第九話『-心道編- 真心込めて』其ノ弍
パタンと扉の閉まる音がすると、室内はしぃんと静まり返った。気まず過ぎる雰囲気の中、一言も喋らない彼女の方へとゆっくり振り向くと、彼女も僕を見ていたのか、ばちりと淡い水色の瞳と目が合った。でもその瞬間、逃げるように彼女は視線を逸らすと、何事も無かったかのようにテーブルの上にお弁当を広げ始めた。
「……別に、帰っていいわよ」
「え……」
「アンタ、竜胆先生に連れて来られたんでしょ。無理しなくていいわ」
「別に、無理なんかしてないよ…」
針を刺すような彼女の言葉は、誰からの侵入も拒んでいるようでチクチクとして痛かった。全くもって初対面の彼女と、どうすれば友達になれるのかと頭を悩ませる。
「えっと……その、…に、笑子ちゃん」
「は?」
「ご、ごめん……!」
彼女の名前を呼んで呼び掛けた瞬間、彼女は凄い速さで僕を睨み付けた。咄嗟に謝ると、彼女はお弁当を広げる手を止めて僕を見上げる。
「何で名前呼びなのよ」
「いや、君の苗字知らなくて……、竜胆先生がそう呼んでたから」
悪気は無かったんだと彼女に伝える為、僕は正直に言葉を紡いだ。僕がそう言うと、彼女は少し目を見開いた後、静かに僕から視線を逸らした。
やっぱり、いきなり馴れ馴れしく名前を呼んでしまった事で、気分を悪くさせてしまったのだろうか。再び訪れた沈黙に、僕は情けなくあたふたと一人焦っていた。
一人部屋の入口で慌てふためく僕に、彼女は小さく溜息をついた。
「とりあえず座れば?」
「え……」
「ずっとそんなとこで立ってられたら食べずらいのよ」
「あ……そうだよね、うん」
心なしか先程よりも刺々しさの無くなった彼女の声に、僕はおずおずと彼女とは向かい側のソファーに腰を下ろした。ちらりと正面に座る彼女を盗み見ると、向かい側に座った僕を気にする様子は無くお弁当を口に運んでいる。
これは、さっきの事怒ってない……んだよね……?
「あの……君の事、教えてくれないかな」
「別に無理に知ろうとしなくていいから」
僕も同じように竜胆先生から貰ったお昼ご飯に手をつける。おにぎりの袋を開けながら正面の彼女へと問い掛けるも、彼女は依然として見えない壁を隔て続けている。
「アンタ、竜胆先生に頼まれたから此処に来たんでしょ。頼まれたからって、無理してまで仲良くしようとしなくていいから」
彼女はそっと手を止めると、お弁当を見つめたまま俯いた。プチトマトに、ブロッコリー、ウインナーに卵焼き。全く色の変わらない彼女の表情が、色とりどりの色で溢れた彼女のお弁当とは正反対で、それが余計に彼女の顔を曇らせて見えた。
彼女が言うように、確かに僕は竜胆先生に頼まれて此処まで来た。けれど竜胆先生は、ちゃんと僕に選択肢をくれていた。例え僕があの時竜胆先生の頼みを断って今頃悠太君達とお昼ご飯を食べていても、何も言わなかっただろう。
____でも、僕は君に会いに来たんだ。
竜胆先生に頼まれたからじゃない、ちゃんと自分で選んだんだ。
「……さっきも言ったけど、僕、無理なんかしてないよ。
確かに僕は竜胆先生に頼まれて来たけど、それを断ることだって出来たよ。だから、無理に仲良くしようとなんてしてない……。僕はちゃんと自分の意思で君に会いに来たんだ。
