第九話『-心道編- 真心込めて』其ノ参
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学園内高等部心理学科____
すっかり放課後になった廊下を、僕は少し息を切らして走っていた。HRが終わった後、口早に悠太君に別れを告げて僕は一人心理学科を訪れていた。一度訪れた事のあるこの心理学科で、三年生の教室を目指す。
ガラッと音を立てて扉を開けると、まだHRは終わったばかりのようで教室の中には生徒が沢山残っていた。そんな中、僕は扉のすぐ側にいた女子生徒に話しかける。
「っあの……、心道さん、まだ居ますか?」
「心道さん?」
僕の言葉に彼女は教室内をぐるりと見渡した。
そして____
「心道さーん!呼ばれてるよー!!」
「えっ、ちょっと!」
大きな声を教室中に響かせた彼女に、生徒達の視線は僕達の方へと突き刺さった。予想外の展開に一人焦っていると、チラチラと数人の生徒の視線が教室の窓際へと集まっているのに気付く。僕も同じようにそこに視線を向けると、そこには僕の方を見て心底驚いた顔をしている笑子ちゃんがいて。
僕が此処に来たことなのか、クラスメイトの視線を集めていることなのか、笑子ちゃんは恥ずかしそうに頬を赤らめると一目散に僕の方へと駆け寄って来る。
「っちょっと、アンタ何で此処に……!」
「いや、えっと……笑子ちゃんと一緒に帰れないかなって思って…」
「な、何で一緒に帰るのよ!」
「仲良くなりたくて……?」
「はあ!?」
僕よりも背の小さい笑子ちゃんは、僕を見上げるようにして下から文句を言う。そんな会話を笑子ちゃんとしていれば、何やらニヤニヤした顔をして先程の女子生徒が話しかけてくる。
「なになに心道さん。この人、心道さんの彼氏ぃ?」
「なっ……、ち、違うわよ!」
「わー心道さん顔あかーい!」
揶揄うように言う女子生徒に、笑子ちゃんは耳に着けたヘッドホンに触れる。女子生徒の言うように笑子ちゃんの顔は真っ赤で、それを必死に否定し続けている。そんな笑子ちゃんに、女子生徒はふっと優しい笑みを浮かべて。
「……心道さんってそんな顔もするんだね、初めて見た」
そう言った女子生徒に、笑子ちゃんはハッとしたような顔をする。女子生徒は優しく微笑んで僕達に手を振る。
「またじっくり話聞かせてよ。また明日ね、心道さん」
「……うん、また明日」
小さく控えめに手を振り返した笑子ちゃんは教室を後にした。僕も女子生徒に小さく頭を下げて、先を行く笑子ちゃんを追いかけた。
「待ってよ笑子ちゃん!」
少し駆け足で追い付くと、笑子ちゃんは静かに歩みを緩めた。
「急に来ないでよ、皆に見られたじゃない」
「ご、ごめん……」
突然訪れた事に、やっぱり怒っているのだろうか。目を伏せたまま話す笑子ちゃんに、僕は肩を小さくする。
「別に怒ってないわ。ただ、アンタの見た目は目立つから」
「あ……」
そう言われて僕は自然と髪の毛に触れた。この学園に来て、触れられる事も無くなったからすっかり忘れてた。少し摘んだ髪の毛は、白髪と黒髪が斑に混ざり合っていてとても歪だった。チラリと横目に見た窓に映る自分の目には、深く隈が影を作っていて他の人とは違う見た目。
摘んだ髪の毛を、くしゃりと握り締める。
ああ、やっぱり____
「ごめん……。気持ち悪いよね、こんなの」
なんて事ないように、誤魔化すようにして笑いながら言う。
そんな僕の言葉に、笑子ちゃんはぴたりと足を止めた。くるりと僕を振り向いた笑子ちゃんは不思議そうに首を傾げて。
「何言ってんの?私は目立つって言っただけで、気持ち悪いなんて言ってないわ」
「え……」
意味が分からないと言いたげに眉を顰めた笑子ちゃんが僕を見上げる。その顔は明らかに不満を滲ませていて、僕は目を丸くする。
「髪色が二色なだけじゃない。もっと派手な髪色の人なんて、この学園には沢山いるわ。隈だって、何も珍しい事じゃないし……。
確かにアンタの見た目は目立つけど、それが気持ち悪いなんて私は思った事ないわ」
息を飲んで目を見開くのは、今度は僕の番だった。
確かな強さを持って僕を見つめた水色の瞳は、僕なんかよりもずっと心強かった。目は口ほどに物を言うと言うが、それは本当だった。だって彼女の瞳を見れば、それが心からの言葉かなんて、すぐに分かったから。
トクンッと、またひとつ心臓が跳ねる。今まで感じたことの無いこの感覚は、一体何なのだろう。
「……ありがとう」
「意味が分からないわ。ほら行くわよ、一緒に帰るんでしょ」
「うん……!」
傘を手に持って外に出ると、いつの間にか雨は上がっていた。少しの湿気を含ませた風が肌を撫でる。空を見上げると、すっかり雨雲は流れてしまっていて、もう雨の降る心配は無さそうだった。
「雨、上がったね」
「そうね。……それで、これからどうするのよ」
同じように傘を手に持った笑子ちゃんが僕を見上げる。
「どうするって……帰る?」
「はぁ?帰るってこのまま寮に帰るつもりなの?」
「そ、そうだけど……」
僕がそう答えると、笑子ちゃんは驚いたような顔をする。
なんだろうその顔……。
それってもしかして____
「__一緒に何処か行ってくれるの?」
僕の言葉に、笑子ちゃんの頬はたちまち体温を上げる。
そして、恥ずかしそうに顔を赤くすると。
「別にっ、雨も止んだし何処か行くのかと思っただけでっ……私は行かなくたって!」
