告白と仲直り
私はジゼルハイド様の腕から逃れようと身をよじった。
けれど私を包み込む腕の力はとても強くて、身じろぐことしかできない。
衣擦れの音も、衣服を隔てて触れ合う皮膚や、体温も、全部が切なくて、苦しい。
好き。
ジゼルハイド様が、好き。
どうして、好きになってしまったのだろう。
けれどその言葉は、凪いだ湖面にぽつりぽつりと落ちる雨粒のように、私の心に波紋を広げて体中に染み渡っていく。
お兄様やお姉様、エルジエル君のことが私は好きだけれど、それとはまるで違う。
家族に向ける好きは、陽だまりの中で微睡んでいるような穏やかでぽかぽかした気持ちだ。
けれどジゼルハイド様に感じるそれは、まるで荒波の中に揺蕩う小舟に乗って、海の中に投げ出されないように必死にしがみついているみたいだ。
じわりと目尻に涙が滲んで、頬を伝って零れた。
「アンネ……お前を泣かせたくなどなかった。アンネ、すまない」
「ふ、ぅう……っ」
返事の代わりに嗚咽が漏れそうになって、私は唇を噛んだ。
息を呑みこんで、どうにか心を落ち着かせようとするけれど、体中に言葉にならない感情があふれて、涙となって零れ落ちていく。
「俺は……言葉が、足りないようだ。言葉というものが、あまり得意ではない。特に、自分の感情を言葉にして伝えるのは、不得手だ。……だが、お前を傷つけた言い訳にはならないな。アンネ、すまなかった」
何度も謝ってくださるジゼルハイド様に、私は首を振る。
ひどいのは、私だもの。
酷い言葉をぶつけてしまったのは私。
感情のままに、拒絶、してしまったもの。
「ジゼ様……っ、私、ごめんなさい……嘘をつきました、私。嫌いなんて、嘘。私、ジゼ様が好き。好き……」
言葉が唇から零れる。
それと同時に新しい涙があふれて、ジゼルハイド様の寝衣の色を濃くさせた。
情けない、私。
泣きながら、縋りついて。
手に入らないから、拗ねて。
これでは子供と一緒だわ。
いつか――幼い頃。
一度だけ、私にはなぜお父様とお母様がいないのかと泣きじゃくって、お兄様を困らせたことがある。
お兄様も使用人たちもみんな私に優しかったのに、大切にしてくれていたのに。
あの時と、一緒。
ジゼルハイド様は私を大切にしてくれている。
私が、籠の中の愛玩動物のままで満ち足りることができていれば。
多くを求めず、立場をわきまえていれば。
困らせてしまうこともなかったのに。
「……欲深い、です、私。ジゼ様は、私を大切にしてくれていたのに……それでは足りないって、思ってしまって。好きになって欲しいって、駄々をこねて、ひどい言葉を、言ってしまって……ごめんなさい……」
腕の中に閉じ込められてしまえば、自分の感情に、嘘なんてつけない。
ジゼルハイド様は私を抱きしめる腕に力を込めた。
覆いかぶさるように抱かれて、艶やかな長い黒髪が私の顔に触れた。
「アンネ。……俺も、お前が好きだ」
――嘘。
嘘、よね。
ジゼルハイド様は優しい方だ。子供みたいに泣いて縋る私を、突き放すことなんてきっとできない。
でも――。
嘘でも、嬉しい。
「ジゼ様、……ありがとう、ございます」
嬉しいのに、悲しくて、虚しく言葉が響いた。
「……違う、アンネ。偽りなどではない」
言葉の空虚さに気づかれてしまったのか、ジゼルハイド様の声に少しだけ、苛立ちに似た厳しさが籠る。
それから、軽く息を呑んで、ゆっくりと吐き出す音が耳元で響いた。
「お前をはじめて見たとき、なんて小さくて愛らしい生き物なのだろうと、確かに思った。俺が触れたら、壊れてしまうのだろうと」
低い声が私の鼓膜を揺らす。
私の銀の髪を指で絡めるようにして、頭に大きな手が触れている。
背中に触れた骨のしっかりした硬い指先が、背中から腰に落ちて、私は体をびくりと震わせた。
「きっとおびえるだろうと、思っていた。竜人でさえ、俺のことを恐ろしいと思っているのだから。だがお前は臆することもなく、言葉を交わしてくれた。笑顔を、向けてくれた」
「……ジゼ様とお会いした、一番はじめの時に、私、失礼な態度をとってしまって。でも、ジゼ様は怒る様子もなくて、ずっと私を丁寧に、大切に扱ってくださいました。そんな方をこわいなんて、思いません」
ジゼルハイド様はいつも私と真っ直ぐに、真剣に向き合ってくれていた。
