白と黒の愚罪
ウィーツ私軍少佐らを伴い市内の塔までやってきた。少佐に塔のことを尋ねたが、本人は確かに牢はあると答えたが塔の管轄は私軍になく詳しいことは分からないと答えた。
塔は市民警察により包囲されていた。包囲と言ってもなにをするわけでもなく、彼らは非常招集の鐘が鳴り響く空の下談笑までしている有り様だった。
「なんだあれは。この国の警察はこの非常時に遊んでいていいのか?」
ネイがその様に不機嫌そうに顔を歪めてウィーツに尋ねる。彼は怒りを込めた表情で取りなすようにネイに言う。
「彼らはゴロツキの集団です。この国難の、連邦の危機だというのに自分達は関係ないとでも思っているんです。あの犯罪者どもを見張る我らの憲兵がいないとすぐにあれです。申し訳ありません。」
そう言うと彼は市民警察らに向かって行き怒鳴り声を張り上げた。
ネイは彼の発言を聞いて二つのことを思う。警察などと暴力と賄賂が横行しがちになるのはハタウでも通じることではあるが、しかしゴロツキや犯罪者と呼ばれる程ではない。まだこの国はまともな警察制度を整備しておらず、更には軍がその監督役などというわけの分からぬことをしているという驚き。そして先程の彼の蛮行に人間性を疑ったが、彼は私軍ながらに軍人であったということを。
少佐は囲みを解かせネイらの元へ戻ってきた。彼はネイに状況を伝えた。牢を破った賊が塔の中におり、多数の看守を殺害し立てこもり、今市民警察は軍が来るまで待機していたようだった。つまり今中にはイサイのみがいるということだった。
ウィーツはネイの身の安全を心配し部下を付けようとしたがネイはそれを断り、ウィーツを地上に待たせて近衛衛士の二人を伴って地下を降りた。彼にはまだ、ネイと司令部とを繋ぐ命令を通信所を通じて各所に通達させているベリヤ国防軍大尉との繋ぎ役として暫く働いてもらわなければいけない。
地下は不衛生そのものだった。足元は風化した石材が砂となり、衣服を湿らせる空気がそれに水気を持たせてぐちゃぐちゃと鳴る。光と空気の出入口が極端に少ない地下の空気は淀んでそれだけでも不快な臭いであるのに、更に付け加えられた臭いにベアトリーゼは思わずハンカチで口元を覆った。新米ではないといえ、平時に衛士となりそのまま軍務を積んだ彼女には未経験の臭いだった。
それは死臭といえばそれまでだが、酷く壊された死体の、特に腹が割れているような死体からは特に臭った。しなければいいのに、臭いの元をたぐって臭いのきつい死体を観察し、それが腸の臭いだと理解し、更にはその臭いを貪るように早くも甲虫が蠢いているのに気付いて彼女に吐き気が襲う。虫が人を食っているのだ。
心拍が上がっていることに気付き、思わず目の前を平然と歩くように見える後ろ姿に縋る。
「あいつが、やったのでしょうか。」
「だろうな。」
ネイは素っ気なく返事をした。ネイに拒絶されてしまった彼女は堪りかねて振り返り少尉を見る。頼りないのが当然の成り立て士官は彼女の視線に気付いて足元の死体を蹴ってしまい、四肢のまだ柔らかい関節が生きた人形のようにカクンと動く。
「どうしたんです?」
彼もそれを見たはずなのに、彼女とは違い随分と平然に見える様子で返事をする。先程彼が出した意見には驚いたが、人の意気込みとは凄いものだ。
彼への上官としての体裁もあり、臭気と合わさって気が触れるるような光景を彼と共に慰めあいたいと思う心を押し込む。
ベリヤ大尉はジル=スム要塞がネイに寄越した連絡将校だった。彼女の所属していた稜堡は部隊長を含む全将校が戦死し、同要塞は今や司令部稜堡だけが残って辛うじて抵抗を続けている状況だと言う。
大尉の話を信じたネイは北方守備軍の司令官を代行することを了承し、腕木による通信所を通じて命令を各所に出させるようベリヤ大尉に命じた。
市街に入られては獣如き相手に消耗戦となり、今地域にある戦力ではもう手が打てなくなる。そう判断したネイは国境の陣地からの機動兵力の抽出を命じ、それを用いて構成国の首都であるスウェルドロフスクの周囲を固めようとしていた。
つまりは首都以外の周辺一帯を見捨てるのだ。要塞を迂回しつつ進んでいる獣がいるとすれば、国境に残った陣地か、首都周辺に配置する予定である部隊と接敵するまでは見付けた村や集落を荒らし続けるだろう。今ユーリにとっては足元に転がる惨状など目に入れる余裕は無かった。
地下へと続く螺旋階段をまた見付けた。これは恐らく三度目。しかしそれ以上に深く潜ったように感じる。
地下に光を提供するはずの油灯は見廻りをする看守が動かなくなったために油が継ぎ足されることがなく消え、先頭のネイが持つランプの灯は足元を照らしているものの天井や通路の先になにがあるのかも見えない。もう引き返すことのできない閉鎖された空間に足を踏み入れてしまったようにすら感じる。
