人外
世界には人外がいた。
人外は長く生き、ある土地では神と崇められるほどに神聖化され、それに見合う知恵と武勇を誇り、人と対等以上に渡り合う人外も数多くいた。
人外は、古くから人と交流を持った。人と、交流をしたがった。
それはなぜだったのか。同一の種の中に存在する異質の存在というものは排斥の対象となり易く、そして知恵は地を這う獣より人に近かったからなのだろう。特に仲間を必要とする種から生まれた人外ほど、闇夜の灯火に飛び込む蛾のように雲霞の如く群れる人という存在に惹かれた。
しかしそれは人とて同じではなかっただろうか。人も、異質の存在は認めたがらない。獣よりも格段に知恵に勝るだけその排斥しようとする力は複雑で、そして強大ではなかったのだろうか。
多くの人外は同種の仲間を憎んだ。そして、人も憎んだ。
知恵とはなんだったのだろうか。知恵があるからこそ人外は苦しみ、なにかを求める。なにが存在したのだろう。長く流れ続ける時の中で、全ては朝霧のように消えて無くなった。
人外は多くを孤独と過ごした。だが知恵を持つからこそ、その孤独に耐えることができなかった。
一人の人外がいた。彼もまた同種を憎み、しかし同種に惹かれ続けた。その思いは時に狂おしく、とうとう彼を狂わせた。
なんの為に生きるのか、その単純な自問の答えは最早世界に存在せず彼を破壊していった。
彼は世界も破壊した。何度も、何度も。しかしそれは、人や、獣に習性というものがあるように、人外の習性というものではなかったのだろうか。だからこそ人は、獣は、異質の存在というものを排斥しようとする本能があるのではないか。
人外は、彼らがそうしようしないとするに関わらず、そうなるのが彼らの運命なのではないだろうか。
なのに、人外達は積み上げる。いずれ、自らが破壊することになる世界を。
一人の士官、二十ニ人の銃兵、十人の槍兵、そして一人の軽歩兵。
銃兵を二個分隊に分け、一個分隊の槍兵。それらを第一から第三までの分隊とし小隊を組んだ。正規編成の半分ほどの戦力しかない小隊。
士官学校で学ぶ歩兵戦術教典では人外との野戦は出来得る限り避けるように言われていた。というより、そもそもが中隊以上での戦術が基本であり、それ未満を主体とする戦術というものはほぼ教えられていなかった。
本来一個分隊が三十名前後で組まれる分隊を更に分けたのはユーリなりに考えてのことだった。中隊の野戦戦術を矮小化させてみたのだ。
しかしどうすべきか、村人達に分隊長を決めさせながらユーリは考えていた。
クロを見る。
「何か良い案はないか?正面からぶつかるのは避けたい。」
彼は首を振り言う。
「ならば火力が足らない。戦うこと自体避けた方がいい。」
「それはダメだ。逃げるにしたって村人達を逃がそうにもどこかで絶対に追いつかれる。彼らを守りながらだと余計に戦えない。」
「なら、限りなく接近して撃ちこむしかない。人外は銃弾を弾くことが多い。あれもきっとその類だ。ユーリ、できるか?」
ユーリは件の銀狼を思い出す。あの毛皮はガーべ銃の耐弾試験において零距離射撃ですらその弾を弾いたという。ならばあれもそれを普通だと考えるべきなのだろうか。せめてニーエル銃があれば。あれなら距離四十ヤードから貫通し始めたという。しかしそれも怪しい話だ。船上ではそれよりも近い距離からあの銀狼は数発を弾いた。人外相手に近接戦闘。
村人達を見た。
そんなことをすれば彼らの幾人かは、いや幾人かで済むかどうか。そもそも勝てる見込みがあるのかどうか。それでも彼らを死地に追いやらなければ村を、エリザを助けることができない。
少年は親指を噛んだ。
「覚悟を決めろ。兵は不安が募ればいざという時逃散する。だから騙してでも不安を消してやらないといけない。だが指揮する立場は違う。怖れを飲み込んだ上で覚悟を決めないといざという時指揮が執れない。」
「覚悟?そんなもの持ってなきゃ士官なんて目指してない。死ぬのは怖くない。」
そうだ。この場を逃げ出すくらいであれば、エリザを助けられないくらいであれば死んでしまった方がいい。
強がりか本心か、しかしクロは彼の言葉に不安を強めた。
違うユーリ。怖いのは自分が死ぬことじゃない。
クロは思い出す。彼が普段から、死の直前にも、死後も反芻していた言葉を。
「・・・ユーリ、恐れるな。」
「怖れてなんかない。」
