第十二話『-心道編- 過ぎ去りし春心』其ノ参
それはどうやら笑子ちゃんも同じな様で、僕達は揃って声の方へと振り向いた。
その声は喫煙所の目の前の学習塾からで。開けられた窓には、講師と女子生徒が向かい合って話す姿が見えていた。声の主は講師のものだった。
「今のままだと、とてもじゃないけど志望校には届かないぞ」
「……はい」
どうやら、進路の話をしているらしい。人の少ない今日は窓からでもその会話がよく聞こえた。
あれ、あの女の子さっきの____
思わず立ち止まって見ていると、俯いている女子生徒が先程のD級の妖が憑いた女子生徒だということに気付いた。
でも、なんかあの妖、大きくなってるような……
俯く女子生徒とは裏腹に、講師は毅然とした態度で話し続ける。
「まだ少し足りないな」
「……」
「君が頑張ってるのは分かる。でも君と同じように、みんなも頑張ってるんだ」
「……」
無意識に握り締めた手に、汗が滲む。見上げた女子生徒の手も同じように固く握り締められていて。
何か嫌な予感がするのは、僕の気の所為だろうか。
「だからもう少し、頑張れないか?」
「……」
D級はほぼ無害で、人に危害を及ぼす事はない。それは、人が自分でコントロール出来る程度の負の感情だからだ。
でも、それじゃあ
自分でコントロール出来なくなるほど、それが大きくなってしまったら?
「みんなも頑張ってるんだから、君も____」
明らかに膨張して破裂しそうなまでに膨らんだ妖に、僕が笑子ちゃんを後ろへと突き飛ばしたのと、女子生徒が叫んだのは同時だったと思う。
「__ッ私だって!!ずっと頑張ってるッッ!!!」
次の瞬間、大きな爆発音と共に体は吹き飛ばされて壁に叩き付けられた。
キーンと鼓膜が悲鳴が上げて聴覚が上手く働かない。叩き付けられて地面に横たわる身体を必死に持ち上げながら、僕は何とか目を開けて辺りを見渡す。
辺り一面が燃えていた。炎が辺りを焦がして、熱風が吹き荒れて煙が宙を舞い、焦げ臭い匂いが広がっている。
何だ、何が起こったんだ……?
理解が追いつかない速度で状況が一変した。確か女子生徒に憑いていたD級の妖の様子がおかしくて、爆発しそうなまでに膨らんだ妖に嫌な予感がしたんだ。
____そうだ、笑子ちゃんは!
「ゲホッ」と煙に噎せながら辺りを見渡すと、少し離れた場所で同じように吹き飛ばされて地面に横たわる笑子ちゃんの姿を見付けた。上手く動かせない身体とすぐには駆けつけられないその距離に一瞬焦るけとど、ピクリと体を起こそうと動いた笑子ちゃんの姿に安堵する。怪我はしているみたいだけど、どうやら無事なようだった。
様子のおかしかった妖に嫌な予感を感じた僕は、反射的に後ろへと笑子ちゃんを突き飛ばしたのだけれど、前へと出た僕はどうやら膨張した妖の爆発に巻き込まれて吹き飛ばされたらしい。
笑子ちゃんは学習塾のあった場所の近くで負傷していて、其処はもう見る影もなく瓦礫の山と化している。その瓦礫の下には、モロに爆発に巻き込まれた塾講師と女子学生が無惨な姿で瓦礫の下敷きとなっていた。それは誰がどう見ても即死だった。
先程までD級程度だったその妖は、細長い四肢が生え、ギョロギョロと二つの目を回して、「ヮたし、ダッてズットが、ンバってル」と人間の言葉に近い言葉を喋っている。
今のあの妖は、階級の特徴から見るにA級以上の妖と成っていた。
爆発音は絶え間無く鳴り響いていた。
自我を持った妖が、その細長い手で繰り返し爆発を起こしていたからだ。その妖の手が建物に触れれば、また大きな爆発が起きた。どうやらその手が触れれば爆発を起こせるらしい。
だから焦っているんだ僕は。
だって、すぐ側にいるから。
瓦礫の下敷きとなった塾講師と女子学生の死体の真上に。
風船のようにパンパンに膨らんだ妖が。
笑子ちゃんのすぐ側に____
「に゙……ッこちゃ、…ッ」
煙にやられた喉からは思ったように声が出てこない。
それでも、傷付いた身体を無理矢理にでも引き摺って、僕は笑子ちゃんの元へと駆け出した。
笑子ちゃんが顔を上げたのと、妖が笑子ちゃんを見つけたのは殆ど同じタイミングだったと思う。
頭が酷く傷んだ。
まるでずっと、僕は悪い夢を見ているみたいだ。
焦りと焦燥で、頬を伝う水が汗なのか雨なのか分からない。
"…だってまだわたしっ、何も出来てない…ッ"
靄がかかった記憶の中で、いつかの笑子ちゃんの声が聞こえた。
確か笑子ちゃんはずっと泣いてたんだ。
僕には笑子ちゃんを笑顔にする事が、どうしても出来なくて。
爆発音が轟いて、噎せ返るような熱さの中、必死に手を伸ばした先で笑子ちゃんは、絶望に涙を流していた。
"……まだ、ッ死にたくない……っ"
____違う、僕はこの笑子ちゃんを知らない。
これはいつの笑子ちゃんだ____?
