女王
投稿が一日遅れ、申し訳ありません。
女王による連邦国。大陸の極東に位置する連邦国は六つの構成国から成り、その人口は約二千万人。連邦国の元首は女王であったが、それぞれの構成国にはそれぞれに元首がおり、女王も構成国の一国であるハタウフィーグの元首であった。つまり女王は連邦と構成国の一国の元首を兼ねていることになる。それぞれの構成国の内政に対しては女王といえど基本的に不干渉であるが、国防、外交に関することの一切は連邦が管理する。
連邦のそれらの方針を決めるのが女王であり、そして連邦議会であった。
議会を構成するのは近衛軍、国防軍、そして議員の三派。しかし近衛は女王の私兵であるから、実質議会にも女王の力は及んでいることになる。その為国防軍と議員が一致して女王に異議を唱えた場合のみ初めて議会は女王に対し大きな発言力を持つ形となる。
イサイは怪我が完治してすぐ王都エスカテリンにおいて議会に召喚された。
「人は神の寵愛を一心に受けていたからこそ知恵を持ち!大地を支配していたのだ!それが今やどうか!人は邪に走り!原罪をものともせず犯し!神に背く外道をあまりにも我々は許容していたのだ!神は我々に怒りを現し!見よ!今や我がシルブハスの大地の外に人の影無し!我々は今こそ神に一層の忠誠を誓い!神の寵愛を取り戻すべきなのだ!東に魔女が支配する大地あり!彼の国は原罪を原罪とも思わぬ魔女を戴きに据え!これを誅すべからずして我々が神に信仰を示せると言わんだろうか!かの魔女放蕩にして淫靡!人心を覗き!欺き!惑わし!操り!魔女に支配されたかの大地は荒廃し!我らがマーブの教えも風前の灯火である!」
議場は壇上の採光取りの天井窓だけでは光が足りず幾つも壁にランプが灯されていた。議場の人々のざわめきが体現されたかのように人々の陰影はぼやかされている。
そのざわめきを止めたのは壇上から響いた扉を開ける音だった。足音と鉄が擦れ合う音が響き壇上に一人の少女現れる。少女は天井の採光取りの窓から注がれる光を浴び、白く浮かび上がるようだった。金属のように光を反射する彼女の金瞳と、その瞳の色に合わせたような美しい髪を持ち、その髪は編み込まれ後ろで二つの輪になるように結わえられている。白い外套の下には少女に似つかわしくない鈍く光る装甲を薄く纏い、口元を固く引き締める少女はこのぼやけた世界からどこか浮いて見えた。
あれが魔女なのだろうか。しかしどう見ても十代の少女にしか見えない。魔女は齢五十を越えているはず。魔女は人々を虜にすることで国を支配しているという。それが事実であるならばそれは確かに魔術でしかないない。僧侶が魔女に対し糾弾を叫ぶ際聴衆はそのように噂していた。
しかし少女は壇上に据えられた豪奢な椅子の傍らまで来て歩調を緩めると、その椅子に座ることなく左後方に位置してそのまま正面に向き直った。少女が持つ大きな金瞳はどこか無機質に日を反射させながら議場を見下ろすように軽く見渡し、最後にイサイを見た後不機嫌そうに顎先をあげる。
それが合図だったのだろう、イサイの立つ査問台の背後の入り口の扉が開いて青基調の軍服を纏い同じく薄く装甲を身につけ槍剣を携えた兵が複数人入室する。彼らは部屋の両側面に立ちそのまま静止する。
「我が王、こちらへ。」
凛とした涼やかな声を少女が発する。議場の全員が起立し、近衛軍、国防軍、議員らがそれぞれに敬礼や礼をしてみせた。
壇上からまた一人の女が姿を見せた。女は白い少女と対照的にゆったりと歩く。背が高く、体の線がよく見える薄い生地で作られたロングドレスを着ている。丈の短い白い毛皮を肩に羽織り、長く黒く細い髪がさらさらと毛皮にかかっている。柔らかな胸元には白く輝く宝石。白く輝いた少女が通った後に続く黒く輝く女のコントラストに思わず目が眩む。黒い衣服、黒髪に相反するように白く輝く肌が宝石に反射し、背後の少女と相まって暗く陰鬱に見えた壇上の様子を一変させた。