僕が、その……笑子ちゃん、と…仲良くなりたいって、思ったんだ」
いつだって、人に真っ直ぐ自分の想いを伝えるのには勇気がいる。声だって震えるし、勝手に顔だって熱くなる。全然かっこよくなんてないけれど、それよりも悲しい誤解をされる方が僕は嫌だった。
頬の温度が上がったまま、目の前の彼女へとそう伝えれば、僕を見て大きく目を見開いている彼女。その顔は、戸惑いと不安で揺れているようで迷子の子供みたいだった。
「アンタの、声は……」
「ん……?」
震える唇で紡がれた声が上手く聞き取れなくて首を傾げると、彼女はハッとした顔をして「っ別に、何でもないわ」と誤魔化すように耳を覆ったヘッドホンを触った。またもやカチカチと何やらボタンを押すと、彼女は視線を横に逸らして。
「……心道 笑子。高等部心理学科の三年、先月学園に編入して来たの」
「へ…」
「っ何よ!アンタが教えてって言ったんじゃない!」
「ごっ、ごめん!びっくりして……つい」
突然、ぼそりと独り言を呟くように自己紹介をした笑子ちゃんに驚いて顔を見ると、ばちりと目が合った笑子ちゃんは頬を赤く染めて焦ったようにそう言った。
初めて変わったその表情が、少し僕に気を許してくれたように見えて何だか胸が熱くなった。眉間に皺を寄せて、頬を赤く染めながらパクリと卵焼きを口に運ぶ笑子ちゃんに、僕の頬は自然と緩んでいく。
「あ、えっと僕は__」
「廻でしょ、知ってるわよさっき聞いたから」
僕の声に被せるようにツンツンとした声で言った彼女は、当たり前のように僕の名前を呼んだ。思わず驚いた顔で笑子ちゃんを見ると、彼女は不服そうに僕をジトっと見た。
「何よ……。アンタだって私の事名前で呼んでるんだから、私がアンタの事名前で呼んだって良いでしょ」
「いや、そうじゃなくて……その、嬉しかった……、から…」
「っほんと、何なのよアンタ……」
僕の言葉にまた一段と頬の熱を上げて赤くした笑子ちゃんは、僕から目を逸らした。その表情はなんだか照れているように見えて。きっと、先程まで見ていた彼女の顔は、人に対して張り付けていた仮面の顔だったのだろう。笑子ちゃんは思っていたよりもずっと感情豊かな女の子だった。
照れたように頬を染める笑子ちゃんにつられて、僕もなんだか照れ臭くなってくる。そんな表情を誤魔化すように、僕は聞いた。
「そういえば……、笑子ちゃんはどんな能力を持ってるの?」
その瞬間、ピシリと空気が固まった。
彼女の頬を赤く染めていた熱はすっと引き、目は大きく見開かれたまま固まっている。
____あ、間違えた。
直感でそう思った。これはきっと、笑子ちゃんにとって触れられたくない話題だった。現に先程までの少し和んだ空気が、ひび割れたように固まってしまっている。
そういえば、竜胆先生が彼女は自分の能力が制御出来ずに傷付いたって言ってた。そんな大事な事を、僕は言ってしまった後で気付いた。
「ご、ごめん……。何となく気になっただけで……、無理に聞こうとか思ってないから、その……気にしないで」
きゅっと口をきつく結んだまま、気まずそうに目を伏せてしまった笑子ちゃんに、僕の焦りは大きくなる。どうしよう、どうしよう、と慌てふためいていると、ふと彼女のつけているヘッドホンが目に入った。
そうだ……!
