最終話 虹のたもとでクルックーと鳴いたねこ。
時は。
矢のように過ぎ去りて――ぇーーーー
★
薄く目を開けた。
私の手を。
最愛の人が握っている。
「あなた……あなた!! 私はここにいます」
美しい瞳から。
涙がこぼれていた。
ああ。
……そうか。
人はその時。
人生を振り返ると。
聞いたことがある。
私は。
夢を見ていた。
*
ごま塩頭になったエースと。
ふくよかになったさちこさんも来てくれている。
二人は。
出会った日から半年後に結婚した。
二男二女をもうけ。
今では八人の孫を持つ大家族だ。
ポンコツ上司は。
企画部のあの人を最後まで追い越せなかった。
惜しまれもせず。
定年を迎え。
東京でできた人間関係をすべて断ち切り。
故郷でもない長野へ。
一人で移住したという。
その後の消息を。
誰も知らない。
最後まで。
適当で。
無責任で。
ポンコツだった。
けれど。
あの上司がいなかったら。
私は今も。
自分を悔いながら。
生きていたのかもしれない。
感謝だ。
父は。
母より先に死んだ。
母は今。
車椅子に乗り。
私の足にすがっている。
「おとうちゃん。おとうちゃん」
私を。
父だと思っている。
認知症とは。
何と残酷な病なのだろう。
その人が。
その人ではなくなってゆく。
それでも。
その人であった時間まで。
消えるわけではない。
母にも。
母だった時間がある。
私は。
知っている。
だから。
連れて行くしかない。
葬式続きになって。
申し訳ないけれど。
置いていけば。
残された人たちが大変だ。
「かあちゃん」
私は。
母の手を取った。
「一緒に行くか」
*
恐る恐る。
足元を見た。
やっぱり。
来ていた。
吉乃さん。
今も。
その美貌は衰え知らずだ。
その隣に。
のっぺりとした白い能面。
黒装束が…、‥ワァーオーーー!!!
し!
し!!
死神ーーー!!!
吉乃さんが。
死神に頷いた。
その瞬間。
私の体が。
宙へふわりと浮いた。
吉乃さんに促され。
私は下を見る。
ベッドに。
私が横たわっている。
その手を。
最愛の人が握っていた。
私は。
手を引く吉乃さんの手を。
引っ張った。
吉乃さんが。
振り返る。
「まだ、お願いごとを聞いてもらってないですよね」
「そうじゃな」
吉乃さんが笑った。
「まだ、叶えておらんかったな」
「絶対、叶えてほしいんですけど」
「何じゃ?」
私は。
もう一度。
ベッドの方を見た。
泣いている。
あの人を見た。
「また地球に生まれたい」
吉乃さんは。
黙っている。
「そして」
私は言った。
「また、あの人を愛したい」
*
ガラリ!!!
激しくドアが開いた。
「なに! さっさと行ってんのよ! 少しは待つってこと知らないの!!」
トモッキーだった。
最後まで。
うるさい。
霊感を。
遺憾なく発揮して。
怒鳴ったと思ったら。
泣き出した。
ボロボロと。
涙を流している。
それでも。
吉乃さんを見つめ。
「よろしくお願いします」と、
うなだれながらも
深く。
深く。
頭を下げてくれた。
顔を上げた。
マスカラが滲み。
ブサイクだ。
その目で。
今度は死神を睨みつけ。
「お前ーーー!もう悪さしてねえーーだろうなーー!!!」
男声だった。
怖っ。
死神が。
吉乃さんの後ろへ。
すっと隠れた。
そして。
コクリ。
頷いた。
死神。
弱っ。
トモッキーは。
ゆっくりと私を見る。
「よしののことは心配しなくていいから。さっさと行きなさい」
そう言って。
「あっーっ! ちょっと待って!」
どっちだよ。
「私の時も、三人で迎えに来てくれる?」
私は。
大きく頷いた。
トモッキーの顔が。
また。
大きく崩れた。
それでも。
「行って! あとは任せて!」
追い払うように。
両手をサッサッと振る。
そして。
ベッドに取り縋って泣くあの人へ。
そっと。
寄り添ってくれた。
今も。
トモッキーは。
売れっ子starだ。
*
「迎えの時間じゃ」
吉乃さんが。
微笑んだ。
次の瞬間。
加速した。
速っ!!!
雲の中へ突っ込む。
白い。
白い。
白い。
そして。
抜けた。
青空だった。
その向こうに。
大きな虹が見えた。
虹のたもとに。
誰かがいる。
一人ではない。
たくさんいる。
目を凝らした。
あ。
父だ。
江田島で。
教官をしていた頃の父。
若い。
背筋を伸ばして立っている。
その隣に。
叔父。
叔母。
ばーちゃん。
じーちゃん。
みんな。
私を見ていた。
笑っている。
その時。
小さな何かが。
人の間から飛び出した。
走ってくる。
「……ねこ?」
ねこだ。
ねこ!!!
私の胸元へ。
飛び込んできた。
受け止める。
軽い。
懐かしい。
「久しぶりだね、ねこ」
顔を覗き込む。
「元気だったかい?」
ねこが。
私を見る。
そして。
「クルックー」
と。
愛くるしく鳴いた。
変わっていない。
私は。
ねこを抱きしめた。
あの頃と。
同じ感触だった。
涙が。
溢れた。
お前は。
見ていてくれたんだね。
*
「ちょっと待ってよ!」
声がした。
息を切らしている。
振り返る。
誰かが。
こちらへ走ってくる。
「ああ、しんど」
その顔を見た。
母だった。
車椅子ではない。
私を父と間違えていた母でもない。
ウチクラストアで働いていた頃の。
母。
よく働き。
よく喋り。
よく笑っていた。
私の知る中で。
一番。
生き生きと生きていた頃の。
母だった。
「早くない?」
私が言った。
母は。
息を整えながら。
「葬式代も香典も、一回で済むだろう」
と言った。
母らしい。
死んだ親戚一同が。
大きな声で笑った。
父が。
人の輪から歩み出る。
母の隣へ。
そっと。
寄り添った。
母が。
父を見る。
その顔に。
笑顔が満ちる。
私は。
ねこを抱いたまま。
その光景を見ていた。
虹がある。
空がある。
風が吹いている。
みんな。
笑っている。
そうか。
もう。
ここにあったんだな。
私は。
遥か下にいる。
あの人を見た。
よしの
死ぬのも。
悪くないよ。
了
最後までお読みいただきましてありがとうございます。
感謝いたします。
國生さゆり