ネイはふと立ち止まって足元を見た。床に散らばっていた血肉が途切れている。
三人が足を止め無音の地下から足音が消え耳を澄ます。どこからか、そう遠くない場所から、ぼそぼそとした声が聞こえる。ネイはランプを高く掲げて周囲を照らした。
薄くぼやけた光が暗闇の底に蹲まった者を照らした。傍らには一つの死体。彼女の生前の苦しみを思わせるような体に残った火傷や痣や傷。しかしボロ布のようになった彼女の衣服は丁寧に掛け直され、更に彼女は胸の辺りで手を組ませてもらっていた。
ネイは彼に近付こうとし、しかし傍らの少女が目に入り足を止める。心が揺れる。いや、揺らされる。夢の中で触れて溶け合った意思。その意思に揺らされる。
湧き上がった感情の痛みに思わず手を握る。この感情は、一体誰のものなのだろう。
「イサイ!」
イサイに気付いたユーリは声を上げて二人を押しのけるように駆け寄った。ネイも彼に倣い近付こうと歩き出したが、ふと目に留まった黒く大きな存在に気付き驚き立ち止まった。
「ユーリ待て!」
ネイはゆっくりとランプを掲げ、牢の奥で壁にもたれて項垂れているイサイを照らした。
ユーリは振り返り彼女の恐れすら滲んだ表情に再度照らされたイサイを見たが、なにに対して彼女が待てと言ったのかが分からなかった。確かにイサイの今の様子は普通ではない。もうこちらに気付いて当然であるのに顔をあげようともせず、聞き取れない小さな声でぼそぼそと話し続けている。
「・・・イサイ、そいつは誰だ?」
ネイの言葉に再度ユーリはイサイを見た。傍らに横たわる憐れな少女のことを言っているのだろうか。
「一体どうしたんです?」
焦りを募らせていたユーリは立ち竦んだネイに苛立ちすら感じて問う。しかしネイはその言葉に驚いた表情を見せ、今度は中尉を振り返り見たが、彼女もユーリと同じように返事をするばかりだった。
「何を言って・・・あそこに男が、立っている男がいるだろ。」
ネイは言い、その男を指差す。その男はランプの光量が足りないのか黒く、影のようにぼやけて見えた。怪訝な表情をする二人を理解できず再度イサイの傍らに立つ男を見た時、男はネイの方を見ていた。見えないのに、目が合う。
ネイの背筋に寒気が走る。男は引き寄せられるようにゆっくりと一歩ずつ近付いてくる。
「・・・き、貴様、止まれ。止まらんと・・・」
男はまるで影であるように暗闇に溶け混ざっている。言葉が聞こえている様子もなく、重い体を持ち上げるように近付いてくる。
「ベア、あいつを止めろ。ユーリこっちに来いあいつはなんか変だ。」
「さっきからどうされたのですか?どこに男がいるのですか?」
えっ?振り返りベアトリーゼを見た。彼女の表情に嘘をついている様子は見えない。いや当然だ。彼女が嘘をつく理由がない。というよりそんな男、ネイが言うまでもなく彼女は過剰に自分を守ろうとしてくれるだろう。そんな過敏な彼女を気に入っていたのだ。
ネイはもう一度前を向いた。影は、怪訝にこちらを見ていたユーリの体を透かして進む。今見えたものが信じられずネイは後退る。
影は口を開いた。口はパクパクと動く。おかしいではないか。どうして口が見えるのに、他はなにも見えない?
「誰だお前は!来るな!べ、ベア!?見えないのか!?今男がこっちに・・・」
ネイはパニックに陥って身を引かせたがベアトリーゼにぶつかり止まる。男はゆっくりとではあるが確実に距離を詰めてきていた。
ネイの様子に彼女の異常を悟った二人が彼女に声を掛けるが最早聞こえない。近付いた男は緩慢な動きでネイに手を伸ばし、彼女に触れる寸前男の顔が見えた。
「おっ、お前は・・・!」
男がネイに触れる。
・・・・救って・・・・・。・は・・直消え・・ミシマに・・留まり・・・。・・・・・もういい。彼女・・言葉を・・・・・・。・・・・・このまま・・消えて・・・。二つの・・・かい・・・・・・・・・・・・・・・。せめて・・・別れを・・・・。・・・・。・・・・・
意思が伝わり、次に光に溢れた。
薄く暗い部屋。小さな呼吸が一つだけ。
子供の寝顔が映った。
とても不思議な感覚だ。同時におぞましい。彼に対する愛情と、過酷な人生で培った教訓の間で苦しむ心。
そうだったのか。彼は、彼に・・・。彼は、彼の全てを叶えたのか。
暗闇で彷徨う男の影。それでも想い続ける意思。彼が自身の幻覚に苦しみ、その幻覚の傍らで。例え滅び去ってでも・・・
とても、とても悲しい。
タカラオ・・・?
ふとクロは顔を上げた。ぼやける視界の中で見覚えのある影が複数映った。
一際大きな一つの影が淡く輝く影に触れると、霧散するように影が消えた。クロの頬に涙が伝わった。
・・・・・・!・・・・・・様!・・・ネイ様!!
