘えられるのが嬉しくて、もう少し、この時間を長く味わっていたい。
ジゼルハイド様の指先は優しい。
できるだけ力を入れないように、そっと髪を撫でて下さる長い指や大きな手。
なんだかすごく、安心できる。
愛し気に私を見つめる赤い瞳が、とろりと蕩けそうに潤んでいる。
くすぐるように、顔にかかった髪を耳にかけられて、そのまま頬に指先が触れる。
私は自分の頬をジゼルハイド様の手の平に擦り付けるようにした。
「ジゼ様、私……ジゼ様に触っていただくの、好きです。大きくて、優しくて、……安心、できて」
「そうか。……俺も、お前にこうして触れることができて、嬉しい。……可愛い、アンネ」
「……それは私がジゼ様よりも、小さいから、そう思うのですよ」
「俺よりも大抵の者は小さい。だが、可愛いらしいと思うのはアンネだけだ」
「他に、何か可愛いと思うものはないのですか?」
「そうだな……アンネが、可愛い」
「ジゼ様……っ」
くるりと景色が反転した。
ジゼルハイド様が私の上に覆いかぶさるようにしている。
両手が私の顔の横にあって、長い黒髪がカーテンのように落ちて私の頬に触れてくすぐったい。
腕で体を支えて、私に体重をかけないようにしてくれているので、少しだけ圧迫感はあるけれど、重みは感じない。
「……好きだ。……アンネ、好きだ。……こうして伝えることができるというのは、幸福なことだな」
「ジゼ様、……はい、私も、好き」
額や頬に、唇が落ちる。
大きな動物にじゃれつかれているようで可愛らしくもあり、まるで――これから食べられる前の、味見をされているようでもあり、私は切なく眉を寄せた。
「アンネ。……お前を泣かせてしまった詫びに、なにかお前の望みをかなえたい。俺は、お前の好みさえ知らない。贈り物も、なにを選んだら良いか分からず、結局、お前の国の者たちが好きだというカブトムシを……呆れただろうか」
カブトムシ、そんな理由で選んでくださったのね。
拗ねて怒った私を宥めるためにジゼルハイド様が必死に選んでくださった贈り物が、カブトムシ。
悩んでいる姿を考えるだけでなんだか微笑ましくて、くすくす笑い声をあげてしまう。
「嬉しかったです、カブトムシ。とても、大きくて立派で可愛らしくて、一生懸命戦ってくれて、健気なんですよ。……そうですね、少し、ジゼ様に似ています」
「カブトムシと俺は似ているのか?」
「はい。……あ! 嫌ですよね、カブトムシと似ているなんて。ごめんなさい」
「いや。……そうか。似ているかもしれない。俺は、黒い竜だから、色が似ている」
「カブトムシも黒くて格好良くて可愛らしいですから、きっと竜の姿のジゼ様も格好良いのでしょうね。ジゼ様は、炎を纏った竜だと聞きましたけれど、……その、竜の姿の時に、触れることはできるのですか?」
「炎を纏うことも、炎を吐くこともできるが、それは俺が望んだ時だけだ。触れることはできる。……何かに、似ているだろうか。アンネの知る、何かの動物に」
「ええと……私が見たことがあるのは、レイニスの竜の姿だけですけれど、少しだけ、トカゲに似ているかもしれません」
「トカゲ」
「トカゲは小さくて可愛いのですよ。私の手に乗ります」
「俺は、アンネの手の上には乗らないな」
「ジゼ様!」
竜の姿のジゼルハイド様が見たい。
そう一瞬思った私は、良いことを思いついたと、ジゼルハイド様の名前を呼んだ。
「私、欲しい物とかは特になくて、でも、ジゼ様にしてほしいこと、ひとつ思いつきました」
「あぁ。なんでも言ってくれ」
「あの、でも……してほしいことに、契りの証は、入るのですか?」
「それ以外で頼む。それはもう、刻むと決めた。俺はお前を手放さないのでな」
