東へ
休日。
朝。
レンはいつもより早く目を覚ました。
「……眠い」
昨日の夜に準備をしておけばよかったと思いながら、急いで身支度を整える。
リーテル。
財布。
とりあえずこのふたつがあれば大丈夫だろう。
「……よし」
家を出る。
待ち合わせ場所へ向かうと、すでにアルトとユナがいた。
「お、来たな」
「おはよう」
「おはよう。フィーリアは?」
「まだ」
そのとき。
「おはよう」
フィーリアがやってきた。
「おはよう」
「ちゃんと起きられたんだね」
「起きられるって言っただろ」
「たぶん、だったけど」
「そこは忘れてくれ」
ユナが笑う。
「じゃあ、行こうか」
「うん」
四人で駅へ向かう。
学園都市の中心部にある大きな駅。
普段から利用している生徒も多い。
けれど今日は、いつもの通学とは違う。
「東の港町まで、どれくらい?」
「一時間くらいかな」
ユナが答える。
「地方線だから、そんなに速くはないよ」
「それでも一時間か」
レンは少し驚いた。
日本にいた頃なら、休日に一時間程度の電車移動は珍しくない。
けれど、今はそれだけでも少し特別に感じる。
「切符は?」
「リーテルで買えるよ」
「便利だな」
四人は改札を通る。
ホームへ向かう。
しばらくすると、魔導列車が滑るように入ってきた。
「……これが魔導列車か」
レンは少しだけ足を止めた。
以前、学園都市へ来るときにも見た。
けれど、実際に乗るのは初めてだった。
「乗るよ」
「分かってる」
車内へ入る。
席に座ると、ほどなくして列車が動き始めた。
「おお……」
レンは窓の外を見る。
学園都市の建物が、少しずつ後ろへ流れていく。
高い研究施設。
学校。
住宅地。
見慣れた街並みが遠ざかっていく。
「学園都市の外って、こんな感じなんだな」
「まだ近郊だよ」
「そうなのか?」
「うん」
フィーリアが窓の外を見る。
「もう少しすると、景色が変わるよ」
しばらくすると、建物が減っていく。
代わりに広い畑や緑が増えてきた。
「……すごいな」
「何が?」
「学園都市の周りって、こんなに広いんだな」
「農業地区だから」
「なるほど」
レンは窓に近づいて外を見る。
遠くに山が見える。
畑の間を魔導車が走っている。
時折、小さな集落も見える。
「本で見たのと同じだ」
「本?」
「この前買ったやつ」
「ああ」
アルトが笑う。
「実物のほうがいいだろ?」
「そうだな」
ユナが二人の会話を聞きながら笑う。
「レン、本当に気に入ったんだね」
「知らないことが多いからな」
「まあ、確かに」
しばらく四人で話していると、時間はあっという間に過ぎていった。
「そろそろだよ」
フィーリアが言った。
「何が?」
「海」
「……え?」
レンが窓の外を見る。
遠く。
地平線の向こうに、青いものが見えた。
最初は空の色が低く続いているだけに見えた。
けれど列車が進むにつれ、その青は少しずつ広がっていく。
陽の光を受けた水面が、細かな銀色の光を散らしていた。
「…………」
レンは言葉を失った。
窓越しでも、海の広さが分かる。
学園都市の建物も、遠くの山も、その向こうに広がる青の前では小さく見えた。
「……海だ」
思わず声が出た。
「見たことないの?」
「あるよ」
レンは少し笑う。
「でも、こっちの海は初めてだ」
列車が進む。
窓の隙間から、かすかに潮の匂いが入り込んできた。
土や草の匂いとは違う。
少し塩辛く、湿り気を含んだ匂い。
それが、港町が近いことを知らせていた。
街並みが少しずつ増えていく。
やがて、大きな建物が見えてきた。
港へ向かう船。
倉庫。
市場らしき建物。
海沿いに並ぶ店。
岸壁には何隻もの船が停まり、帆や旗が風に揺れている。
船から荷物を運ぶ人々の姿も見えた。
遠くからでも、港の活気が伝わってくる。
怒鳴り合うような掛け声。
荷車の車輪が石畳を叩く音。
船の金具がぶつかる乾いた音。
そして、一定の間隔で聞こえてくる波の音。
列車が駅へ近づくほど、その音は少しずつはっきりしていった。
「着いたね」
ユナが言う。
「東の港町」
列車がゆっくりと停車する。
扉が開いた。
その瞬間、強い風が車内へ吹き込んできた。
「わっ」
ユナの髪が大きく揺れる。
レンの頬にも、ひんやりとした潮風が触れた。
塩気を含んだ空気が鼻を抜ける。
遠くからは、海鳥の鳴き声が聞こえた。
四人がホームへ降りる。
足元に伝わる振動が消えると、代わりに港町の音が一気に押し寄せてきた。
波が岸壁にぶつかる音。
船員たちの呼び声。
荷物を積み下ろす音。
駅の案内放送。
それらが重なり合い、学園都市とはまったく違う騒がしさを作っている。
潮の匂いがした。
さっきまで列車の中で感じたものより、ずっと濃い。
海水の塩気。
濡れた木材の匂い。
魚や網の匂い。
そこに、近くの店から流れてくる焼いた魚の香ばしい匂いが混ざっていた。
「……海の匂いだ」
レンが呟く。
「港だからね」
「それはそうなんだけど」
レンは周囲を見る。
駅の向こうには、青く広がる海が見えている。
風に乗って、白い波頭が岸壁の向こうで揺れていた。
港には大小さまざまな船が並び、色とりどりの旗が風に翻っている。
店先には魚や貝が並べられ、店員たちが客を呼び込んでいた。
通りを歩く人々の服装も、学園都市で見るものとは少し違う。
日焼けした肌。
丈夫そうな作業着。
肩に担がれた網。
誰もが忙しそうに動いているのに、街全体にはどこか開放的な空気があった。
学園都市とは違う。
建物も、人の流れも、空気も。
けれど。
知らない場所に来たという感覚が、妙に心地よかった。
風がもう一度吹き抜ける。
レンの髪を揺らし、服の隙間から入り込んだ。
その向こうで、波が岸壁に砕ける。
ざあん、と低い音が響いた。
「まず、どこ行く?」
アルトが聞く。
「市場じゃない?」
ユナが答える。
「魚か」
「魚」
「お前、本当に魚好きだな」
ユナが笑う。
「だって港町だぞ。新鮮な魚があるに決まってる」
「それは分かるけど」
アルトは呆れたように言いながらも、楽しそうだった。
「じゃあ市場から行こう」
フィーリアも頷いた。
四人は港町の通りへ歩き出す。
駅を出ると、潮風がさらに強くなった。
海鳥が頭上を横切り、遠くで汽笛が鳴る。
通りの先からは、焼き魚の匂いと、香辛料の効いた料理の匂いが流れてきた。
レンは振り返り、さっきまで乗っていた魔導列車を見る。
列車は静かに動き出し、学園都市へ向かって遠ざかっていく。
その音が聞こえなくなると、港の波音がいっそう鮮明になった。
そして前を向いた。
今日は一日。
この街を見て回る。
潮風に吹かれながら、レンは胸いっぱいに港町の空気を吸い込んだ。
「……楽しみだな」
小さく呟いて、レンは三人の後を追った。