豪奢な椅子にその女が座ると赤く輝く瞳がイサイを捉えた。その瞳は透明なガラスのように奥を見渡せない。イサイは思慮なく目を逸らさずその瞳を見返した。
覗けば覗くほどに深く、赤が色濃く、その色が大きく光を放ってイサイを包むと彼女の肌がとても柔らかでしなやかに映り彼女に釘付けになった。その時誰かが耳元でぼそぼそと呟く。全身が粟立ち、思わず我に返った。しかし心が身構えようとする頃には既に女は口元を扇で隠し、後ろの少女が伺い立てるようにして何事か会話をしていた。
この女が魔女、そして女王か。
事実、議場にはいつの間にか静かな熱気が漂っている。特に黒基調の多様な礼装に身を包む議員などは舐めるような視線を女王に投げているものすらおり、人々を虜にして国を支配する、それはあながち噂だけではないように思えた。
しかし訝しい。その女王は高齢どころかどう見ても妙齢の女にしか見えない。噂に尾ひれがついて回っていただけなのか。そして思う。今の囁きはなんだったか。その囁きのことを思うとなぜか背中は冷たく汗を掻き、心臓が鳴った。酷く聞き覚えがあった。例えるならいつも傍にいてなにかに答えていたような存在。思わず巨躯の狼を連想する。あの時も確かにこの存在を感じた。自身にいつもある違和感、少年との会話で酷く覚えた既視感。何かがおかしい。でも、なんだ?
アイシャは突然会話を止めた。ネイは彼女の視線の先を追う。そこにはイサイなどという少年の姿があった。少年は目を瞑り微動だにしない。ネイの表情から消えていた不機嫌さが戻る。
「アイシャ様、どうされたのですか?」
女王は答えない。
ネイがもう一度声を掛けようとした時、女王は指を立ててネイを制し、顔を傾けて微笑する。
「あなたに隠しても無駄だものね。とても面白い子が来たのね。ハンスの報告もまだまだだわ。私の好みなんてもう分かっている癖に。わざとなのかしら。」
ネイにはアイシャの言葉の意味を掴みきれなかったが、それは今はさしたる問題ではない。後々、どんな言葉を紡がれ聞くよりも詳細にその意味を知ることができるのだから。しかしその意味の予想はできる。少女は愛らしい顔を歪めてイサイを睨んだが、少年はネイの視線に気付きようもなく目を閉じたままであった。
「皆。特に議員の方々。今日は急遽時間を取らせて申し訳ないわね。さぁ、始めてちょうだい。」
女王が胸に浸透するような滑らかな声で発すると、一人の男が黒い集団から起立した。男はハンスだった。ハンスは重厚な上着に白い亜麻綿のクラバットを巻き、胸には多数の勲章が光る。他の議員に比べても彼が異装に見えるのは、周囲に比べ格段に体格のいいこともさるながら、顔の隠しきれない傷痕と真白で豊かな髭が合わさって、彼を海賊かなにかの棟梁にしか見せないせいだろう。
しかしそんな厳格な風貌とは対照的に、彼は間の伸びた挨拶から始まって今日の議会の趣旨を長々と、ともすれば億劫そうにも思える態度で説明し始めた。
女王にとってどこまでも長く、退屈な時間が始まった。
今日の議会は近衛軍の機密の取り扱いのずさんさを糾弾したい国防軍と、国防軍に肩入れして近衛軍を糾弾することで女王の揚げ足を取りたい議員達の強い要望があり、そしてわざわざ別日程を設けて行われたものだった。
女王の信奉者である近衛軍の将軍フーゴは、巖のような体格の国防軍の将軍セミォンに些細なことを大声でしつこく突付かれ、いつもの冷静な、ネイに言わせればアイシャに対して格好つけたいだけのキザな態度を忘れて青筋立てて今にも怒鳴り返しそうだった。ネイは彼を毛嫌いしており、その態度を見てその容貌に似つかわしくない表情を浮かべて舌打ちする。
