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第十一話『-心道編- 純粋無垢な心髄』其ノ弐

 

 

「っう、ゲホッ」


 突風に吹き飛ばされ、もろに地面に叩きつけられた僕は勢い良く咳き込んだ。一体何が起こったのかと辺りを見渡すけれど、舞う土煙でよく見えない。


「ゆ、きく……」


 徐々に視界が晴れて、その全貌が見える。ひしゃげて折れ曲がった信号機、ひっくり返った車、地面に叩きつけられた人から流れる赤。風に飛ばされて宙を舞う花びら。そうして耳に届いたのは逃げ惑う人々の悲鳴だった。


「くそっ!!まじで変わりやがった!」


 苛立った狼君の声に其方を向けば、其処には無傷で立つ狼君と弥子君がいて。


「盾であの子を囲ったけど、流石に全員は助けられなかった……」


 どうやら二人がこの辺りの被害を最小限に防いでくれたようだった。


 同じように地面に叩き付けられて傷は負っているものの悠太君と笑子ちゃんも無事で、信号機のすぐそこにいたゆき君のお母さんも2人が助けたのか無傷で呆然と座り込んでいた。


「どうするの、狼」

「どうもこうも、祓うしかねぇだろ」

「祓うって……」


 聞こえた言葉に思わず問い掛けると、2人は僕を振り返った。2人のピリついた様子に、冷や汗が頬を伝う。


「見たままだ」


 そう言って狼君が指差した方を見る。





 その瞬間、ぞわりと背筋が冷たくなる。



 

 

 其処には、見えない壁に何度も自身の体を叩き付ける見知った小さな体。何もかもを飲み込んでしまうような真っ黒な羽を背中から生やし、何も映さない真っ黒な目を揺らしている。


 

「あれが、ゆき君……なの…」

「感情が爆発して妖になったんだよ。ああなったらもう、祓うしかねぇ」

「っでも……!」

「でもじゃねぇ、彼奴はそこら辺にいる妖とは違ぇんだよ。彼奴はS級の妖だぞ、今の一撃で何人死んだと思ってんだ」


 そう言われて言葉に詰まる。ちらりと辺りを見れば、ざっと十数人が力無く横たわっていて。


「自我を失ったS級相手にこれだけの人の数は流石に俺と弥子でも庇いきれねぇ。

 今は弥子の盾で抑えてっけど、ずっとあのままには出来ねぇだろ。もう祓うしかねぇんだ、分かるだろ」


 グッと唇を噛み締める。突き立てられた歯に僅かに鉄の味が滲んだ。


 狼君の言葉に反論したいのに、今のゆき君を救うにはそれが正しいのだと分かるから悔しさだけが残って声にならない。拳を握り締めても、奥歯を噛み締めても、どうやっても涙が滲んだ。



 

 この現実が、苦しくて、苦しくて、悔しくて仕方なかった。



 

「み、゙てよ……おかあさ……ぼく、み゙て……」


 譫言のように繰り返すゆき君に、堪え切れなくなった涙が頬を滑り落ちた。悔しくて悔しくて、僕は何度も地面に拳を叩き付けた。



 

 結局、何一つ叶えてあげられなかった自分が不甲斐なかった。



 

 地面に落ちた涙が色を変える。赤くなった地面を見て、自分の拳に血が滲んでいる事を知った。それでも振りかぶり続けた拳を、狼君の冷たい手のひらがパシリと静かに受け止めた。



 

「……ぼくは、結局何もしてあげられなかった」


 

 口に出すと、それは余計に現実となって僕に押し寄せた。

 


「心を救いたいだなんて言っておきながら、僕は一番苦しめる選択をした……なにも、叶えてあげられなかったッ」

「お前はちゃんと母親に会わせてやっただろ」

「違う!!会えてなんかない……!結局独りぼっちのままだったッ!!!」


 

 僕の不甲斐無さを詰め込んだ涙声を、狼君は正面から受け止めていた。僕は泣きじゃくる子供のように、ただただ自分が何も出来なかった事を嘆いた。


「何も、言えなかった……言ってあげられなかった!何か一つでも、言葉をかけてあげられていたら、変えられたのかもしれないのに……っ、僕は、なにも……!!」


 

 その瞬間、腕を強く引かれてドンッと狼君の肩へとぶつかった。



 肩へと押し付けるように狼君の手に頭を押さえられて、目を見開く。耳のすぐ傍にある狼君の声が、ダイレクトに鼓膜に響いた。


 

「良いか回道、お前が彼奴を祓わなくても俺が彼奴を祓う。お前がここで何もしなくても、俺等だけで何とか出来る」


 

 グッと言い聞かせるように、狼君の手に力が入ったのが分かった。溢れていた涙は、いつの間にか止まっていた。


 

