第八話『禍福』其ノ肆
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「それで、どうして噂なんかを?」
後ろを歩く僕達に、彼女は振り返ることなく問い掛けた。そんな問い掛けに、転堂さんは玄雲さんの裾を引いて指を差す。
「俺達二人、大学で心霊現象についての研究をしてるんすけど。ここ最近、この大学内で噂になってる「呪いの美大生」について興味があって…………、な?」
「あァ」
さらりと息を吐くかのように嘘をつらつらと並べた転堂さんに、同意を求められた玄雲さんはニコリと笑って肯定した。嘘を付くのに何の抵抗も見られない二人の言葉は、彼女を信じさせるには十分なようだった。
「この子は俺の妹で、此奴は…………まぁ、後輩です。興味があるみたいなんで連れて来ました」
ポンポンと優しく小福ちゃんの頭を撫でたのに対して、転堂さんは不自然な間を挟んで僕を後輩と言った。そこにはおそらく……いや絶対に私情が挟まれている。
ちらりと僕達に視線を向けた彼女は、納得した様子で前へと視線を戻した。
「それじゃあ「呪いの美大生」については、詳しく知ってるの?」
「……いや、あんまり。良かったら詳しく教えてもらえないすかね」
僕達に背を向けたままの彼女へと、転堂さんが問い掛ける。ペタペタと歩みを進める度に、どんどん学生の姿は少なくなって行く。それは「呪いの美大生」の噂が関係しているのだろうか。
「……1ヶ月程前のことです。この大学に通う一人の女子生徒がいつも通り、画を描いていました。その女子生徒はとても優秀で、彼女が描く画はいつも何らかの賞を受賞していました」
僕達の足音が鳴り響く中、淡々と静かに彼女は語り始めた。どこか冷たさを含むその声のせいか、僕の背中はどんどん冷たくなっていく。
「そんなある日、彼女はこの12号館の一室で不審な死を遂げました。教室の床に画を描くように、身体を筆のようにして引き摺られて、自身の真っ赤な血に染め上げられて__」
ゾクリと、反射的に背筋が凍り付いた。依然として此方を振り向かない彼女のその姿勢が、より恐怖を引き立たせているようで。小さく僕の手を握る力を強めた小福ちゃんに、僕はぎゅっと力を込めて握り返した。
「それからというもの、此処12号館では度々死傷者が出るようになったの。そのどれもが不審なものばかりで、たとえ奇跡的に助かったとしても重症を負って……。
そうして囁かれるようになったの、この12号館は呪われている。此処で画を描くと死ぬ。あの子の血で染まっていたものは、きっと呪いの画だったんだ、って」
ピタリと、彼女が足を止める。それに合わせて足を止めた僕達をちらりと横目で確認すると、スっと前に見える教室を指差した。
なんだろう、何か違和感があるような……。
「あそこが、その教室です」
立ち入り禁止と書かれた黄色と黒のテープで阻まれたその教室は、あまりにも静かで異様な雰囲気だった。いつの間にか人気は全く無く、おそらく学生の誰もがこの教室を避けているのだろう。
僕達は彼女を追い越すと、テープを無視してぞろぞろとその教室へと近付いた。ごくりと唾を飲んで窓から覗き込んでみると、中には何も無く、ただ静かな空間が広がっているだけだった。
「何もねぇな」
「血の一つや二つでもこびり付いてらァ盛り上がったのにな」
「いや怖いこと言わないでくださいよ……」
「小福もみたい」
怖い事をさらりと言う玄雲さんにビクリと肩が跳ねた僕に、玄雲さんは悪戯に口角を上げた。
僕の胸の高さにある窓は、小さな小福ちゃんには見えないみたいで、下から腕を広げて自分も見たいと僕にお願いしてくる小福ちゃんをそっと抱き抱えた。小さな子を抱き抱えるのは初めてで、思ったよりもちゃんとある重さに驚いた。小さく声を漏らした僕を目敏く見付けた転堂さんに、鋭く睨まれる。抱えた小福ちゃんは興味津々に窓に手をついて教室の中を見渡していて、何とも幼いその表情がとても可愛らしくて、僕はつい頬が緩んだ。
不思議と、さっきまで怖いと思っていたこの空間が、玄雲さんと転堂さんと小福ちゃんがいる事で恐怖は無くなっていた。それはつい頬が緩むほどで____。
「__影術「影画」」
突如、バサバサッと翼の様な音がしたかと思うと何かがぶつかるような音が響いて、足元が大きく揺れた。咄嗟に抱き上げていた小福ちゃんを隠すように庇うと、僕達を守るように前に立った二人を見上げる。
「なっ、何が……」
「っと、危ねェな」
「助かったわ玄雲。……あとお前も、よくやった」
小福ちゃんを庇った僕を、転堂さんは横目に見てそう言った。転堂さんの隣でふーっと息を吐いた玄雲さんは、トントンと閉じたままの番傘で肩を叩く。
時折影が落ちる床に天井を見上げると、そこにはバサバサと音を立てて飛ぶ真っ黒な鴉の影が浮かんでいる。さっき聞こえた言葉から、おそらくこの鴉は玄雲さんの能力なのだろう。肩を叩いていた玄雲さんが、番傘を下げてトンっと足元の影を叩くと、天井に浮かんでいた鴉の影は吸い込まれるようにして足元の影に戻って行った。
「____何で分かったの?」
聞き覚えのある淡々とした声に、ゾクリと背筋が凍る。
前に立つ二人に遮られるようにして聞こえた声に、僕は小福ちゃんを背に隠しながら立ち上がった。
そこにはやはり、僕達を此処まで案内してくれた彼女の姿があった。
「ねえ、何で分かったの?私、どこか変なところありましたか?」
相変わらず淡々とした声で僕達に問い掛ける彼女の姿は、どこからどう見ても人にしか見えない。ただ先程までとは違って隠すことのない殺気を見に纏わせた彼女は、僕が見たって分かるほど妖の姿だった。
カタッと人形のように首を傾けて僕達を見る彼女。普通の女子大生にしか見えなかったから、全然気付かなかった。ただ微かに、何か違和感のようなものを覚えていたくらいで……。