「違う。目の前の・・・現実に、抗うことなんてできない。恐れず、受け入れろ。」
「何言ってるんだ?俺だけの話じゃないんだぞ。分かってるのか?」
「そうだ。覚悟を決めろ。」
繰り返され、ようやくクロの言葉を理解する。彼はこう言ってるのだ。彼らを死なせろと。
距離凡そ十ヤード。それより遠い距離での射撃、号令無き射撃は後に厳罰に処する。
村人達に伝えたが、彼らは彼に寄せる親近感を以って少年の決意とは裏腹になんのためらいもなく答えてみせた。
ユーリに比べれば彼ら村人達の幾人かの方が実戦経験は多いくらいだろう。しかし、彼らはユーリがした経験と決定的に違うことがあった。
広場へ小隊を移動させながら彼の背後で小声で談笑するのが聞こえる。静かにしろ、そう言うべきなのだが・・・少年は親指の関節を噛んだ。
通路に三列横隊。音を立てず整列し、十ヤード以内で射撃する。それしかない、分かっている、思いながらも村人達の勘違いによるものとはいえ彼に向けられる好意が記憶の中の引き裂かれた故郷の人々を連想させる。
船上を思い出す。
剛気なクルト、冷静なゲルティ。臆病なフレート、情けない自分。こんな自分に、やり切ることなどできるのだろうか。
激しく汗を掻いている。汗が冷たく、流れる汗の中の視界で最後にクロを見た。彼は既にこちらを見ていた。その目は言う。体を走った悪寒を飲み込むように、しかしユーリは頷く。
異質の人外は未だ咀嚼を続けていた。その人外が咀嚼すると異様に静まり返った村に聞きなれない骨を噛み砕く異音が響いた。
ユーリは飛び出した。
彼を先頭に背後から村人達が続き、予定の位置に辿り着き異質の人外を見た。人外は咀嚼を続けながら、何事か、そんな様子で首を巡らせた。第一分隊が並び、ロイが率いる第二分隊が続こうとした時異質の人外は人が手に持つものがなにかを理解し跳んで立ち上がり、腰の大剣を払い猛り吠えた。
「早く並べ!」
ユーリの叫びは空気を震わせる咆哮に掻き消え自分でも聞き取れなかった。
ロイは少尉の叫びが聞こえたのか聞こえなかったのか、人外はまだ遠くにいるというのに咆哮する姿に腰が抜けそうな思いがした。
彼が人外を見たのは初めてではない。過去の従軍経験で幾度と無く人外を見てきたが、いつも要塞や陣地の中から眺めていたからか?野戦とは恐ろしいとは聞いていたがまるで違い過ぎる。予定の位置に辿り着き人外を改めて見た。大剣を振り上げ咆哮する姿は鬼神そのもので血の気が引いて気を失いそうだった。前列のダカルなどは小さく悲鳴を上げ、見るからに足を震わせていた。
人外は人に向かい突進する。
「狙えぇ!!」
少尉は剣を振り上げありったけの大声を出した。ロイは少尉とは言えそんな少年の姿に落ち着くことを思いついたが、どうにもうまく唾を飲み込めない。
人外が迫る。その姿に動揺し腰が引けている村人達に対し檄を飛ばした。そしてそれは自分に対しても。幼かった自分、船上での自分、今度こそはやってやる、目の前の獣を、どんな犠牲を払っても・・・
心臓が激しく鳴る。汗が目の中を伝わり地に落ちたがそれに気付かず迫る人外から目を離さなかった。もっとだ、もっと引き付けるんだ。
クロはその姿を見ていた。彼は歯を食い縛り、しかし目は大きく見開かれ、その目にはそう、打ち勝とうとする意思が秘められていた。
今、俺は、何を見ているのだろうか?
そのなにかを守ろうとする姿は勇敢で、彼を襲う狂気を寄せ付けまいと戦う姿に悲しさを覚えた。
異質の人外は筒先がこちらへ向けられたのを見て手盾で顔を覆う。その巨体がすぐ目の前に迫る。
距離凡そ十ヤード。
剣を振り下ろし射撃の号令を叫んだ。九つの銃口から一斉に放たれた銃弾はこの距離、その巨体、全てが命中した。人外の盾、鎧、鱗が砕けて破片が宙を舞い、鉄だけでなく鱗からも火花が散った。弾が鱗にめり込んで血飛沫をあげる。
異質の人外は銃弾を受けて動きを止められた。が、倒れない。
「槍突き出せ!分隊隊列代われ!」
少尉が叫んだ。人外は手盾を下げ、鋼鉄の穂先が自身に向けて突き出されたのを見ても構わずあの大剣を再度振り上げた。
前列にいたダカルは目の前の光景に思わず隣のワディムを見た。怖がる自分と違い脳天気にすら思えた彼は目の前の光景に夢でも見ているかのような顔で口をぽかんと開けていた。
馬鹿!これは現実なんだよ!