「もう、ネイは彼に対して厳しいわね。」
「アイシャ様の心が広いだけです。見ていて本当にイラつきます。」
女王と背後の少女ネイは、女王は扇で口元を隠しながら、ネイはなにかを伺い立てる形で暇つぶしの雑談をしていた。ネイは自身の立場を気にして本当はこのような雑談をしたくないのだが、いつもアイシャに引っ張られる形で雑談をしてしまっていた。
セミォンは怒りに飲まれる寸前のフーゴを見て内心ほくそ笑みながら今度は冷静な態度を見せ、一からこの問題の説明を始める。
「よろしいかブライヒャ殿。近衛が連邦の機密を取り扱う権利を持っているのは勿論承知のことだ。勘違いされておられるようだが、我々はそれに異論を挟む気は全くない。だが権利というものは同時に責任が生じるものだ。近衛は権利に溺れてその責任というものを忘れてしまっているのではないのか。」
近衛軍は連邦の機密を扱う権利と責任を持っておりながら、機密の塊である調査船に素性の知れぬ異国の者を乗せた。これで仮にその者が間者であったとすれば既に多くの機密が流出して取り返しがつかない事態になっていたかもしれない。権利ばかりを行使しておきながら、これで責任を果たしていると言えるのだろうか、と。
それを聞いたフーゴはこんな些細な問題をネチネチと何度も何度も取り上げる愚かなセミォンに対し我慢の限界だった。
醜くも大の男が近衛に嫉妬しているだけなのだろう、フーゴはなるべく平静を取り繕いながらも噛み締めすぎた奥歯が欠け、彼の後方に席する副官らの耳にまで欠けた奥歯を噛み砕く音が聞こえる有り様だった。
近衛軍としては女王の裁可の下議員であるハンスに近衛軍の人材と機密を貸し出したに過ぎないのであり、その権利と責任は一時的にであっても女王とハンスにあったのだ。それに調査隊の趣旨に則ればハンスの下した決断も、実質調査隊を指揮していた両大尉らの対応も、決して非難されるほどでもないのだ。むしろこの情勢下であるならば事なかれを貫かず彼らのようにあるべきだ。
「失礼ながらブジョンヌイ殿は知見が狭くていらっしゃる。昨今の我らが連邦の取り巻かれている状況を考慮しておいでか?それらを踏まえれば此度の調査隊の行動を非難する、剛直でいらっしゃる軍人の鑑の貴殿ならば不満に思う点もあるのかもしれないが、何より何度も述べているように貴殿のいう権利と責任は一時的にではあれ近衛になく、したがって・・・」
「近衛の責任を陛下とハンス殿に擦り付けるなどど、近衛の怠慢が伺えるというものですかな。」
セミォンが放った一言にとうとうフーゴは怒りの箍が外れ拳を机上に打ちつける。
「貴様!もう一度言ってみろ!ただじゃ済まんぞ!」
敬愛する女王を出汁に使われた分かりやすい挑発に簡単に乗った彼を見てセミォンは笑みを浮かべた。
「何度でも言ってやらぁ!そんなに責任が怖ぇなら今すぐその制服脱いで軍人やめちまえ!」
血の気の多い北方人種、つまりは元からこの地方にいた民族達で多数構成される国防軍の武官達は、自身達の大将の啖呵に普段から溜め込んでいる近衛に対する鬱憤を晴らす機会だとばかりに腕まくりをして今にも飛び出そうとし、西方の貴族達の集団疎開を礎とする近衛の武官達は、下賎な者共に実力を思い知らせるいい機会だとばかりそれに受けてたとうと制服のボタンを外し始めた。
アイシャの前で余りに醜い場を見せていることに怒りが募ったネイは、壇上から飛び降り両将軍を黙らせようと動いた時、事の成り行きを見守っていたハンスがネイの動きに気付き慌てて声をあげた。
「おいおいやめんか!乱闘ならば後で外で幾らでもやるがええ。今は議会中ぞ!」
大の大人、それ以上に両軍を代表する将官の二人が、黙っていれば咲き開く寸前の百合のつぼみのような少女でしかない彼女に殴られる様など痛々しすぎてとても見ていられるものではない。そして彼女ならそれをやりかねない。
