第七話『共喰い 下』其ノ肆
声の方へと視線を向けると、扉の横で竜胆先生が壁にもたれかかりながら立っていた。
コンコンと小さく壁を叩きながらにっこりと笑って、腕を組んで此方を見ている。竜胆先生の言葉にピタリと動きを止めた稲見先生は、ゆっくりと声の方へと振り返るとげぇっと顔を顰めた。
そんな稲見先生に、竜胆先生は薄い笑みを浮かべたまま、僕達の元へと歩いてくる。
「しかも患者の前で……、いっそ減給してもらおうかな」
「……目覚めてんだからもう患者じゃねーだろ」
「何子供みたいな事言ってんの、ほら貸しな」
「…………クソ」
先程と同じく暴論を返した稲見先生だったけど、呆れた顔をして手を差し出した竜胆先生にしぶしぶ手に持っていた煙草を渡した。一体どこから取り出したのか、灰皿を手にした竜胆先生が慣れた様子で煙草の火を消す。
ベット横の机に灰皿を置くと、後ろで舌打ちをする稲見先生を尻目に、竜胆先生は僕達四人に向き直った。
「本当に、無事で良かったよ」
安堵したように眉毛を下げて笑った竜胆先生が、僕と悠太君の頭を優しく撫でた。
「悠太も、廻も、無事で良かった」
上から降り注ぐ暖かい言葉に、僕の涙腺はまた緩みそうになる。
竜胆先生の手は不思議だ。まるで薬みたいに、傷んだ心に染みて溶け込んでくる。
僕達から手を離した竜胆先生は、くるりと狼君と弥子君を振り返った。バツが悪そうに目を逸らしてこちらを見ようとしない二人に、竜胆先生は何も言わず僕達と同じように、ただそっと優しく頭を撫でた。
そして___
「よくやった」
それ以上何も言わなかったけど、きっと竜胆先生も全て知っているんだろう。何も間違っていないとでも言うように、ただそれだけを口にした。
それでも二人の顔が晴れることは決してなかったけど、竜胆先生はそれも分かっているみたいだった。
「さ、今日はもう遅いし帰ろう。悠太も、ゆっくり休むんだよ」
「はい」
竜胆先生は、ベットから起き上がった悠太君の肩を押して寝かせると、また一つ優しく頭を撫でた。僕は「ほら、帰った帰った〜」と、僕達の背中を押す竜胆先生に連れられて扉へと向かう。
「悠太君っお大事に!」
「廻君も、また学校で」
ひらひらと小さく手を振って笑う悠太君に、僕達は病室を後にした。
すっかり真っ暗になった廊下には、僕達以外の人の姿は無い。僕達五人の足音だけが、響いている。
「ねえりんどー、もう夜ご飯終わってた?」
「当たり前でしょ。もうとっくに終わってるよ」
「んじゃ、りんどーと廃人で奢ってくれよ」
「何で俺まで巻き込まれてんだよ」
僕は四人の一歩後ろを歩いた。みんなすっかり元通りになって、楽しそうに笑っている。ギャーギャーと仲良さげに騒ぎ立てる四人の様子に、つい顔が綻ぶ。
そんな僕を、前を歩く狼君と弥子君が不思議そうに振り返った。
「回道は何か食べたいものある?りんどーと廃人が奢ってくれるってさ」
「へ……僕も?」
「何言ってんの、当たり前でしょ」
まさか僕も一緒に食べるとは思っていなかったから驚く。首を傾げた弥子君の顔は、何言ってんだとでも言いたげだ。
そんな僕を見てか、僕の隣に来た竜胆先生はそっと僕の顔を覗き込む。
「廻はさ、もっと我儘になっていいんだよ」
「我儘?」
よく分からなくて聞き返す僕に、竜胆先生は優しく大人の顔で微笑む。
「もっと自分の気持ちに素直になっていい。君の周りにいる人達は、ちゃんと君を想ってるよ」
その言葉に僕はそっと前を見ると、狼君も、弥子君も、稲見先生も、みんなが僕を見ていて。じわりと何かが心に滲んで、染み渡るように疼いた。
僕は一度、きゅっと唇を結んだ後、意を決して口を開いた。
「……お寿司が、食べたい…です」
おずおずとそう言った僕に、みんなは一瞬驚いた顔をした後、僕を見て優しく微笑んだ。
「良いね、お寿司久しぶりだし」
「仁の好きなカニサラダもあるしね」
「てめっ恭平!!」
「別に良いじゃねぇか可愛くて」
「てめーも笑ってんじゃねーよ!!!」
騒がしいこの空気感が、僕は嫌いじゃない。
「俺回る寿司がいい。回転寿司にしようぜ」
「やっすい奴だなてめーは」
「回転寿司の良さが分からないなんて…、おっさんになったんだね廃人」
「んだとてめー」
「何してるの廻、ほら行くよ」
「あっ、はい!」
ぼーっと四人を眺めてたせいで、また遅れていた僕に竜胆先生が手招きする。少し駆け足でその輪の中へと入っていけば、僕もすっかりみんなと同じだった。
