指揮官
「ジル=スム要塞が獣に抜かれた。ここいらの地域防衛の要が抜かれてネイ様は首都以外を切り捨てる。だから、彼女がいるような山奥の村なんか絶対に救助なんか行かない。」
厩で馬を徴発する。馬は既に国防軍への徴発に備え全て出払っていたが、ネイから渡された委任状がここで役に立った。どこからか馬を都合させる間、長椅子に座り説明するユーリは落ち着きなく体を揺らして親指を曲げて関節を噛む。
返事がない。ユーリはイサイ見た。彼はこちらを見ていたが、ユーリの視線から逃げるように顔を落とした。
地下でも彼の状態は普通ではなかった。あの魔女狩りの被害者の少女を見たことにそこまでの衝撃を受けたのだろうか。確かに悲惨な事件だし怒りを覚える。だけど・・・
「イサイ、頼む、しっかりしてくれ。俺は悔しいけど実戦経験なんてあれっきりだ。いつものお前の冷静さはどうしたんだよ。」
彼は心持ち顔を上げ、ユーリを覗き見るように一度視線をやり、しかし再度辛そうに顔を歪めた。
「・・・俺には、もう無理だ。・・・済まない。」
「何が無理なんだよ。」
「・・・もう背負えない。」
「・・・背負うってなんだ?」
彼は答えなかった。
思わず立ち上がり、彼の胸倉を掴み叫ぶ。
「いつまで俺をガキ扱いしてんだよお前は!」
怒りに任せ衝いて出た言葉には、しかし欺瞞があることすぐに気付いて情けなく、自分が悔しい。
「クソッ・・・」
相変わらず視線を合わせてくれない彼を見て感情が迫り上がって呼気が震えてしまう。
「・・・ガキだ、本当にガキだ。俺は・・・チクショウ。」
離し、頭には彼の成熟性では整理しきれない記憶や感情が渦巻いて抑えきれない。滲み出ようとするものを押し込みたくて掌で強く両目を覆う。
クロの胸にはユーリの言葉がどうしようもなく突き刺さり、あちらを向いて震える彼の背を直視することができなかった。
「・・・・・・・俺が、故郷を失くした時、ずっと泣いてばかりだったんだ。馬鹿で、ガキだったから、何も考えずひたすら泣いてた。なのにさ、いつの間にか飯食って寝てるようになってて、ガキだったから、生き残ったのは叔父さんとバァ様だけだったのに。気付いたら怖くなって俺は国を守りたいって、そう言ったら叔父さんが残った家財一切処分して俺に金くれたんだ。これで王都に行けって。叔父さんはそれからすぐにバァ様と首を吊って。俺がガキで馬鹿だったから!何も分かってなかったんだ・・・気付いたら生きてて・・・なんなんだって・・・俺は本当に馬鹿だ・・・・・・」
彼の涙を押し込む声が聞こえる。耳を塞いでしまいたい。なのに、それすらをすることが許されないと思った。もう、罪を背負い、罰を受け続けることができないからこそ、押し潰されるべきだと思った。
「彼女を、エリザを、助けたいんだ・・・エリザは泣いてくれた・・・馬鹿みたいだ・・・たったそれだけなのに、俺は救われた気がした。何も変わっちゃないのに。ずっとエリザと一緒にいて凄く安心してた。気付かなかったし知らなかった。こんなに一人が怖いって。そうだ、また一人になってしまうのが怖い。」
夕日に染まってしまった少女の横顔が浮かんだ。
「イサイ、お前はたぶん、それを知ってたんだろ・・・?」
涙を流す少年。
知っていた。余りに痛くて、耐えることなんてできない。知らずにいれば、そのままでいれたかもしれないのに。なのに、求めてしまう。なのに、何度目かも分からない過ちを重ねて、ハイにさえ、それを与えてしまった。
彼女の胸に刃の切っ先を触れさせた時。押し込んだ時。彼女は笑って・・・・それを最後に、全てが歪んだ。俺も、笑ったのだろうか・・・?