「しかし幾ら近衛が陛下の私軍とはいえ機密は国家の物。幾ら陛下とはいえ国家までを私物にして良いわけがないでしょう。」
突如黒服集団の一人、この場では女王に次ぐ有力者であり、構成国の一つ、エタンフィーグの元首であるベルザーリンが国防軍の肩を持つような発言を行う。このタイミングで、ハンスは苦々しく思いながらも彼に発言の意図を尋ねようとした時、頭に血が昇って抜け切れていないフーゴが先に尋ねた。
「いつ、我が王が、国を私物化されたとおっしゃられるのですか?」
「失礼、言い方が悪かったですね。国家が王の私物であったとするなれば今回の件、陛下の一言があればなんら問題無き事。しかし実際は違いますね。なのにそれをうやむやにしてしまっては国家が陛下の私物であるように感じてしまうのは私だけではないでしょう。どこに、誰に、責任があったのか、今後何があってもすぐ対応が取れるようまずははっきりさせる必要がありましょう。」
ベルザーリンは鋭く、狐のような目でフーゴを見返す。
「まぁワシでしょうな。」
気の抜けた声が議場に響く。
「それでいいではないか。全部ワシ・・・おお申し訳ない。私が指示したことです。今後も勿論何かあれば私が責任を持ちましょう。それではいけませんかな?」
議場の注目はハンスに集まった。近衛、国防両軍に精通し、女王から特に信任の厚いハンスの言葉に歯切れ悪くも様々な反応が返る。
近衛としてはハンス殿のみが責任を負うなどとは納得がいきません。この情勢下であればハンス殿でなくてもあのような・・・我々国防軍としてもハンス殿だけが責任を押し付けるような話ではないと・・・
議員達は無言でハンスを見る。
次に誰が口を開き何を言うのか、議場は硬直する。
「じゃあそろそろいいかしら。査問を始めたいのだけど。」
ネイは真剣な表情で両派閥のやり取りを見守っていたが、当の女王はこの茶番に全く興味がなくほぼ全てを聞き流していた。それよりも彼女は目の前の査問台に立つイサイをずっと見ていた。ハンスの報告書を読み彼女は彼に非常な興味を持った。しかし彼を見て気付いたのだがその報告書には抜けていたことがあり、それがアイシャの退屈になるはずだった時間をそうではないものに変えた。
「ネイ、どう思う?」
ネイは声をかけられ少し慌てたように返事した。
「何がです?」
「あのイサイって子。」
「そうですね・・・奴は気の抜けない目をしています。査問会は議会で行って正解だったかもしれません。アイシャ様はどう感じられたのですか?」
「想像してたよりずっと可愛いわ。」
黒髪、相反する青さすら感じる白い肌。自身に視線で射抜かれ、内面を押し隠す揺れることのないオニキスのような瞳。長袖一枚だけを着ている体は細い割に荒々しく線を描き、確かに報告書通りの鍛えぬかれた体をしているのだろう。もっと厳つい男を想像していたのだ。思わず顔が緩むのを感じる。
ネイはアイシャの問いの意味を知るところになり、呆れると同時に心の底がチリチリと焦げるのを感じた。イサイを見る。自分の立場というものを分かっているのだろうか。奴は平然と立ちながら場の行末を眺めているようだった。ガキはガキらしく狼狽え唇を青く染めながら、ともすれば泣き出しそうな表情で足を震わせあの場所に立つべきだ。可愛気の欠片もない。どこにアイシャ様はそれを見たのだろうか。
「アイシャ様。今は議会中です。それにあのような得体の知れない異国の者、アイシャ様が気にかけるような者ではありません。」
「あら、つれないわね。」
アイシャは心持ち振り返り、すぐにネイの心の色に気付いて苦笑する。少女はアイシャが考えていたよりも随分と早くから既に少年に嫉妬していたようだった。
