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魔力と果実




 紅仙桃果、というからにはおそらくは桃の一種なのかしらね。

 私の手では両手で持たなければいけないぐらいの大きさの、丸みを帯びた赤い果物の皮が潰れて剥けて、中から薄黄色の果肉が顔を覗かせている。

 果肉は水分を多く含んでいるように艶やかに濡れていて、ジゼルハイド様の長い指を透明でとろりとした果汁が滴り落ちていく。


「……潰れた」


 事実を確認するように、ジゼルハイド様が呟いた。


「その果物は、柔らかいのですね」


「柔らかい。確かに、柔らかいが……気をつけて持ったつもりだ。力加減というのは、難しい」


 ジゼルハイド様の表情が、一瞬全ての感情を失ったように、どこまでも透き通った湖面のように凪いだ気がした。

 それから深く息をつくと、肩の力が抜けたように悩ましげに目を伏せる。


「熟れ過ぎていた、というわけでもないのだろうが、……他のものを」


「食べます、それ、私、食べます。ジゼルハイド様、食べ物を粗末にしたらいけないのですよ。私はよくエリカテーナお姉様にそう教わりました。だから」


「しかし、潰れた」


「皮が剥けましたから、食べやすそうになりました」


 私は、そういえばと、昨日のことを思い出した。

 昨日は蟹の剥き身を口の中に入れられた。

 あれがこちらの国ではごく普通で、むしろ作法に則った行動だとしたら、今日も私は頑張らなければいけないわね。

 すごく、恥ずかしいけれど。

 ジゼルハイド様は私の顔と潰れた赤い果実を何か考えるように交互に眺めて、それから私を抱いたままベンチへと座った。

 ジゼルハイド様の膝に座ったままの私は、雫を滴らせるジゼルハイド様の指先と、果肉がややひしゃげている果実を見つめる。

 それからジゼルハイド様の顔を、じっと見た。

 恥ずかしいけれど、それがこの国の作法なら、慣れなければいけないわよね。

 胸が高鳴る。身体中の血が沸騰してしまったように、体が熱い。

 さわさわと風に鳴る木も、小鳥の囀りも、全ての音が遠のいていくみたいだ。


「アンネリア」


 名前を呼ばれて、私は軽く震えた。

 促されているのよね。これ、多分、早く、口を開けという意味よね。

 昨日もお食事の最中に何度か言われたし。

 私はジゼルハイド様の服をぎゅっと掴むと、意を決して口を開いた。

 ジゼルハイド様の顔を見ていられなくて、目を閉じる。

 今まであまり意識したことがなかったけれど、唇や口の中を見られているというのは、かなり、すごく、恥ずかしい。

 特に口腔内というのは普段隠れている場所だし。人に見せるようなところではないのだし。


「…………ん」


 体を硬くして待っていると、唇に何かが触れた。

 柔らかい果肉と、硬い指。

 目を閉じているからか、その感触は余計にはっきりと感じられるようだった。

 水分をたっぷり含んだ果肉が舌の上に乗る。

 少し遅れて甘味が口いっぱいに広がった。

 味は、やっぱり桃に似ている。桃と林檎を混ぜたような感じかしら。

 甘味の中に僅かな酸味があり、後味がすっきりしている。

 口の中から指の感触がなくなったので、私は果肉を咀嚼して、こくんと飲み込んだ。


「はじめて食べましたけれど、すごく美味しいです……!」


 水分が多いのに味は濃い。

 口の中に溢れた果汁が、口角からこぼれ落ちそうになってしまうぐらいに、水気の多い果実に喉が潤う。

 果肉が胃に落ちると、体がほんのり熱くなるような気がした。

 私は閉じていた目を開いて、ジゼルハイド様に微笑んだ。


「旨いのか」


「美味しいですよ。ジゼルハイド様は、あまり召し上がらないのですか?」


「あぁ。竜人の女性たちは、魔力を補充するために好んでこれを食っているようだが、俺には必要ない」


「甘いものはお嫌いですか?」


「そういうわけではないが、好んで食べるということはないな。アンネリア、体に異変はないか?」


「大丈夫ですよ。とっても元気です。なんだか体がぽかぽかしますね」


「滋養の効果も高いようだからな」


「その……」


 私は未だジゼルハイド様の手の中にある果実に視線を送った。

 もう少し食べたい気がする。

 魔力の補充とは、どういうことなのかしら。

 魔力というからには、おそらく魔法の力のことよね。

 竜人の方々は竜に変化する他に、不思議な力が使える、おそろしい方々だと聞いたことがあるもの。

 果物を食べることによって私も不思議な力が使えるようになるかしら。

 すごく興味があるわね。


「少しだけだ、アンネリア」


「……ジゼルハイド様」


「駄目だ」


「……駄目ですか?」


 もう少し食べたいという気持ちを込めてジゼルハイド様を見つめると、深いため息と共に、潰れた果肉の欠片が口の中にそっと入れられる。

 果肉も甘いし、指先も、くらくらするぐらいに甘い。

 これは、羞恥からなのかしら。

 それとも別の何かなのかしら。

 よくわからないけれど、私は与えられる果実を食べた。

 口角から溢れそうになる果汁を、ジゼルハイド様の指が拭ってくれる。

 もっと食べたいと思ったのに、ジゼルハイド様は残りの果実を自分の口の中に一口で入れてしまった。


「気づいたのだが」


 もっと食べたかったのに。

 不満げにジゼルハイド様を睨む私を見下ろして、さっさと果物を食べ終えてしまったジゼルハイド様は、首を傾げる。

 丸呑みにしたのかしら。種とかないのかしら。果物なのに。


「お前は、小さい。果実までは手が届かない」


「木にのぼるので、大丈夫です」


「…………お前を一人にできないことは、理解できた」


「木にのぼれますよ、私。エルジエル君のために、高い木の上にとまっているセミなどを捕まえたりしていたのですよ」


「食うのか」


「食べないわよ?」


 ジゼルハイド様は私の唇を、服の袂から出したハンカチでぐいぐい拭ってくれた。

 果物を潰してしまった時は落ち込んでいるように見えたけれど、今はなんだか楽しそう。

 もしかして、私が虫を食べないことを理解した上で、わざと聞いているのかしら。

 そうだとしたら、ちょっと可愛らしい気がしてしまうわね。


「アンネリア。……昨日から考えていたのだが」


「昨日から考えていたのですか」


「あぁ。俺の名は、長いだろう。だから、……もう少し、親しく呼んでくれると嬉しい」


「なんと呼べば良いでしょうか」


「お前の好きなように」


「ええと、では……ジゼ様」


「俺も、アンネと呼んで構わないか?」


「ええ、もちろんです、ジゼ様」


 私が呼ぶと、ジゼルハイド様も私の名前を呼んでくれる。

 それは随分親しげな響きがあって、妙にくすぐったくて、胸の中がふわふわした。

 なんだかいつもよりも楽しい気分ね。

 体はぽかぽかするし、頭はなんとなくぼんやりする。

 もしかして、お酒のような効果が、果物にはあるのかしら。


「アンネ。……どうした、眠いのか」


「なんだか、体があつくて。これが、魔力なんでしょうか?」


「人は、魔力を持たないのか?」


「そもそも魔力ってなんでしょうか、ジゼ様」


 ジゼルハイド様はややあわてたようにして、立ち上がった。

 あわてていたせいだろうか、腕の力がいつもより強くて、ちょっとだけ体が痛い。

 お城へと戻るジゼルハイド様の腕の中で、私はくすくす笑っていた。すごく楽しい。

 楽しい気分になる果物なら、もっと食べたかったわね。残念。




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