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第十一話『-心道編- 純粋無垢な心髄』其ノ参

 

 それはまるで、失くし物を見つけたかのような小さな声。



 驚いて声の方を向けば、呆然と座り込んでいた筈のゆき君のお母さんが、ジャリっと地面をすって僕達の元へと歩み寄っていて。


「なっ……危ないです!早く離れてっ__」

「ともき」


 まるで僕達の声が届いていないお母さんの声は、辺りの音を全てすり抜けて僕達の元へと届いた。お母さんの目には僕達なんか映ってはいなくて、ただただ唖然とゆき君を見ていた。

 

 そんなお母さんの声に、暴れていたゆき君がピクリと反応する。


「ッ危ないです!止まって、」

「ともき、なの……?」


 笑子ちゃんがお母さんの腕を掴んで止めるけど、それでも止まらないお母さんは、ついに僕達の前までやって来る。


 絶えずゆき君の身体から放たれる氷柱がお母さんの肌を切り裂いて血を流すけど、そんなのまるで何も感じていないみたいに、ただ真っ直ぐゆき君を見つめてそう零した。


 信じられないものでも見たかのようにゆき君に向かってそう零すお母さんに、ゆき君は苦しそうに刀の刺さったままの胸を押さえた。その苦しそうな奇声は、幼い子供の泣き声みたいで耳をつんざく。


「ァあ゙!!ぼぐ、ォ、かあ゙ざ……ッ、み゙で……」

「とも、き」


 ゆき君を中心により一層強い風が巻き起こって、真冬の冷気が肌を刺す。苦しそうに暴れるゆき君を見て、お母さんは一筋の涙を流した。















 












 



















「_____名前っていうのはさ、魂そのものなんだ」

「魂?」




 

 朧気に霞んだ少年の姿。ふわりと風に揺れる黒髪に、確か僕はそう聞き返したんだ。




 

「何にでも名前がつけられているだろ?僕達は名前を付けられて初めて存在が形になるんだ」




 

 眩しすぎる太陽に向かって手をかざした君の顔が思い出せない。




 

「名前がないって事は、存在がないって事だからね」




 

 僕を振り返った君の形が、くっきりと浮かび上がる。



 

「……名前は魂そのものなんだ。名前が無ければ、たちまちその存在を失ってしまう」



 

 そう言って僕の手を握った君の手は、酷く温かくて。僕は、その温かい手が好きだった。



 

「だから、名前を呼んでよ」


 


 風が君の黒髪を掬いあげて、このまま君ごと攫ってしまうのではないかと、僕は少しだけ怖かったんだ。



 

「たとえ忘れてしまっても、その魂が名前を覚えてる。君が呼んでくれるから、僕は僕でいられるんだ」


 


 温かい君の声が遠ざかって行く。


 


 お願いだから、そんなに嬉しそうに笑わないで。


 

 

 待って、行かないで。僕を、独りにしないで、






 


「僕が、君に____」

























 


















 

 ____そうだ、名前。名前を呼んであげないと。




































「____ッともき君!!!」


 大声で名前を呼んだ僕に、ゆき君__ともき君が反応する。いや、身体が反応したという表現の方が正しいか。


 

 やっぱり、それが君の本当の名前なんだね。

 


 僕は鉄の味が広がる口を開いて、胸に突き刺した刀はそのままにともき君を真っ直ぐに見つめた。



 

 そして____





 

「お母さん、見つけたよ!!!!」




 


 僕の声に、ともき君の動きが完全に止まる。もう既に、僕と笑子ちゃんの身体は半分以上穢に呑まれていた。


「……お、かぁさ……」


 譫言のように呟くともき君の目が、お母さんを映し出す。そんなともき君の元に、お母さんはふらふらと歩み寄った。


「と、もき……ともき、」

「があ゙、さ……」


 どちらからともなくお互いに手を伸ばす。




 乾燥して荒れ果ててしまった母の手と、鋭い爪を生やした妖となったともき君の手。



 

 ふらふら、ふらふらと、彷徨うようにして母の手がともき君の手をそっと掴む。



 

 その瞬間、ともき君の真っ黒な目から透明な涙が溢れ落ちた。その涙を見た母が、大きな涙を頬に滑らせた。


「ご、めんねともき……、守れなくて…こんなにも、寂しい思いをさせて」


 両手でともき君の手を包み込んでは涙を流す母親の姿。





 













 

「たとえどんな姿になってしまっても、私に取り憑いていいから、私を呪い殺してもいいから……




 だからどうか傍にいて、消えないで」





 

















 