「……良かった。嬉しいです、ジゼ様。私、……いつでも大丈夫ですからね」
「今すぐにでも……と、言いたいが、感情に身を任せてお前を傷つけることはしない。今日は、俺のせいで風呂で溺れかけたり、泣かせてしまったり、……疲れただろうから」
今すぐにでも、良いのだけれど。
でも、ジゼルハイド様の言うとおりでもあるので、私は頷いた。
印を刻むとは、どんなことをするのか分からないけれど、たとえば疲れているせいで、途中で寝てしまったりしたら嫌だもの。
出来ればよく寝て、綺麗な服を着て、髪を整えて、準備万端の時が良い。
「それでしたら、私、竜の姿のジゼ様の背中に乗ってみたいのですけれど。……一緒に、空を飛んでみたいなって」
「空を」
「失礼でしたか……? ごめんなさい、背中に乗るなんて、良くないですよね。今のは忘れてください、別のお願いを考えますから」
「……そのような願い事をされたのは、はじめてだ。だから、少し戸惑った。特に失礼、ということはない」
「本当に?」
「あぁ。俺の背に乗りたい者などまずいない。竜人にとって俺は炎帝などと呼ばれる恐ろしい存在だからな。それに、竜人は自らが竜になり飛ぶことができる。それを誰かに頼むようなことはしない」
「竜人の方々にとって、それは屈辱ではないのですか? 乗り物みたいに扱われるということですよね。私、軽い気持ちでお願いしてしまいました。もっとよく考えたら良かった」
思いが通じたのが嬉しくて、よくないお願いをしてしまった。
しゅんとする私に、ジゼルハイド様は目を細めて大丈夫だというように微笑んだ。
「気に病む必要はない。屈辱などではないからな。だが、例えば、見ず知らずの人族にそれを言われたとしたら、多少は不愉快になる者もいるかもしれない。それは、アンネも同じだろう? 知らない他者に背中に乗りたいと言われたら」
「たぶん、すごくびっくりすると思います。あと、困ってしまいますね」
「もちろん、アンネの体に触れる上に背中に乗るなど、そんなことは俺が許可しないが」
「ジゼ様、私、エルジエル君をおんぶしたことなら何回もありますよ。四歳の子供なら私にもおんぶできます」
「それでは、その子供だけは特別だ。それ以外は許可できない」
「ジゼ様は、……もしかして、少し、やきもちやきだったりしますか?」
「あぁ。どうやらそうらしい」
ジゼルハイド様はあっさり頷いて、「嫌か?」と、首を傾げる。
私は手を伸ばして、ジゼルハイド様の頬に触れた。
陶器のように白い肌はきめ細やかで、触れると手のひらに吸い付くように滑らかだ。
「嫌じゃないです。それに私も、もしかしたらそうかもしれないって、思うのです」
「アンネに嫉妬をさせるようなことを、俺はしただろうか」
「いえ。でも、想像をしました。もし竜人の美女のことを、ジゼ様が好きになってしまったら、……私、きっと、すごく嫉妬をするだろうなって」
「そんなことは起こらないが……だが、……そうか」
ジゼルハイド様は白い頬を少しだけ染めた。
照れたように視線をそらすので、私もなんだか恥ずかしくなってしまう。
「……ジゼ様、背中に乗らなくても、竜の姿を見せてもらうのは駄目ですか?」
「背中に乗ることを駄目とは言っていない。構わない。だが、危険だ。もし落ちたら」
「落ちないように気をつけます」
「……ギルフォードと、相談してみよう。レイニスのように、背中に輿をつければ、あるいは。……もしくは、鞍か。ともかく、お前が落ちないようにしなければいけない」
「ジゼ様、無理を言ってごめんなさい。でも、……すごく嬉しいです。空を飛んでみたいです。ジゼ様と、二人で」
「あぁ。それは、俺にとっても魅力的だと感じる。そのまま、北の離宮にでも行ってみようか。街は駄目だと言われたが、離宮なら問題ないだろう。誰もいないのでな」