「そのヘッドホン……!ずっと、着けてるよね……、何聴いてるの?」
笑子ちゃんのヘッドホンを指差して聞いてみると、彼女は顔を上げてヘッドホンに触れた。
「これは……」
不安げに目を細めた笑子ちゃんの手は少し震えていて、何かに怯えているように見えた。
もしかして、またしても僕は何か間違えた事を聞いてしまったのかとだらだらと冷や汗が流れる。
「っ笑子ちゃん、やっぱり今のも無しで__」
「聴いてみる……?」
やっぱり大丈夫だと伝えようと口を開いた僕に、笑子ちゃんは遮るように問い掛けた。その強張った顔は何かを決心しているみたいで、どこか不安げなままだった。
「え……っと、いいの?」
思ってもみなかった返答に、おずおずと彼女を見る。やはり不安げに瞳を揺らした笑子ちゃんは、それでも何かを決意したようにグッと口を引き締めた。
「アンタなら、大丈夫」
「そ、そうなの……?」
よく分からないけど、そう言った笑子ちゃんは震えた手でヘッドホンを耳から離すと、カチャリと音を立てて僕に手渡した。「ありがとう」と彼女の目を見てお礼を言えば、笑子ちゃんは少し目を見開いた後、ほっと息を吐いて酷く安堵した顔をする。
そんな笑子ちゃんの様子を不思議に思いつつも、僕はそっとヘッドホンを耳に当てる。
自然と流れ込むように耳に届いたのは____
「バラード……?」
ゆったりとした曲調に合わせて流れ込む綺麗な歌詞は、今も窓を打ち付ける雨のようにしっとりしていて、傷付いた誰かの心を慰めてくれるような、そんな歌だった。
想像していたのとは全く違う音に、僕は数回瞬きをする。
「なんか、意外……」
「意外?」
「笑子ちゃんは、もっとこう……ガヤガヤしたような曲を聴くと思ってた」
「は?どういう意味よそれ」
「あっ…違くて!何というかその……こういう落ち着いた曲より、明るくて眩しい曲を聴いてるイメージだったから…」
「何それ、意味分かんないんだけど」
ぴしゃりと言い放った笑子ちゃんは怪訝そうな顔をする。「うっ……」と、返す言葉も無く小さく唸り声を上げた時、なんだか笑子ちゃんの声が少し聞こえずらいような気がした。
「なんか耳が変な感じする……籠ってる、みたいな…?」
「ノイキャンにしてるからよ」
「ノイキャン?」
聞き慣れない単語に首を傾げると、笑子ちゃんは「はあ?アンタそんな事も知らないの?」と驚いたような顔をした。そして僕の耳に当てているヘッドホンを指差して。
「ノイズキャンセリング。周りの音とか騒音を出来るだけ小さくして、聞こえなくしてくれるのよ」
「へー!そんな機能があるんだ、凄いね!」
初めて体験するその機能に、僕は少しテンションが上がる。笑子ちゃんが説明してくれたように、確かに周りの音は少し聞こえにくくて、笑子ちゃんの声もなんだか聞き取りずらかった。
「でも、これだと声も聞こえずらくなっちゃうから、ちょっと不便だね」
「別に良いのよ、私はそれで」
「そうなの……?」
そう言った笑子ちゃんの顔が少し曇って見えたのは、僕の思い違いだろうか。
僕は耳から流れる音楽を切り離して笑子ちゃんへと返した。何はともあれ、笑子ちゃんの好きな音楽を知ることが出来て良かった。普段あまり音楽は聞かないから、なんだか新鮮で嬉しい気持ちになる。
「貸してくれてありがとう。笑子ちゃんの聴いてる歌が聴けて、なんか嬉しい」
素直に思った事を口にすれば、目の前の彼女はつり目を真ん丸にして驚いたような顔をする。そして一瞬、きらりと目を光らせたかと思うと、みるみるうちに顔を赤くして。
「なっ……に言ってんのよアンタ!ほんと、変なやつ……」
「ええ……」
どうして僕は変なやつ認定されたんだ。思った事しか口にしてないのに……。