揺さぶられ、彼女のことを呼ぶ声に意識が還る。
彼女のことを呼び続けていたベアトリーゼと目が合うと、彼女は安堵したかのように目に涙を滲ませた。
ネイは不鮮明な意識のままにクロを見た。彼もこちらを見ていた。
同じだ。あの時と、同じだ。
彼の夢に触れ、これまで覗いたどの夢の中にもなかった不思議な淡く美しい光に触れた。光は今のように彼女に意思を残した。彼にも、見えていたのだろうか。彼には、私に残された切なく、そして甘い彼女の意思が見えるのだろうか。私だけがこの感情に揺らされ続けるのだろうか。
ネイは留めようとするベアトリーゼを押して彼女の膝の上からふらふらと起き上がった。
目を合わせたまま、彼に吸い寄せられるように、彼の目の前に膝を付き、彼の顔を間近で見た。
彼よりも残された意思が強いのは、まだ彼女は残っているからだ。
彼の頭を胸に抱き入れた。
少しでもいい。伝わって欲しい。彼や、彼女の意思が。どうして私に伝わるのに、彼には・・・
体を離して、目を合わせる。動かない彼の頬には涙が伝わっていた。あの時よりも彼は傷付いてしまっていて、どうしてこんなことが彼に課され続けるのだろう。
悲しみが広がり、それ以上に愛おしい。
彼の涙に触れる。その感触に彼はピクンと体を揺らした。
「おまえは・・・?」
クロが僅かに正気を戻して彼女に問う。彼女は優しく笑って、そっとクロと唇を重ねた。
僅かに漂う甘い香り。鼻腔をくすぐる。仄かに残った頬の暖かさ。
「分からない・・・クロ、ミシマとはなに?」
「ミシマ・・・?」
「思い出して、必ず。あなたが思い出さなければ私は・・・」
首を振る。
「彼女は消えてしまう。夢の中でのこと、覚えているか?」
「夢・・・?」
「彼女が消えてしまえば、お前はきっとこのまま死を選ぶ。・・・そんなことはさせない。もう、幻覚に囚われなくていい。お前にも幻覚とは違うあれが見えてはずだ。誰も・・・お前は、愛されていた。最後まで。」
ぼやけた視界。霧の中のような。霧の世界に浮かぶ影。影を・・・影ではない、彼女を見る。彼女はどこか薄く、淡く、その存在が周囲に溶けて消えてしまうかのような、なのに力強く・・・
見えているものが信じられず、クロは必死に現実に戻ろうとした。ぼやけた視界の中に存在する彼女。そんなはずがない。
「どういう、どういうことだ?お前が・・・?」
ゆっくりと焦点を結びゆく視界の中で、しかし彼女は首を振った。理解ができず彼女を、世界に浮かび上がる金瞳を見続けた。
ネイは視線を落とした。自分にもこれがどういうことなのか分からない。夢の中で触れた意思は彼女の中に留まり、今も彼女を揺らし続けている。
「意思は端境と言った。お前や、私のことを。意思はどこかに留まりながらもお前に宿る。一つの意思が今消えた。私はお前の国のことが分からない。お前にはきっと、まだ本当に忘れていることがあるんだ。だから・・・私には分かりようがない・・・・・」
二人はそのまま沈黙した。
どういうことだ?なにがあった?
ユーリは目の前の二人の会話が全く理解できずに中尉を見た。彼女は大口を開けてユーリよりも驚いた表情を見せていた。それはそうだ。あのネイが自らイサイに唇を重ねたのだから。
「あの、中尉、私にもワケが分かりませんが、今はそれどころでは・・・」
「へっ?」
ベアトリーゼはユーリを見た。しかし彼女は今のユーリの言葉の意味が理解し難かったようで目を白黒とさせたままであった。幾ら彼女が彼の上官であったとしても、この状況で彼女を一々立てることを煩わしく感じたユーリは自ら口を開いた。
「ネイ様!今は時間が、一刻も早く私を行かせてください!イサイ!お前は俺と一緒に来てくれ!頼む!」
クロは少年を見た。少年は焦燥を見せていた。彼に見ていたモノ。
ネイを見る。彼女は一瞬目を合わせたがすぐにまた視線を落とし、僅かな間逡巡した後に立ち上がった。
「ク・・・いや、イサイ。ユーリと一緒に行ってやれ。私はこれから別行動をとる。」
「どうして・・・?」
「お前には、まだ伝えなければならないことがある。何かを決めるにはそれを聞いてからにしろ。そしてお前にはたぶん、彼が必要なんだ。」
ネイは振り返る。
「ユーリ、お前には知識があっても実戦経験が無い。その点イサイならばそれが豊富だ。そして腕が立つ。今後お前に近衛から命令が下ることはない。全て自分で考え、行動しろ。私の名は好きなだけ使っても構わない。だから絶対に生きて、必ず二人の顔を私に見せてみろ。・・・あの小娘の顔もな。これは命令だ。分かったな。」
ユーリは踵を鳴らし、彼女に近衛軍流の返礼をして見せた。




