第八話『禍福』其ノ弐
__
学園内大学棟教育学部____
ザーザーと雨音が響く教育学部は、大学棟なだけあって高等部の敷地より広く、放課後に浮き足立った生徒達が騒めいていた。
そんな中を高等部の制服を着た僕達と、ランドセルを背負った小福ちゃんが歩けば、視線を集めるのは当然で、特に雨でびしょ濡れのまま歩く小福ちゃんには終始不思議そうな視線が突き刺さっていた。
それでも、ここ教育学部では小福ちゃんの事を知っている人が多いようで。
「あれ、小福ちゃん。今日もお兄ちゃんのところ?」
「うん」
「ちょっと、小福ちゃんびしょ濡れじゃない!誰かタオルー!」
「大丈夫だよ、兄さんに拭いてもらうから」
「おー小福ちゃん、お兄ちゃんならまだ演習室にいるよ」
「ありがとう」
と、すれ違う学生達は度々小福ちゃんに声をかけていた。びしょ濡れの小福ちゃんが歩く度に出来る小さな水溜まりを、教育学部の生徒達は慣れた手付きで拭いている。
僕達と一緒にいる時と比べて安心した笑顔で顔を綻ばせている小福ちゃんの様子から、きっと小福ちゃんはお兄さんに会うために、よく此処を訪れているんだろう。
「____あ!」
突然指を差して、何かを見つけたかのように小福ちゃんは僕の手を離して駆け出して行く。小福ちゃんはペタペタと裸足の足音を鳴らしながら、第2演習室と書かれた扉を開けた。
「____兄さん!」
小福ちゃんのあとを追いかけて教室の中を覗くと、そこには一目散に椅子に座る男の人へと抱き着く小福ちゃんの姿。
そして____
「うぉっ!?…どうした小福」
突然抱き着いた小福ちゃんに驚きながらも、蹌踉めく事もなく受け止めた彼が、小福ちゃんのお兄さんなのだろうか。小福ちゃんと同じ薄灰色でふわっと癖のある髪の毛は、マッシュのツーブロックに綺麗に切り揃えられている。同じくどんよりとした黒い瞳は大きく見開かれ、驚いたように小福ちゃんを見ている。二人のそのそっくりな見た目は、誰に言われなくても二人が兄妹である事を証明していた。
そんな彼等の横には、見覚えのある真っ黒な和服姿の玄雲さんもいて。
「おいおい、小福ちゃんびしょ濡れじゃねェか」
「あー!玄雲!」
「冷たっ……小福、傘はどうしたんだよ?」
「傘壊れた」
「あー、また壊れたのか……って、小福一人でここまで来たのか?」
「ううん、あのお兄さん達が連れて来てくれた」
僕達の方を指差した小福ちゃんにつられて、彼等は扉にいる僕達を見た。
すると先程まで小福ちゃんに向けていた優し気な雰囲気は何処へやら、怪訝そうに眉を顰めて僕達を見ている。
「高専寺と狐塚と……、誰だお前」
「回道じゃねェか、久しぶりだな」
僕達に笑顔で手を振る玄雲さんに、「なんだお前、彼奴知ってんのか」と問い掛ける彼は、随分玄雲さんと親しい仲の様だった。そんな僕達を教室の中へと手招きした玄雲さんにつられて、僕達は彼等の元へと近付いた。
「回道 廻、四月に編入して来た不死身の能力者。お前さんも知ってンだろ?」
「いや知らねぇ…………聞いた事もねぇわ」
「幸大は本当に小福ちゃんの事ばっかりだなァ」
興味無さそうに答える彼に、玄雲さんは呆れた様に笑った。そんな彼に僕はおずおずと口を開く。
「えっと、あの……初めまして。……偶然小福ちゃんに会って、お兄さんのとこまで行くって言ってたので一緒に……。それでその、これ…壊れた小福ちゃんの傘です…」
「あぁ、助かったわ。さんきゅ」
そう言って傘用のビニール袋に入れた小福ちゃんの傘を机に置けば、彼は少しだけ表情を和らげて、膝に乗った小福ちゃんの頭を撫でて僕達にお礼を言った。それに僕が慌てて首を振ると、彼は小福ちゃんを腕に抱えたまま席を立つと、ロッカーを開けて大きめのタオルを取り出した。
「ほら、これで体拭けよ」
「あ、ありがとうございます……」
一枚のタオルを僕に押し付けると、彼は顎で僕の濡れた右肩をさした。僕はタオルを有難く受け取って、濡れた右肩や右手を拭く。
ちらりと前を見ると、身体を拭くためにランドセルを下ろそうとする小福ちゃんが、きちんと締まっていなかったのかその中身を全て床に出してしまっていた。
しかし、彼は何ら動じる事もなく一つ一つ丁寧に拾い上げて、わしゃわしゃとタオルに包み込みながら小福ちゃんの全身を拭いている。その光景はまさしく兄と妹のものだった。
「高専寺と狐塚もさんきゅな、よくやった」
「相変わらずですね転堂さん」
「つーかまじそっくりっすね、妹」