そう彼に伝えようとした時、震えが止まらない足は感覚を失ってよろけ倒れ、一度背を向けると恐怖が爆発し這いつくばるようにその場から逃げ出そうとした。
人外は咆哮する。
その咆哮の中、彼の頭上で異音が鳴った。鉈を木に打ち込むかのような、そんな音がなぜ、思うやいなやダカルの背に重いなにかが乗り、思わず頭を抱え縮こまった。彼の背のなにかはゆっくりとずれ落ち、彼の隣に落ちた。ダカルはゆっくりとそれを見る。
「ワ、ワディ、ワディム・・・」
彼はまだ生きていた。うつ伏せの彼と目が合うと、口から血をこぼしながらパクパクと口を動かした。分かっているのに、ダカルは気まずさで一杯になった。なにを言っているのか分かってもいないのに彼から目を逸らせず、分かったふりをして何度も頷いた。
第一分隊の半数以上が槍の穂先もろとも薙がれた。後方にいた残った分隊はその血肉を浴び、恐慌に飲みこまれ叫声をあげる。
「第一分隊伏せろ!第二分隊構えろ!撃て!撃て!」
ロイも恐怖に負けて叫びながらも少尉の声に体が動き目の前の人外に向かい引き金を引いた。目の前の人外の黒鉄が弾け欠けるのが見え、あまりの自分の武器の非力さに前列の者に釣られ逃げ出そうとした。
ロイを皮切りにまばらに発砲音が響き、人外はそれをものともせず更に大剣を振り上げ咆哮をあげる。
「逃げるな貴様!撃て!」
少尉の怒声もロイには虚しく響くように聞こえた。
ユーリは逃げ出そうとする一人の男の襟首を掴み叫んだ。こいつはまだ発砲していない。
男は怯えた目を向け、少年の血走る目を見て逃げられないと悟り逃げるよりも先に発砲することを思い、急ぎ振り返ると大剣を振り上げる巨体を見上げ更に悲鳴をあげた。彼は人外にただ銃口を向けて狙いもつけずに引き金を引いた。しかしそのたった一発の銃弾を最後に人外の咆哮が止まった。
異質の人外は後ろのめりにゆっくりと倒れる。
逃げ出そうとしていたものもそうでない者も、人外が倒れたことに気付くのに時間を要した。
時間が止まったかのように誰も動かない世界でユーリは一人動き出し、人外の顔を恐る恐る覗き見た。その人外の上顎は吹き飛ばされ、気絶したのか人外は躰を痙攣させていた。
ユーリは急ぎその開いた喉奥に剣を突き立て、更に奥深く刺すために体重を乗せた。人外の躰が大きく跳ね、ごぼごぼと喉奥に溜まる血で溺れるかのように嫌な音を鳴らした。
人外はやがてその音すら鳴らさなくなり、音が消えてユーリは呼吸が荒いでいたことにようやく気付く。
後ろを振り返る。村人達と目があった。
「ウラアアァァァ!!!」
村人達は一斉に鬨の声を叫んだ。
その勝利の声に屋内に隠れていた村の女や子供が窓から顔を出し彼らを口々に称えた。男達はそれに気付き、何度も鬨の声を叫んで生き残った者同士で肩を叩いた。
ユーリはその様子に脱力し、笑みを浮かべた。体が緩むとあちこちから体が軋む音が聞こえた。いつからどれだけ力が入っていたんだろう。脳は疲労で心地よく、快楽さえ巡る。世界は良い物だけが選ばれて視界に残った。汗で濡れた髪を拭ってクロを見る。
奴でも笑うのだろうか、そんなことを思いながら彼を見たが、彼は彼らしくこんな時にまで深刻な顔で、鬨の声に掻き消えて聞こえないというのにユーリに向かいなにかを叫んでいた。
なんだよ、こんな時まで。何を言ってるんだ?
クロの必死さに可笑しさを覚えながら彼の口の動きを観察した。
は、や、く、にげろ?