 ____それは究極の愛だった。




 姿形が変わってしまっても、自分自身に取り憑いてでも、自分を呪い殺してもいいから、ずっと傍に居てと、どうか消えないでと。

 


 

 たとえ自分を忘れてしまっても、母の存在だけは忘れずに、誰からも見えなくても、ただ会いたいという想いだけでずっと彷徨い続けた。


 

 

 その純粋無垢な二つの心髄が、妖となってこの世に形を成したのだ。



 

 感情(幽霊)のままでは見えなかったともき君が、妖となった事で強すぎる負の感情が干渉して母親にも見えるようになっただなんて、皮肉な話だ。



「み゙で……お、があ゙ざ……」

「ともき……っ」


 人間と妖。どれだけの究極の愛でも、その境界線は越えられない。


 どれだけその魂が名前を覚えていても、母親の言葉は、妖になってしまったともき君には届かないんだ。



 

 強く噛み締めた奥歯が鈍い音を立てる。こんなにも悲しい話があっていいのか。涙で滲む視界にはその境界線で必死に手を繋ぐ親子の姿があって。



 

 僕は、どうしたらその心を救う事ができる___?




 堪えた涙が溢れ落ちてしまいそうになった。




 その時____

























 


 ふわりと優しい風が吹いた。


























 その境界線で繋ぐ手が離れてしまわないようにと、笑子ちゃんは両手で包み込んだ。


 その瞬間、笑子ちゃんの胸が温かい光を放ち始めて、それと同じように包み込んだ笑子ちゃんの手も光を放ち始める。そうしてみるみるうちに、光は親子を包み込んだ。




 

 なにが、起こっているんだ____






 この光何だか見覚えがある。眩しい幸福の黄色の光、妖を包み込むような眩い光。


 そうだ、幸大さんの時の光だ。妖を内側から祓った、幸大さんの光と似てるんだ。



 

 ゆっくりと目を閉じた笑子ちゃんは、包み込んだ手におでこをくっ付ける。辺りに広がる光がより一層その眩しさを増して、僕は思わず目を瞑った。

























 


 
















 夕陽が街をオレンジ色に染め上げる道に、手を繋いで歩く母と子の姿が一つ。




 

「おかあさんみっけ!」


 道に伸びた母の影に、息子は小さな指を指してそう言う。そんな息子の姿に母は可笑しそうに笑った。


「お母さんはずっと一緒にいるよ」

「ずっと?」

「うん、ずーっと」


 不思議そうに見上げた息子の頭を母は優しく撫でた。そして繋いでいた手を離して、少しだけ息子と距離をとる。


「繋いだ手が離れてしまっても、ずっと繋がってるのよ」


 そう言って母は息子の方へと手を伸ばした。すると、道に伸びた母の影は息子の手に重なっていて。


「ほら、繋がった」

「ほんとだー!!!」


 まるで本当に手を繋いでいるかのように重なった影に、息子は飛び跳ねて目を輝かせた。

 そんな息子の姿を見て笑った母は、離した手をとってまたぎゅっと繋いだ。


「だからずっと一緒よ、お母さんの事嫌になっても絶対離してあげない」

「いやになんかならないよ!!」


 母の言葉に、息子はむっとして母を見上げる。


「ぼく、おかあさんのことだいすきだもん!」


 母は少し驚いた顔をした後、それは幸せそうに笑った。


「お母さんも、友樹(ともき)の事大好きよ」


 そんな母の言葉に息子も幸せそうに笑う。


「おかあさん、ぼくのことずっとみててね」

「ずっと見てるよ。だから友樹も、お母さんと一緒にいてね」







































 


 ゆっくりと瞼を持ち上げると、温かい光の中に人間の顔をしたともき君がいた。そのすぐ傍では気を失っているのか、母親が倒れていて。


 小さな風が吹く度、さらさらと砂のようにともき君の身体が消えていく。僕と笑子ちゃんは、消えゆくともき君をただ見上げていた。


 


「……友樹っていうのね、名前」


 笑子ちゃんが、呟くように言う。そして笑子ちゃんは眉を下げて笑った。


「良い名前ね」


 そう言うと友樹君の顔は温かな光に包み込まれて見えなくなる。そうして、またふわりと風が吹く。




 





















 

「____おかあさん、みっけ」




































 

 そんな声が聞こえたかと思うと、友樹君の身体はさらさらと風に乗って消えてしまった。













































 