より一層激しくなった頭痛に、足元がよろけた。
目に映る全てがスローモーションのように見えて、空から降る雨粒さえも、ゆっくりに見える。
笑子ちゃんに手を伸ばす妖。
この距離では到底届かないと分かっていても、僕は腕がちぎれそうな程必死に手を伸ばした。
馬鹿な僕でも分かる。頭では理解している。でも、受け入れたくないんだ。
絶対に、間に合わない____
「ッに゙こぢゃん゙!!!!!!!!!!」
叫び声にも似た僕の声に、笑子ちゃんが僕を振り返った。
絡まる脚を必死に動かして駆けても、全てがスローモーションで遅かった。
ずっと夢の中で聞こえていたあの声が、何故か今になってはっきりと聞こえてきた。
"……もう、いや……なんだ……"
"…もう………泣いてほしく、ない……っ"
"もう、……み、たくないん……だ…"
"……ッぼくを、………たすけてくれ……っ"
「廻____」
手を伸ばした先にいる笑子ちゃんが、僕の名前を呼んだ。
笑子ちゃんの背後には、細長い妖の手がもうすぐそこまできている。
どれだけ間に合わないと分かっていても、それでも僕は手を伸ばし続けた。
笑子ちゃんを救いたかった。
笑子ちゃんの笑った顔が見たかった。
だって僕は、笑子ちゃんの事が____
背後に迫る恐怖には一切動じずに、笑子ちゃんはただただ僕だけを移していた。
そして____
「___________」
笑子ちゃんの口が確かに言葉を紡いだと同時に、大きな爆発音が轟いた。
皮膚が焼けつくような熱が襲いかかってきて。
そうして僕の世界は暗転した。
____
カビ臭い廃墟の中で、瓦礫が音を立てて散らばっていた。燃え上がるように、焼けるように身体が熱くて、自分が自分じゃなくなりそうだったことを覚えている。
君の柔らかそうな黒髪が目に映って、見た事もないくらいボロボロと大粒の涙を流す君を見て、僕は漸く君の本当の顔を見た気がした。
その白い肌には似合わない赤を伝わせながら、君は僕の腕を両手で掴んだんだ。
そんな君の手は、やっぱり温かかった。
"……ッぼくを、………たすけてくれ……っ"
「____ッは」
水面から顔を出すように、僕は起き上がった。
ずっと夢の中で聞こえていた声が、はっきりとした言葉になって聞こえる。
____そうだ
あの時、君は初めて泣きながら僕に助けを求めたんだ。
思い出した記憶にそっと頬に触れてみれば、やっぱり僕は涙を流していたようで、指先がひんやりと濡れた。
頭がガンガンする。
辺りを見渡せば、どうやら僕のいるこの場所は学園の保健診療所にある病室のようだった。ベットで寝ていたらしい僕は、何でここにいるのか理解が出来なくて困惑する。
するとガラッと扉が開く音がして____
「____ッ廻!?」
酷く驚いたような顔をした竜胆先生が、僕の元へと駆けつけた。
「良かった、目が覚めたんだね」と安堵したように眉を下げる竜胆先生の後ろには同じように目を見開いた稲見先生もいて。
「竜胆先生……それに、稲見先生まで……どうして、」
僕がそう零せば、二人は目を見開いて「…覚えてないの?」と竜胆先生が言う。ガンガンと痛む頭に顔を顰めれば、そんな僕を見た稲見先生が口を開いた。
「お前、何で自分が今病室にいるのか分かるか?」
「何でって……」
聞かれた問いの答えを探そうと、僕は必死に記憶の中を探る。
何でって、何だ?
僕は何をしてたんだっけ?
キーンと、耳鳴りまでしてきて嫌な汗が頬を伝う。
確か、御役目に行っていたはずだ。
無事に終わったから、笑子ちゃんと帰ろうと思って……。
「____ッ笑子ちゃんは!!?」
自分でも驚くほど大きな声が出た。
そうだ、思い出した。僕は笑子ちゃんと御役目に行った帰り、そこで突然D級の妖がA級に変わって、その暴走に巻き込まれたんだ。
でも、笑子ちゃんに手を伸ばしてからの記憶が無い。
この病室には笑子ちゃんの姿は無いし、彼女は無事なのだろうか。
何故か神妙な面持ちで僕の言葉を受け止めた竜胆先生と稲見先生に、ドキン、ドキンと、心臓が嫌な音を立てる。
"人の運命が産まれながらに決められているものなら、どれだけ足掻いても死に行く人は死ぬように、物語は進んでいくのよ"
何故かこんな時に、いつの日か聞いた笑子ちゃんの言葉を思い出した。
竜胆先生の腕を掴んで捲し立てるようにそう問い掛けた僕に、稲見先生はゆっくりと口を開いた。
「____心道 笑子は死んだ」
第十二話『-心道編- 過ぎ去りし春心』-完-