最初彼女に興味を持ったのは、彼女が静寂を呼んだからだった。それからすぐに、彼女が近くにいると幻覚が静かになることに気付いた。それだけの理由で彼女が近くに来ることを許していたのに、いつからか彼女を求めるようになっていた。
彼女を通じて守りたいものが増えた。彼女と過ごす時間が増えるにしたがって、孤独も、雑音も消えていった。彼女に縋っていた。全てを与えてくれたから。
彼女が・・・違う、ネイはなにを言っていたのだろう。いや、ネイが、どうしてアヤに見えたのだろう。
故郷、友。家族・・・大切な、お姫様。俺にも、あった。
「何にも当たらないかもしれないし、順調に行くかもしれない。でも国境伝いに獣が迂回してたらまず最初にぶつかるのはエリザの村だ。街道沿いの集落でも兵を集めて村の武器庫を開いて武装させて、それから避難させるのか篭もるのかを状況を・・・・・・」
先頭を行く馬上の背。
まだ、なにを伝えることがあるのだろう。どうして、彼女が俺になにかをしようとするのだろう。それを聞くまで、生きることは価するのだろうか。最後にまた、一つを背負ってしまったら・・・消えた影は、幻だったのだろうか。
街道沿いにある最も大きな集落は既にもぬけの殻だった。
ユーリは幾つか家を覗く。どこの家も扉が破城槌でも撃ち込まれたかのように破壊されていて、更にその幾つかの家の中は飛散した血肉が散らばっていた。
「エリザっ・・・」
空は明るく太陽は穏やかだが暑く、青い空が回って地に落ちた。
タルクザレの北方の国境線の一つ、エルガデ、その中心の村カタ。付近の起伏に富んだ地形を利用した防御陣地は強力で、要塞化される以前から周辺一帯の国境線は強固なものとされていた。
しかしそれは獣が正面から向かってきた場合に限る。獣が迂回し、背後や側面から来たとすればそれらの陣地はなにも役に立たない退路を断たれ孤立した兵力でしかない。今それらの陣地が情勢を知っているならば今頃背後や側面を急拵えで固めていることだろう。避難民を受け入れる余裕があるはずもない。
村は街道を木材や家具を積み重ねて防壁を設けて封鎖し、村を囲う家屋と合わさって簡易な砦の様相を見せていた。しかし積み上げられた防壁は崩れ、壊され飛び散った破片や埃が道の上に積もっていた。
防壁が破壊された一角は既になにかが村内に侵入したことを示していた。なのにやけに静かだった。
「イサイ・・・どう思う?」
ユーリはその光景を前に立ち止まり振り返った。彼の表情は恐れに染まっていた。
クロは彼を見て、分かりきった既視感を見た。辛く、苦しい感情は腹の奥で感じるのだ。旅に出てからの記憶が瞬時に巡って結びつき、その愚かさを呪う自責の念はクロを恐怖に縛る。
しかし首を振る。今はそうじゃない。彼を、支える。これを最後にすればいい。意味などなくてもいい。誰も見てなくたっていい。彼に見ていたのはハイだ。そして自分だ。孤独を消してくれた、あの感情だ・・・
クロは顔を上げた。
「行こうユーリ。」
ユーリはクロを見て泣き出しそうな表情を浮かべたが、力強く頷いた。
静かなことに違和感を覚える景色だった。人の手足や胴が転がり、なにかが引きずられた後が血流と共に道に残され、家屋には血・・・というよりは弾け飛んだ人の一部が、赤黒く、淡い桃色の、黄色い脂肪が、人の皮の一片が貼り付いて、落ちている手製の槍が放棄されて散らばり、ここで村人達が抵抗した痕跡が虚しく強烈に残されていた。
ユーリは目の前の光景に目眩した。幼い頃に見た景色と余りに似ていた。寒気を感じて汗が滲み、しかし歯を食い縛る。
「人外だ。しかも一匹じゃない。」
クロは血液で作られた足跡を見て言う。明らかに人の大きさでないそれに踏み潰された人の肉塊から続く足跡は、入り口から直線上の広場に向かう途中から途切れていた。
「人外かよ、クソッ。」
ユーリに調査隊での記憶が蘇った。崖の上で咆哮する人外、その血族。自分はただ喰われたのみ。心臓が早鳴る。自分の情けなさに嫌気が刺した。なんの為に士官を目指した。
クロはユーリのその姿を見て不安を抱いた。きっとまた過去の記憶と今が結びついているのだろう。声を掛けたかったが、ではそういう自身はどうだと言うのだろう。
「・・・人外がどんな様子なのか探してくる。俺は主要路から行く。ユーリ、お前は路地から行け。」