風鳴りの音がしてユーリの横をなにかが高速で横切った。同時に顔に飛沫がかかって思わず拭うとそれは血だった。彼は理由が分からずその高速で飛び行く物体を目で追った。民家の壁に突き刺さり止まったそれはただの握り手がついただけの鉄板だった。
「・・・なんだよそりゃ・・・」
ユーリは体を見た。群青だったはずの軍服は黒く濁り、頭から雫がぽたぽたと垂れた。
目の前に新たに作られた村人達の死体。一人の男と目が合った。彼は、ダカルはユーリと目が合うと彼の足元にあった死体を一目見てから再度ユーリを見てそのまま背を向け躓き転びながら逃げていった。
ユーリの背後で先程まで聞いていた人外の咆哮が遠く聞こえる。その声は風に乗って重く響き、勝利の声をあげていた男達の戦う選択肢すら奪い足元が覚束ない者すら這って逃げ出す。ユーリもそれを止めることなく転がる死体と目を合わせ続けていた。
さっきまで歓声をあげていた女や子供が悲鳴をあげて窓を閉めた。
「なんだよ・・・」
ユーリは振り返る。
異質の人外は怒りに吼えた。仲間の死に気付いたのだ。遠くで塵芥のように散らばり背を向ける人という存在に更に怒りを募らせる。どこまでも卑怯な。
皆は三十人くらいいて、今、その半分くらいが死んだのだろうか。あそこに転がっているのはワディムだろう。だって顔がワディムだ。逃げ出したダカル、腰が抜けているのに必死に逃げようとする村人、ロイや、最初に会った彼らはどこだ?
「・・・・!」
皆でようやく一匹を、もう勝てるはずもないのにこれ以上彼らに戦えだなんて、これ以上彼らを殺すだなんて、そんなこと、そんなこと・・・
「い、イサイ・・・」
震える声で彼の名を呼ぶ。音が歪み、自分の声も聞き取れない。
どうすればいい?彼はこちらへ向かって叫んでいる。彼の声が聞こえない。彼が走り寄ってくる。目を逸らさず、彼は叫ぶが聞こえない。
シルブハスから伝わった、押し付けられた宗教の概念の一つには常世ノ国には天の国と地の国があるそうだ。
天は高天原ならば地は黄泉比良坂だとでも呼ぶのだろうか。里で皆が話し合う。高天原も黄泉比良坂も、もう存在しないというのに。ならばこれまでお前達が扱ってきた神や祖先はどうなるというのだ。目の前に降りた神霊になんと説明するのだ。
そのうちに皆は曖昧にこのことを内包し、決められたことをおなざりに守り生活を繰り返す。どうしようもなく醜く、熱心にマーブを口にし、しかしなぜか自身に霊性を思い矛盾に苦悩するガシライのような男は特に。
しかしそれは自身も同じだった。神奈備に好んで身を置きたがり、霊性を宿す存在には近付けず、しかしそれを遠巻きにでも見ていたかった。近付くことを許された時、理解ができず、しかし全てを犠牲にしてでもその存在を守りたいと感じた。
人は業を重ねることでしか信仰を得ることができず、しかし業を重ねることで人は黄泉比良坂に落とされる。なんという世界か。
「ユーリッ!」
目の前の、少年は?