「大丈夫よ、ネイ。あの子をあなたが嫌う理由はないわ。だって・・・」
女王は美しく口元を歪めて笑う。
「あの子、私に欲情しようとしないのよ。腹ただしいわ。」
その日の議会では、女王の一言によりようやく本題であった査問会へと進行した。
査問の目的は大きく分けて二つあった。一つはイサイの素性を正し、間者ではないかを見極めること。もう一つは彼から有益な情報を得ること。特にシルブハスの内情についてはよく分かっていないというのが本当のところだった。大陸に名だたる大国が現王のハスルディヤによって併合と統合が繰り返されできた彼の国とは活発に交易を行ってはいるものの、シルブハスでは連邦の者が国内に立ち入ることを厳禁していること、両国の距離がありすぎて国を抜け出る逃散民すら流れてこないこと、この二つが内情についてを分からなくさせていた。
唯一マーブ教団を通じて入ってくる情報はあるものの、今や教皇を擁し、マーブの聖地として崇められるシルブハスについて彼らがありのままの姿を伝えているわけがない、そう女王は考えていた。
査問官はあらかじめ用意されていた査問項目を読み上げ彼に質疑を投げかける。彼の口からはこれまで伝え聞かれていた情報とは真逆のことばかりが述べられたため議場は異様な雰囲気に包まれ、不遜とも取れる彼の態度に更に疑惑の目が向けられていた。
「ヂヅチよ、その方は先程の質問に心して返事をしなければならない。沈黙は議会への侮辱と見做すぞ。本来その方にかけられた嫌疑は証拠不十分であっても時に極刑に処す場合すらあるのだ。もう一度問おう。その方は中々に鉄質の良い剣を持ち、更には小銃なども携行していた。貧困から抜け出す為に国を抜けた、これが真実であればそんなものを持つことがそもそもできまい。なぜ貧困などと虚偽を述べるのだ。」
「虚偽など何も述べていない。剣は自身で造り、銃はあの国で衛士をしていた頃に手に入れたものだ。俺は腕を買われ衛士になったが、本来あの国で俺のような国を失ったスラム出身の者など人の扱いを受けない。スラムを歩けばそこらに餓死した母子の死体が転がっている。女といえば体を売り、男といえば何かを殺し奪い金を得る。子供も例外ではない。そんなスラムがシルブハスにはごまんとある。」
そこまで言うと彼は一度視線を下方に逸し口を噤んだ。女王はその様子を目を細めて眺める。彼の色が揺れている。なぜ揺れるのだろうか。悲惨な光景を思い出したから?彼のあの年齢であれば当然のようにも思える。でも恐らく違う。彼の色は揺れはしても、変化がない。そうだ、なぜ彼は色が変化しないのか。そして揺れる。動揺の表れだと一度目は考えたがどうも違うと感じる。では何を意味するのだろう。
どうしたのだ、査問官の声にイサイは再度視線を上げて続ける。
「そんな、ゴミ溜めを貧困と呼んだ。日々俺のような故国を失った者らがあの国に流れ込み、人の扱いを受けない境遇を受ける。メンフ派はあの国にとっては都合がいい。メンフ派のおかげで体よく奴隷を国内に呼び込み、邪教徒狩りと称して口減らしも兼ねた奴隷狩りができる。俺はその手先をしていて、衛士になった。」
イサイの発言内容は女王が求めていた内情そのものであり、更には女王にとって最も都合のいい内容だった。それにも関わらず女王は話の内容を吟味するよりも少年の心の色を執拗に観察し続けていた。
揺れが激しさを増している。なのに色に変化が全く見られない。それも白。白などと、普通には見られない色だ。白といえば善、無垢、聖、自失。彼がどれに当てはまる?生まれたての稚児ですら腹が空けば白から怒りを表す赤と黄が織り重なり激しく燃え立つような色を見せる。そして、彼は揺れが酷くなるほどに白が更に薄く、いや淡く・・・