まじまじと小福ちゃんを見る狼君と弥子君は、どうやら彼と知り合いのようだった。「勝手に見んな、減る」とタオルで小福ちゃんを隠した彼が、不機嫌そうに狼君達を睨む。
彼等の様子を見つめる僕の横に、ふらりと玄雲さんがやって来る。
「面白ェだろ、彼奴」
「玄雲さん……」
「彼奴ァ転堂 幸大、教育学部の三年で、あの小さいのが妹の転堂 小福」
「ほんと、そっくりですね」
そう言った僕に、玄雲さんはケラケラと面白そうに笑った。
「玄雲さんは、転堂さんとお友達なんですか?」
「あァ、幸大とは高等部から同じ学部でな……同級生なんでィ」
「……同級生?」
玄雲さんの答えに、僕は首を傾げる。
確か僕の記憶では、玄雲さんは医学部の一年生のはずだ……。教育学部の三年生だという転堂さんと同級生と言うのは、一体どういう事なのだろう。
「確か、玄雲さんは大学棟の一年生じゃ……?」
「おう、俺ァ今二留中だかンな」
「えっ」
衝撃の事実に、僕は素直に驚きを声に出した。そんな僕を、玄雲さんはまたしてもケラケラと笑った。
「だから俺ァ今21の歳だな」
「21歳……」
確かに玄雲さんは、初めて会った時から僕よりも歳上な雰囲気があった。二留中なのには驚いたけど、それと同時に納得もした。
「玄雲さん、高等部では教育学科だったんですね」
「いや、俺と幸大も体育科。だから高専寺は俺達の後輩なんでェ」
「なるほど、それで……」
狼君達との繋がりが見えてきて、僕は納得して頷いた。
僕と玄雲さんが話していると、何処にあったのかドライヤーで髪の毛を乾かされ、新しい服に着替えた小福ちゃんが僕の元へと駆け寄ってきた。
「お兄さん、連れて来てくれてありがとう」
「どういたしまして」
「お兄さんの名前、なんて言うの?」
「僕は回道 廻。小福ちゃん、風邪引かないと良いね」
そう言って、すっかりと乾いてふわふわした頭を撫でると小福ちゃんは嬉しそうに目を細めた。雨に濡れて黒っぽく変わっていた髪色も、綺麗に乾かされて元通りの薄灰色の髪色を取り戻している。鎖骨まであった髪の毛は、乾いたことでくるりと癖を取り戻してふわふわと肩の長さで丸まっている。
撫でていた手をそっと離すと、小福ちゃんは黒い瞳を煌めかせながら僕を見上げて____
「小福、廻のこと好き!」
「えっ」
ガシャーンッという音に目を向けると、そこには机に置いてあったであろうグラスを落とした転堂さんがいて。
「お前……」
足元で抱っこしてと手を広げてくる小福ちゃんと僕の元にふらりとやって来る。そして、転堂さんは冷や汗を頬に伝わせる僕の目と鼻の先で足を止めると。
「______殺すぞ」
「ひえ」
カッと血走った目を見開いた。思わず声が出た僕に、玄雲さんが「まァ落ち着きなせェ」と転堂さんの頭に手刀を落とす。たらりと冷や汗を流す僕に、玄雲さんは笑いながら転堂さんを指差した。
「悪いな回道、此奴ァかなりのシスコンでな」
……………………でしょうね。
「……あぁ、はい」
小福ちゃんの肩を揺らして「選ぶにしてもセンスねぇぞ小福!」と騒いでいる転堂さんを見れば、彼がシスコンであるのなんて容易く分かる。
……ていうか失礼だなこの人。
そんな僕達を見て、当然狼君と弥子君は肩を震わせて笑っているわけで。「もー笑い事じゃないよ……」と僕が狼君達に零すと、小福ちゃんは狼君達を見上げてまたもや目を輝かせた。
「小福、お兄さん達の事も知らない。二人は兄さんの友達?」
「おい小福、知らねぇ奴と喋んじゃねぇ」
「俺は高専寺 狼、小福ちゃんの兄さんのオトモダチ」
「俺は狐塚 弥子、よろしくね小福ちゃん」
「勝手によろしくすんじゃねぇ」
野次を飛ばし続ける転堂さんには慣れっこのようで、少しも気に留めない小福ちゃんは覚えたての言葉を覚えるかのように、小さく二人の名前を繰り返した。そして胸の前で拳を小さく握ると、嬉しそうに二人を見上げて。
「兄さんの友達……じゃあ狼と弥子は、小福とも友達ね!」
「おー、まかせろ」
「待て小福……!兄さんは認めねぇぞ!!」
「シスコン過ぎると嫌われますよ」
真剣な顔をして言う転堂さんに、狼君はお腹を抱えて笑って、弥子君はニコリと綺麗な笑顔を浮かべた。
初めましての人が嬉しいのか、小福ちゃんはキャッキャッと楽しそうにはしゃいでいる。そんな小福ちゃんを抱き抱える幸大さんはまさにお兄さんそのもので、僕はそんな様子が何だかとても微笑ましかった。
「____っと、そろそろ俺行くから玄雲、小福の事頼んだぞ」