血を浴びた少年は穢れに塗れ、穢れに震える姿は憐れだった。
誰の、感情だったのだろう。意思が流れこんでくる。
砕け割れ剥きでた血肉の海に立っている勇敢だった少年はとても小さな声で自身の名を呼んだ。
同じことは無かった。しかしまた覚える既視感は、誰のものなのだろう。身を浸す大切な存在を失う予期、だから行かないで欲しい。しかし何度もそれは行き、しかし毎度帰ってきてくれた。
既視感が鳴動して視界が白く染まっていく。少年の肩を掴み、彼を助けたく、心にある感情を伝えた。
守るだなんてこと思っていたのに、常に俺は、こんな痛みを与えて、なのにいつも、俺は受けた痛みを癒やされて・・・
知らなかった。俺は彼女のことを想うばかりで、彼女がどれくらい俺のことを想っていてくれていたのかなんて。考えることが、どこか恐ろしかったんだ。俺が想像する世界と彼女が結びついてしまえば、彼女までが汚れてしまう。
なのに彼女は、俺の考えていることを知っていた。だから、知らない世界は怖く無力なことを感じながらも、自分にできる最大限のことを俺に与えようとしてくれていた。本当に、知らなかった。
ふと、彼女の甘い香りが漂って、その懐かしさに感情がほつれる。
「今の、人って、誰だ?」
ユーリの言葉の意味を考えた。
人外は叫び、突進を始めた足音が響いた。
腰が抜けて立てない者ですら去った。
まだ蝿すらもたからない死肉と臓腑で染まった世界。目の前の少年。
世界には鮮明さが戻って、クロは少年の次の言葉を待った。
「今白い、お前から・・・」
ユーリの目から涙が伝わり、しかし彼はそれを拭うと笑った。
「いいや。ありがとう、クロ。」
ユーリは人外を見た。今からでも間に合うだろうか。路地を抜けて、ここから近い、そう教会へ逃げよう。
「早く行くぞ!」
彼はそう言うと駆け出した。
喜ぶことも、怒ることも、悲しむこともおこがましいと感じていた。自身はそれだけの業を重ねてきたのだ。その業が返ったに過ぎない。
だが、生きなければならない。
逃げるように死ぬことすらおこがましい。
生きる理由はいつの間にか薄れ消え、この感情だけが残り自身は生き続けた。業の象徴だと思っていたタカラオすら消え、どちらを向いても孤独だけが目についた。あの暖かかった世界は消え失せたのだ。
それを思い出すことすら・・・
全ては崩壊していった。
常世ノ国の途上にあるミシマは現シ世との世界を繋ぐ城だという。死者の魂は一代で常世ノ国に辿り着かず、時の流れから開放されたミシマを彷徨う。ミシマに残り彷徨い続けた魂は常世ノ国にも、現シ世にも属せずいずれ消滅する。しかしミシマから現シ世に残る生者を見守り続け、ミシマに残る死者を現シ世から想い続けることで魂は消滅から免れるという。そしていつしか現シ世に残るミシマの魂を想う生者が死者となった時、両者は魂となって再会を果たすのだという。
小さな村に建てられた教会は、人々の信仰を示すように立派に造られていた。
ラピズラリと大理石のモザイクの天井に金色の太陽が差し込んで聖堂は美しく光を放つ。
血に穢れた少年と清純な少女は再会を果たし抱き合った。
両者は静かに涙を流し、牧師は厳かに神を称える賛辞を唱える。それを見守る全ての人々が神に祈りを捧げる。
硬く閉ざされた教会の扉を激しく打つ音が響いている。残ったのはたった四人の銃兵と三人の槍兵。
牧師は言う。その時まで神に祈りを捧げよう、と。
偽りがあり、詭弁があり、しかし真実があった。
少年と少女が振り向き彼を見る。彼らは静かに心を伝えた。
ありがとう。少し痩せた少女の唇が動く。
生きて、また会えるから。
少年の瞳から涙が流れた。
そう、そうだった。君が生きてと言ってくれたから、生きていたんだ。君が最後まで肯定してくれたから、真実を思い出すことができたんだ。
扉が割れて破片が散らばった。開いた穴から捕食者の目が覗き教会にいた人々を視界に入れる。人々はやはりそれでも怯え、一層神への祈りを口にした。
「最後まで戦いましょう。」
ユーリが声をあげた。
武器を手に持つ男達は同意し、牧師はその勇気を讃えて祝福を与える。
扉は更に破片を撒き散らし、遂に扉の封が解かれてゆっくりと開いた。
構えろ、ユーリは言い、彼も短銃を引き抜いて構えた。暗色の鱗を持った人外はゆっくりと中を窺うように顔を覗かせた。ユーリの発砲をきっかけに一斉に放たれた五発の銃弾は、顔を引いた人外の鱗や黒鉄に虚しく弾かれた。
人外が声をあげる。それまでの咆哮ではない。人を嘲笑うかのような低い声。
その声に悔しさから声を漏らし、弾込めを急がせるがもう恐らく間に合わないだろう。
人外は躰を滑りこませるように教会に入り込んだ。高い天井の下でその躰は人を遥かにちっぽけな存在に思わせた。その威圧感の前に弾を込める男達の手は鈍り、手に持つ槍の穂先は震えた。
ユーリ、エリザ、彼らを呼ぶ声に彼を見た。
「生きよう。」
人外は背負う鉄板の一枚を床に突き刺し扉を再度封した。そして息を吸い込み、咆哮する。神への声がより響くように造られた聖堂の中をその咆哮が幾度にも反射し、人々のか細い祈りは容易く掻き消され、神の存在を一瞬にして吹き消された人々は恐怖に飲み込まれ祈りを止めた。
再度異質の人外は笑い、最後の一枚の鉄板を背から引き抜いて大きく振り上げた。
「ジ、ネ。」
「お前が死ね。」
いつの間にか足元にいたちっぽけな生きし者に人外は気付いた。そのちっぽけな存在は愚かにもあまりに細い鉄を手に持ち、更に身を小さく縮こまらせた。その愚かさに人外は更に笑い、武器を投げるよりも先に足元の愚者を叩き潰そうと考え、低い唸りと共に鉄板を打ち下ろした。しかしそれよりも遥かに早く、あり得ない力を彼の者は放った。その小さくした身を解放させると細い鉄は容易く黒鉄を突き破って腹に冷たい異物が滑り入った。
人外は驚き後ろに飛び退り鉄板を捨て去り腰の大剣を抜いた。しかし後方に着地した衝撃で腹に重い痛みがあることを知りくぐもった唸りを上げた。
人は逃げる人外を追い迫った。
人如きが。
自身を追い迫るという余りに愚かな行為に刃を突き立てられた痛みを忘れて怒り人外は吼えた。大剣を腰に構えて人を薙ぐ。またあり得ない高さに人は跳んで宙で刃を高く振り上げた。大振りを透かされ驚く無防備な面前に跳ぶ人。
愚者が、ふざけるな!