やめさせろ!タルクザレフィーグの元首である老議員、カスペリが叫ぶ。
「貴様こそ邪教徒なのだろう!この者はわざと事実を誇大させているに違いない!そのような話を続けるのであればこのような査問会の意義が危うい!やめさせるべきだ!」
唯一の女性議員であるカンオールフィーグの元首、レティーアも続く。
「異端審査ののち邪教信仰の認定が下りその結果労働を強いるのは乱暴ではあるが分からない判断でもない。それを邪教徒狩りや奴隷狩りなどというのは確かに誇大なのではないか?それに事を荒立てるようなことをせずともシルブハスならば高位の僧が数多くいるはずだろう。彼らに信仰の確認を仰げばいいだけではないか。なぜそのような不条理を行う。」
イサイはその場でチャントを切って見せ祝福された拳にキスをする。
「お前らはこの程度で信じるのか。仮に信じたとして異端審査などと、そんな生易しいことなどしない。女の身に付ける装飾具、マーブの、特にメンフ派の下では絶対に聖具を模した物でないといけない。この国ではどうか知らないが戒律から少しでもはみ出している者、それを発見した時は話など聞かず周辺一帯が邪教徒だ。俺があの国を出る直前などは聖具が傷付いていたとか、銀ではなく鉄だとか、そんなつまらない理由で異端認定がその場で下っていた。」
「貴様何を言うか!貴様こそ邪教徒なのだろう!畏れ多くも聖地を乏し更には教会批判、許されることでは、ないぞ!」
カスペリは激しく拳を打ちつけながら声を荒立てた。イサイはその様子をやはり平然と見据え、しかし変わらず彼の色は変化することなく激しさを増し揺れていた。
査問官は場を収める権限を持っていたが、カスペリのその様相に恐れを為して女王を仰ぎ見て伺いを立てる。しかし気付かない女王を見てネイが女王に声を掛ける。
「もういいわ。次の質疑に移りなさい。」
女王は観察を中断させられたことを不快に感じ、その感情が僅かながらにも声に出てしまった。老議員はその感情にも当てられ、青筋立てて女王を睨んだ。ネイはそれに気付くと老議員を睨み返す。
査問官は次の質疑に移った。シルブハスから連邦国までは凡そ千里の距離がある。獣が大地を支配する今となっては人が陸路を行き交うのは不可能なことであった。ところがイサイはそこを一人で抜けてきたのだ。当然これらにも疑問が残った。しかし彼は言う。凡そ二ヶ月をかけてただ一方向を目指し、結果たまたまあそこにいたのだと。
「それが真実としよう。では我々の最大の疑問だ。その方は人外と交戦し、更には人外に傷を負わせたそうな。しかもその方はただの剣一本で。間違いはないな?」
イサイは頷く。それを見届け査問官は衛士長に声をかけ、更に衛士長は部下に指示を出し、二人の部下は議場から一旦出た後台車を押す従者を引き連れて議場に戻った。イサイはそれを見て大きく目を見開いた。台車には彼の持ち物と、懸垂鉤から吊るされた白銀の毛皮があった。
女王はそれを見逃さない。初めて外面に変化が出た。しかし代わりに内面は一度ピンと揺れた後、とても静かで、揺れない。
「皆様、この毛皮が調査隊との交戦の末に仕留めた獣の毛皮です。この毛皮は針のような毛が何層にも違う方向に生えており、大剣は勿論銃も通しません。お手元の資料にも記載されておりますが、我々が行った検証ではガーべ銃による耐弾試験においてもこの毛皮は零距離ですら銃弾を弾いております。」
少し良いか?、セミォンが声を発する。
「ではどのように調査隊はこの獣を仕留めたのだ?」
「たまたまガーべ銃に旋条を施した狩猟銃があったからだと聞いております。」
セミォンはそれを聞き暫く煮え切らない表情をしていたが、これ以上の問いを返さなかった。フーゴはその様子を見て鼻で笑う。
