第八話『禍福』其ノ壱
転じるのは、白か、黒か
大か、小か
兄か、妹か____
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学園内高等部普通科教室内____
「____強くなりたい?」
雨の降る6月初旬。
水無月と呼ばれるこの月は、水の無かった田んぼに水を注ぎ入れる頃である事から、水張月等とも呼ばれる水の月であると、いつの日か泉波さんが教えてくれた。その名の通り、まだ雨の日は少ないものの、やはりこの月は水を感じさせる。そんな今日は、ザーザーと大粒の雫が窓を叩く、大雨の日だった。
一日の授業が全て終了した放課後、雨音が響く教室で、目の前に座る弥子君は首を傾げてそう言った。
普通科の教室まで僕を迎えに来てくれた狼君と弥子君は、二人の訪問に騒めくクラスメイト達を他所にズカズカと僕の前に腰掛けた。二人とは病室であんなに重い話をしたのにも関わらず、少しも気まずくなる事は無く、あの日からも毎日のように顔を合わせていた。
机に腰掛けて心底意味の分からなさそうな顔をした弥子君に、僕は一拍置いて口を開いた。
「う、うん……、僕も狼君や弥子君みたいに強くなりたいんだ」
「僕は二人みたいに強い力はないけど……」と、尻すぼみになる僕に、同じく机に腰掛けた狼君が僕を見る。
「最近は派手な攻撃も食らってねぇし、一人で妖も祓えてんだから大丈夫じゃね?」
窓を叩く大粒の雨が、僕達の元へと大量の湿気を運んで来ているというのに、狼君の銀色を滲ませた白髪は相変わらずサラサラと指通りが良さそうだ。狼君が言ったように、確かに最近は無傷では無いものの、妖から重症を負わされる事もなく、一人で妖を祓えるようになっていた。
でもそうは言っても、少しでも気を抜けば危うく妖に致命傷を負わされそうになる事なんて少なくなくて、自分の身は自分で守れるようにはなってきたけれど、それが強くなっているのかどうかは怪しかった。
「それは、そうなんだけど……。僕も、二人みたいに誰かを守れるくらい強くなりたいんだ」
ちらりと騒がしい廊下の方を見ると、長い廊下に出来た湿気の水滴を利用して廊下を滑って遊ぶ数人のクラスメイトの姿が映る。そこには助走をつけて滑る悠太君の姿もあって、どうやら身体はすっかり回復して元気そうだった。
ふと此方を見た悠太君とぱちりと目が合うと、悠太君が僕を手招きして廊下へと誘うが、僕はそれに苦笑いで断りの返事をして視線を戻した。それを見て納得したような顔をした弥子君が、「うーん…」と顎に手を当てる。
「それだと、やっぱり実戦を積むのが一番効果的かな」
「それって御役目の事?」
問い掛けた僕に肯定するように頷いた弥子君が、座っていた机の上から腰を上げる。そういえば教室に来てから二人共当然のように机に座ってるけど、椅子あるんだけど……。
「御役目の命は個人に届くけど、それに着いて行くのは自由なんだよ。だから俺達も回道の御役目に着いて行ってる訳だし。
回道も色んな人の御役目に着いて行ってみたらどうかな」
「自分以外の御役目に…?」
予想外の提案に、僕は少しだけ目を見開く。ザーザーと窓を打ち付ける雨粒は相変わらず騒がしくて、それに比例するように教室内の音も大きくなっていく。僕の机の上に手を付いたことで、弥子君の長い黒髪がサラリと肩から流れる。
「実際に目で見て学べる事は多いんだよ、それが高い階級になればなるほどね」
「……それじゃあ、二人の御役目に着いてくのは?」
「俺達のは駄ー目」
「えぇ……」
即答で断った弥子君は、言葉に反して楽し気な笑顔を浮かべている。困惑する僕を他所に、弥子君は肩から流れ落ちた髪の毛を耳にかける。その仕草がとても色っぽくて、普段から二人共とても大人びているけれど、弥子君は特に色気があるように思う。
「奥墨さんとかいいんじゃないかな。あの人自由人だけど、色々教えてくれるとは思うよ」
「玄雲さん……、確かに色々教えてくれそうかも」
確かに、前にもこの世界のことで色々分からない事を沢山教えてくれたし、玄雲さんの御役目で学べる事は多そうだ。
そんな僕の顔を見た弥子君は、机の上に置いていた手をするりと移動させて、横にかけてある僕の鞄を手に取った。
「とにかく、この学園の色んな人と知り合って、色んな御役目に着いて行ってみるといいよ」
「わっ」
僕の鞄を肩にかけた弥子君が、優しく僕を引っ張り上げて手を引く。ちらりと騒がしい廊下へと目をやると、いつの間に混ざっていたのか、狼君は悠太君達と共に楽しそうに廊下で滑って騒いでいる。彼等は本当に絵に書いたような男子高校生だなと、どこか俯瞰的に僕は思った。
「狼ー、帰るよ」
僕は弥子君に手を引かれるがまま、雨音が響く教室を出た。
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学園内某所____