ユーリはクロに対して何度か頷いて見せて行こうとした。まず武器庫を開いて、村人を武装させなければいけない。
彼の見せる背に不安は消えず、もう一度彼の名を呼んだ。
ユーリは振り返る。その時再度どこかの記憶と今が結びつく。これはどこだったろう。誰が、今の俺と同じ気持ちだったのだろう。
「絶対に人外と遭遇しても戦わずに逃げろ。」
ユーリはもう一度頷くが、まだ彼の目は弱々しさを見せていた。
彼のその目に不安は大きくなる。不安は腹を押し潰すようで、行こうとしたものの動き出すことができなかった。また、彼女の表情が浮かんだ。
「俺は・・・昔、とても大切な人がいた。」
クロが呟いたその言葉の意味がすぐに理解できずユーリは暫く考えた。
「お前、前に忘れたって。船上で。」
「ああ。思い出したんだ。」
クロは再度辛さを表情に浮かべて視線を落とした。
ユーリは地下での出来事や今の彼の状態がようやくおぼろげに理解できた。寝かされた少女の亡骸の隣で項垂れていたイサイ。
「以前お前に言った。考えられないのは考えすぎているからだと。俺も同じだった。忘れていたのは、忘れられなかったからだ。思い出せなかった時間が現実でなかったように、今は忘れていた時間がすぐ・・・目の前にあるみたいだ。」
紡がれる言葉にエリザと二人で歩いた庭園を思い出した。押し込めていた記憶が吹き出して、月さえ見いていれば家族がすぐそこにいるように感じた。でも分かっている。家族はもうどこにもいないんだ。
イサイ、彼を呼ぶ。イサイは顔を上げて視線を合わせた。
「俺は結構お前に話したぜ。お前も、今度時間がある時に話してくれよ。俺には兄貴はいなかったけど、たぶんな、俺はお前のことそれに近く思ってたんだ。お前もなんか俺のことガキ扱いしてるしな。」
ユーリは言って恥ずかしくなり笑って誤魔化す。顔が長時間強張っていたせいか引きつってうまく笑えない。
「お前やエリザがいてくれて、本当に感謝してる。だから・・・」
村へ向かう前に彼が呟いた言葉の意味を少しだけ理解できた。
「死なないでくれよ。俺だって、少ないんだ。大切な人が。」
なにを、感じるべきなのだろう。それに値するのだろうか。する、わけがない・・・
説明がつく。全てが全ての線上にあるんだ。なにをどう抗おうが、全ては同じ結果に行き着いてしまう。自身の行き着く先はもう見えた。だから・・・もう・・・
それでも、逃げることはしない。そこに用意された形で迎える。少年を助け、人外がいる。あの日、再開した日。同じだ。違うのはあの日自身に都合が良く、今は違う。そうだ、そうに違いない。なにも考えることはなく、必死に、生きて・・・
路地を一つ一つ覗き、獣を探した。時折立ち並ぶ家が破壊され、やはりまた時折無残な遺体が転がっていた。
一つの路地を覗き過ぎようとして、すぐ立ち止まった。足音を消し、路地にゆっくりと立ち入る。
どの路地もそうだが、曲線を描いているせいで路地の半分近くまでは見えても奥は見通せない。が、ゴリゴリと音が鳴っている。路地を進めば進むほど大きくなる音。水音が混じる咀嚼音。
暗色の鱗に覆われた巨体。人にしか造り得なかった黒鉄を身に纏う獣。壁にもたれ座り、その手には鳥の腿肉でも齧るかのように人の足が握られていた。その傍らにはその獣が家屋や防壁を破壊するのに使用したのであろう大斧が置かれ、周囲は人が散らばっていた。
獣は骨を噛み砕いて異音を響かせる。肉が少なくなると足を放り投げて落ちていた女の胴を拾う。首を毟って頭を投げ捨て、肩から齧りつくとまた骨を噛み砕きながら咀嚼を始めた。
なんだ、あれは?
円状に建てられた村は、街道と垂直に交差する主要路以外は中心から何度も円を描いて路地が敷かれている。路地との間には家屋が並んで、教会や粉挽き所のような大きな建造物の周辺だけが村の設計に反して道が敷かれる。
どうしてこうも人の気配がないのか。以前この村に来た時はそこかしこで子供が走り、女や男が仕事がてら談笑する姿が見られた。
もしかすると、間に合わなかったのだろうか・・・?住民は既に殺され、村は棄てられたのだろうか。
最悪の事態を想像するとどうしようもなく焦りが募って先程までの怯えた自分が悔しかった。どうしてもっと一貫できないのだろう。ほんの以前なら、こうも感情に自分が左右されることなんてなかったのに・・・!