「新婚旅行みたいですね!」
「新婚旅行とは?」
不思議そうにジゼルハイド様が尋ねる。
新婚旅行、竜人の方々はしないのね。といっても、王国でも新婚旅行が流行り始めたのは、つい最近のことなのだけれど。
「結婚式をあげて夫婦になると、新婚旅行といって、夫婦二人きりで旅行に行くのです。しばらく二人きりでゆっくりして、愛を深めるのですよ。新婚旅行が初夜という方もいますし、蜜月のうちに、子をもうける方もいます」
「なるほど。つまり、誰にも邪魔をされずに愛しあう時間を作るということだな。仕事をせずに。それは良い。ここにいると、政務をしろとギルフォードがうるさくてな」
「少しぐらいお休みしても、良いのでしょうか。私、ジゼ様のお手伝いをしますね。文章を読んだり、書簡をまとめたり、それぐらいならできますから」
「アンネ、ありがとう。お前がいれば、仕事がはかどる。……お前がそばにいないと、落ち着かない」
ジゼルハイド様はどこか甘えたように、「今日の午前も、お前がレイニスたちと過ごすと言うものだから、嫌われたのではと、気が気ではなった」と続けた。
「ジゼ様……あまえんぼさんですね。エルジエル君も、同じようなことを言うのですよ。アンネが遊んでくれないと、つまらないって。……でも、ジゼ様に甘えて頂くと、すごく、胸がどきどきします」
私はジゼルハイド様の頬に添えていた手を、首筋に回した。
抱きしめて欲しいと強請るようにきゅっと寝衣を掴むと、ジゼルハイド様の赤い瞳の奥に、炎が灯る。
覆いかぶさるようにして唇が触れ合って、次第に口づけが深くなっていく。
私が苦しくならないようにだろう、何度か離れて、啄むように唇が重なり、また深くなることを繰り返す。
「っ、ジゼ、さま……っ、……は、……ん」
「……俺たちの舌に、魔力紋があるのは、知っているだろう」
「っ、ぅん……」
「だから、俺たちにとっては、舌というのは特別だ。他者にあまり見せないように、普段はしている。……こうして、舌を触れ合わせるのは、……本当に、特別な相手だけ」
「ん……、……っ」
低い声が密やかに言葉を紡いで、重なった皮膚を通して伝わってくる。
優しく抱き寄せられた体があつい。
これは――特別。
王国でも夫婦や恋人同士でなければしないことだけれど、竜人の方々にとっては、もっと特別なこと。
もっと、したい。
ずっと、していたい。
私もジゼルハイド様を求めるように、自分のそれを差し出す。
ぬるりと擦れる粘膜がまるで溶け合ってしまったように、境界を見失っていく。
一口だけ食べた魔力の桃のように、くらくらするぐらいに、甘い。
「甘いな、アンネ。……五感は、酷く敏感にできてはいるが、……特に、魔力紋のせいか、味覚は鋭敏だ。アンネ、お前は香しく、甘い。まるで、俺のための果実のようだ」
何度も角度を変えて口づけを繰り返し、ジゼルハイド様は私の口の中を隅々まで味わった。
まるで、新しい遊びをはじめて知った子供みたいに、飽きもせずに深く唇を重ねる。
次第に少しだけ慣れてきて、息継ぎと、呼吸をするのが楽になってくる。
苦しさと恥ずかしさと、愛おしさ以外の――何かが、体を甘く疼かせた。
「ジゼ様……」
ようやく解放されたころには、私の体からはすっかり力が抜けて、息も絶え絶えになっていた。
「愛しているよ、アンネ。……おやすみ」
ジゼルハイド様に優しく言われて、私は返事をすることもできずに、こくんと頷いた。
――眠れるかしら。
抱き寄せられた体が、茹だるように熱い。
私はジゼルハイド様の胸に自分の額を押し付けて、目を閉じた。
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