____違和感?
「あ?顔だよ顔、お前の顔には感情が無さ過ぎんだよ」
____そうだ。彼女と会ってから、ずっと何か違和感があった。
姿も、声も、仕草だって、どう見たって人間だったのに。
でもただ一つだけ、彼女の顔にはいつだって感情がなかった。転堂さんが言うように、声にはちゃんと感情が乗っているのに、全く感情が見えないその顔が、僕達にずっと違和感を覚えさせていた。それはその違和感の正体に気付かせない程で。
「人の顔にはな、どんだけ僅かでも感情が出んだよ。感情が出にくい奴は、周りに違和感を覚えさせる……。
でもお前からは何も感じなかった。その全く違和感を感じさせねぇお前の顔は、逆に違和感でしかねぇんだよ」
鼻で笑って見下したように言い捨てた転堂さんに、彼女__妖は傾けていた首を元の位置に戻した。
「そう、やっぱり人間は難しいね」
「あーあとそれだ。その敬語とタメ語が使い分けれてねぇのも」
確かに、転堂さんに言われるまで気付かなかったけど、妖の話し方はテキトーで、いつもバラバラな話し方だった。
それにしても、僕は彼女が妖だったなんて全然気付かなかったのに、すぐに気付いた玄雲さんと転堂さんはずっと彼女を警戒していたのだろう。教室を見るのに夢中になる僕達を、静かに背後から狙った妖に即座に反応した玄雲さんが、あの影の鴉を能力で出して庇ってくれたのだ。
僕と比べるにも値しないその力の差は、僕に自然と感嘆の息を吐き出させた。
思わずぼーっとしてしまった僕は、妖を祓うため慌てて背中に背負った祓具を取り出した。
「回道、ちゃんと見てな」
「え………。でも玄雲さん、転堂さん一人じゃ……」
僕の肩に手を置いて、動きを制した玄雲さんを見上げる。確かに転堂さんはSS級の能力者で、きっととてつもなく強いのだろうけれど、SS級の能力者が担う御役目ということは、この妖も間違いなく強くて。驚く程自然に人の姿を成している様子から、この妖はおそらくS級以上。それなら、例え弱くても僕達三人で相手した方が良いに決まってる。
「だってよ幸大、心配されてらァ」
「あ゙ぁ?巫山戯んな、すぐ終わるわ」
「っでも、この妖ってS級以上ですよね」
「たかがS級如きに俺が時間使うわけねぇだろ、お前は黙って小福見てろ」
「……いや見んなや」と、僕に訳の分からない釘刺した転堂さんは僕を見下ろした。僕達の目の前にいるのはS級の妖だと言うのに、平然と背を向けて僕を睨み付ける転堂さんは何も動じていない。
ふんっと鼻を鳴らした転堂さんは、くるりと僕に背を向けて妖に向き直った。
「まァ見てな、回道。アイツ強ェから」
「……はい」
「小福ちゃんも見るかィ?」
「見る!兄さんの能力、綺麗で大好きなの」
小福ちゃんの声に、前を向く転堂さんが小さく微笑んだ気がする。
あれ、そういえば転堂さんの能力って何なんだろう。
そう思った瞬間、辺りは眩しい光に包まれる。思わず目を細めて見れば、その美しく黄色に光る光の正体は転堂さんのようで。体全体に美しい光を纏った転堂さんは、妖に向かってまるでそっと手を差し伸べるように手をかざす。
そして____
「幸福理論術「清福」」