心なしか、先程よりも雨脚の強まった道を僕達は傘を差して歩く。地面の凹みに出来た水溜まりを踏めば、冷たい水が跳ねてズボンの裾を濡らした。ぐちゅぐちゅと濡れる裾が、冷たく肌に染み込んで気持ちが悪い。思わず顰めてしまう顔を上げて、僕は前を歩く二人を見た。
「うわ、この水溜まりやべぇ」
「ちょ、馬鹿!」
前を歩く狼君と弥子君は、この大雨の中傘を差しながらお互いに雨をかけあっている。小学生の子供の遊びのように、お互いに大きな水溜まりを見つけては大きく踏んで派手な水飛沫を散らしあう。
そういえば、これは最近気付いた事なのだけれど、この二人は意外と子供っぽいところが多い。かなりの悪戯好きだし、自由奔放で、普段こそとても大人びて見えるけど、こういった時はかなり精神年齢が低くなるような気がする。現に狼君は先程、廊下で小学生がするような遊びをするクラスメイト達の輪にいつの間にか混ざっていたし、あんなにも色っぽく見えた弥子君だって、今目の前で狼君と水溜まりをかけあってはしゃいでいる。
僕は少し呆れるような気持ちもありつつ、そんな二人の事が好きなのだけれど。そんな二人を見ていたら、何だか自分の濡れた裾も悪くない気がしてきた。
僕は少しばかり軽くなった気持ちに少し口角を上げて、傘を揺らして歩いた。
「……ん?」
視界の端に小さく映った違和感に、僕は進んだ足を数歩戻た。足を止めて傘を斜めにずらして見下ろすと、道の端に綺麗に植えられた植木の横で、小さく丸まっている黒いもの。
____いや、小さな女の子……?
「君、大丈夫?」
僕の声に、ゆっくりと此方を見上げる女の子。こんな大雨の中傘も差さず、膝を抱えて小さくしゃがみ込んでいる女の子に、僕はそっと傘を差した。
一体いつからここでそうしていたのか、鎖骨辺りまでの髪の毛は雨でぐっしょりと濡れて重たそうにしていて、濡れたせいで薄灰色の髪の毛が黒っぽい色に変わってしまっている。小さな背中をすっぽりと覆うように背負ったピンク色のランドセルから、おそらくこの子は初等部に通う小学生なのだろう。
雨の降る空に浮かんだ雲のように、どんよりとした黒い瞳が僕を映す。
「……傘、壊れちゃったの」
「え…」
女の子の足元を見てみると、親骨の折れた傘が転がっている。どうやらこの子は、傘が壊れてびしょ濡れになってしまったようだった。ただでさえ背丈の小さな女の子が、視界の悪い雨の中道の端で小さくしゃがみ込んでいたから誰も気付かなかったんだろう。びしょ濡れになってしまった女の子に、僕はさらに傘を傾けた。
「寮まで送って行くよ、何処か分かる?」
「兄さんのとこに行きたいの」
「お兄さんがいるの?」
「うん、とっても優しいんだよ!」
色とりどりの紫陽花のようにころころと変わる女の子の表情は、子供の無邪気さそのもので、素直に可愛らしいと思った。そんな満面の笑みを浮かべる女の子の表情からは、お兄さんが大好きなのが伝わってくる。
「じゃあ、そのお兄さんのところに行こう。お兄さんの場所は分かる?」
「うん、兄さんはいつも大学棟にいるの」
「大学棟……」
女の子の歳から、お兄さんというのは中学生くらいの男の子かと勝手に想像してたから驚いた。おそらくこの子は、お兄さんが大学棟にいるという知っているけど、其処への行き方まではまだ分からないんだろうな。この広すぎる学園は、僕だってまだ迷子になってしまうくらいなのだから、小学生が分からなくて当然だ。
「よし、じゃあ大学棟まで一緒に行こう。
あ…そうだ。君の名前は何て言うの…?」
「小福、初等部4年生の9歳」
両手を使って9を示す小学生らしい無邪気な自己紹介に、僕は思わず笑みが零れた。僕が手を差し出すと、小福ちゃんはそれをぎゅっと握って僕の隣に立った。僕は空いた手で壊れた小福ちゃんの傘を掴むと、そんな僕を見上げて、小福ちゃんは人懐っこい笑顔を浮かべている。
すると、僕が足を止めた事に気付いた狼君と弥子君がぞろぞろと僕達の元へと戻って来た。
「何してんだ?回道」
「この子、傘が壊れちゃったみたいで……。お兄さんがいるみたいだから、そこまで送って行って来るね」
「あれ、君は確か転堂さんの……」
「知ってる人?」
見覚えがあるような口振りで小福ちゃんを見下ろした弥子君と狼君は顔を見合せる。そして二人は少し考えるような素振りをした後、僕に言う。
「いや、知ってるのはその子のお兄さんの方」
「兄貴の場所なら分かるから俺等も一緒に行くわ」
そう言って二人は優しく小福ちゃんを見下ろした。
不思議そうな顔をして首を傾げた小福ちゃんと、同じく僕も首を傾げて二人の後を追いかけた。僕の手をぎゅっと握る小さな体が、これ以上冷たい雨に濡れて仕舞わないように、僕は傘を傾けて自分の右肩を大きく濡らして歩いた。