「でももし、まだお前が彼奴を救いたいってんなら、お前が祓え」


 

 その言葉にヒュッと喉が鳴る。


 

「祓うことで、彼奴を苦しみから救ってやれ。


 それが、お前が彼奴にしてやれる最後のことだ」


 

 芯の通った声が、僕の鼓膜を刺した。

 


 狼君が言うように、例え僕が今此処で何もしなくても狼君達はゆき君を祓えるし、僕の力なんか無くてもこの場を切り抜けられる。

 だったら僕はこうして此処で、ただ救えなかった事を悔いて嘆いて惨めに蹲っていればいい。


 


 

 ____でもそれでも、僕に刀を握らせた。



 

 

 苦しさから目を背けて逃げる道は楽で良い。だってそうすれば、もうその苦しさを感じなくていいから。




 

 

 ……いや、そんなのはとんだ間違いだ。


 逃げの道は少しも楽なんかじゃない。


 苦しさは逃げる度にその苦しさを増していくんだ。苦しみからは絶対に逃れられない、目を背けることなんて出来ない。


 向き合うのも、逃げるのも、どっちも苦しいのなら裁ち切ってしまえ。





 

「……助けたい」


 喉から絞り出したのは、酷く掠れた声だったと思う。


「ゆき君の苦しみは僕が裁ち切る……ッもう泣かなくてもいいように、僕がゆき君を祓う…!!」


 

 だって、約束した。


 もうゆき君を独りぼっちにはしないって。


 だからゆき君がそこで独り苦しんでいるのなら、僕がその苦しみを裁ち切るよ。





 

 僕の言葉に、狼君が笑ったような気がした。


 


 

 バッと体を離した狼君は、僕の手を引いて立ち上がらせた。


「お前ならそう言うと思った。これが、俺等の役目だからな」


 その言葉と共に僕の祓具である刀を押し付けられる。受け取った刀は、僕の手のひらでカシャリと音を立てた。



 

 これは、祓える力を持った僕達の御役目だ____


 


 決意を表すように刀を強く握り締めると、キラリと歯が青白く光った。


「____私も一緒に行かせて」


 決意した僕の背に届く笑子ちゃんの声。


 振り向くと同じように決意した顔の笑子ちゃんがいて。さっきの攻撃のせいで負った傷が、彼女の肌を所々赤く塗りつぶしている。


「笑子ちゃん……」

「後悔してるのはアンタだけじゃないわ。私だって、何も出来なかった」


 苦虫を噛み潰したような顔で、笑子ちゃんは唇を噛んだ。その顔は僕と同じように嘆いていた。そんな笑子ちゃんが僕の瞳を真っ直ぐに射抜く。


「だから、私も一緒に祓いたい。あの子が苦しむところはもう見たくないもの」


 少しも揺るがない笑子ちゃんの声に、狼君と弥子君は静かに口角を上げた。


「____上等。

 お前等はただ彼奴を祓う事だけに集中しろ。そんでお前等が思うように、好きに救って(祓って)来い」

「流れ弾はこっちでカバーするから、援護は俺達三人に任せな」

「え゙、それってまさか僕もですか」


 「当たり前でしょ」と弥子君は逃げ腰の悠太君を捕まえる。「僕死んじゃいますよ!」と悠太君は嘆いているけれど、どうしてか3人の言葉がとても頼もしい。


 僕の隣に立つ笑子ちゃんと一緒に、変わってしまったゆき君を真っ直ぐに見る。握り締めた刀にグッと力を込めて、刃をゆき君の方へと向けた。



 

 深く、息を吐き出す____



 

「____行こう、笑子ちゃん」



 僕達は地面を蹴った。
















 




  __


「ど、してみ゙んな、ぼぐを……ぉかあ、さ……」

「ゆき君……」


 ゆき君の前までやって来ると、より一層その苦しみの声が大きく響いた。


 弥子君の盾に囲われた狭い空間で狂ったように身体を打ち付けて外に出ようとしている。その度に背中から生えた黒い羽から、小さな羽根が零れ落ちた。


「今からあの子を囲ってる盾の拘束を解く。相手は自我を失ったS級……分かってると思うけど、迷わず祓いに行かないとやられるよ」

「……うん」


 変わり果てたゆき君の姿に、ギリギリと心臓が痛んだ。そんな僕を、弥子君の言葉が奮い立たせる。


 弥子君はゆき君の周りを囲っている見えない盾に手をかざす。


「いくよ」


 その声と共にパァンっと何か弾けたような音が響いて、見えない盾が弥子君の手のひらに吸い込まれていった。


 そして____



「ァアアアア゙ア゙!!!!」

「ゔ……ッ」



 拘束が解かれた瞬間、肌を突き刺す真冬の冷気が辺りに広がって、ゆき君の身体から放たれた無数の氷柱のようなものが辺り一帯に突き刺ささるように飛び散った。咄嗟に身体を庇ったけれど、避けきれなかった氷柱が手足に突き刺さる。


「っ……あつッ」


 いや、氷……?