「それではヂヅチよ。その方は本当に、あのような片刃で脆い小剣で人外と交戦していたのか?その方は報告書によれば川に落ちるきっかけとなった人外の攻撃をその小剣で受けたという。あのような小剣で、どうやって傷を負わせるどころか人一人が吹き飛ばされるほどの攻撃を受けられるというのか。」
何が、言いたい、イサイはとても静かに問い返した。
「分からぬか。その方の発言には矛盾があると問うておるのだ。あのような小剣で人外に傷を負わせられるはずがなく、あのような小剣がそのような衝撃を受けたのならば、なぜその小剣は刃こぼれもなく、折れも曲がりもしていないのか。もうはっきりと言ってしまおう。その方は人外のフリをした仲間と芝居をしていたか、或いは今や連邦国においてマーブの名の下に決して獣と人が交わることはない、が、ここ連邦国においてさえ過去消しようのない獣との交わりの記録がある。その方はそれではあるまいか。」
イサイはなにも発言しない。
「何度も言わすでないヂヅチよ、沈黙は議会に対す・・・」
彼は査問台を降りた。査問官が慌ててイサイを制止するが彼はそのまま査問官に、いや査問官の傍にある台車に近付き止まった。イサイは査問官から目を逸らさず口を開いた。
「返してもらう。」
彼の目から冷ややかなものを感じた査問官はなにも答えれず、女王を仰ぎ見る。女王は頬杖をついてじっと事態を見守っていたが、その姿のままに査問官に対しニコりと頷く。イサイはそれを見て自身の刀を掴み取った。
議場の殆どの者がまさかいきなり青い顔をした査問官に斬りかかることはないだろうと考えていた。仮にそうしたとしても武装した衛士もいる。むしろ彼は懸垂鉤に吊るされた毛皮を斬ってみせる演武でもして見せるのだろうと考えた。ところがイサイは踵を返し、査問台に戻るのかと思いきやそのまま通り過ぎ、国防軍陣が座する方へと向かってきた。
ハンジ!衛士長が叫び、一人の衛士がイサイの前に立ちはだかった。その衛士が向き合うと、実際は頭一つ分ほどしか身長は変わらないのだが、体の厚みがイサイより格段に厚いその衛士に比べ、イサイの体格はやはりまだ少年だった。先程までの問答を目にしていた女王はそれを不思議に思った。あの場所にいて、あの口調、あの態度。どんなに場に慣れた者でもあの場所にいれば手に汗握るものだ。なのにあの落ち着きぶりは凡そ少年のものではない。事実、査問の途中から彼を少年だと思う気持ちがいつの間にか薄れていた。
貸せ、イサイはハンジの目を見たまま、腰にある幅広の長剣を指して言った。ハンジはイサイを見下ろしたままに微動だにしない。代わりに衛士長が女王を仰ぎ見た。相変わらずの頬杖のままの微笑の返事をうけ、構わん!部下に対し許可を出す。
ハンジはゆっくりと剣を抜いた。
イサイは腕を突き出し水平に剣を持つよう彼に言う。
二人の距離は近い。ハンジはイサイの目を逸らさずに言われた通りに動いた。彼の動きが止まった瞬間、イサイが腰を落としたのは分かった。その時の目を見て背筋に冷たいものが走り細い金属音と火花、視界が一瞬割れて気付けば彼の持つ剣身が自身の僅かな血とともに宙を漂っていた。それらが地に落ちたところで慌てて我に返り視線を戻すと、目の前には切り上げた刃の切っ先を下に持ち直し構えるイサイの姿があった。本人以外は事態が飲み込めていなかった。
「まっ、まっ・・・・」
声が出ない。イサイの呼吸音が一度、鋭く静まった議場に響いた。
「止めなさい!」
その声にイサイは制止される。同時にハンジは膝を崩し尻もちを着く。顎先に刃を受けた彼は首元が流れる血で染まり始めていた。
壇上から響いた声の主をイサイは眺めた。女と目が合う。後ろで女を止める少女を制しつつも壇上から降りてくる。
今は外面も内面も揺れていない。色も変わらず変化はない。
「ごめんなさいね。あれのせいなのかしら?」