入り組んだように思える道は案外単純で、村に入ってすぐの弧を描く路地をまっずぐに行けば終着の武器庫へと辿り着く。
武器庫の近くに製材風車があった。人の気配がないのに風車はゆっくり回って機械が鳴り、鋸が木材を切って板に変えていく音が大きく響いて妙な光景だった。
ユーリは武器庫へと近付き、ふと足を止めた。機械の音に気付かなったが、それ以外に聞こえる音があった。路地と主要路とが交わる三叉路を覗いてなにもいないことを確認し、武器庫の正面に位置した。
どうやら音の発生源は武器庫の側面からのようだった。耳を澄ますまでもなく、それが人の会話だと気付く。
「あんたは下士官なんだろ?あんたがやれよ!」
「バカ言え!下士官つっても予備役でどっちにしろ権限なんかねぇよ!」
「関係ないだろこのままだと俺達も喰われちまうぞ!」
「なんで俺の一存で開けなきゃいけねぇんだ!俺だけ責任被っちまったら打首だけじゃ済まねぇんだぞ!」
「何してるんだ。」
ユーリに声を掛けられ口論を重ねていた男達は驚いたように彼を見た。近衛軍の士官服にも似た群青の軍服を見て彼らは一瞬浮足だったが、すぐにそれがただの少年だと知ると見るからに怒りを膨らませた。
「どうなってんだよなんだってこんなガキが!」
「終わりだやっぱり助けなんかこねぇんだよ!」
「俺はもういい、逃げるぞ。」
「ふざけんなてめぇだけ逃げようたってそうはいかねぇぞ!」
「だったらてめぇだけここで喰われて死んじまえよ!」
男達は口論の末にとうとう掴み合いを始め、それを見てユーリの中のなにかが切れた。
「居直れ貴様ら!逃げるとこの場で叩き斬るぞ!」
剣を引き抜いて男達に向けて突き出す。脳が痺れ、彼らがそれでも喚くようならば本当に斬り付けられる気がした。
その大声に男達は再度驚き少年を見た。少年は村で見る同年代の子供、いや大人でも酒にでも酔わない限りはあんな目をすることはない。目が座った少年は、少年ながらに軍人だと感じる。
静まり返り動かない男達に少年は近付いてくる。
「武器庫を叩き壊す。太い材木を集めろ。どこかの家を引き倒しても構わん。」
男達は返事をせず互いに顔を見合わせた。こういう口調は聞き覚えがある。しかし目の前の少年が、いやしかし若い士官は普通にいて・・・
「早く動け!」
ユーリは一人の男の顔に剣の切っ先を突きつけた。目の前の刃を前に男は無言でこくこくと頷き、それを皮切りに男達は動き出した。
武器庫は強固に造られている。石材の芯を繰り抜き積み上げ、芯には鉄を鋳溶かして流し固め、更には樫材を補強材とした壁。そして扉は分厚い錬鉄製。扉を開ける鍵の管理は国防軍の管轄でありこの場にいる誰も所持していない。
扉を破るのは不可能だと判断したユーリは壁を破ることにする。村の材木置場から持ち運ばれた柱を荒縄で縛り上げて一本にし、それを持ち上げ扉に打ち込む。何度打ち込んでも埃が立つばかりで壁はビクともしなかった。鳴る大きな物音に終始男達は周辺を気にしていた。
「何が村に侵入したんだ?」
予備役の下士官だというロイと作業を見守りながら問う。
「あんなもん見たことねぇですよ。でっけぇバケモンです。」
人外のことを言っているのだろう。
「他の住人はどこに行ったんだ?」
「それが南から獣が来たってんで駆けつけた頃にはもうぐちゃぐちゃで。俺はぁ逃げながら男ども集めてここまで来たんですがね。たぶん・・・村で逃げこむような建物っちゃ教会かレーマン家か、西に行った奴らも多かったから村長ん家とか、そこらでなんとか身を潜めてくれればいいんですがね。でもあのバケモンはそっちを追いかけてってたからあの連中どうなったことか・・・」
そう言うとロイは溜息をついて下を向いた。
レーマン、ユーリは呟く。
「レーマン家は無事か?レーマン家も村の西にある。」
「それが分かりゃ苦労しねぇですよ。昔に獣が攻めてきた時勝手に武器庫開いた連中全員縛り首にあったもんで俺達は・・・」
そこまで言い、ロイはユーリを二度見の後声を上げた。
「ああ!あんた確かレーマンさんとこのエリザちゃんの許婚とかっていう例の少尉さんか!?」