大きくて強くて、誰よりも偉い方なのに、どこか繊細で、優しくて。
恐ろしいなんて、思わない。
「アンネ……。俺は、……お前が俺に笑顔を向けてくれるにはどうしたら良いのか、気づけばいつも考えていた。親しくなるにはどうしたら良いのか、お前を喜ばせるには、どうすれば良いのか。お前のことばかりを、ずっと」
「ジゼ様……」
「お前に、嫌われたくない。この手でお前を抱くことができないのかと思うと、どうにかなってしまいそうなほど、心が、痛い。アンネ、俺は……お前を愛している」
「……っ、ジゼ様……っ」
愛の言葉が、空虚だった心に満ちて広がっていく。
苦しさも切なさも嘘みたいに消えて、ふわふわとした形のない柔らかい何かが、体中にあふれる。
先程までの物とは違う涙が、目尻に溜まった。
「……お前が傍で笑っていてくれたら、それで良いと考えていた。俺が触れれば、お前の小さな体はきっと壊れてしまう。お前の許しに甘えて、一度でも触れてしまえば、……もっと、欲しくなる」
「嬉しいです……私、ジゼ様と、夫婦になりたい……」
「アンネ。俺はお前を傷つけたくない。もし、……お前に触れて、契りの証をお前に刻んでしまったら、俺は、お前を手放すことができなくなってしまう。お前が俺から離れたいと望んだとしても、……部屋に閉じ込めて、鎖に繋いででも、強引に、俺の物にしようとするだろう」
どこか苦し気に、ジゼルハイド様は言った。
言葉や、触れる体から伝わってくる感情は、眩暈がするぐらいに、激しい。
荒波に飲まれた船から投げ出されて、海の底へと落ちていくみたいだ。
でも、それでも良い。
もっと、深く、激しく、――ジゼルハイド様を、私の体の奥で、感じたい。
「……離れたいなんて、思いません。私、ジゼ様のものになりたい」
「アンネ……お前を傷つけた俺を、許してくれるのか? ……俺は、お前をもっと、傷つけてしまうかもしれない」
「それは私も同じです。……私、我儘で、自分勝手で、ジゼ様を困らせてしまうかもしれません……。でも、ジゼ様、私……ジゼ様を好きでいて、良いですか?」
「……あぁ。……もう、手放せない。触れたい、アンネ。お前を、愛したい」
ジゼルハイド様は私を抱いていた腕から力を抜くと、少しだけ体を離した。
視線が絡まり合い、よく熟れたザクロのような赤い瞳が細められる。
唇が、軽く触れた。
少しかさついていて、けれど柔らかいそれが、一度触れて、すぐに離れていく。
私はジゼルハイド様の首に腕を回して、背伸びをした。
もう一度唇が重なる。
少し尖った舌先が、私の閉じた唇の狭間を扉をノックするように、ちろりと舐めた。
体中の血液が沸騰してしまったように、体があつい。
唇を開くと、大きな舌が私の口の中へとぬるりと入ってくる。
まるで食べられているみたいに口がいっぱいになって、息苦しさに私は眉を寄せた。
――息苦しいだけじゃない。
痛いぐらいに胸の鼓動が早まって、愛しさがあふれていく。
ずっと――こうしていたいのに、はじめてされた口づけが深く激しくて、苦しさに私はジゼルハイド様の寝衣を力の入らない指先でぎゅっと掴んだ。
「っ、は、……ふ、ぁ」
「……苦しかったか、アンネ。つい、夢中になってしまった。……大丈夫か」
「だいじょうぶ、です……たくさん、してくれたら、きっと上手になります、から」
「……あまり、煽らないでくれ」
ジゼルハイド様は深い溜息をつくと、私からそっと視線をそらした。
それから指先で私の目尻の涙を拭ってくれる。
「ゆっくりで良い、アンネ。……俺も、経験に乏しい。焦って、お前を壊したくはない。時間は、あるだろう。お前は俺と、ずっと、共にいてくれるのだから」
「……はい、ずっと、います。大好きです、ジゼ様……」
私はジゼルハイド様の首に回した腕に力を込めた。
身長の差があるせいで、背伸びした足が浮きそうになる。
ジゼルハイド様は私を軽々と抱き上げた。
いつもみたいに抱き上げられて、けれど、いつもとは違う。
嬉しくて、愛しくて――世界が、きらきらと輝いて見える。
恋というのは、不思議ね。
先程まで、私の心は暗く沈んでいたのに――今は、こんなに幸せに満ちている。
やっと…やっと恋愛になりました…!
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