暫くして、何かを思い出したかのようにそう言った転堂さんは、椅子にかけてあった麦色のカーディガンを羽織る。首を傾げる小福ちゃんと同じように僕も首を傾げた。
「何処か行くんですか?」
「あ……?御役目だ、御役目」
「!」
転堂さんはそう言うと、窓の外に降る大粒の雨を見つめて舌打ちを零した。
今から御役目に行くという転堂さんに、僕は小さく反応する。ちらりと弥子君を見ると、目が合った弥子君は僕の背中を押すように小さく頷いて微笑んだ。その頷きに押されるように、僕は背を向ける転堂さんへと声をかける。
「っあの、転堂さん!その御役目、僕も着いて行っても良いですか…?」
「はあ?」
心底意味が分からないという顔をしながら、転堂さんが僕を振り返った。
「色んな人の祓い方を、見て学びたくて……」
「なんで俺なんだよ、他にもいんだろ」
眉間に皺を寄せた転堂さんが僕を見る。その顔はどう見ても面倒だと書かれていて、やっぱり無理かと肩を落とす。
すると、玄雲さんが僕の肩をポンポンと軽く叩いて何やら意味ありげに口角を上げた。
「まァいいじゃねェか幸大、どうせ一人じゃねンだし」
「……?」
宥めるように言った玄雲さんの言葉の意図が読み取れなくて、僕は横に立つ玄雲さんを見上げた。玄雲さんはしゃがみ込んで小福ちゃんに目線を合わせると、優しく頭に手を乗せてその顔を覗き込んだ。
「小福ちゃんだって一緒に御役目行きてェよなァ?」
「巫山戯んな玄雲、んな危ねぇとこに小福連れてく訳ねぇだろ」
「兄さん、小福も一緒に御役目行きたい!!」
「分かった」
えぇ………………………………。
あれだけ嫌がっていたのに、小福ちゃんが一声言うだけで転堂さんはあっさりと頷いた。そんな転堂さんのシスコンぶりに僕は少しばかり引いてしまう。あっさりと承諾した転堂さんに小福ちゃんは嬉しそうに笑みを浮かべると、後ろで立ち尽くしている僕の手を引いて。
「兄さん、廻も一緒に行く!」
「いや、でも、小福……っ」
「兄さん、お願い」
「分かった」
何なんだこの兄妹………………。
「やったね、廻」と無邪気に笑う小福ちゃんに、僕は頬を引き攣らせて「そ、そうだね…」と同じように笑った。不本意そうに眉を顰める転堂さんが、「お前、絶対小福の手離すんじゃねぇぞ」と僕に釘を刺してくる。そんな転堂さんに僕は「はい……」と小さく返事を返すと、してやった顔の玄雲さんが悪戯に笑みを浮かべていた。
一つ大きな溜息を吐いた転堂さんが、「ほら、行くぞ」と僕達に声を掛ける。僕は小さな小福ちゃんの手をしっかりと握って、そのあとを追いかけた。
「……何してんだ玄雲、お前も来いや」
「はいはい」
肩を竦めた玄雲さんが、慣れた様子でいつもの番傘を手に取る。僕が不思議そうに転堂さんを見ると、彼は顔を傾けて心底僕を見下したように言う。
「用心棒、お前に小福は任せらんねぇからな」
「あ、はい……」
ケッと吐き捨てるように言った転堂さんは、どうやら僕を全然信用していないらしい。
「おい、お前等はどうすんだ?」
と、どれだけ悪態をつこうが兄貴肌の転堂さんは、騒がしい僕達を他所に、沢山の絵本に囲まれたスペースで自室のように寛ぎながらスマホを触っていた狼君と弥子君に声をかけた。教育学部の演習室で、大きく胡座をかいてスマホを触る狼君と弥子君はかなり図太い神経をしていると思う。顔を上げた二人は、ひらひらと力無さげに手を振った。
「いや〜雨だるいっすわ、俺濡れたくないですし」
「あ?」
「俺達此処で留守番してますね、回道の事お願いします」
「帰れや」
__いや、二人ともさっきまで外でびちゃびちゃ遊んでたよね??
ころころ変わる天気予報のように、手のひら返しでそう言った狼君と弥子君は僕達に向かってひらひらと手を振った。水溜まりで遊んだ次は、今度はスマホゲームに夢中な様で、二人はすぐ画面に視線を落としていた。
そんな二人の図々しい様子に、転堂さんは肩を大きく上下させながら大袈裟に溜息をついた。
「生意気な後輩持つと大変だなァ」
「うっせ」
ニヤニヤしながら肩にのしかかった玄雲さんを、転堂さんはうざそうに押し退けた。また一つ舌打ちを零した転堂さんが御役目へと歩き出すと、僕もそれを追うように着いて行く。
「俺も雨は嫌いなンだがな………」
玄雲さんの横を通り過ぎた時、何か聞こえたような気がして振り返る。
「何か、言いましたか……?」
「いや?なんも」
いつも通りの笑顔を浮かべて歩き出した玄雲さんに首を傾げるけど、「廻、はやく!」と手を引く小福ちゃんつられて、僕も早足に演習室を後にした。