その瞬間、妖の心臓の辺りにポゥっと一粒の小さな光が浮かび上がった。
その光は次第に身体全体を覆うように広がっていき、やがて妖の身体は眩い光に包み込まれた。目を凝らしてよく見てみると、その光はどうやら小さな花のような形をしていて。その小さな光の花が、一面の花畑のようにして広がっている。
その綺麗な光の花にはしゃぐ小福ちゃんの隣で、僕はそのあまりの美しさに息を飲んだ。
そして、妖を包み込んだ光はより一層その眩しさを増した。思わずグッと目を細めた時、輝く光の隙間から見えた妖の瞳に、キラリと光る涙のようなものが見えた気がした。
でも、それを確かめようとする時には、優しく溶けるようにして、もう既に光の花は消えていた___
「き、消えた……?」
そう、消えたのだ。光に包み込まれた妖が、その光と一緒に溶けるようにして跡形もなく消えていったのだ。
戸惑う僕の元へ、すっかり光のなくなった転堂さんが戻ってくる。
「おい、終わったから帰んぞ」
「さっきのって、祓ったんですか……?」
「当たり前だろ」
何言ってんだと言わんばかりに転堂さんは顔を歪めた。全く理解が追い付かない僕の隣に「確かお前さん、前に狐塚に妖の祓い方について教えられてたよな」と玄雲さんがやって来る。僕はその言葉に小さく頷くと、玄雲さんはその真っ黒な番傘で自分の肩を叩いた。
「妖の祓い方にはな、限られた能力者しか出来ねェ祓い方があるンでェ」
「限られた能力者、ですか?」
「お前さんも知ってる通り、妖を祓うには目を潰すしかねェ。俺達が普段やってる祓い方は、外側から目を潰して祓うやり方だ。
だがそれに対して、幸大達限られた能力者がやる祓い方は、その目を内側から潰して祓うやり方なんでェ」
目を内側から潰す、とは一体どういう事なのだろう。僕達が外側から目を潰すというのは、何となくだけど、体の外からの攻撃で潰しているという事なのだろうけど。内側から目を潰す祓い方ってどういう意味なんだろう。
「内側から祓うって、どういう事ですか?」
「あーアレだ、成仏ってヤツだな」
「成仏……?」
成仏というのは、幽霊なんかの未練を断ち切って現世から解放するっていう、あの成仏の事だろうか。
「妖は元々、人間の負の感情から生まれたモンだ。だからその根源であり目である負の感情を、内側から断ち切ってやれば成仏っつー形で綺麗に消えてくンだ」
「あ、だからあの妖は……」
今までで見た事のない祓い方で消えていった妖の姿に納得する。確かにあの消え方は、成仏したという表現がぴったりなような気がする。あの時見えた酷く安心したように伏せられた安らかな眼は、綺麗な涙を流していて、それはきっとあの妖が生み出された根源である負の感情が断ち切られたからなのだろう。
ぼーっと妖が消えた場所を見つめていると、隣から玄雲さんの声がかかる。
「ただ、内側から祓う事が出来ンのは限られた能力を持つヤツだけだかンな……、俺達には出来ねェ」
「その、限られた能力っていうのは、何なんですか?」
僕は玄雲さんの方を振り向いて、その瞳を見て問いかけた。そんな僕に玄雲さんはスっと長い指を持ってくると、僕の心臓の辺りをトンと突いた。
「____精神系の能力だ」
精神系の能力…………?