「____あー、わり。俺煙草吸ってから行くわ」
白衣のポケットから煙草を取り出した稲見先生が告げる。
「程々にしなよ」
「おー、すぐ行くわ」
呆れたように言った竜胆先生に、片手を上げた稲見先生はスタスタと僕達に背を向けて歩いて行く。既に煙草を咥えた稲見先生の背中が、どんどん小さくなっていく。
__
学園内保険診療所 医務室____
ギィっと椅子にもたれかかった事で、そこは歪な音を立てた。月明かりだけが窓から射し込む真っ暗な室内で、椅子に浅く腰掛けた稲見は、脚を組みながら煙草に火をつける。赤く火の灯る煙草を吸えば、煙と共に深く息を吐き出した。
ゆっくりと吐き出した煙と共に思い出すのは、昼間高専寺と交わした会話の記憶____
「とぼけんな、分かってんだろ。彼奴の身体について、まだ話してない事あっただろ。
____なあ、何で言わなかった?」
「………………………………」
背を向けたまま、高専寺は視線だけを後ろをにいる稲見に突き刺した。再度問い掛けられた言葉に、稲見は静かに煙草を灰皿へと押し付ける。
「随分酷なことを言うんだな」
その言葉に、高専寺は少しだけ稲見の方を振り返った。
「異常なまでの再生能力を持つその身体は、致命傷どころか、塵も残らねーぐらいに消されても、またどこからともなく再生する。……つまりてめーの存在は、俺達が想像するよりもずっと遥か昔から存在してる可能性がある、と……そう言えと?」
「………」
「何も知らず記憶もねー彼奴に、お前はそう言えと?」
「……、あぁ」
少し影を作った高専寺の表情からは、何を考えているのかは読み取れない。その返事にギィっと深く背もたれにもたれかかった稲見は、下を見つめて小さく冷笑を零した。
「人であろうと生きる彼奴に、まだ可能性でしかない話をするのは、随分酷な話じゃねーか」
稲見は下を向いていた顔を上げて、少しだけ此方を振り返った高専寺を見上げる。
「識らない方が幸せな事もある……、てめーが一番分かってんだろ」
僅かに眉を顰めた高専寺の顔が、影で一段と暗く染まる。小さく舌打ちを零した高専寺は、正面から稲見に向き直って赤い瞳を鋭く光らせた。
「………じゃあ、彼奴の再生能力が妖のそれと酷似してる事も、言わねぇつもりなのか」
二人はお互いを瞳に映したまま、視線を逸らす事はない。
「自分の事を識らないままでいんのが、彼奴にとっては正しい事なのか?」
深く吐き出した煙が、暗い室内に溶けて消える。昼間の高専寺との会話を思い出していた稲見の瞳は、黒く濁っていて何を思っているのかは分からない。
火をつけたばかりの真新しい煙草を灰皿に押し付けると、稲見は沢山の資料が貼られた壁に向かって手を伸ばす。医療関係の資料が壁を覆い尽くす中、何枚かの資料を捲ると一枚の写真が顔を出した。
その写真に写っているのは、三人の学生だった。それには学生時代の稲見と竜胆も写っていて、真ん中には稲見、左側には竜胆の姿があった。その右側には同い歳くらいの男も写っていて。薄く金色を滲ませた綺麗な白髪と、赤色の瞳が印象的だった。
ホースを手に持って笑うその顔はとても楽しそうで、隣の稲見も竜胆もとても楽しそうに笑っている。びしょ濡れで笑い合う彼等三人は、とても仲が良さそうだ。
月明かりが射し込む室内で、稲見は静かにその写真を見つめる。
「てめーが居なくなってから、善も悪もよく分からねーよ……」
きらりと月明かりが稲見の瞳を光らせば、それはまるで泣いているようにも見えて、消えそうで酷く切なげな声が、ただ響く。稲見の右側で笑うその人物に、そっと指を滑らせる。
「なあ、豹____」
第七話『共喰い 下』-完-
『共喰い』上下、読んでいただいてありがとうございます。この題名の共喰いとは、同じ能力者である者達の思想の違いから生まれたお互いの喰らい合いから付けています。そして化け物と呼ばれた廻と化け物と呼ばれる妖の関係も指しています。
この話では、人間の中にも善人と悪人がいるように、能力者の中にも善人と悪人がいることを書きました。
でもそもそも、善と悪は一体誰が決めているのでしょうか?
この問いは私がよく考えていることでもあり、この『廻る君の怪奇譚』の大きなテーマの一つでもあります。能力者と妖、そして異端者が今後どのように廻り会っていくのか、ぜひ楽しみにしていただけると幸いです。