「____回道、心道、大丈夫?」


 座り込む僕達の元へとやって来た弥子君がそう声をかける。


「友樹君の、お母さんは……?」

「大丈夫だよ、気を失ってるだけみたい」


 ハッとしてそう聞けば、弥子君が落ち着かせるように教えてくれる。その事実に、ホッと胸を撫で下ろした。


 安堵と共にズキズキと痛み始めた身体を見れば、徐々に穢が治まっていて。


「穢が引いてく……どうして、」

「あの子を祓ったからだよ。その感情が消えれば、穢も消えていく」


 穢が引いて元の肌色を取り戻していく様子に、僕は漸く友樹君を祓うことが出来たのだと自覚した。隣で同じように座り込む笑子ちゃんを見れば、友樹君が消えていった空を見上げていて。


「笑子ちゃん、大丈夫……?」

「……あの子は、救われたのかしら」


 誰に問う訳でもなく、(くう)に向かって笑子ちゃんは呟いた。


「さあな……。けど、最期に見る顔が笑ってたんなら其奴の人生は救われたんじゃねぇの」


 そう言った狼君に、最期に見た友樹君の顔を思い出す。温かな光に包み込まれる直前、微かに見えた友樹君の顔。


 子供が保育園に迎えに来た母親を見た時のような酷く安堵した顔で、顔を綻ばせてそれは幸せそうに笑っていた。


「……だと、いいな」


 そう小さく零した僕に、笑子ちゃんも小さく笑った。










 



















「い、痛いぃぃいい!!!痛いです!!!」



 


 静かな空間に、突然悠太君の叫び声が響いた。見ると、身体中傷だらけの悠太君が傷口を押さえて叫んでいる。


「救急車ー!!!」

「うるっさいわねアンタ!!少しは静かにしなさいよ!!!」


 辺り構わず叫ぶ悠太君に、すっかり元通りに戻った笑子ちゃんが怒る。そんな悠太君の様子に呆れたように弥子君が口を開いた。


「感情が消えれば穢は消えるけど、それ以外の傷は治んないからね」

「い、痛いです……!早く稲見先生の所へ戻りましょう!」

「お、落ち着いて悠太君!大丈夫だよ」

「僕死んじゃうって言ったのに狼君も弥子君も酷いです!全然守ってくれないじゃないですか!」

「わりぃわりぃ、大丈夫かと思って」


 全く悪いと思ってなさそうな狼君の謝罪に悠太君は抗議する。いくら穢がなくなったからと言っても、無数の氷柱が突き刺さったり、切り裂かれたりした身体はかなりの深手だ。悠太君がそうなるのも無理はない。


 ギャーギャーと喚く悠太君を宥めつつ、狼君は僕達を振り返った。


「つーか心道、お前精神系の異能力者だったんだな」


 そう言った狼君に、笑子ちゃんは「はあ?」と首を傾げた。それと同じように僕も首を傾げる。


「まあ確かに、相手の本心が聴こえるって精神に作用してるもんね」

「アンタ達さっきから何言ってんのよ」


 心底意味が分からないと言った様子で、笑子ちゃんは言う。


「お前、さっき内側から祓っただろ。内側から目潰せんのは精神系の能力持った奴だけだからな」


 そう言った狼君の言葉に、ハッとする。


 友樹君を祓った笑子ちゃんのやり方は、以前見た幸大さんの祓い方とよく似ていた。精神系の能力者達は、成仏という形で祓う事が出来る。


 何を言ってるんだとでも言いたげに顔を歪めた笑子ちゃんは、精神系の能力者だったのだ。だから、友樹君の心を救う事が出来た。


 ……いや、それだけじゃない。気を失っている母親の心もまた、笑子ちゃんは繋いだ手を通じて救ったのだ。


 聴こえるはずのない友樹君が最期に残した言葉に、母親の目から涙が零れ落ちたのを僕は知っているから。



 そんな事を考えていると、ポタッと頬が濡れる。嗅いだことのある御香の匂いがして空を見上げると、パタパタと白い鳩が御水を降らせていた。


「御清め……」


 「早く帰りましょう!さあ!」と騒ぐ悠太君に、僕達はこの場を離れるため立ち上がった。ちらりと、僕は涙を流したまま気を失っている母親を見る。


「……救われた事も、忘れちゃうのかな…」


 僕の言葉に、弥子君が歩みを止めて僕を振り返った。


 忘却の術によって、友樹君に会えた事で救われた心まで母親が忘れてしまうのではないかと心配だったのだ。

 

 そんな僕に、弥子君が言う。


「大丈夫だよ。たとえ姿形が変わってしまっても、見つける事が出来たんだ」


 見る影もなく妖へと変わってしまった友樹君に、母親は疑うことなくその名前を呼んだ。




 

 ああ、それはきっと____



 






















 

「究極の愛だね」


































 

 そう言った弥子君に、僕も同じ事を思ったよ、と心の中で呟いた。


























 




 

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