紅仙桃果
光の差し込む小道を進む。
ジゼルハイド様の腕の中でゆらゆら揺られていると、まるで揺籠の中で揺蕩っているみたい。
眠気に襲われそうな予感がするのに、眠くない。
それ以上に何故か、やっぱりほんの少しの緊張を感じる。
(男性に触れられたことが、ほとんどないからかしら)
お兄様もエルジエル君もジュード様も男性だけれど、私にとっては男性というよりも家族、だったし。
それにお兄様たちの体は細身でしなやか。
こんなに、固くしっかりはしていなかった。
「あれは、オオクロメダマチョウ。あれは、ナキマネフクロウ。それから、アカメライチョウ」
「生き物の名前に詳しいのだな、アンネリア」
何か喋っていないと落ち着かない気がしたので、私は目に入った知っている生き物の名前を片っ端から呟いた。
ジゼルハイド様が感心したように私をのぞき込む。
覗き込まれると、黒檀のような黒が光の加減で時々赤く輝く長い艶々の髪が、顔に当たってくすぐったい。
「生き物の図鑑が、公爵家の蔵書の中にあって、それを抱えて森を散策などをしたのですよ。子供の頃に」
「子供ということは、今のアンネリアよりもさらに小さかったのだろう。危険だ」
「公爵家の敷地内の森ですので、危険はないのです。私が五歳の時に、お父様とお母様がご病気で亡くなってしまって」
「五歳の時に?」
「ええ。流行病でした。かなりの人が亡くなったのですよ。でもその尊い犠牲のおかげで、治療法が見つかったそうで、今はもう滅多なことで亡くなる人はいないのです」
「病を治療することができるのだな」
「できない病もありますけれど、特効薬で治せるものもあります。お薬というのは大抵、自然の中にあるものですから、植物や生き物などの知識を得ることは大切なのです。……なんて思って、私は図鑑を片手によく散策をしていました」
「失った両親を生き返らせる方法を探していたのか」
「そんなことはしませんよ。森の中にそんな方法は落ちていないですし、そもそも、そんなことはできませんし。それは確かに少し寂しかったですけれど、私には家族がいましたし。まぁ、でも、少しは寂しさを紛らわせるため、という理由もあったかもしれません」
ジゼルハイド様の突飛な発想に、私はくすくす笑った。
病気や怪我は治せるけれど、亡くなってしまった人を生き返らせることはできない。
そんなことは王国の民ならみんな知っているけれど、竜人の方々は違うのかしら。
「今はもう、寂しくないのか。いや、昨夜は俺のせいで、寂しい思いをしてしまったようだが」
「そ、それは、その、忘れてほしいのですけれど……」
「何故?」
「だって、恥ずかしいです……その、初対面の男性に、一緒に寝てくれなかったから寂しかったって、怒るとか、私……」
言葉にすると、羞恥心が増した。
なんというか、いたたまれない。
私、自分のことを結構、しっかりしてるって思っていたのよ。もう、大人なのだし。
でも良く考えたら、お父様とお母様が早くに亡くなってしまったから、お兄様は余計に私のことを心配して構うようにしてくれていたし、王家の方々だって家族みたいに私を扱ってくれていたし。
お兄様は早くにお姉様と結婚して、二人とも私の両親みたいに振る舞っていてくれていたもの。
エルジエル君は、弟みたいで可愛かったわよね。
そう思うと、私、結構甘やかされていたのかもしれないわ。
もちろん、実家で甘やかされながらぬくぬく生活していた自覚はあるのだけれど。
完璧な一人、になったのって、これが初めてよね。
「ごめんなさい、ジゼルハイド様。てっきり、妾や、側妃になるって思っていたのです。私の姿を見たらジゼルハイド様は興味を無くしてしまって、お城の中で放っておかれるかもしれないって、色々考えていて」
「そんなことはしない」
「……他に奥様がいなくて、私を花嫁として迎えてくださることが、嬉しくて。だから、……甘えてしまいました。ごめんなさい」
「何故謝る必要がある?」
「ご迷惑かな、って、思って」
「迷惑などではない。どのように振る舞うべきなのか、どのように振る舞えばお前を傷つけずにいられるのか、正直悩んでいる。だから、望みは口にしてくれるとありがたい」
胸の奥が、きゅ、と音を立てて軋んだ。
ジゼルハイド様は、立派な体躯に、表情のあまり変わらない秀麗な顔。雄々しくて神秘的で、どこか近寄り難い雰囲気のある美しい方だ。
けれど、口を開くとどこまでも真摯で、真っ直ぐで、まるで淀みのいっさいない湖のような方。
気づかいや、思いやりが嬉しい。
嬉しいけれど、なんだか切ない。
こんな感情はよく知らない。息苦しささえ感じる。
「アンネリア。朝は果実を食べるのだと言っていたな」
「え、ええ、はい……」
自分の感情に戸惑っていると、ジゼルハイド様が不意に足を止めて私に尋ねた。
そこは木々に囲まれた休憩所になっているようだった。
開けた場所に、大きい木製のベンチが一つ置かれている。
あたりを囲う木々からは、手のひら大の丸い紅い果実が、たわわに実っていた。
甘く芳しい香りがする。
「これは、竜人の女性たちが好んで食べる、紅仙桃果。食べたことは?」
「初めてみました。美味しそうですね」
「……お前に、と、思ったのだが、やめておこう。食べなれないものを口にして、体が弱ってしまってはいけない」
「昨日、一緒にお食事を食べた時に思ったのですけれど、お食事も、お料理も、私の国と……味わいは少し違いますけれど、そう大きくは変わりません。だから、ジゼルハイド様たちが食べているものは、私も食べることができると判断して良いのだと思います」
「……駄目だ」
「すごく美味しそうなので、ジゼルハイド様のいないときにこっそりここにきて、食べますよ。私なら、絶対食べます」
私は言い切った。
元々、新しいものや見慣れないものが私は好きだし、食べたことがないものは、ぜひ食べてみたいと思う。
味わいを知りたいし、観察したいし、できればどのような特徴のある果物なのか、図鑑などで調べたい。
「連れてくるべきではなかったな」
「ジゼルハイド様が案内してくださらなくても、そのうち自分でここを見つけて、食べますね、私なら」
「それは……困るな。アンネリア、なんでも口にしようとするのはいけない。毒があるかもしれない」
「なんでもは食べないわよ、子犬じゃあるまいし」
私はジゼルハイド様の腕の中で、あまりに子犬のように扱われることについて文句を言った。
私は家具の端っこを齧ったりしないし、道端に落ちていたものを拾って食べたりもしないのよ。
食べられそうな果物かそうじゃないかぐらいは、判断できる。
まぁ、でも確かに、食べられそうだったら、ちょっと齧ってみるかもしれないけれど。
「そんなに食いたいのか、アンネリア」
「食べたいです」
「仕方ない……少しだけだ」
ジゼルハイド様は果実に手を伸ばした。
私だったらぴょんぴょん跳ねても届かなそうな場所に実っている果実を、一つだけもぎ取ってくれる。
果実が柔らかいせいか、ジゼルハイド様の力が強いせいか、果実はジゼルハイド様の手の中でぐにゃっと潰れた。
ジゼルハイド様は潰れた果実を無言で見つめて、なんとも言えない表情を浮かべた。
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