 氷柱が突き刺さった部分がじくじくと痛む。冷たい氷の筈なのに熱を持ったその部分。ビキビキと血管がはち切れそうなほど浮き出て、肌が赤黒く変色していく。グンッと身体が重くなっていって。


 この感覚は____



(けがれ)……?」


 初めての御役目で妖に共感して觸った穢と呼ばれたもの。その感覚にそっくりだ。これは一体……。

 

 困惑した僕の耳に、狼君の舌打ちが聞こえてきた。


「此奴、感傷して穢を振り撒いてやがるッ」


 声の方へと振り返ると、先程の氷柱からこの辺り一体を守りきった狼君と弥子君が僕達の方を見て何やら焦った顔をしている。見れば僕と同じくいくつかの氷柱が身体に突き刺さって肌が赤黒く変色した笑子ちゃんと悠太君がいて。どうやら僕達がこの程度の傷で済んだのは、狼君達が多少の氷柱を防いでくれたからみたいだ。

 

 困惑する僕とは裏腹に、眉を顰めた狼君が足元に落ちた氷柱を踏み潰した。


「マズいな……。早く祓わねぇと、此奴等全員穢に呑まれんぞ」


 その言葉と共に、また更に一段と熱さが増す。ズクンッと重くなっていく身体は、やはり穢れに侵食されていた。

 

 荒い呼吸を繰り返す僕達三人の様子に、狼君と弥子君の顔はどんどん険しくなっていく。


「狼、このままじゃ回道達がもたない」

「くそ……」


 弥子君が背中に背負った刀を取り出す。苦虫を噛み潰したような顔をした狼君が僕達を見る。


 

 待って、駄目だよ。それは、


 

「もう俺達で祓うよ」

「まっ__」

「___駄目よ!!!!」


 僕の声を遮る笑子ちゃんの大きな声が狼君と弥子君の動きを止めた。


 頬に汗が伝う笑子ちゃんが、苦しそうな顔をしながら立ち上がる。傷付いた肌からポタポタと血が滴って、地面を赤く色付けた。荒い呼吸を繰り返しながらも、笑子ちゃんは真っ直ぐに狼君と弥子君を見つめていて。


「ッまだ、動けるわ……、あの子は…私達が祓う……ッ」

「心道……気持ちは分かるけど、もう時間が__」

「っ少しでいい!!!」


 こんなに必死な顔をする笑子ちゃんは初めて見た。


「少しでいいから、まだ私達にやらせて……!!まだ……っ何も出来てないわ!」


 笑子ちゃんの瞳に涙が滲む。僕と同じように、笑子ちゃんの肌にはじわじわと穢が広がっていく。その身体は熱くて重くて、苦しいはずなのに。




 

 ____僕は何で座り込んでいるんだ。



 


「……っ後少しだけ、僕達にやらせてほしい!」

「廻……」


 熱さで震える身体にグッと力を入れて笑子ちゃんの隣に立つ。険しい顔をしたままの狼君と弥子君は、まだ何も言わない。


「これは僕達の、御役目なんだ……ッ」


 深く息を吸い込んで、熱い息と共に言葉を吐き出した。正直、神経を觸って広がっていく穢に身体は限界だった。それでもまだ、僕達は諦めたくなかった。







 



 


「……五分だ」

 

 鋭く尖った赤い瞳で僕達を射抜いた狼君が言う。その隣で弥子君が小さく息を吐きながら刀を鞘に仕舞っていて。


「神経を觸った穢は短時間で全身に広がる。また彼奴の攻撃を喰らえばその速度は比じゃねぇ」


 じくじくと赤黒く変色していく肌。身体の三分の一はとっくに穢に呑まれていた。


「____だから五分だ。それを過ぎれば俺達で祓う」


 「いいな」と、狼君は僕達を射抜いた。二人のその優しさに、僕は拳を握り締める。


「うん、ありがとう____」

















 
















「ア゙ア゙!!」

「ゆき君……!!!」


 僕達に与えられた時間は短い。心の目が何処にあるのかも、祓い方も、考えて動いている時間は無かった。

 僕は苦しそうに胸の辺りを抑えて暴れるゆき君に呼びかけた。僕を視界に写した途端、先程と同じ無数の氷柱を放ってくる。咄嗟に刀でいくつか弾いたけれど、弾ききれなかった氷柱が肌を切り裂いてまた觸る。


 