「い、行く!僕も行きたい……!!」
食い気味で被せるようにしてそう答えると、笑子ちゃんは赤く頬を染めて恥ずかしそうな顔をする。きっと僕も、彼女と同じように赤い顔をしているんだろう。自分の顔なんて見なくても、ぶわぁっと熱を持つ頬がそれを表している。
人の多い放課後、真っ赤な顔をして向かい合う僕達はチラチラと視線を集めていた。その事に気付いた笑子ちゃんはグッと僕の手を引いて早足に歩き始める。
「じゃあ私行きたいところあるから、付き合って」
「う、うん……!」
僕よりも小さな手が、腕を掴んで僕を引っ張って行く。それに着いて行きながらも、視線は自然と僕の腕を掴む手を見ていて。
笑子ちゃんの手には何か不思議な力でもあるのだろうか。彼女が触れた腕から、じわじわと広がるように体温が上がっていく。
ぎゅっと、何かに掴まれたように心臓が痛い。でもその痛みは苦痛じゃなくて、苦しいのに何故か心地良かった。
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東京都渋谷区某所____
喧騒の中を潜り抜けて其処へと辿り着けば、僕達は漸く息を吐くことが出来た。違う世界にやって来たかのように静かで、なんだか落ち着く紙の匂いが鼻を掠めていく。
笑子ちゃんに連れられてやって来たのは、騒がしいショッピングモールの中にある静かな本屋さんだった。
「僕、本屋さんって初めて来たかも……」
「確かにアンタは本なんか読みそうにないわね」
それは一体どういう意味なんだろう。淡々と話す彼女の様子からして、恐らくそれは褒め言葉じゃないんだろうな。
小説コーナーにくると、ずらりと並ぶ小さな本を笑子ちゃんはジッと見つめている。そういえばお昼休みに僕達が笑子ちゃんの元を訪ねた時も、彼女は小説を手に持っていた。きっと普段からよく好んで小説を読んでいるのだろう。吟味するように本棚を見つめる笑子ちゃんの視線は真剣そのものだ。
「それにしても、本屋さんってこんなに静かなんだね」
「当たり前でしょ。本は静かに読むものなんだから、そんな所で騒がれちゃたまったもんじゃないわ」
「たしかに」
僕には背を向けたまま、ずらりと並ぶ本を見つめながら笑子ちゃんは言う。スっと、時折背表紙に書かれた文字を読んでは手に取って粗筋に目を通している。
真剣に目を通すその表情は、初めて見た。
「笑子ちゃんってそんなに小説が好きなんだね、知らなかった」
僕がそう言うと、笑子ちゃんは小説から目を離してちらりと横目に僕を見る。
「小説というより、物語が好きなの。漫画でもアニメでも何だっていいわ。私は物語が見たいのよ」
物語が好きだと言った笑子ちゃんの言葉に、僕は目の前に並んである小説の中から、テキトーに目に付いた一冊を抜き取る。彼女を真似るように裏面の粗筋に目を通すと、どうやらこの小説は不治の病を患う少女と、そのクラスメイトの少年の二人が織り成す物語のようだった。
「物語を見ている時だけは、周りが見えなくなるから。非現実的な物語に触れていると、まるで私も何か特別な者になれたような気がして、その世界しか見えなくなるから……だから、物語が好きなのよ」
慈愛に満ちた笑子ちゃんの横顔に、僕はどうしてか名前も知らない綺麗な白い瞳を持った彼女を思い出した。
それは、「物語が好きだ」と言う笑子ちゃんの顔が、「言葉が好きだ」と僕に微笑んだ彼女の顔になんだか似ていたからなのかもしれない。
ぼーっと笑子ちゃんの横顔を見つめたまま立ち尽くしていると、笑子ちゃんは僕の手に持つ小説を覗き込んだ。
「別に物語の結末が幸せじゃなくてもいいわ。これだって、この女の子は閉ざした心を男の子に救ってもらって二人は晴れて恋人になれるけど、永遠に結ばれるわけじゃないもの。こういう系統の話は、必ずどちらかが死んで終わるの…………。
でも不思議よね、恋とか愛って何かを失えば失うほど、それが儚くて綺麗な物語に変わっていくんだもの」
人の声が殆ど聞こえない静かな本屋さんで、笑子ちゃんは静かに呟いた。その声は少し侘しさを孕んでいて、不思議な感じがした。
「死って、本来はマイナスで忌まれるものな筈なのに、どうして物語の上ではあんなにも綺麗なものみたいに描かれるのかしら」
確かに、死とは本来恐れるべきものだ。
それは僕達に人間にとって抗えないものであるからで、実際に体験して還ってきた者がいないから、未知なるものが恐ろしいからだ。
それなのに、物語で語られる死は酷く美しく描かれる。それは文豪から近代の作品に至るまでで。死に逝く人間の儚さや、その人間の生き様を丁寧に描き、まるで死とはこの世で最上級の美しさなのだとでも言うように、死に意味を持たせたがる。
それはまるで僕達に正解をうたっているようで、見ている此方までもが死に魅せられそうになる。現に作家には自殺をしている者も多く、それはやはり死に魅せられたからなのだろうか。
笑子ちゃんの声はどこか儚くて、今にも消えてしまいそうで。僕はそれが何だか怖くて、「笑子ちゃん、」と、目の前にいる彼女の名前を小さく呼んだ。
でもそれは僕の気の所為だったのか、僕を見上げた彼女にはさっきまでの儚さは無くて、少し口角を上げて僕が持っている小説を手に取った。
「これにするわ」
そう言った笑子ちゃんは、小説を手に背を向けて会計へと向かって行った。