作業をしていた男達はロイの声に振り返り少尉に注目する。
「本当だ!いやぁ俺もどっかで見たことあると思ってたんだ。」
「ああ、あの苦労人の。」
「許婚ってワディムのバカが言ってたあれか?」
「いやレーマンさんも喜んでたぞ。あん人は財産守る為にエリザちゃんを教会にやったようなもんだからこれきっかけに還俗させたがってるとかなんとか。」
「つまり愛する女のために近衛の少尉さんが駆けつけたってことか。泣かせるねぇ。」
「あの只ならねぇ気合もそれでか。エリザちゃんもこれじゃあイチコロなわけだ。」
静かな興奮状態であったユーリは、突然冷水を浴びせるような村人達の会話に呆気にとられた。
彼らはユーリを無視して勝手な盛り上がりを見せ始めた。
「な、なにを言って・・・」
「照れないでくださいよ大将。将来あんたもこの村の住人になるようなもんだからもう隠し事はできませんよ。」
「よーし、勇敢な少尉のためにさっさとこの壁ぶち破ろうぜ。」
「いやこの人数じゃだめだ。俺はひとっ走りして人探してくるわ。」
男達は更に動き出した。
最悪の想定が過去の記憶と重なって感情の乱高下を繰り返していたユーリから興奮が抜け落ちて平静さが戻り始める。彼ら村人の日常的な会話を目の当たりにしたせいだろう。
平静さが戻ると妙なことが気になった。今の話、彼女の耳には届いてはいないだろうか。
人を探しに出た村人が戻ると人数は三十人を越えた。その中の一人がユーリに気付くと近寄ってきた。
「よぉまた会ったな。今日は少尉さんって呼んだ方がいいか?」
声を掛けてきたのは以前厩で会話をしたワディムだった。彼に会ったのはついこの間だが妙に懐かしく、ユーリは笑い返事をした。
「今だけはそれで頼むよ。」
ワディムは明るく親指を立てて見せた。彼の背後には彼と一緒にいたダカルがいて、彼も見たが彼はどうしてか視線を逸らした。
大きく掛け声は出せないものの彼らが息を合わせて壁を打つととうとう石材が割れ始め、鉄芯が折れて壁に穴があいた。製材風車の機械の音に紛れるように小さくそこにいた皆が歓喜の声を漏らす。
穴を人が通れる大きさ程に広げ、中から銃や槍を取り出し始めた頃クロがやってきた。
ユーリは彼に気付くと声を掛けた。その表情には俄に精気が戻っている。
その表情に不安を和らがせるべきなのだろうか、迷いながらもクロは伝える。
「ここいらの人外はあんなものが出るのか。」
彼までなにを言いだすのだろうか。
少しだけ考え、ロイにガーべ銃の取り扱いの再確認をさせるように伝え、クロと共に人外を確認することにした。
ユーリはゆっくりと壁から顔を出した。人外を直接見るのは三度目だ。しかしそこに見えたのは見たこともない異質の姿だった。
士官学校でも様々な人外の絵を見せられたが、あのように鱗で覆われた人外など見たことがない。爬虫類の人外?いたとしてもおかしくはないのだろうが、それも人のように武装して・・・
感情を思わせない冷たい捕食者の目。あの目がこちらを向きはしないかと恐怖を覚える。その目に捕らわれて暫くその人外が手に握るものに気付けなかった。その手、握られた肉。
思わず呼吸が上がって顔を戻した。消えていた興奮が戻って体が震える。彼のその様子を認めたクロは肩を叩いて目で戻るように彼を促した。
「あの、獣野郎・・・!」
脳裏には嫌でも故郷の光景が浮かんだ。
喰われる皆を目にしながらも逃げ惑うしかできなかった自分。叔父の冷たさも感じなかった強張った手。ユーリの目を見ながら痛いくらい手を握った。なぜ叔父がそのような表情をするのか、なぜ叔父の顔に感情を見出だせなかったのか、士官学校に入った頃届いた頼りを読み始めて理解した。
「ユーリ。」
クロの声に意識が戻る。相変わらず体の震えは消えなかったが、ユーリは彼の表情を見て思わず笑みを浮かべた。
「お前もそんな顔するんだな。」
やってやる。絶対に、やってやる。あれを殺して、エリザを助ける。
少女の流してくれた涙が宝石のように光って少年に力を与えた。