「何をしている!ベアトリーゼ!」
ネイが叫び、一番近くにいた長身の女性近衛衛士が慌てて間に割って入ろうとする。
「構わないわ。」
「し、しかし・・・」
「何度も言わせないで。」
「申し訳ありません!」
彼女は唇を噛み締めて後ろに下がり、しかしイサイの動きを睨むように注視した。
「その剣、見せて頂けるかしら?」
あれのせい?イサイはもう一度部屋の光を反射する美しい白銀の毛皮を見た。そうだ。あれを見て、なにか、なんだったろうこれは。自身の中に沸き立つなにか。あの違和感、既視感、違う、少し違う。これは、なんだったか。
アイシャはイサイの反応に気付いた。声掛けに反応もせず、ただ毛皮を見据えている。外面はなにも変化がないのに、とても激しく白い油面のような色が揺れ乱れる。
イサイの瞳から涙が一筋流れた。
近くで見ていた女王だけがその涙に気付いた。それほど彼の表情には変化がなく、続く涙もなかった。
「貴様!早くその剣を陛下にお渡ししろ!」
ネイが再度イサイに向かって叫んだ。イサイはその声に意識が戻り、暫く言葉の意味を考え、理解した彼は女王の足元に刀を放った。それを見たネイは血相を変えて壇上を飛び降り大股でイサイに近付いた。
「歯を食いしばれ。」
手甲を着けた拳でイサイの頬を殴りつける。歯が吹き飛んでもおかしくない拳をまともに頬に受けたのにも関わらず、しかし平然とイサイはネイを見返した。ネイはそれに驚き自身の拳を確認した。
「もうネイ。やめなさい。」
「いいえ、やめません。」
「怒るわよ?」
再度振ろうしていた拳を下ろしネイは後ろへ引く。女王は軽く溜息をついてから剣を拾いあげる。
その片刃の剣は刃先が滑らかな流線型で、刃全体で僅かに弧を描く。青黒い地鉄に白刃が薄く直刃を引き、時折白刃が揺れるように波打つ。煙るような白刃が美しく、それをよく見ようと顔を近付けると地鉄に極々薄く模様があることに気付く。板目のようにも見えるその模様を指でなぞる。滑らかに指は滑り、それは後から細工を施したわけでも、勿論剣が傷んだり、仕上げ損ないから生まれた模様ではないことがはっきりと分かる。
「へぇ。変わった鉄ね。これもあなたが造ったの?」
女王は舐めるように剣を見ながらイサイに問う。イサイは静かに返事する。薄暗い部屋で細身の剣は妖しく光を放ち、光る抜き身を手に持つ女王の姿はどこか危うい。
「とても美しいわ。私に下さらない?」
「好きにすればいい。お前が奪うのならばそれまでだ。」
「つれないのね。でもそんなつもりは毛頭ないわ。あなたが来たことで色々と揉めているというのが本当のところよ。でもね、あそこに座るハンスから報告を聞いて、私は色々とあなたに興味を抱いているの。」
「興味?」
「そうよ、あなたに興味があるわ。」
女王はイサイの刀を空に向かって振り下ろした。その姿に似つかわず、刃が空を斬り音を立てる。
「この鉄にもね。」
女王は微笑む。
彼の心の揺れは、確かに彼の感情の変化だったのだと思う。しかしどうしてその色に変化がなかったのだろう。
あの後、似たような存在を思い出した。しかし彼が伝えた生い立ちからすれば対極している存在だ。それに彼のように激情とも取れるような行動をあれは取らない。信じがたい旅路、更に人外と嘘のような交戦。今時子供騙しの絵物語くらいでしかそのようなものは描かれないだろう。そして議場での彼の様子。恐らくあれは怒りや悲しみ。やはりあれとは違う。それらは内面に必ず存在しているはず。
白。白と言ったが、喩えるならば冬の景色。空気すら凍りついてなにも見えない。あれに似ている。そう考えるならば分かりやすいかもしれない。
それを体現するかのような氷のような肌に漆黒の瞳が良く映える。二つの衝動がうねる。さすがにネイは、彼を嫌うだろう。