あまりピンとこない言葉に、僕は首を傾げる。そんな僕の顔を見て、玄雲さんは喉を鳴らして笑った。
「俺達の能力は、妖の外側__身体に直接働きかける能力だが。それに対して精神系の能力者は、外側じゃなく内側__精神に直接働きかける能力を持ってンだ」
玄雲さんの言葉に、僕は小福ちゃんを抱き上げて窓の外を眺めなら話をする転堂さんを見る。確かに僕達の祓い方とは違って、あの妖を祓った転堂さんの能力は妖の身体に傷一つ付けてはいなかった。
「だが、俺達みてェな能力者が同じ事をやろうとしても、妖の根源に触れば簡単に觸っちまって穢になっちまう。だから内側から祓えンのは、根源への触れ方を知ってる精神系の能力を持つ能力者だけなんでェ」
「なるほど……」
「まァ、精神系の能力者はあんまいねェから、内側から祓えるヤツは少ねンだけどな」
玄雲さんの言うように、僕の知っている能力者の中に精神系の能力者はいない。消えるように祓われた妖の様子を思い出すと、きっと妖にとって内側から祓われる方が幸せなのではないだろうかと、僕は思った。
「つまり転堂さんは、精神系の能力者なんですよね……。一体、どんな異能力なんですか?」
僕の問い掛けに、玄雲さんは転堂さん達の方を見た。それにつられて僕も視線を移すと、僕の声が届いていたのか、此方を見ていた転堂さんと目が合った。
「幸大の異能力は「幸福」。その名の通りその身にありとあらゆる福を呼び込む、福を司る能力でェ」
「福を、司る能力……」
そのあまりにも膨大過ぎる能力に、その内容を上手く想像する事が出来ない。ただ、あの優しい黄色の光に包まれた転堂さんの姿は、まるで幸福に包み込まれているようで。それはなんて、綺麗な能力なのだろうか。
いまいち理解が出来ていないのが伝わったのか、僕を見た玄雲さんは窓を指差した。
「雨、止んでンだろ?」
そう言われてハッとした。
そういえば、朝からあんなにもザーザーと降り注いでいた雨が、転堂さんが外に出た瞬間止んだのだ。それを知っていたからなのか、転堂さんは傘なんか最初から持っていなかった。
「幸大の能力は、自身にあらゆる福を呼び込むからな。雨はどんだけ降ってても止むし、くじなんか引けば必ず当たる……、だから妖の居場所なんか、探さなくても運良く行き着けンだ」
「す、すごい……!!」
「福の神みてェだよな」
「うっせ、そんな大層な能力じゃねぇわ」
悪戯に笑って言った玄雲さんに、転堂さんは顔を歪めて否定する。そして抱き抱えていた小福ちゃんを、割れ物を扱うかのようにしてそっと床に降ろすと、壁に寄りかかって腕を組んだ。
「つーか高専寺も狐塚も、俺がいんだから雨とか関係ねぇだろ。分かりやすい嘘付きやがって」
「なんでェ、可愛い後輩じゃねェか」
「どこが可愛いんだよ」
転堂さんと話している時の玄雲さんは、創一郎君の時とは違って少し幼げな笑顔を浮かべる事が多くて、きっとこれが友達といる時の玄雲さんの顔なんだろうな。目の前で仲良さげに話す二人を見ていると、なんだか僕まで笑顔になってしまう。
ついつい顔が緩んだ僕に気付いた転堂さんが、僕を見て眉間に皺を寄せる。
「何笑ってんだお前」
「いっいや、何でも……。
あ……そういえば、転堂さんの妹って事は小福ちゃんも「幸福」の能力者なんですか?」
話を逸らすために聞いた問い掛けに、転堂さんは不思議そうに僕達を見上げる小福ちゃんの頭を優しく撫でて見せた。
「いや、小福には能力が殆ど覚醒しなかったから、小福は普通の人間とあんま変わんねぇんだよ」
「そうなんですね」
「折角今代の転堂家は、福の年だったのになァ」
「福の年?」
頭の後ろに手を当てながら、小福ちゃんを見て玄雲さんはそう呟いた。聞き返した僕に視線を移すと、玄雲さんは未だ眉間に皺を寄せたままの転堂さんを指差して。
「転堂家の異能力は「幸福」だけじゃなくて、その対になる「厄災」の二つの異能力を持った一族なんでェ。その名の通り、「厄災」の能力は自身にありとあらゆる厄を呼び込む、呪いを司る能力だ。そンでその能力の厄介な点が、自身に呼び込む膨大な呪いの力によって、やがては死んじまうんでィ」
「死ぬって、どうして…」
「膨大な呪いを呼び込み続けちまう事で、身体が耐えきれなくなンだ。だから、厄災に押し潰されて死んじまう」
「そんな……」
そんな酷い話があっていいのだろうか。だって、何も悪い事なんかしていないのに、「厄災」の能力が覚醒してしまったばかりに、理不尽に呼び込まれる厄災に殺されてしまうだなんて。そんなの、あんまりだ。
「転堂家の能力者は、産まれてきた子供が覚醒するまでどっちなのかは分かンねェ。だが産まれた子供の能力が分かれば、次に子供が出来ても同じ母胎からは同じ能力を持つ子供しか産まれねェからすぐ能力が分かるンでィ」
その玄雲さんの説明に、やっとさっき玄雲さんが言った言葉の意味が分かる。
「幸大が「幸福」の能力を持って産まれたから、今代は小福ちゃんも福の力を持った、福の年なのにな」
「いいんだよ小福は。んなもん無くても、小福は俺が幸せにするからな」
「そうだねィ」
「玄雲、その傘見せて」と両手を出してお願いする小福ちゃんは、いつだって子供らしく無邪気で可愛らしい。たとえ福の力が殆ど無くたって、人を自然と笑顔にさせてみせる小福ちゃんは、僕には福そのものに見えるから。
「____っし、帰るか」
ふわふわと触り心地の良さそうな髪の毛を揺らす小福ちゃんの頭を、転堂さんは優しく撫でてそう言った。