よく分からないな、とペットボトルのお茶を口に含んで喉に流し込んだ。ゴクリと喉を鳴らせば、ご飯を食べてパサついていた喉が潤っていく。喉の通りが良くなっていくその感覚はとても気持ちが良い。
ペットボトルから唇を離してふーっと一息つくと、ずっと僕を見ていたのか、目の前の笑子ちゃんとぱちりと目が合った。
「ん?どうかしたの……?」
「な、何でもないわよ!変なやつ!」
「ええ……」
頬を真っ赤に染め上げた笑子ちゃんは、またもや僕を変なやつと言う。僕からしたら、笑子ちゃんの方が変なやつなんだけど……。
それに、
「なんか、顔赤いけど…どうしたの?」
「っ赤くなんて無いわよ!」
「……いや、赤いよ」
「だから赤くないわよ!!」
「…………笑子ちゃん、変だよ」
「っアンタにだけは言われたくないわ!」
「ええ……」
ギャーギャーと噛み付くように話す笑子ちゃんの顔はやっぱり真っ赤で、すっかり仮面の外れた笑子ちゃんの顔は初めて見た時よりも少し幼くて。
____可愛い。
「はあ!!?アンタ何言ってんの!?」
「え…?僕、何も……」
突然大きな声を出して、真っ赤に染まった顔で僕を見た笑子ちゃんはふるふると唇を震わせた。そんな事を言われても僕は何も言っていないし、急にどうしたんだ。
ただただ戸惑う僕と、一人顔を赤くして焦っている笑子ちゃん。そんな笑子ちゃんの姿がなんだかとても面白くて。
「……ふっ、あははは!」
ぎゅっと目を閉じて、声を上げて僕は笑った。大きく開いた口からは絶えず笑い声が溢れる。
「なに、笑ってんのよ」
「ふふっ、笑子ちゃんが面白くてっ……つい。ずっと顔赤いし……ふはっ」
「はあ!?だから、赤くなんてなってないわよ!」
しかめっ面で、でもやっぱり頬を染めて怒ってくる笑子ちゃんに、またひとつ笑い声が溢れた。
さっきまでの気まずい雰囲気は何処へやら、僕達二人だけの部屋は一瞬で騒がしさに包まれた。
ひとしきり笑った後、呼吸を整えようと僕はまた一口お茶を飲む。そんな僕をやっぱり笑子ちゃんは見つめていて。
「……アンタみたいな人、初めて会った」
ポツリ、呟くように笑子ちゃんは言った。
「何か言った?」
「何でもないわ」
フイッと顔を背けて笑子ちゃんはいつの間に食べ終えたのか、お弁当の蓋を閉めた。そんな笑子ちゃんと同じように、僕も手元へと視線を移して食べ終えたものを袋につめる。
「…………僕も。笑子ちゃんみたいな人、初めてだよ」
「っ!」
バッという音と共に、勢い良く笑子ちゃんが顔を上げたのが分かる。僕のちょっとした悪戯心が、またもや口角を上げさせた。そっと顔を上げると、そこには想像した通りの真っ赤な顔で僕を見ている彼女が見えて。
「きっ、聞こえてたんじゃない……!」
「ごめん、笑子ちゃんがどんな反応するのか気になっちゃって……」
「アンタ馬鹿じゃないの!?」
「ぶっ」
「いてて……」と、突然投げつけられたティッシュ箱に僕は鼻を摩る。立ち上がった笑子ちゃんは僕にティッシュ箱を投げつけても尚、気が収まらないようだった。
「い、痛いよ笑子ちゃん……」
「知らないわよ!」
フンッと腕を組んだ笑子ちゃんは、言葉は強いものの本当に怒っているようではなさそうだ。そんな彼女の様子が面白くて、僕はまたひとつ小さな笑みを零した。
気まずさなんてどこにもなくて、寧ろ居心地の良さを覚えるこの空間は酷く心地が良い。どうすれば仲良くなれるのかなんて、そんなの考えなくても良かったみたいだ。
トクントクンと、心地良く心臓が跳ねる。じんわりと、染み渡るようにして心が温かくなる。
不思議だ。笑子ちゃんを見てると自然と頬が緩んでしまう。彼女と二人でいるこの空間は、酷く心地良い。
もっと話していたい。もっと知りたい。もっと、色んな顔が見てみたい。
初めて感じるこの感情は、一体何ていう名前なんだろう。




