朝のお散歩
赤いリボンが首元にある黒いワンピースに着替えた私を、ジゼルハイド様はさも当たり前のように抱き上げてくださった。
「あの、私、歩けるのですが……」
「先程転落したばかりだろう。無理はしなくて良い」
「痛みもなくて、怪我もないのです」
「嫌か?」
「嫌ではない、ですけれど……」
ジゼルハイド様は今日も大きい。
抱き上げられると安心感と、やっぱり、僅かな緊張を感じる。
「それならば良い」
ジゼルハイド様は何かに納得したように頷くと、回廊を歩きはじめる。
ジゼルハイド様は私を抱き上げたくて、私は抱き上げられるのが嫌じゃない。
それなら別に良いのかしら。
何かが、よくない気がするのだけれど。
「朝食の前に、少し歩こうか。それとも、空腹だろうか」
「それほどでもありません。王国では朝は、果物を少しと、紅茶ぐらいしか飲まないのです」
「それだけで、体に支障はないのか?」
「この通り、元気に育ちましたよ!」
私はジゼルハイド様の腕の中で握り拳を作った。
ジゼルハイド様の口元が綻び、笑みの形になる。
「そうだな。見るからに、元気そうではあるが……昨日は眠れたか? 慣れない場所で、その上寂しかったのだろう。お前たちは少しの刺激で体調を崩してしまうだろうから、気をつけなければ」
「とてもよく眠れました。それに、滅多なことでは体調を崩したりはしませんよ、元気です」
「そうか……それなら、よかった」
回廊を抜けて、長い階段を降りる。
途中すれ違った侍女の方に、「ラヴィーヌに、朝食を中庭に用意するように伝えろ」と命じていた。
侍女の方は頷くと、いそいそと私たちが来た方向へと向かっていった。
開け放たれた大きい扉の向こうには、中庭が広がっている。
中庭には、小さめの館ぐらいの大きさの東家があって、その周りには川や、木々や、花々がある。
王国のお庭は庭師の方が木々も花も形を整えてくれているけれど、こちらのお庭はまるで本当に森の中に迷い込んでしまったような風情がある。
といっても、無秩序に植物がはえているのではない、手入れがされている美しい場所だった。
「城の中は、息がつまるだろう。後宮からしかこの場所には来ることができない。だから、自由にこの場所を散策して良い。だが、ここも広い。あまり奥へ入り込んでしまうと、迷う可能性がある。危険な動物などがいるわけではないが、あまり遠くまでは行くな」
「分かりました。気をつけますね」
「一人で歩くことなどないだろうがな。俺がいない時は、ラヴィーヌとレイニスが共をする」
「お気遣い、ありがとうございます。……あの、せっかく連れてきてくださったので、少しだけ歩いても良いですか? お花を、近くで見たいのです」
「……あぁ」
ジゼルハイド様は、私をすんなりおろしてくれた。
靴の裏が、さくりと草を踏み締める。
久々に歩いた気がして、私は二、三歩足を動かした後、軽く跳ねた。
「アンネリア?」
「あ! ついいつもの癖で」
「癖とは」
「公爵家では、エルジエル君……私の甥と、一緒に暮らしていたものですから。朝はお庭に出て、体操をするのです。一日を健やかに過ごすためのお約束みたいなもので」
「体操……」
「はい! こう、手を繋いで、今日も元気に跳ね回る、ウサギ体操、ピョンピョン! って……それから、ザリガニなどを公爵家の敷地内にある川に釣りに行くのですね」
私はジゼルハイド様の両手を握ると、体を揺らした後に、数回跳ねた。
外の空気、とっても良いわね。
小鳥の囀りと、川のせせらぎ。頬を撫でる風や、植物の香りが私はとても好きだ。
エルジエル君と毎日お庭で遊ぶのは、とても楽しかったわね。
もし私に子供ができたら、あんなふうに毎日お庭の散策ができるのかしら。
子供。ジゼルハイド様との、子供……。
そこまで考えて、私はあわててその妄想をかき消した。
私、一人で先走りすぎよね。まだ、そんなに親しくなれたというわけでもないのに。
「ザリガニ……食うのか」
「食べないです」
「食わないのか……なぜ捕獲に?」
「赤くて格好良いからですね」
「赤いと格好良いのか?」
「はい。赤くて、ハサミがあって、格好良いのです」
私はジゼルハイド様と繋いだままだった手を離して、両手を上に上げた。
ザリガニの威嚇のポーズである。
ジゼルハイド様は少し考えるようにして、私の腰を手で掴むと、おもむろに抱き上げてくださった。
「わ……!」
「赤いものが好きなのだな、アンネリア。蟹も赤い」
「蟹も好きですけれど、ええと、あの、今どうして抱き上げてくださったのですか?」
「抱き上げて欲しいという仕草ではないのか。昨日も同じ仕草をしていた」
そういえば、していたわね。
ザリガニの威嚇のポーズ、ではなくて、昨日のは抱き上げてくださいな、という仕草だったのだけれど。
確かに似ているわね。昨日の私も、似ていると思ったもの。
私はジゼルハイド様の首に、ぎゅっと抱きついた。
私のちょっとした仕草を覚えていてくださったのが、嬉しい。
そして、何事にも真剣に向き合ってくださっているようなジゼルハイド様との時間が、楽しい。
ジゼルハイド様は私を抱き上げたまま、お庭の奥へと向かう。
「赤い花を、増やすように伝えよう。ザリガニは、川にはいただろうか。わからないな。川の生き物について考えたことはあまりない。お前たちは、カブトムシを捕まえたり、ザリガニを捕まえたり、不思議だな」
「竜人の方々は、小さな生き物を愛でたりはしないのですか?」
「そういった習慣はない」
「そうなのですね。あ! でも、王国でもみんながザリガニを捕まえるというわけではないのですよ。私などは、エルジエル君と一緒にザリガニを捕まえて、お兄様によく怒られていましたもの」
「怒られる? 何故?」
「ハサミがあるので、危ないのですね。それに、手が汚れるからと」
「確かに、お前の指ならすぐに切り落とされてしまいそうだな。よく無事だった。ザリガニは駄目だ」
切り落とされたりはしないと思うけれど。
ジゼルハイド様は東家の隣を抜けて、川にかかる橋を通って、木々の並んだ細い道を進む。
朝の新鮮な空気と、植物の青々とした香りが、ジゼルハイド様の低い声が皮膚を通して響くのが心地よくて、私は知らず、顔に笑みを浮かべていた。
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