人外は叫び、左腕に着けられた手盾で打ち払おうとする。
クロはそれに構わず渾身の力を込めて刀を振り下ろす。
手盾に垂直に刃が入らず鉄を大きく削ぎながら刃が滑り軌道が変えられる。それでもクロは刀を振り抜く。異質の人外の腕に刃が斜めに食い込む。硬い鱗だが、薄い。斬り込んだ刀身に硬い皮の感触が伝わる。重い。肉を裂いて骨に当たる。太く、これも硬い!
人外が腕を半分裂かれながらもクロを吹き飛ばした。クロは受け身を取って四肢から落ちるが受けた衝撃は視界を暗く歪めさせる。最早異質の人外はクロを無視できない。大量に血をこぼしながらもその他大勢を無視してクロに向けて大剣を構えた。
異質の人外は咆哮をあげながら突進する。
タカラオは、消えた。始め彼を否定し、しかし受け入れた。彼を殺した時、その事実を悟って彼は心を伝えた。彼はミシマに留まり生者を見守り、しかし全てを忘れた自身は死者を想うことはなかった。それでもタカラオは最後に意思を残してくれた。金色の瞳が浮かぶ。そうだ、ここは魔女が支配する国だった。
クロも走りだす。
異質の人外はその間合いで大剣を振り上げ袈裟懸けに振り下ろす。その技を見て、かつての友を思い出す。殺されるのならば彼に、そう思っていた。いつからか獣は知恵を持ち、技すら持つようになったのだ。だがそれは違う。彼は獣ではなく、人でもない。同じではないか。
気付いた二つの事実に思わず笑みがこぼれる。
体を倒して大剣の風圧を縫って異質の人外を滑り込みくぐり抜ける。異質の人外は消えた人を追って急ぎ振り向こうとするがそれよりも早くクロは滑る地面に足を押し付け負荷をかけて起き上がり両手で柄を握って肺から全ての空気を吐き出し振り向き様に後背力の全てを載せて巨体のふくらはぎに刃を突き入れ体を捻り引き抜いた。
異質の人外は突如足元に走った衝撃に片膝を崩して地に着けた。彼は振り向き頭上を見上げた。建物の天井の細やかな装飾を背景に七色のガラスが暮れ始めた日を透かして鋼鉄の刃が白く光を放つ。その刃を振り上げる姿に、異質の人外は目の前の存在に畏怖の念を抱いた。
「オマ、ワ、ヒト?」
呼吸音と共に刀を振り下ろす。目の前の異質の人外の曝け出した首元に刃は落ちていく。刀身の根元から落ちた滑る刃は硬い鱗を斬り、刃の中芯に分厚い皮が斬られて肉を裂く。刃の切っ先は更に肉を割って骨に達し、頚椎の関節の間に滑り込んで骨を寸断する。
刀が振り抜ける。大量の血液が吹き上がり天を見上げる少年を赤く染め上げた。
異質の人外の首は肉を残した皮に繋がって落ちた。倒れない躰から垂れた首が揺れる。
荒い呼吸に視界が歪む。
高く鳴り止まない心臓を掴み、クロは叫んだ。
次回で終わりです。