 穢が進んだ身体からガクンっと力が抜けてバランスを崩した。膝をついた僕に、鋭く尖った爪を持つ手で飛びかかってきたゆき君が馬乗りになる。


「廻!!!!」


 笑子ちゃんの焦った声が聞こえる。目の前で獣のように唸るゆき君の口から覗く鋭い牙。真っ黒く塗りつぶされた目は何も見えない。

 

 僕は必死にゆき君の身体を押して剥がそうとするけれど、人間離れした力は到底押し返せない。


 つい先程までは、あんなにも小さな子供だったのに。悪魔のような姿に変わり果ててしまったゆき君に涙が滲む。


「っゆ、きくん……!」

「ァ゙ア」


 僕の肩を押さえ付けるゆき君の手。その爪が皮膚に突き刺さったかと思うと、


「ッッ!!」


 ゆき君の氷柱のように尖った牙が僕の首筋に突き刺さった。皮膚を突き破って僕の体内に侵入する牙。重く響く痛みに喉が締まって声にならない悲鳴が出る。


 すると肩を押さえ付けるゆき君の力が一気に強まって、その力強さにゴキンッと右肩の骨が外れる音が耳に届いた。


「ッぁあ゙あ゙!!!」

「回道!!」


 勢い良く外された痛みに、ついに痛みが声となって漏れた。弥子君の焦ったように僕の名前を呼ぶ声が遠くに聞こえる。僕の元へと駆けつけようとしているみたいだけれど、それを邪魔するようにゆき君の氷柱がそれを阻んでいた。


 

 顎の力を強めて離れないゆき君をどうにかしようにも、右腕が動かせない。耳元で唸るゆき君はどんどん僕の皮膚を喰い破っていく。


 このままじゃ、喰われる____ッ
































 ザシュッと皮膚を切り裂く音と共に、ゆき君の身体から血が噴き出た。


 僕の首筋に突き刺さったゆき君の牙は、僕の皮膚を噛みちぎる形で勢い良く離れていった。


「に、こちゃんっ」


 どうやら僕の落とした刀でゆき君の左肩を斬った笑子ちゃんが、怯んだゆき君の身体を押し飛ばしてくれたみたいだった。僕は無惨にも噛みちぎられて欠損した右の首筋を押さえた。べっとりと血がついて気持ち悪い。その鈍い痛みで顔が歪む。


 斬られた事で奇声をあげるゆき君。怒りに任せて放たれた鋭い氷柱が、先程までとは比にならない速さで僕の前に立つ笑子ちゃんの身体に突き刺さった。


「ッ」

「笑子ちゃん!!!」


 笑子ちゃんは唇を噛み締めて地面に膝をついた。笑子ちゃんに突き刺さった氷柱は、間違いなく彼女の身体を穢で蝕んでいる。僕の刀を握り締めた笑子ちゃんの手はカタカタと震えていて、頬まで赤黒く穢が広がった笑子ちゃんの顔は苦痛に歪んでいる。




 

 ……いや、違う。




 今笑子ちゃんを苦しめているのは、今笑子ちゃんが痛いのは、僕を助ける為にゆき君を傷付けてしまった事だ。




 

 笑子ちゃんは、どこまでも心優しくて、傷付ける(祓う)覚悟を決めていたんだ。






 

 ああ、本当に僕は情けないな____




 

 

 僕は肩の外れた右腕を引き摺って、僕の刀を握ったままの笑子ちゃんの手を左手で覆った。


「め、ぐる……」

「ごめん、笑子ちゃん」


 すっかり笑子ちゃんに斬られた部分が元通りに戻ったゆき君が、真っ黒な羽を広げて僕達に飛びかかってくる。


「それから、ありがとう」

 

 僕はするりと笑子ちゃんの手から刀を抜いて、迷わずゆき君の胸に突き刺した。


「ッア゙ア゙ア゙ア゙ア゙!!!」


 痛みに奇声を発したゆき君が暴れる。刀を握る僕の腕を掴んで刀を引き抜こうとするけれど、僕は絶対に離さない。苦しそうなゆき君が無数の氷柱を放ちながら暴れる。その度に強い風を伴って足を取られそうになるけれど、必死に踏みとどまる。


 辺りに放たれる氷柱を、狼君と弥子君が人々から守ってくれている。だから僕は、今目の前で苦しむゆき君を祓う事だけを考えるんだ。


「くっ……!ゆき、くん……ッ」


 身体の至る所に氷柱が突き刺さって穢が身体を侵食していく。全身が燃えるように熱くて、今にも膝から崩れ落ちそうなほど身体が重い。


 目の前で泣き叫ぶ様に奇声をあげて暴れるゆき君に、どう頑張っても僕の声は届かなくて。




 

 出来ないのか、僕達には。もう、ゆき君には届かないのか。






 


 ガリッと唇を噛み締めた、その時____















 





















 



「ともき……?」







 

 

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